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本編
狂気
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別に俺は部活でも強かった訳じゃない。
未経験者で元々ドイル先生と関わる時間を増やそうという邪な動機で入った部活だったし。
ただシルクと仲良くなった事、ドイル先生に滅茶苦茶絡んでいた事で、俺は空手というより彼らの古武術を教わる事が多かった。
だからナイフを出されて動揺したが、どうすべきかさっと対処法が頭に浮かんだ。
まともに相手にするな。
経験を積んだ武人であっても、よほどの事がない限り、刃物を手にしている相手とまともにやりあう事はない。
そう教えられた。
まず、刃物を手にしていると言う事は、相手は精神的にイカれてる。
そこにまともな精神で向き合ったって、相手がわかる訳がない。
そんなまともでない相手は、常識で考えればわかる事もわからない。
だから意味のわからない行動をする為、熟練した武道家でも動きの予測を完璧に立てられることはまずないのだそうだ。
そもそも刃物は殺傷能力がある事すら、正常に認識できていないで手にしているのだ。
だからアクセサリーの様に簡単に見せつけて来るのだと。
「本気で相手を殺すつもりと覚悟があったら、確実に仕留められる距離と位置につくまで、相手に刃物を見せたりしないよ。当然でしょ?」
あっけらかんとシルクは言った。
あまりに自然に言うから怖い。
それにドイル先生も頷く。
「左様。脅すだけなら刃物などむしろ不便。奪われる可能性から不都合の種になる。」
「ならどうするのが一番脅しになるんです??」
興味本位で聞いた俺に、先生とシルクは顔を見合わせた。
「「骨を折る。」」
ハモって答えられる。
しかも別に何でもない事のように。
「どんな方法でも良いのですが、相手に痛みを自覚させられれば脅しになります。その中でも即効性と持続性から見て骨を折る事が一番でしょう。簡単に折れる箇所は意外とあるものです。そして痛みで動きが鈍くなり、逃げられる率も下がリますよ。」
憧れの初老紳士は、武道になると頭のネジがぶっ飛んでて素敵だ。マジ結婚して欲しい。
「機動力を奪えるから一番いいのは足だけど、指の骨一本の方が刃物チラつかせるなんて馬鹿な方法より効力あるよ。相手の攻撃力も下げられるし。それで脅しにならない様な奴は、よっぽどの覚悟があるから何しても基本、脅しにならないよ。」
そして女子でも通用する美少女系男子が平然とこれを言うのだ。
あの時、俺は何と会話をしているのだろうと道場の片隅で不思議に思った。
とにかく簡単に刃物を出す様な相手を、玄人だってまともに相手をしたりしない。
ド素人だったら尚更なのだ。
だが、待ったなしの状況まで追い込まれたらこうしろとシルクと先生に教えられた。
だから俺は動揺しながらも冷静さを完全には見失わないでいられたのだ。
脅しなのかエドはナイフを見せつけて軽く振ってくる。
俺はじっとそれを見つめる。
それを怯えていると判断したのか、エドが知らない顔で笑った。
「……おとなしくしていれば痛い思いはさせないよ、サーク。君は僕のものだ。ちゃんとそれを自覚してくれ。」
「……何言ってんだ?お前……?」
俺は表情一つ変えずにそう告げた。
途端にエドの顔つきが変わった。
「……生意気な。シルクみたいな事を言うなよ、サーク……。」
「シルクも脅したのか?どこの骨を折られた??」
その瞬間、人はこれほど醜悪な顔ができるのかと思うほど、エドの顔は醜く歪んだ。
よく漫画なんかでゴブリンは醜悪な顔をしていると言うが、きっとこんな顔をしているんだろうと思った。
蔑みと憤怒と支配欲が瞬時に俺に襲いかかる。
俺はナイフを持つ手だけに集中した。
その手首を逆手で掴み準手に直す。
自分としては大した動きはしていないが、相手からすれば手を捻られる事になる。
上手く掴めて良かった。
そしてそのまま、向かってくる力を利用してこちら側に引き寄せる。
「!!」
「……甘く見んな。俺はドイル先生の真性の追っかけだ。」
それが自慢になるかはさておき、そのまま体制を崩させナイフを持つ手を壁に叩きつけた。
捻られた状態でそれをされ、エドはナイフを取り落とす。
すかさずそれを蹴っ飛ばして遠くに転がした。
ナイフがなければ、速攻命に関わる緊急事態には陥らずに済む。
ひとまず刃物に対する対応は終わった。
そこで少しばかり気が抜けたのが悪かった。
後ろから体を押さえ込まれる。
もがいて逃れるが、頭を掴まれ、空き教室のドアに思い切り叩きつけられた。
一瞬、思考が飛ぶ。
その隙をエドが見逃すはずもなく、空き教室のドアを開けてそこに蹴り飛ばされた。
床に叩きつけられ、2度目の衝撃にダメージの残っていた頭では対応が遅れる。
馬乗りになられたら不味いと、とりあえず避ける事に集中して床を転がった。
制服が誇りまみれになるが、そんな事に構っている場合ではない。
「……噂は本当だったんだな!!」
脳の反応速度が落ちている俺は、このまま戦闘を続行しても不利だと思い、戦う手段とは別の手段をとった。
俺の言葉にエドの拳が止まる。
体を起こし、ゆっくりと行動しやすい体制に変えながらエドを睨んだ。
「……なんの事だ?サーク?」
「何でだよ?!俺はそんなの噂だって信じていたかったのに!!」
「…………。どこまで知ってる?サーク?」
「さぁな……。」
どこまで、と言うという事は、表面的になっていない事もあるのだろう。
エドの言葉から俺はそう判断した。
俺の知らない部分がある。
それもわかっていた。
リグはある程度信憑性のある部分しか俺に話していないからだ。
だが俺が知っている部分だって、信じたくはなかった。
これはあくまで噂ですけどね、とリグは前置きした。
だが俺に話すという事はそれなりに裏を掴んだ話だとわかっていた。
ただ罪と立証できるほどの証拠が揃わなかったというだけだ。
エドは恋人を軟禁し、精神崩壊させたと言う噂。
そもそもその人が恋人だったかどうかも怪しいと言う。
そうなる前まで、その人にはとても仲の良い他の恋人がいたので、まわりはエドとその人が恋人と言う事に違和感しか感じなかったそうだ。
しかしその人本人が恋人だと証言した事から、事件性なしの知情の縺れとして処理された。
エドの家は元々はセレブクラスに属する様な家柄だった。
しかし不況の煽りで経営状態が悪くなり、事業縮小してしまったと言う。
そこからエドに妙な噂がつきまとうようになった。
「まぁ、それまで何不自由なく上流階級として生きてきてそうなったんですからね。これは俺の勝手な憶測ですけど、そんな生活をしてきたならいきなり慎ましやかにとは行かないでしょうし、周りからの対応や見る目も変わった事に耐えられなかったんだと思いますよ。」
リグはそう言った。
それは本人にはどうする事もできない不運だっただろう。
かと言って、加虐に走っていい理由にはならない。
エドは表面的には気品を保ったが、裏では自分より立場の弱いものをとことん痛打った様だ。
鼻につく相手は引きずり下ろす様な事もしたらしい。
元セレブとなれば見栄もある。
そんな息子の行いを親は裏で処理し続けた。
しかし流石に恋人を軟禁して精神崩壊させた事は隠し通せなかった。
一応、示談になり、相手はどこか遠くの病院に入院し、その入院費を含む治療費を支払っているという事だ。
だが表面化してしまった出来事はどうにもできない。
いくら大金を使っても、人の口には戸はつけられないのだから。
だが、そんな家だと知っていれば、おおっぴらに噂する事もできない。
息子も親も何をしてくるかわからない。
エドは死人のような表情で俺を見下ろしていた。
本当にあの、黙々と努力していたエドと目の前の人物が同じだと思えなかった。
「エド、もうやめろ。俺は黙ってる。こんな卒業前の時期にくだらない事で将来につまんない影を落とすな。」
「…………あぁ、そうだな。サークは黙ってる。良い事も悪い事も、ただ表面的に善悪で決めつけたりしないし、立ち直るチャンスをくれる。頑張ればそれをきちんと見ていてくれ、それを認めてくれる……。」
エドは独り言のようにブツブツとそう言った。
そしてガシガシと爪を噛んでいる。
自分の中で葛藤しているんだと思った。
エドだっておそらくわかっているんだ。
こんな事をしていても這い上がれない事を。
俺は黙っていた。
信じたかったんだ、エドを。
シルクの件から努力で這い上がってきたエドを信じたかったんだ。
過去は変えられない。
でもそこから這い上がろうとする人を否定したくなかった。
やがて……。
エドはだらんと両手を下げた。
俯き動かなくなった。
そして力なくしゃがみこんだ。
「わかってる……こんな事をしても……俺を愛してくれる人なんかいない……皆、掌を返した……父も母も……厄介だから……自分達の社会的地位を守りたいから……手を貸してくれるだけだ……俺を愛してるからじゃない……。」
「…………。」
「誰もいない……俺をちゃんと……まっすぐ見てくれる人なんて……誰もいない……。」
「エド……。」
「………………サーク……どうしても……駄目なのか……?俺じゃ……駄目なのか…………。」
俺には何と答えていいのかわからなかった。
かと言って同情は一番いけない事だとわかっていた。
「……ごめん。そういう意味では答えられない。」
「………………。」
「こんな答えは酷なのはわかってる。でも、お前の事、友達だとしか思えない……。」
「……どうして?……愛してよ…………寂しいよ……辛いよ…………。」
「ごめん。」
それ以上の事を俺は言えなかった。
体を起こし、そんなエドに近づいた。
「……友達じゃ駄目なのか?エド?」
「………………。」
「……駄目だよな。ごめん。」
そんなエドが少し自分と重なった。
友達じゃ駄目だ。
だって好きなのだから。
たとえそれを表に出さなくったって、ほんの少しでも相手の特別でありたいんだ。
好きだから、友達じゃ駄目なんだ……。
友達として側にいるというのは自分の気持ちを偽る事だから。
偽り続けた心は脆く儚く、ちょっとした事で砕けてしまうんだ……。
俺は多分この時、エドに同情していた。
自分の今と重ね合わせ、同情していたのだ。
一番してはいけない事だ。
そして一番、隙を作る感情だった。
突然、グルンと世界が回った。
何が起きたのかわからない。
そして背中と頭を床にぶつけた。
「?!」
「捕まえた……サーク……。本当に優しいな……お前は……。」
覆い被さるようにエドの顔がある。
そこでやっと状況を把握した。
「お前っ!!」
俺は直ぐに体制を立て直そうとした。
押さえ込もうとするエドともみ合う。
どうする?!
こうなった以上、相手を傷つけないようになど悠長な事は言ってられない。
抜け出す隙を作るには急所狙いも致し方ない。
目?鼻?喉仏?
鎖骨は折れやすいってシルクが言ってた。
だが上半身はこの状況では狙いにくい。
そっちでフェイントかけてやはり金的が一番確実か……?
そう思った時だった。
ピリッとした感覚が皮膚に走った。
はじめは何かわからなかった。
頬に押し当てられる冷たさ。
それは金属のそれだった。
「?!」
「流石だよな、サーク。でも、ナイフが一本だと何で思ったんだ??ん??」
にっこりと笑うエド。
この状況では流石に肝が冷えた。
眼球だけ動かして自分の頬を、エドの手元を見る。
それに気づきながらエドはゆっくりとそのナイフを俺に見せつけた。
「…………っ。」
「いい顔だ……その顔が見たかったんだ……サーク……。」
苦々しく思いながらも、この体制では下手な抵抗ができない。
それこそ下手をすれば生死に関わる一撃をくらう事になる。
エドは酔狂した定まらない目でニタニタ笑い、そして俺の制服に手をかけた。
「っ!!」
わざと、そのボタンの一つをナイフで弾き飛ばした。
それに反射的に硬直すると、狂ったように笑いながらYシャツを下から切り裂いた。
「止めろ!!」
「おとなしくしてろって!!痛い目をみたくなければな!!」
軽く皮膚が切られ、ビクリとする。
自分の馬鹿さ加減に涙が出る。
ナイフをちらつかせて脅すような輩は正気じゃない。
正当法で立ち向かっても無駄だと、さんざんシルクとドイル先生に言われていたのに。
注意してと、リグが珍しく、きちんと裏が取れていない状態で連絡してくれたのに。
俺は皆の忠告を無駄にしてしまった。
どうしたらいいのかわからなかった。
未経験者で元々ドイル先生と関わる時間を増やそうという邪な動機で入った部活だったし。
ただシルクと仲良くなった事、ドイル先生に滅茶苦茶絡んでいた事で、俺は空手というより彼らの古武術を教わる事が多かった。
だからナイフを出されて動揺したが、どうすべきかさっと対処法が頭に浮かんだ。
まともに相手にするな。
経験を積んだ武人であっても、よほどの事がない限り、刃物を手にしている相手とまともにやりあう事はない。
そう教えられた。
まず、刃物を手にしていると言う事は、相手は精神的にイカれてる。
そこにまともな精神で向き合ったって、相手がわかる訳がない。
そんなまともでない相手は、常識で考えればわかる事もわからない。
だから意味のわからない行動をする為、熟練した武道家でも動きの予測を完璧に立てられることはまずないのだそうだ。
そもそも刃物は殺傷能力がある事すら、正常に認識できていないで手にしているのだ。
だからアクセサリーの様に簡単に見せつけて来るのだと。
「本気で相手を殺すつもりと覚悟があったら、確実に仕留められる距離と位置につくまで、相手に刃物を見せたりしないよ。当然でしょ?」
あっけらかんとシルクは言った。
あまりに自然に言うから怖い。
それにドイル先生も頷く。
「左様。脅すだけなら刃物などむしろ不便。奪われる可能性から不都合の種になる。」
「ならどうするのが一番脅しになるんです??」
興味本位で聞いた俺に、先生とシルクは顔を見合わせた。
「「骨を折る。」」
ハモって答えられる。
しかも別に何でもない事のように。
「どんな方法でも良いのですが、相手に痛みを自覚させられれば脅しになります。その中でも即効性と持続性から見て骨を折る事が一番でしょう。簡単に折れる箇所は意外とあるものです。そして痛みで動きが鈍くなり、逃げられる率も下がリますよ。」
憧れの初老紳士は、武道になると頭のネジがぶっ飛んでて素敵だ。マジ結婚して欲しい。
「機動力を奪えるから一番いいのは足だけど、指の骨一本の方が刃物チラつかせるなんて馬鹿な方法より効力あるよ。相手の攻撃力も下げられるし。それで脅しにならない様な奴は、よっぽどの覚悟があるから何しても基本、脅しにならないよ。」
そして女子でも通用する美少女系男子が平然とこれを言うのだ。
あの時、俺は何と会話をしているのだろうと道場の片隅で不思議に思った。
とにかく簡単に刃物を出す様な相手を、玄人だってまともに相手をしたりしない。
ド素人だったら尚更なのだ。
だが、待ったなしの状況まで追い込まれたらこうしろとシルクと先生に教えられた。
だから俺は動揺しながらも冷静さを完全には見失わないでいられたのだ。
脅しなのかエドはナイフを見せつけて軽く振ってくる。
俺はじっとそれを見つめる。
それを怯えていると判断したのか、エドが知らない顔で笑った。
「……おとなしくしていれば痛い思いはさせないよ、サーク。君は僕のものだ。ちゃんとそれを自覚してくれ。」
「……何言ってんだ?お前……?」
俺は表情一つ変えずにそう告げた。
途端にエドの顔つきが変わった。
「……生意気な。シルクみたいな事を言うなよ、サーク……。」
「シルクも脅したのか?どこの骨を折られた??」
その瞬間、人はこれほど醜悪な顔ができるのかと思うほど、エドの顔は醜く歪んだ。
よく漫画なんかでゴブリンは醜悪な顔をしていると言うが、きっとこんな顔をしているんだろうと思った。
蔑みと憤怒と支配欲が瞬時に俺に襲いかかる。
俺はナイフを持つ手だけに集中した。
その手首を逆手で掴み準手に直す。
自分としては大した動きはしていないが、相手からすれば手を捻られる事になる。
上手く掴めて良かった。
そしてそのまま、向かってくる力を利用してこちら側に引き寄せる。
「!!」
「……甘く見んな。俺はドイル先生の真性の追っかけだ。」
それが自慢になるかはさておき、そのまま体制を崩させナイフを持つ手を壁に叩きつけた。
捻られた状態でそれをされ、エドはナイフを取り落とす。
すかさずそれを蹴っ飛ばして遠くに転がした。
ナイフがなければ、速攻命に関わる緊急事態には陥らずに済む。
ひとまず刃物に対する対応は終わった。
そこで少しばかり気が抜けたのが悪かった。
後ろから体を押さえ込まれる。
もがいて逃れるが、頭を掴まれ、空き教室のドアに思い切り叩きつけられた。
一瞬、思考が飛ぶ。
その隙をエドが見逃すはずもなく、空き教室のドアを開けてそこに蹴り飛ばされた。
床に叩きつけられ、2度目の衝撃にダメージの残っていた頭では対応が遅れる。
馬乗りになられたら不味いと、とりあえず避ける事に集中して床を転がった。
制服が誇りまみれになるが、そんな事に構っている場合ではない。
「……噂は本当だったんだな!!」
脳の反応速度が落ちている俺は、このまま戦闘を続行しても不利だと思い、戦う手段とは別の手段をとった。
俺の言葉にエドの拳が止まる。
体を起こし、ゆっくりと行動しやすい体制に変えながらエドを睨んだ。
「……なんの事だ?サーク?」
「何でだよ?!俺はそんなの噂だって信じていたかったのに!!」
「…………。どこまで知ってる?サーク?」
「さぁな……。」
どこまで、と言うという事は、表面的になっていない事もあるのだろう。
エドの言葉から俺はそう判断した。
俺の知らない部分がある。
それもわかっていた。
リグはある程度信憑性のある部分しか俺に話していないからだ。
だが俺が知っている部分だって、信じたくはなかった。
これはあくまで噂ですけどね、とリグは前置きした。
だが俺に話すという事はそれなりに裏を掴んだ話だとわかっていた。
ただ罪と立証できるほどの証拠が揃わなかったというだけだ。
エドは恋人を軟禁し、精神崩壊させたと言う噂。
そもそもその人が恋人だったかどうかも怪しいと言う。
そうなる前まで、その人にはとても仲の良い他の恋人がいたので、まわりはエドとその人が恋人と言う事に違和感しか感じなかったそうだ。
しかしその人本人が恋人だと証言した事から、事件性なしの知情の縺れとして処理された。
エドの家は元々はセレブクラスに属する様な家柄だった。
しかし不況の煽りで経営状態が悪くなり、事業縮小してしまったと言う。
そこからエドに妙な噂がつきまとうようになった。
「まぁ、それまで何不自由なく上流階級として生きてきてそうなったんですからね。これは俺の勝手な憶測ですけど、そんな生活をしてきたならいきなり慎ましやかにとは行かないでしょうし、周りからの対応や見る目も変わった事に耐えられなかったんだと思いますよ。」
リグはそう言った。
それは本人にはどうする事もできない不運だっただろう。
かと言って、加虐に走っていい理由にはならない。
エドは表面的には気品を保ったが、裏では自分より立場の弱いものをとことん痛打った様だ。
鼻につく相手は引きずり下ろす様な事もしたらしい。
元セレブとなれば見栄もある。
そんな息子の行いを親は裏で処理し続けた。
しかし流石に恋人を軟禁して精神崩壊させた事は隠し通せなかった。
一応、示談になり、相手はどこか遠くの病院に入院し、その入院費を含む治療費を支払っているという事だ。
だが表面化してしまった出来事はどうにもできない。
いくら大金を使っても、人の口には戸はつけられないのだから。
だが、そんな家だと知っていれば、おおっぴらに噂する事もできない。
息子も親も何をしてくるかわからない。
エドは死人のような表情で俺を見下ろしていた。
本当にあの、黙々と努力していたエドと目の前の人物が同じだと思えなかった。
「エド、もうやめろ。俺は黙ってる。こんな卒業前の時期にくだらない事で将来につまんない影を落とすな。」
「…………あぁ、そうだな。サークは黙ってる。良い事も悪い事も、ただ表面的に善悪で決めつけたりしないし、立ち直るチャンスをくれる。頑張ればそれをきちんと見ていてくれ、それを認めてくれる……。」
エドは独り言のようにブツブツとそう言った。
そしてガシガシと爪を噛んでいる。
自分の中で葛藤しているんだと思った。
エドだっておそらくわかっているんだ。
こんな事をしていても這い上がれない事を。
俺は黙っていた。
信じたかったんだ、エドを。
シルクの件から努力で這い上がってきたエドを信じたかったんだ。
過去は変えられない。
でもそこから這い上がろうとする人を否定したくなかった。
やがて……。
エドはだらんと両手を下げた。
俯き動かなくなった。
そして力なくしゃがみこんだ。
「わかってる……こんな事をしても……俺を愛してくれる人なんかいない……皆、掌を返した……父も母も……厄介だから……自分達の社会的地位を守りたいから……手を貸してくれるだけだ……俺を愛してるからじゃない……。」
「…………。」
「誰もいない……俺をちゃんと……まっすぐ見てくれる人なんて……誰もいない……。」
「エド……。」
「………………サーク……どうしても……駄目なのか……?俺じゃ……駄目なのか…………。」
俺には何と答えていいのかわからなかった。
かと言って同情は一番いけない事だとわかっていた。
「……ごめん。そういう意味では答えられない。」
「………………。」
「こんな答えは酷なのはわかってる。でも、お前の事、友達だとしか思えない……。」
「……どうして?……愛してよ…………寂しいよ……辛いよ…………。」
「ごめん。」
それ以上の事を俺は言えなかった。
体を起こし、そんなエドに近づいた。
「……友達じゃ駄目なのか?エド?」
「………………。」
「……駄目だよな。ごめん。」
そんなエドが少し自分と重なった。
友達じゃ駄目だ。
だって好きなのだから。
たとえそれを表に出さなくったって、ほんの少しでも相手の特別でありたいんだ。
好きだから、友達じゃ駄目なんだ……。
友達として側にいるというのは自分の気持ちを偽る事だから。
偽り続けた心は脆く儚く、ちょっとした事で砕けてしまうんだ……。
俺は多分この時、エドに同情していた。
自分の今と重ね合わせ、同情していたのだ。
一番してはいけない事だ。
そして一番、隙を作る感情だった。
突然、グルンと世界が回った。
何が起きたのかわからない。
そして背中と頭を床にぶつけた。
「?!」
「捕まえた……サーク……。本当に優しいな……お前は……。」
覆い被さるようにエドの顔がある。
そこでやっと状況を把握した。
「お前っ!!」
俺は直ぐに体制を立て直そうとした。
押さえ込もうとするエドともみ合う。
どうする?!
こうなった以上、相手を傷つけないようになど悠長な事は言ってられない。
抜け出す隙を作るには急所狙いも致し方ない。
目?鼻?喉仏?
鎖骨は折れやすいってシルクが言ってた。
だが上半身はこの状況では狙いにくい。
そっちでフェイントかけてやはり金的が一番確実か……?
そう思った時だった。
ピリッとした感覚が皮膚に走った。
はじめは何かわからなかった。
頬に押し当てられる冷たさ。
それは金属のそれだった。
「?!」
「流石だよな、サーク。でも、ナイフが一本だと何で思ったんだ??ん??」
にっこりと笑うエド。
この状況では流石に肝が冷えた。
眼球だけ動かして自分の頬を、エドの手元を見る。
それに気づきながらエドはゆっくりとそのナイフを俺に見せつけた。
「…………っ。」
「いい顔だ……その顔が見たかったんだ……サーク……。」
苦々しく思いながらも、この体制では下手な抵抗ができない。
それこそ下手をすれば生死に関わる一撃をくらう事になる。
エドは酔狂した定まらない目でニタニタ笑い、そして俺の制服に手をかけた。
「っ!!」
わざと、そのボタンの一つをナイフで弾き飛ばした。
それに反射的に硬直すると、狂ったように笑いながらYシャツを下から切り裂いた。
「止めろ!!」
「おとなしくしてろって!!痛い目をみたくなければな!!」
軽く皮膚が切られ、ビクリとする。
自分の馬鹿さ加減に涙が出る。
ナイフをちらつかせて脅すような輩は正気じゃない。
正当法で立ち向かっても無駄だと、さんざんシルクとドイル先生に言われていたのに。
注意してと、リグが珍しく、きちんと裏が取れていない状態で連絡してくれたのに。
俺は皆の忠告を無駄にしてしまった。
どうしたらいいのかわからなかった。
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