「欠片の軌跡」②〜砂漠の踊り子

ねぎ(塩ダレ)

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第四章「独身寮編」

心より深い場所から

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ギルは最後の見回りとばかりに各所を見て回った。
所々で夜勤の部下に挨拶をする。
人気のない廊下を歩きながらため息をつく。

先程、何も考えたくなくて遅くまで仕事をして部屋を出ると意外な人物と鉢合わせた。
部屋の前の壁に寄りかかり、サークが待っていたのだ。
罰が悪そうに目を逸らすギルに彼は、よう、世話を焼きに来てやったぞ、と腹立たしげに告げた。

シルクは今夜、イヴァンと祭りに行った。
てめえは覚悟を決めて首を洗っとけ。

サークはそう言うと、フンッと鼻を鳴らして首切りのジェスチャーをすると去っていった。

上司に対してずいぶん横暴だ。
お陰で少しだけ笑えた。

だが仕方がない。
ずいぶん世話になったのに、この体たらくでは怒りもするだろう。
自分は恋愛にはことごとく向かないと思った。

ずっと想いを寄せていた王子は、ある時、ただ理想を押し付けて長い間、執着していただけだと気づかされた。

突然、目の前に現れた、一人の男。

我武者羅で無茶苦茶で、泥臭くのたうち回って、それでも歯を食いしばって向かってきた。
そんな彼に久しぶりに一発殴られた時、目が覚めた。
幻想的な理想をぶち壊すほど、強烈な現実が目の前にあったのだ。

彼は自分と戦う為にかなりの無茶をした。
秘密にしていた制御できない力を使ったのだ。
そのせいで戦いの最中に意識を失い、数日眠り続けた。

そこまでしてまっすぐ彼は自分に向かってきた。
逃げもせず、自分に立ち向かってきた。

その事がさらに強い衝撃となってギルを揺さぶった。

なのに……。

目覚めた彼は能天気にたくさん食べる。
モゴモゴ、口を動かして食べる。

目が離せなかった。

けれどギルは、そこに芽生えた無自覚な想いを育てる事が出来なかった。
制御できなくなった一方的な感情を押し付け、深く傷つけた。

彼は自分を許さないと言った。
だが、それが彼の許しなのだと気づいていた。

許された時、初めて彼を愛していたと知った。
全てが終わった時、ギルはそれを知った。

でももう遅かった。

だから、もしも次に誰かを愛したなら、その時は絶対に傷付けないようにしようと誓った。

なのにこれか……。

自分が嫌になる。
シルクを傷付けないよう努力した。
それはサークに生存本能すら封じ込めたと言わしめた精神力をフル稼働させても耐え難かった。
それでもやりきったのだ。

なのに、どこで間違えた?

想い人は、今、他の男といる。
本人が憎めない男と思っている奴とだ。

『俺に言わせれば、今のあんたは狡い男だ』

サークはそう言った。
何もしないのも酷い男だと。

ならどうすれば良かった?
どこで、どう、動くべきだった?

傷つけたくないんだ。

何が間違っていたのだろう?
答えは見つからない。

無意識にため息が漏れる。

明日が来る事が怖い。
何もしなかったというのに、今日の結果を目の当たりにするのが怖かった。

じっとしていると時が過ぎていく事を意識せざる負えない。
耐えられず無意味に仕事を作って見回りをしていたギルの目に、ふと、鍛練場に人影があるのが見えた。

……こんな時間に?

その影をよく見ようとじっと見つめた。
次の瞬間、ギルは鍛練場に向かって走り出した。










「………シルク。」

鍛練場にはシルクがいた。

いつからいたのだろう?
汗だくになって型を流していた。

鼻にあの甘い香りを微かに感じる。
シルクが目の前にいるのに、それ以上、何と声をかけていいかわからなかった。

「こんばんは、たいちょーさん。」

シルクは振り向きもせずそう言った。
ごく当たり前の事だった。

見なくても匂いでわかる。
誰が来たかなんてすぐにわかる。

シルクはその空気を散らすように、大きく空を蹴った。

「……お前、イヴァンと祭りに行ったんじゃなかったのか?」

ギルはそう言いながら奥まで入り、近くにあった椅子に座った。
聞かない方が身のためだったかもしれない。
だが、気づいた時には言葉が漏れていた。

シルクは動くのをやめなかった。
だが答えた。

「行きました!」

「何故、ここに…?」

「落ち着かないから!」

「……何かあったのか?」

「告白されました!愛してるって!」

「……そうか。」

無表情のギルの胸がズキリと痛んだ。

わかっていた。
いつかそうなるだろうと。

ギルはため息をついた。

もう、時間は戻らない。
もし戻ったとして、何ができるというのか?
受け入れるしかないのだろう。

シルクは淡々と型を流し続けた。
打ち出す拳に力が籠る。
無駄に息んでしまい、少しだけ眉を顰める。


「イヴァンが好きです!」

「……ああ。」

「自分で思っていたより、大好きです!」

「……そうか。」

「この気持ちに嘘はないんです!」

「…………。」

「でも!……あいつを受け入れようとキスに応えた時!心よりずっと奥から、声がしたんです!」


そこまで言ってシルクは少し沈黙した。
段々と大きくなった声はまるで泣いているようだった。


「声?」

「……この人じゃないってっ!!」


大きく回し蹴りを打ちながら、シルクが叫んだ。
その声を、心の叫びを、ギルは聞いた。

「……シルク……。」

「イヴァンの事!好きだった!本当に好きだった!だから答えられると思った!!」

「…………。」

「でも駄目だった!心より深いところから!心臓より奥の方から!魂みたいなのが叫んでた!!イヴァンじゃないって!!この人じゃないって……っ!!」

「シルク……。」

イヴァンでないのなら、それは誰なんだ?
勘違いしてもいいのか?

ギルは無意識に立ち上がった。
動けない彼を突き動かすには十分な衝動がそこにはあった。

その時、かたんと音がして、ふたりはそちらに顔を向ける。


「イヴァン……。」


ギルは呟いた。

そこにはイヴァンがいた。
シルクを追って探したのだろう。

シルクはやっと動きを止めた。
沈黙の中にシルクの呼吸音だけが静かに響く。

「……すみません。聞いてしまいました。」

イヴァンは困ったように笑った。
シルクはまっすぐにイヴァンを見つめる。

好きだと、愛してると言ってくれた人。
いつでも寄り添い、明るく笑ってくれた太陽のような人。
だからもう、逃げたくなかった。


「……イヴァン。こんなこと言っても信じられないだろうけど、俺、イヴァンが好きだ。でも、お前の気持ちには答えられない。」

「信じますよ。あなたはこんなことで嘘をついたりはしない。」

「ごめん。」

「失恋ですね。……ショックだなぁ、いいとこまできてたと思ったのになぁ~。」


ははは、とイヴァンは笑った。
その顔は、笑っていたがとても傷ついていた。

シルクは何も言えなかった。
何か言ったところで、その言葉は軽すぎて意味がない。

区切りをつけるように、イヴァンは真っ正面からシルクの目を見つめた。


「もし、可能なら、1つだけ教えて下さい。」


イヴァンが言った。
シルクは無言のまま頷く。


「……あなたの心に入ったのは、誰ですか?」

「!!」


ズキン……という痛みが走る。
シルクは目を反らせた。

それはまた別の問題で、その答えをシルクは出せずにいた。

いや、出せないのではない。

その人は応えてくれない。
こんなにも心が、体が求めているのに。

シルクは自分の腕をぎゅっと抱いた。
ひとりぼっちで辛かったからだ。

聞いてはいけないことを聞いてしまった。
イヴァンも目を反らせた。

悲しげなシルクを見ていられなかった。




「?!……待ってっ!!」




静寂の中、急にシルクが声を上げた。
その声に驚いて顔を上げたイヴァンの目に、予想もしなかった光景があった。


「もう遅い……。」

「あ……っ!」


ギルがシルクを力任せに抱き締め、口付けていた。
一見乱暴に見えるのに、イヴァンは止められなかった。
入り込む余地を見いだせなかったのだ。

ギルに迷いはなかった。
衝動は確かにそこにあった。
今、動くときだと本能が知っていた。

シルクは戸惑いを隠せなかった。
ないはずの答えが、望んだいたものが、何の前触れもなく突然訪れたのだ。


「お願い……待って……んっ!!」

「……もう待たない。」

「やだ……ダメ、たいちょーさん……待って……。」

「…………。」


貪るように交わされる口付け。
駄目だと言うシルクは次第にそれを受け入れた。
ギルの首に腕を回し自ら深く求める。

「……好き……たいちょーさんが好き……。」

「あぁ……俺もだ……シルク……。」

美しい涙がシルクの頬の上を流れる。


それは酷く残忍で、美しく、官能的だった。


イヴァンは目を閉じた。

ああ、そう言うことか……。
シルクの顔を見て、全てを知ってしまった。


「悪いな、イヴァン……。」


口付けで力の抜けたシルクを腕の中に閉じ込め、ギルは言った。
黒い騎士は相変わらず無表情だったが、その眼には確かな鋭さがあった。

もう入り込む隙はないようだ。

イヴァンは悲しげに首を振り、苦笑した。


「思わぬ伏兵でした。完敗です。」

「……シルクはもらう。悪く思うな。」

「ふふっ。隊長がシルクさんを好きなのはわかっていましたが……。ずっと何の雰囲気も感じなかったんですけどね?いつ、仕掛けたんです?気づきませんでした。」

「俺が仕掛けたんじゃない。」

「……だとしたら、これ以上は聞きません。自分で自分の傷をえぐりたくはないので。」

「悪いな……。」


もうここにいても仕方がない。
自分の出番は終わってしまったのだ。

イヴァンは僅かな笑みを残し、黙ってその場を後にした。
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