臆病な犬とハンサムな彼女(男)

ねぎ(塩ダレ)

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君がくれた勇気

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「シイちゃん、大丈夫?!」

ママがちらっと顔を覗かせた。
それに力なく笑ってみせる。

「大丈夫です……ちょっと動揺してしまって……。」

ママは店内を確認してからササッとバックヤードに入り、私のおでこを触ったりして体調を確認しだした。

「初めての日に知り合いに来られるとは災難だったわね……。」

「……その……。」

「ああ、彼?カウンターにいるわ。1人みたい。シイちゃんの事は気づいてはないわ。……ただなんか話したそうだからちょっと聞いてみるけど、お客様との会話だからシイちゃんに教えたりはできないわよ。」

「勿論です。」

私は苦笑いを浮かべて頷く。
ママは優しく私の頭を撫で、そして店内に戻って行った。

しばらくぼんやりと控室の天井を眺める。
「シイちゃん」ではない僕の意識が戻ってくる。

「……もう会う事もないと思ってたんだけどなぁ。」

何でこんな偶然が起こるんだろう?
しかも初めて「シイちゃん」になった今日。
近くにあったメイク直し用の鏡で自分の顔を見る。
そこに映る、知らない顔。

「……妃乃ちゃんのメイク……本当に凄い……。」

鏡の中、口が動いているのだから当然、自分が喋っているのだが、やっぱり自分とは思えない。
それがおかしくてふふっと笑う。

「大丈夫。まだ魔法は解けてない……。」

頭の中に様々な考えが浮かんでいる。
混乱したその情報を、とりあえず一つの束にまとめて無理やりぎゅっと縛った。
ごちゃごちゃあっちもこっちも考えていても仕方のないことだからだ。
まずは情報を遮断して、空っぽの頭で考える。

今、僕はどうしたいのだろう?

僕が今持っているカードは、「シイちゃん」であるという事。
妃乃ちゃんがかけてくれた魔法があるという事。
そしてここはママの店だ。
外の世界の様な僕を異端とする場所じゃない。
アウェーじゃないんだ。
ここは僕にとってのホーム。
素でいられる場所。
そのままの僕を自然に受け入れてくれる場所。

「……よし。」

しばらく目を閉じ、自分と話し合う。
そしてどうしたいのか、なんの柵もない状態で考えてみた。

「……僕は…………。」

一つの結論に至り、丹田にグッと力を込めた。
そしてもう一度、鏡を手にとってまっすぐ見つめる。

そこに映る「シイちゃん」。
他人の様に見えていた「シイちゃん」に僕は微笑んだ。
鏡の中の「シイちゃん」も、僕に笑いかけてくれる。

別物だった僕とシイちゃんが手を繋いだ。
そんな気がした。

「大丈夫。行こう、シイちゃん。」

僕はひとりじゃない。
不起用ではみ出し者の僕だけど、何も言わずに寄り添ってくれる人もいる。

「このままじゃ駄目だ。僕はそう思う。」

どうしたらいいかなんてわからない。
気持ちの整理なんかつかない。
動く事でさらに辛くなるかもしれない。

でもこのままにしていたら駄目だ。
複雑に絡まったままにしていたら、いつまでも僕はそこで足を引っ掛ける。
前に進めない。

どんな形でもいい。
僕は僕なりの答えを出したい。
それは独りよがりのわがままかもしれない。
人様に迷惑をかけることかもしれない。
それでも、自分勝手だと罵られても、僕が前に進む為には必要なんだ。

僕は鏡の中の「シイちゃん」に力強く頷いた。
シイちゃんはそれに応え、微笑んでくれた。

シイちゃんは僕であり、僕はシイちゃんだ。
妃乃ちゃんがかけてくれたちょっとの魔法が、僕に力を貸してくれる。

「大丈夫。世界中の全てが私達を否定しても、ここにはママも妃乃ちゃんも……そして私とあなたがいる。」

鏡の中、シイちゃんの顔の中にある瞳の奥で「シュン」が歯を食いしばっている。
だから大きく深呼吸する。

「大丈夫。まだ魔法は解けていない。私、シンデレラより長生きなのよ?」

自分で言っていて、ちょっと笑った。
大丈夫。
妃乃ちゃんの魔法は完璧だから。
たとえ解けても今動かずに後悔するよりマシだ。

多分だけと……マシなはずだ……。













私がカウンターに戻ると、ママはびっくりした顔をした。
それににっこり笑いかける。

「シイちゃん?!」

「お騒がせしました。席を外してすみません。もう大丈夫です。」

私の言葉に何か考えがあるのだろうと、ママは何も言わずに頷いた。
その顔は心配げであった。

「シイちゃん!!」

フロアから妃乃ちゃんが飛んできた。
そしてカウンター越しにまっすぐ私を見つめ、首を振った。
真剣な眼差し。
その目の色は、どう見ても妃乃くんのものだった。

「シイちゃん!」

「大丈夫です。妃乃ちゃんが魔法を掛けてくれたから。」

「でも……!!」

「私は妃乃ちゃんの魔法を信じます。」

妃乃ちゃんはまだ何か言いたげだったけれど、ママがそれを制した。
硬い表情の妃乃ちゃんに私は笑いかける。

「ありがとう。妃乃ちゃん。」

「……見守ってるから。」

「うん。」

私はくすりと笑った。

同じ言葉をもらった事がある。
それはとても美しく私の心を照らしてくれたけれど、同時にとても儚いものだった。

でも妃乃ちゃんの言葉は凄味がある。
むしろ否定的とも言えるほど、強く固く、怒りすら混ざっていた。
そのせいなのか妙なリアリティーがある。
美しいけれど淡く儚い夢ではなく、頑固で融通の効かないギラギラした思念みたいだ。

私は何を気にするでもないフリをして、流しの洗い物を始めた。
本当は心臓がバクバク言っていた。
妃乃ちゃんの魔法を信じてる。
それに嘘はないけれど、それでもやっぱり緊張で頭がおかしくなりそうだった。

こんな事をして何になるのか?
最悪身バレして、知り合いに言い広められるだろう。
そんな危険を侵してまで、私は何がしたいのだろう?

でももう、何もせずに蹲っていたくないんだ。
たとえ馬鹿な真似でも、何もせずにいたら前に進めない。
何もせずに後悔はしたくないんだ。


「……あの?」


ふとかけられた声。
緊張で震え出しそうになる。

でも僕には今、妃乃くんがかけてくれた魔法がある。

私は今、「シイちゃん」なのだ。
だから毅然と顔を上げ、営業スマイルを作ったのだった。
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