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髭の濃いママ
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「……って、それ、便所に流した話でしょ?!」
ママがカウンターの向こうから、ムスッとした顔でそう言った。
僕は思わず苦笑した。
「まぁ、トイレで話してたのをうっかり盗み聞きしちゃったって話だけどね。」
残りのハイボールを喉に流し込むと、間髪入れず、ママがおかわりを手元に置いてきた。
びっくりしてそのグラスとママの顔を何度も見る。
「いや、僕は……。」
「帰る気でしょ?!そうは問屋が降ろさないわよ?!奢ってあげるから、1杯付き合いなさいよ!!」
「えぇ~?!」
ママは少し伸びてきた髭をジョリジョリ撫でながら、自分の分のハイボールを大ジョッキに作っている。
1杯にしては時間がかかりそうだ。
「なら、ママの1杯は僕が奢るよ。」
「あら~♡さすがはシュンちゃん~♡わかってるぅ~♡」
そう言ってシナを作られたが、体格が僕より大きいのでちょっと怖い。
「今日は空いてるね。」
「まぁ、時間も時間だし、感染症もあったからね?平日はこんな日が半々よ。」
「え?でも規制は解除されたよね?」
「そうね。だからゴールデンタイムは混み合うけど、元々、社会的にお酒離れしてきてたじゃない?そこに感染症がきたから、午前様まで飲む習慣は廃れていく一方よ。」
「大変だね?」
「バーとしてはそうなんだけどね。最近、午後とか少し開けてるのよ。」
「そうなの?」
「そ、ランチタイムを逃したサラリーマンとか、早上がりの人とか、後はオカマと話してみたい女の子たちとガールズトークしてみたり。意外と好評なのよ?」
それで身だしなみにうるさいママの髭がそんな事になっているのかとちょっと納得した。
「お店も早めに閉めれて夜にちゃんと寝れるから、お肌の調子も良いのよね~。」
「怪我の功名とはいえ、良かったね。」
「それでもまあ、こうやって昔なじみの心配な子がふらっと遅くに来たりするから、完全に時間を固定できないんだけどね。」
「それはごめんなさい。」
申し訳なさそうにそう言うと、ママは優しく笑ってよしよしと頭を撫でてくれた。
それが心地よくてカウンターに突っ伏して、されるがままに撫でられていた。
「いいのよ、シュンちゃんはうちの子の一人だもの。」
「僕、ここで働いた事ないですけどね。」
「昔から来てる子だもの。わが子同然よ!!いつでも辛くなったらここに帰ってきなさい。」
「ありがとう、ママ。」
そんな言葉が胸に染みて涙が出そうだった。
やっぱり何気に傷ついてるんだなぁと思う。
僕の恋愛対象が世間一般の言う「普通」でない事は、その感情に気づいた時からわかっていた。
でもそれをどうしたらいいのかわからなかった。
ママが最前線にいた時に比べれば、世間的に理解や認知も進んだ。
けれど漫画やドラマのように上手く行くばかりじゃない。
未だに開き直る事もできず、僕のように持て余している人間もいる。
「…………好きだったの?」
「それは多分違うかな。特に親しくもなかったし、あんまり意識した事もなかったし、何となくずっと気持ちのどこかで警戒してたし。」
「その人を?それともトラウマを?」
「わからない。」
「そっか。」
そんなやり取りの間に、他に残っていたお客が帰った。
ママはお勘定を済ませお見送りをし、テーブルを片付けると僕の隣に座った。
「そんな大事にとっておく程のもんじゃないわ、シュンちゃん。」
「別に大事に取っておいてなんかないよ?変に胸焼けしてたけど何とか消化したし。」
「消化すらしなくて良かったわよ。だって便所の話よ?!」
ママの言葉に思わず笑う。
「胸に残すなら、もっと素敵なものを残しなさい。そんなションベンと一緒に便器に垂れ流してた話なんて!!シュンちゃんが大事にしておくべき話じゃないわよ!!」
「あはは!ママ!言い方!!」
「だってそうじゃない!!」
憤慨したように言うママに僕の心は救われた。
もっと怒ったって良かったのだとママが鼻息荒く息巻くのを、グラスを傾けながら聞いていた。
ママはいつだって、僕が押し殺してしまう気持ちを変わりに開放してくれる。
僕は不器用だ。
そして弱い人間だ。
いつも傷付く事を恐れている。
感情や自分の意思を表に出せない。
もう癖になっているのだ。
だからそれを責め立てられてもどうにもできない。
それにそういう事を責め立てる人は、もしもうっかり感情的になったり本心を漏らしたりしたら、あることない事付け加えて面白おかしく周りに話し続ける。
そして相応に、そういう人の周りにはその話の裏表もわからぬまま、声高らかに騒ぎ立てる方の声だけしか聞かずに同調する人が集まっている。
あることない事騒ぎ立て、少数を多数で責め立て、いつまでもいつまでもひそひそブツブツ言い続ける事が楽しい人たち。
幼稚園児でもわかるレベルの人を傷つける事を何とも思わず、話が本当だろうと嘘だろうと騒ぎ立てられれば何だって構わないのだ。
それだったら情報は与えない方がいい。
口に戸は立てられない。
言おうと言うまいと嘘だろうと本当だろうと、上司だろうと部下だろうとお構い無くその人たちの口は動き続けるのだから。
職場関係なんてプライベートじゃない場所に、そういう人達がいるところに、わざわざ餌を巻いて嫌な思いをする必要はない。
本当の事を知っても自分たちの都合のいいように捻じ曲げ、ひそひそブツブツ人を蔑む遊びを続けていくのだから。
何も言わないのは、申し訳ないけれど話せる状況じゃないと僕が思うからだ。それを卑屈だ卑怯だと言われても、僕はどうにもできない。
何か事情がない限り、ちゃんと信用できる人なら、信頼できる環境なら、別に僕だって言葉をなくしたりなんかしない。
安心して話せるなら普通に話をする。
「ママがここにいてくれて良かったよ……。」
けれど僕のような人間にはそんな場所はほぼない。
だから身の程をわきまえて生きていくしかないのだ。
ママがカウンターの向こうから、ムスッとした顔でそう言った。
僕は思わず苦笑した。
「まぁ、トイレで話してたのをうっかり盗み聞きしちゃったって話だけどね。」
残りのハイボールを喉に流し込むと、間髪入れず、ママがおかわりを手元に置いてきた。
びっくりしてそのグラスとママの顔を何度も見る。
「いや、僕は……。」
「帰る気でしょ?!そうは問屋が降ろさないわよ?!奢ってあげるから、1杯付き合いなさいよ!!」
「えぇ~?!」
ママは少し伸びてきた髭をジョリジョリ撫でながら、自分の分のハイボールを大ジョッキに作っている。
1杯にしては時間がかかりそうだ。
「なら、ママの1杯は僕が奢るよ。」
「あら~♡さすがはシュンちゃん~♡わかってるぅ~♡」
そう言ってシナを作られたが、体格が僕より大きいのでちょっと怖い。
「今日は空いてるね。」
「まぁ、時間も時間だし、感染症もあったからね?平日はこんな日が半々よ。」
「え?でも規制は解除されたよね?」
「そうね。だからゴールデンタイムは混み合うけど、元々、社会的にお酒離れしてきてたじゃない?そこに感染症がきたから、午前様まで飲む習慣は廃れていく一方よ。」
「大変だね?」
「バーとしてはそうなんだけどね。最近、午後とか少し開けてるのよ。」
「そうなの?」
「そ、ランチタイムを逃したサラリーマンとか、早上がりの人とか、後はオカマと話してみたい女の子たちとガールズトークしてみたり。意外と好評なのよ?」
それで身だしなみにうるさいママの髭がそんな事になっているのかとちょっと納得した。
「お店も早めに閉めれて夜にちゃんと寝れるから、お肌の調子も良いのよね~。」
「怪我の功名とはいえ、良かったね。」
「それでもまあ、こうやって昔なじみの心配な子がふらっと遅くに来たりするから、完全に時間を固定できないんだけどね。」
「それはごめんなさい。」
申し訳なさそうにそう言うと、ママは優しく笑ってよしよしと頭を撫でてくれた。
それが心地よくてカウンターに突っ伏して、されるがままに撫でられていた。
「いいのよ、シュンちゃんはうちの子の一人だもの。」
「僕、ここで働いた事ないですけどね。」
「昔から来てる子だもの。わが子同然よ!!いつでも辛くなったらここに帰ってきなさい。」
「ありがとう、ママ。」
そんな言葉が胸に染みて涙が出そうだった。
やっぱり何気に傷ついてるんだなぁと思う。
僕の恋愛対象が世間一般の言う「普通」でない事は、その感情に気づいた時からわかっていた。
でもそれをどうしたらいいのかわからなかった。
ママが最前線にいた時に比べれば、世間的に理解や認知も進んだ。
けれど漫画やドラマのように上手く行くばかりじゃない。
未だに開き直る事もできず、僕のように持て余している人間もいる。
「…………好きだったの?」
「それは多分違うかな。特に親しくもなかったし、あんまり意識した事もなかったし、何となくずっと気持ちのどこかで警戒してたし。」
「その人を?それともトラウマを?」
「わからない。」
「そっか。」
そんなやり取りの間に、他に残っていたお客が帰った。
ママはお勘定を済ませお見送りをし、テーブルを片付けると僕の隣に座った。
「そんな大事にとっておく程のもんじゃないわ、シュンちゃん。」
「別に大事に取っておいてなんかないよ?変に胸焼けしてたけど何とか消化したし。」
「消化すらしなくて良かったわよ。だって便所の話よ?!」
ママの言葉に思わず笑う。
「胸に残すなら、もっと素敵なものを残しなさい。そんなションベンと一緒に便器に垂れ流してた話なんて!!シュンちゃんが大事にしておくべき話じゃないわよ!!」
「あはは!ママ!言い方!!」
「だってそうじゃない!!」
憤慨したように言うママに僕の心は救われた。
もっと怒ったって良かったのだとママが鼻息荒く息巻くのを、グラスを傾けながら聞いていた。
ママはいつだって、僕が押し殺してしまう気持ちを変わりに開放してくれる。
僕は不器用だ。
そして弱い人間だ。
いつも傷付く事を恐れている。
感情や自分の意思を表に出せない。
もう癖になっているのだ。
だからそれを責め立てられてもどうにもできない。
それにそういう事を責め立てる人は、もしもうっかり感情的になったり本心を漏らしたりしたら、あることない事付け加えて面白おかしく周りに話し続ける。
そして相応に、そういう人の周りにはその話の裏表もわからぬまま、声高らかに騒ぎ立てる方の声だけしか聞かずに同調する人が集まっている。
あることない事騒ぎ立て、少数を多数で責め立て、いつまでもいつまでもひそひそブツブツ言い続ける事が楽しい人たち。
幼稚園児でもわかるレベルの人を傷つける事を何とも思わず、話が本当だろうと嘘だろうと騒ぎ立てられれば何だって構わないのだ。
それだったら情報は与えない方がいい。
口に戸は立てられない。
言おうと言うまいと嘘だろうと本当だろうと、上司だろうと部下だろうとお構い無くその人たちの口は動き続けるのだから。
職場関係なんてプライベートじゃない場所に、そういう人達がいるところに、わざわざ餌を巻いて嫌な思いをする必要はない。
本当の事を知っても自分たちの都合のいいように捻じ曲げ、ひそひそブツブツ人を蔑む遊びを続けていくのだから。
何も言わないのは、申し訳ないけれど話せる状況じゃないと僕が思うからだ。それを卑屈だ卑怯だと言われても、僕はどうにもできない。
何か事情がない限り、ちゃんと信用できる人なら、信頼できる環境なら、別に僕だって言葉をなくしたりなんかしない。
安心して話せるなら普通に話をする。
「ママがここにいてくれて良かったよ……。」
けれど僕のような人間にはそんな場所はほぼない。
だから身の程をわきまえて生きていくしかないのだ。
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