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一章

トラブル

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 以下回想。

 フィリアを浴場まで送り届けたナーミアは、顔に笑みを浮かべながらフロントに戻った。
 フロントではカウンターに佇む母が、相変わらずの笑みをたたえていた。
 其れを見て、ナーミアは震えた。
 というのも、ナーミアは知っていたのだ。
 母の笑みには種類がある。そして、フィリアさんに入浴セットを手渡した時から浮かべているこの笑みは、その中でも最悪の類であるという事を。悪戯っ子の笑みだ。
 こういう時はさっさと退散するのが吉。楽しくなってしまった母を止める術は存在しない。

「ナーミア? 何処に行くの?」
「え……何処って……部屋に、戻るところ、ですけど」

 冷や汗を抑えながら聞き返すと、母がにこりと微笑をたたえて、言った。

「そうね、時間も遅いから、早く寝ないといけないものね? ところでナーミア? ?」

 ──入っていなかった。
 というのも、ナーミアは何時も、客の規定入浴時間が終わるのを見計らって入っている。流石に仮にもスタッフが、一般のお客様と一緒に入る訳にはいかない。
 そして、今はもうその規定入浴時間はとうに過ぎている。何時もならばお風呂を頂いている頃だ。にも関わらずナーミアがまだ入浴を行なっていないのは、フィリアの要望に応えたからだ。
 本当なら風呂に客がいない時間……まして、誰も入ってこないことを保証出来る時間など存在しない。唯一、時間外という例外を除いては、だ。だからこそナーミアは母に頼み込んでフィリアの頼みを叶えたのだが……まさか、それが仇になろうとは。

「……フィリアさんが出たら入ります。それで──」
「待っていたらいつになるかわからないじゃない? 私としては、ナーミアはまだ子供なことだし成長にもよくない上に、仮にも由緒ある宿屋のスタッフを寝不足な状態でやって欲しくは無いのだけど……」

 ──ああ、そうか。
 ナーミアは察する。つまりこれは。ナーミアが母にフィリアさんを時間外に入れてあげられるよう頼み込んだ時に──既に、詰んでいたのだと。

「元よりうちの温泉は、一つしかありません。フィリアさんの要望だって、ナーミアがあんまり必至にお願いするから特別に許可をしてあげたの。普通のお客様なら考えられないような措置です。だったら一つくらい、我慢して貰ってもいいと思うのだけど?」

 以上、回想終了。


 ◇◆◇◆◇◆


「という訳で……ごめんなさい。まさかこんな事になるなんて……」

 本当に申し訳無さそうにあった事を話すナーミアに、俺はすごく罪悪感を覚えた。
 お風呂──それも現代でこそありふれたものだが、この世界でどれほどの価値を持つか。それを、言ってしまえば独占したいと俺はお願いした訳で、叶えるためには無茶をしなければならないのは道理だ。何故そこまで思い至らなかったのか。

 ふぅ、と息を吐く。
 半分は迂闊さに対する失望、もう半分は諦観だ。もうどうにでもなれ、というような。

「……いいよ、入って来な」

 俺は、優しくそう語りかけた。
 顔が熱いが──のぼせているのだということに、した。
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