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第一章
歴史と、苦難
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かつて、この大陸はたった一つの国に支配されていたという。
カルヴァーニ帝国。皇帝を唯一無二の支配者として頂に仰ぐその帝国は、いくつもの国々が争う戦乱の中を生き延び、全ての名だたる支配者達が治める土地を次々に吸収。
大陸歴482年。長い戦乱の時代は民の歓喜の声と共に遂に終わりを告げ、名実と共に全てのもの、全ての人民はその悉くがカルヴァーニ帝国初代皇帝のものとなった。
カルヴァーニ帝国初代皇帝の持つ才覚は、大陸を支配した圧倒的な軍才だけでなく政治にも発揮され、大陸に住まう全ての民に幸福を与えたとさえ言われていた。
だが、カルヴァーニ帝国の繁栄が長く続く事は無かった。
独裁政治とはそんなものだ。良き指導者がどれだけ善政を重ねようと、たった一人の無能の存在が全てを台無しにする。上に立つものが聖人でなかった時……権力に溺れるようなものだったとき、丁寧に組まれたシステムは瓦解以外の道をたどることは出来ないのだ。
二代目皇帝は初代皇帝の息子に相応しい気高き皇帝だった。三代目皇帝は三人の皇帝で最も政治に長け、人の心を重んじ民に良い政治だけを心がけ、帝国を一代で途方もなく発展させた。道を舗装し、民に職を与え、学び舎を作って識字率を向上させた。
だが、四代目皇帝は無能の極みだった。
彼は戴冠すると間もなく、まだ第一皇子に過ぎなかったときに密かに結成していた自警団を用いてまだ存命だった二代目、三代目皇帝を闇討ち。自分に刃向えるものが居なくなると、先代が積み上げてきた全ての権益を自分の為だけにただ使った。
ある時は戯れに肌の色が褐色のものに対する差別を促し、幸せに暮らしていた人々に差別意識を植え付けた。時がたって耐えられなくなった褐色の族──タンビア族が反乱を起こせば、自ら軍を率いてそれらを虐殺し、捕らえたものは意味もなく自ら拷問した。タンビア族の人口は七割が失われた。
ある時は税を急激に増やし、民が飢えていると聞けば満足げに頷いた。臣下が『何が楽しくあらせられるのか』と聞くと、『民の不幸の上に自らの幸せを敷き、その上に立ってグラスを呷ること以上の愉悦があろうか』と言い、『こんなことも解らず俺に説明の労を執らせる不敬、なんたることか』と言って、その臣下を一族郎党皆殺しにした。
またある時は父である三代目皇帝を『塵芥のような男だった』と中身のない批判をし、『父というにも憚られるあの男の政が俺のそれよりも勝る訳がない』として、三代目皇帝が積み上げた善政の産物の悉くを打ち壊した。識字率は再び下がったにも関わらず、自らの趣味である読書を民に強要した。活版印刷もまだない時代。本は民の資産と比べても、決して安い買い物ではなかった。
またある時は──またある時は──
そんな愚かな事を繰り返し繰り返し、子の代も孫の代も繰り返し。それはや八代皇帝まで連綿と紡がれる、負の連鎖と成った。
民は疲れきっていたが、武力もなく知恵もない民達に出来る事などなかった。死ねと言われれば死ぬしかなく、讃えよと言われれば頭を垂れた。
そんな時、帝国の一角で一つの大規模な武力集団が蜂起した。彼らは、『もしも今後、愚かな支配者が現れた時に』と三代目皇帝の遺した莫大な遺産を手に、何を成せば良いか綴られた遺書に従った者達だった。第三皇帝が死んだその日に下野し、脈々と世代を重ね、意志を子の世代孫の世代に託しながら、そのチャンスを虎視眈々と待っていた。政治に長けた三代目皇帝は、独裁政治の危うさを十二分に理解していたのである。理解した上で、保険をかけていた。遺書には、独裁政治とは全く違う新しい政治の概念。『民主主義』について詳しく書かれていた。
蜂起した武装集団は帝国との苛烈な闘いの末、ついに東隅の土地の一部を奪取。其処を新たな国とした。
大陸歴822年の事だった。三代目皇帝の最も信頼した臣下のガレイミア・ネルザミニッチの子孫で、蜂起した集団の指導者であるブロッキオ・ネルザミニッチが建国の宣言をした。その国は、三代目皇帝の名からクロイドツェリ共和国とされた。民達は、かつて華麗に民衆を導いたクロイドツェリ第三皇帝の意を汲む者達の台頭を、涙を流して歓迎したという。
そして。僅かに時は流れ、大陸歴845年。
後に【ドヤ顔の知将】と呼ばれる事になる一人の少年が、一人の少女と邂逅した日から二ヶ月ほど時計の針を進めた、その日は──クロイドツェリ共和国軍の高等士官試験の二次試験、その当日。
後に共和国の歴史において、『運命が始まった』と揶揄される日であった──。
◇◆◇◆◇◆
20.6。
これが何を意味する数字かわかるだろうか。
そう……と言われてもわからないだろうが、まぁぶっちゃけると高等士官試験の一次筆記試験の倍率である。
よく、『倍率五倍なら前後と左右に座る人を踏み倒せばいいんだよ!』なんて進学塾で言われたりするが(よく、かは知らない。俺は言われた)、その理屈だと20倍なら半径5m圏内くらいにいる全員を倒さねばならない訳で。試験が終わった瞬間、高校受験とは比べ物にならない重圧が俺を襲い(なんたって命がけだからな)、合格の通知が来るまでタルト共々ビビり倒していた。数日後にタルトの借りている家に手紙が来た時(俺はタルトから金を貰って宿生活であり、宿受け取りにすると無駄に金がかかるのでタルトの住所で受け取った)、合格か不合格か本当にどちらとも言えず、蝋を裂くのに二十分は優に要したものだった。
そんなこんなで無事合格し、目立つからと服装をジャージから改めて当世風にした俺と相変わらずの軍服姿のタルトは、指定集合場所である首都から東に半日行ったところにあるザザルザザンザ森林に足を踏み入れた。不可解にザが多いが、言いやすいのでよしとする。
因みに、タルトは寝るときも軍服だし、私服も軍服だ。同じものを何着も持っているらしく、毎日洗濯しているのにその軍服が尽きたところを見たことが無い。襟に付けた勲章には代えが無いようで、それをいそいそと付け直す姿はどこか楽しそうであった。
「あちぃ……」
俺は顰めっ面に汗を大量に流しながら、森林の中を歩いていた。今の季節は夏に近いものらしく気温がタダでさえ高いのに、森林には湿気が充満してムシムシとした不快感を与えて来る。
帰りたい。いっそ帰りたい。
この足をおもむろに後ろに向けても責める人間は居ないのでは……?
「暑いのを暑いと言っていたら余計に暑くなりますよ。いいですから足を動かしましょう。勿論前に、です」
いた。
バッチリ隣について来ているタルトは二ヶ月という期間の中ですっかり俺という人間の扱いに慣れたらしい。俺も堅っ苦しい敬語はすっかりと抜け、友達と接するかのようにタルトと話している。
それにしても、タルトは分厚い軍服を身に纏い、暑いと言いながら汗ひとつかかず平気な顔でいる。軍服なんて蒸して中身はサウナ状態だろうに。
「……それにしても、本当にこの暑さは参りますね。この先一週間は此処でサバイバル生活だっていうのに」
「……タルトは平気そうに見えっけど」
「私はそれなりに鍛えていますから。カエデさんや率いる兵が倒れてしまわないように気をつけないとな、と」
「くそっ、女の子に下に見られたのに何も言い返せない! っていうか隊合流させたら分隊長俺でいいって言ってたじゃん! 気をつけるの俺じゃん!!」
「……軍略満点でしたからね、カエデさん」
むすー、と拗ねたように口をすぼめて抗議の眼差しを向けるタルト。
「いや、俺に抗議されても困るんだけどな? っていうか勉強開始初日『倍率高いからほぼ満点じゃなきゃ合格出来ない』とか言い出したのタルトじゃん。それで満点取ったら文句ってどういうことよ」
というより、俺の軍略論は思いつきアンド思いつきのそれはもう破天荒なもので、タルトが思いっきり王道を行っていたので、タルト合格して俺不合格の可能性の方が大きかった。俺が満点で合格できたのは、ひとえに採点官運に尽きる。普通の採点官なら迷わずバツをつける文章を書いた自覚はあったのだ。
「文句じゃありません。拗ねてるんです。ずっと勉強してきた私だって満点には三点足りなかったのに……」
「殊更困る……」
拗ねるタルトを宥めつつ歩いていると、やがて人が多く集まった大広間に出た。
見渡す限り全員女のその空間は、しかしその全員が乙女にあるまじき殺気を惜しげなく放出していた。
「…………帰りてぇ」
「此処まで来て帰るなんて許しませんよ!? いい加減腹をくくりましょう。高等士官試験を受ける人が軒並み女性だと説明しなかったのは謝りますから……!!」
半分涙目で嘆願するタルトさんを見下ろし、溜息をつく。
いや、何が嫌ってさぁ……
女だらけの空間にあって、少しも怪訝な視線とかを向けられない俺自身だよね!!
腰まである長く黒い髪。中性的というには色気を孕みすぎている顔。
そう、俺は男でありながら、容姿が思いっきり女の子なのであった──!!
カルヴァーニ帝国。皇帝を唯一無二の支配者として頂に仰ぐその帝国は、いくつもの国々が争う戦乱の中を生き延び、全ての名だたる支配者達が治める土地を次々に吸収。
大陸歴482年。長い戦乱の時代は民の歓喜の声と共に遂に終わりを告げ、名実と共に全てのもの、全ての人民はその悉くがカルヴァーニ帝国初代皇帝のものとなった。
カルヴァーニ帝国初代皇帝の持つ才覚は、大陸を支配した圧倒的な軍才だけでなく政治にも発揮され、大陸に住まう全ての民に幸福を与えたとさえ言われていた。
だが、カルヴァーニ帝国の繁栄が長く続く事は無かった。
独裁政治とはそんなものだ。良き指導者がどれだけ善政を重ねようと、たった一人の無能の存在が全てを台無しにする。上に立つものが聖人でなかった時……権力に溺れるようなものだったとき、丁寧に組まれたシステムは瓦解以外の道をたどることは出来ないのだ。
二代目皇帝は初代皇帝の息子に相応しい気高き皇帝だった。三代目皇帝は三人の皇帝で最も政治に長け、人の心を重んじ民に良い政治だけを心がけ、帝国を一代で途方もなく発展させた。道を舗装し、民に職を与え、学び舎を作って識字率を向上させた。
だが、四代目皇帝は無能の極みだった。
彼は戴冠すると間もなく、まだ第一皇子に過ぎなかったときに密かに結成していた自警団を用いてまだ存命だった二代目、三代目皇帝を闇討ち。自分に刃向えるものが居なくなると、先代が積み上げてきた全ての権益を自分の為だけにただ使った。
ある時は戯れに肌の色が褐色のものに対する差別を促し、幸せに暮らしていた人々に差別意識を植え付けた。時がたって耐えられなくなった褐色の族──タンビア族が反乱を起こせば、自ら軍を率いてそれらを虐殺し、捕らえたものは意味もなく自ら拷問した。タンビア族の人口は七割が失われた。
ある時は税を急激に増やし、民が飢えていると聞けば満足げに頷いた。臣下が『何が楽しくあらせられるのか』と聞くと、『民の不幸の上に自らの幸せを敷き、その上に立ってグラスを呷ること以上の愉悦があろうか』と言い、『こんなことも解らず俺に説明の労を執らせる不敬、なんたることか』と言って、その臣下を一族郎党皆殺しにした。
またある時は父である三代目皇帝を『塵芥のような男だった』と中身のない批判をし、『父というにも憚られるあの男の政が俺のそれよりも勝る訳がない』として、三代目皇帝が積み上げた善政の産物の悉くを打ち壊した。識字率は再び下がったにも関わらず、自らの趣味である読書を民に強要した。活版印刷もまだない時代。本は民の資産と比べても、決して安い買い物ではなかった。
またある時は──またある時は──
そんな愚かな事を繰り返し繰り返し、子の代も孫の代も繰り返し。それはや八代皇帝まで連綿と紡がれる、負の連鎖と成った。
民は疲れきっていたが、武力もなく知恵もない民達に出来る事などなかった。死ねと言われれば死ぬしかなく、讃えよと言われれば頭を垂れた。
そんな時、帝国の一角で一つの大規模な武力集団が蜂起した。彼らは、『もしも今後、愚かな支配者が現れた時に』と三代目皇帝の遺した莫大な遺産を手に、何を成せば良いか綴られた遺書に従った者達だった。第三皇帝が死んだその日に下野し、脈々と世代を重ね、意志を子の世代孫の世代に託しながら、そのチャンスを虎視眈々と待っていた。政治に長けた三代目皇帝は、独裁政治の危うさを十二分に理解していたのである。理解した上で、保険をかけていた。遺書には、独裁政治とは全く違う新しい政治の概念。『民主主義』について詳しく書かれていた。
蜂起した武装集団は帝国との苛烈な闘いの末、ついに東隅の土地の一部を奪取。其処を新たな国とした。
大陸歴822年の事だった。三代目皇帝の最も信頼した臣下のガレイミア・ネルザミニッチの子孫で、蜂起した集団の指導者であるブロッキオ・ネルザミニッチが建国の宣言をした。その国は、三代目皇帝の名からクロイドツェリ共和国とされた。民達は、かつて華麗に民衆を導いたクロイドツェリ第三皇帝の意を汲む者達の台頭を、涙を流して歓迎したという。
そして。僅かに時は流れ、大陸歴845年。
後に【ドヤ顔の知将】と呼ばれる事になる一人の少年が、一人の少女と邂逅した日から二ヶ月ほど時計の針を進めた、その日は──クロイドツェリ共和国軍の高等士官試験の二次試験、その当日。
後に共和国の歴史において、『運命が始まった』と揶揄される日であった──。
◇◆◇◆◇◆
20.6。
これが何を意味する数字かわかるだろうか。
そう……と言われてもわからないだろうが、まぁぶっちゃけると高等士官試験の一次筆記試験の倍率である。
よく、『倍率五倍なら前後と左右に座る人を踏み倒せばいいんだよ!』なんて進学塾で言われたりするが(よく、かは知らない。俺は言われた)、その理屈だと20倍なら半径5m圏内くらいにいる全員を倒さねばならない訳で。試験が終わった瞬間、高校受験とは比べ物にならない重圧が俺を襲い(なんたって命がけだからな)、合格の通知が来るまでタルト共々ビビり倒していた。数日後にタルトの借りている家に手紙が来た時(俺はタルトから金を貰って宿生活であり、宿受け取りにすると無駄に金がかかるのでタルトの住所で受け取った)、合格か不合格か本当にどちらとも言えず、蝋を裂くのに二十分は優に要したものだった。
そんなこんなで無事合格し、目立つからと服装をジャージから改めて当世風にした俺と相変わらずの軍服姿のタルトは、指定集合場所である首都から東に半日行ったところにあるザザルザザンザ森林に足を踏み入れた。不可解にザが多いが、言いやすいのでよしとする。
因みに、タルトは寝るときも軍服だし、私服も軍服だ。同じものを何着も持っているらしく、毎日洗濯しているのにその軍服が尽きたところを見たことが無い。襟に付けた勲章には代えが無いようで、それをいそいそと付け直す姿はどこか楽しそうであった。
「あちぃ……」
俺は顰めっ面に汗を大量に流しながら、森林の中を歩いていた。今の季節は夏に近いものらしく気温がタダでさえ高いのに、森林には湿気が充満してムシムシとした不快感を与えて来る。
帰りたい。いっそ帰りたい。
この足をおもむろに後ろに向けても責める人間は居ないのでは……?
「暑いのを暑いと言っていたら余計に暑くなりますよ。いいですから足を動かしましょう。勿論前に、です」
いた。
バッチリ隣について来ているタルトは二ヶ月という期間の中ですっかり俺という人間の扱いに慣れたらしい。俺も堅っ苦しい敬語はすっかりと抜け、友達と接するかのようにタルトと話している。
それにしても、タルトは分厚い軍服を身に纏い、暑いと言いながら汗ひとつかかず平気な顔でいる。軍服なんて蒸して中身はサウナ状態だろうに。
「……それにしても、本当にこの暑さは参りますね。この先一週間は此処でサバイバル生活だっていうのに」
「……タルトは平気そうに見えっけど」
「私はそれなりに鍛えていますから。カエデさんや率いる兵が倒れてしまわないように気をつけないとな、と」
「くそっ、女の子に下に見られたのに何も言い返せない! っていうか隊合流させたら分隊長俺でいいって言ってたじゃん! 気をつけるの俺じゃん!!」
「……軍略満点でしたからね、カエデさん」
むすー、と拗ねたように口をすぼめて抗議の眼差しを向けるタルト。
「いや、俺に抗議されても困るんだけどな? っていうか勉強開始初日『倍率高いからほぼ満点じゃなきゃ合格出来ない』とか言い出したのタルトじゃん。それで満点取ったら文句ってどういうことよ」
というより、俺の軍略論は思いつきアンド思いつきのそれはもう破天荒なもので、タルトが思いっきり王道を行っていたので、タルト合格して俺不合格の可能性の方が大きかった。俺が満点で合格できたのは、ひとえに採点官運に尽きる。普通の採点官なら迷わずバツをつける文章を書いた自覚はあったのだ。
「文句じゃありません。拗ねてるんです。ずっと勉強してきた私だって満点には三点足りなかったのに……」
「殊更困る……」
拗ねるタルトを宥めつつ歩いていると、やがて人が多く集まった大広間に出た。
見渡す限り全員女のその空間は、しかしその全員が乙女にあるまじき殺気を惜しげなく放出していた。
「…………帰りてぇ」
「此処まで来て帰るなんて許しませんよ!? いい加減腹をくくりましょう。高等士官試験を受ける人が軒並み女性だと説明しなかったのは謝りますから……!!」
半分涙目で嘆願するタルトさんを見下ろし、溜息をつく。
いや、何が嫌ってさぁ……
女だらけの空間にあって、少しも怪訝な視線とかを向けられない俺自身だよね!!
腰まである長く黒い髪。中性的というには色気を孕みすぎている顔。
そう、俺は男でありながら、容姿が思いっきり女の子なのであった──!!
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