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人生の終着点にて
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轟音が耳を劈つんざく。
翠みどり色の閃光が視界を灼やく。
一寸先も見えないような漆黒の世界を、幾度も起きるその光だけが煌々と輝いている。
そこは、随分と昔に打ち捨てられた古い屋敷の一角。
木製の長い廊下が、その上を駆ける男の重みでギシギシと悲鳴のような音を立てていた。
その男は、およそ現代に適応したとは言えないような──時計の針を千余年ばかり戻したような、旧ふるい装いをしていた。
この暗闇の中にあって眩く輝くような意匠を凝らした白い装束を纏い、頭には長い烏帽子えぼしを被り、靴下ではなく足袋たびを履く。
何やら文字のような、しかしとても読めたものではない幾何学的な模様の書いた紙の札と、人型の凧を彷彿とさせる小さな紙を指に挟み持っている。
年は十代後半程。目つきは細く鋭く光り、口は相応の速度を伴った疾走の中にあって尚、真一文字に結ばれている。
ともすれば女性とも見間違いかねない中性的な美しさ。服装と相まって、ここに一人でも人間がいたのなら、その神聖さに目が昏みさえしただろう。
だが、ここに彼以外の人間がいることなどあり得ない。
居るのは──唯、《妖あやかし》だけだ。
青年が一瞬前に駆け抜けた廊下が地面の下から加えられた強烈な衝撃によって上方に吹き飛ばされる。
飛び散る木片を手で払い落とし、青年は背後へと向き直る。
立ち昇る土煙。うっすらと浮かび上がる黒く巨大おおきな異形シルエット。
風に乗って幕が払われる。露わになる紫色の皮膚。四足歩行の巨大なヒト型。しかしそれは、首がグキリと捻じ曲がったように頭部が上下逆さについており、足が生えているべき場所に三、四本目の腕が生えているという有様で、明確にヒトとは乖離した何かだ。大きさにしたって、這いつくばったような姿勢の癖に高さが四メートルはある。全長はその倍以上にも及ぶだろう。
絡繰細工のような顎を開き、ケタケタと笑いながら、蜘蛛のように化け物は青年へと高速で這い寄る。
常人ならば正気を喪いかねない異常な光景に、しかし青年は慌てた様子もなく、札を持った手を前に掲げた。
目を、閉じる。
札が、まるで透明の壁に貼られたように空中に固定される。
小さく開かれた口が言霊を紡ぐ。
「──右手には白華しらはなの蜜つゆ。左手に黒縄こくじょうを持ちて連ねる。曇天の澱おり。三尺七寸の砲塔が天を摩する」
流れる水よりも早く、滑らかに言の葉が流れる。それが重なるにつれ、翠色の光が札へと収束していく。
化け物が青年の目の前に詰め寄り、太い腕がその身に至ろうとする寸前。青年が瞼を引きしぼる。
「三章二節──流轉るてんせよ。【號風雷苞ごうふうらいほう】!!」
音よりも速く。その場の何よりも迅はやく。閃光が迸る。
雷の如く高温と台風の如く暴力を身に受け、光が収まったころ、化け物はこの世に肉片一つ残す事なく消え去っていた。
青年が、ふぅ、と息を吐く。
「今日の仕事は……これでお終いか。まったく。こんな雑魚を始末するだけの為に天下の《春野家》が出張らなくちゃならないなんてね。嫌な時代になったな」
何もいなくなった静寂の中、青年は苦笑して独りごちた。
《妖あやかし》──呪われた、人の旧き怨念。
普通の世界とは少しズレた座標軸に存在し、気づかれぬのを良いことに人に害を為す化け物。
そして、青年は代々、それを狩ることを生業としている一族の末裔だった。
即ち、《陰陽師》。
式神を、呪術を振るい、魑魅魍魎に仇なす特殊機関。平安時代の全盛を越え、衰退の一途を辿ってはいるが、全盛の頃に名家と呼ばれた家系は未だ健在であり、青年、春野はるの尊みことが名を連ねる春野家もかつての勢いこそ失いつつも多くの門下を持つ陰陽師の大家として裏の世界で名を馳せていた。
尊は今日、確認された数体の妖を退治するためにここに赴いていた。毎日のように課される様々な仕事の一環として。
「さて、帰ろうかな」
くるりと踵を返し、来た道を戻ろうとする尊。
それは油断か、慢心か。
その背後にナニカが迫っている事に、終ぞ彼は気づけなかった。
◇◆◇◆◇◆
気がつくと、其処は花畑だった。
地平線の彼方まで、紅い彼岸花が狂い咲く。
ここは黄泉の国か、と彼は思った。
つい百年程前に解明されたその全貌と目の前の光景は、あまりにも酷似していたから。
目の前には白い衣を纏った女性。包み込むような豊満な体つきは人間離れして美しかった。
ここで、ようやく得心する。
どうしてかは解らないが──どうやら自分は死んだらしい、と。
「……僕に限った話ではないと思いますが──知りませんでしたよ。閻魔大王が女性だなんて」
率直に、頭を突いて出た疑問を口にする。
死んだ魂は彼岸を越え、目覚めると閻魔大王なるものに生前の罪を言及されると聞いていた。これもまた、昔に確認の取られていた事実だ。
しかし、女性は驚いたように目を見開き、次いで小さく頭かぶりを振った。
「私は閻魔大王ではありません。確かに本来、日本で亡くなった貴方の魂は彼の元へと送り届けられる筈でした。ですが私が頼み、貴方の魂を借り受けたのです」
尊はそれを聞いて、少し苦笑した。
人の知らない所で魂なんて大事なものを貸し借りされていたことが少し可笑しかった。
「……成る程。では、貴方は一体?」
「私は、貴方の生きていた宇宙とは異なった次元の世界の女神。貴方にお願いがあって、こうして話す機会を与えて貰いました」
「お願い、ですか」
女神を名乗る女性が重々しく頷く。
そこに、冗談や嘘の気配は感じ取れなかった。何処までも誠実で、深刻な面持ちだった。
「お願いです。どうか、私達の世界を──救って頂けませんか?」
その一言に、尊は耳を疑い、言葉を失った。
風が彼岸の華を揺らす音。
その鈴のような声が、いつまでも彼の耳に残響していた。
翠みどり色の閃光が視界を灼やく。
一寸先も見えないような漆黒の世界を、幾度も起きるその光だけが煌々と輝いている。
そこは、随分と昔に打ち捨てられた古い屋敷の一角。
木製の長い廊下が、その上を駆ける男の重みでギシギシと悲鳴のような音を立てていた。
その男は、およそ現代に適応したとは言えないような──時計の針を千余年ばかり戻したような、旧ふるい装いをしていた。
この暗闇の中にあって眩く輝くような意匠を凝らした白い装束を纏い、頭には長い烏帽子えぼしを被り、靴下ではなく足袋たびを履く。
何やら文字のような、しかしとても読めたものではない幾何学的な模様の書いた紙の札と、人型の凧を彷彿とさせる小さな紙を指に挟み持っている。
年は十代後半程。目つきは細く鋭く光り、口は相応の速度を伴った疾走の中にあって尚、真一文字に結ばれている。
ともすれば女性とも見間違いかねない中性的な美しさ。服装と相まって、ここに一人でも人間がいたのなら、その神聖さに目が昏みさえしただろう。
だが、ここに彼以外の人間がいることなどあり得ない。
居るのは──唯、《妖あやかし》だけだ。
青年が一瞬前に駆け抜けた廊下が地面の下から加えられた強烈な衝撃によって上方に吹き飛ばされる。
飛び散る木片を手で払い落とし、青年は背後へと向き直る。
立ち昇る土煙。うっすらと浮かび上がる黒く巨大おおきな異形シルエット。
風に乗って幕が払われる。露わになる紫色の皮膚。四足歩行の巨大なヒト型。しかしそれは、首がグキリと捻じ曲がったように頭部が上下逆さについており、足が生えているべき場所に三、四本目の腕が生えているという有様で、明確にヒトとは乖離した何かだ。大きさにしたって、這いつくばったような姿勢の癖に高さが四メートルはある。全長はその倍以上にも及ぶだろう。
絡繰細工のような顎を開き、ケタケタと笑いながら、蜘蛛のように化け物は青年へと高速で這い寄る。
常人ならば正気を喪いかねない異常な光景に、しかし青年は慌てた様子もなく、札を持った手を前に掲げた。
目を、閉じる。
札が、まるで透明の壁に貼られたように空中に固定される。
小さく開かれた口が言霊を紡ぐ。
「──右手には白華しらはなの蜜つゆ。左手に黒縄こくじょうを持ちて連ねる。曇天の澱おり。三尺七寸の砲塔が天を摩する」
流れる水よりも早く、滑らかに言の葉が流れる。それが重なるにつれ、翠色の光が札へと収束していく。
化け物が青年の目の前に詰め寄り、太い腕がその身に至ろうとする寸前。青年が瞼を引きしぼる。
「三章二節──流轉るてんせよ。【號風雷苞ごうふうらいほう】!!」
音よりも速く。その場の何よりも迅はやく。閃光が迸る。
雷の如く高温と台風の如く暴力を身に受け、光が収まったころ、化け物はこの世に肉片一つ残す事なく消え去っていた。
青年が、ふぅ、と息を吐く。
「今日の仕事は……これでお終いか。まったく。こんな雑魚を始末するだけの為に天下の《春野家》が出張らなくちゃならないなんてね。嫌な時代になったな」
何もいなくなった静寂の中、青年は苦笑して独りごちた。
《妖あやかし》──呪われた、人の旧き怨念。
普通の世界とは少しズレた座標軸に存在し、気づかれぬのを良いことに人に害を為す化け物。
そして、青年は代々、それを狩ることを生業としている一族の末裔だった。
即ち、《陰陽師》。
式神を、呪術を振るい、魑魅魍魎に仇なす特殊機関。平安時代の全盛を越え、衰退の一途を辿ってはいるが、全盛の頃に名家と呼ばれた家系は未だ健在であり、青年、春野はるの尊みことが名を連ねる春野家もかつての勢いこそ失いつつも多くの門下を持つ陰陽師の大家として裏の世界で名を馳せていた。
尊は今日、確認された数体の妖を退治するためにここに赴いていた。毎日のように課される様々な仕事の一環として。
「さて、帰ろうかな」
くるりと踵を返し、来た道を戻ろうとする尊。
それは油断か、慢心か。
その背後にナニカが迫っている事に、終ぞ彼は気づけなかった。
◇◆◇◆◇◆
気がつくと、其処は花畑だった。
地平線の彼方まで、紅い彼岸花が狂い咲く。
ここは黄泉の国か、と彼は思った。
つい百年程前に解明されたその全貌と目の前の光景は、あまりにも酷似していたから。
目の前には白い衣を纏った女性。包み込むような豊満な体つきは人間離れして美しかった。
ここで、ようやく得心する。
どうしてかは解らないが──どうやら自分は死んだらしい、と。
「……僕に限った話ではないと思いますが──知りませんでしたよ。閻魔大王が女性だなんて」
率直に、頭を突いて出た疑問を口にする。
死んだ魂は彼岸を越え、目覚めると閻魔大王なるものに生前の罪を言及されると聞いていた。これもまた、昔に確認の取られていた事実だ。
しかし、女性は驚いたように目を見開き、次いで小さく頭かぶりを振った。
「私は閻魔大王ではありません。確かに本来、日本で亡くなった貴方の魂は彼の元へと送り届けられる筈でした。ですが私が頼み、貴方の魂を借り受けたのです」
尊はそれを聞いて、少し苦笑した。
人の知らない所で魂なんて大事なものを貸し借りされていたことが少し可笑しかった。
「……成る程。では、貴方は一体?」
「私は、貴方の生きていた宇宙とは異なった次元の世界の女神。貴方にお願いがあって、こうして話す機会を与えて貰いました」
「お願い、ですか」
女神を名乗る女性が重々しく頷く。
そこに、冗談や嘘の気配は感じ取れなかった。何処までも誠実で、深刻な面持ちだった。
「お願いです。どうか、私達の世界を──救って頂けませんか?」
その一言に、尊は耳を疑い、言葉を失った。
風が彼岸の華を揺らす音。
その鈴のような声が、いつまでも彼の耳に残響していた。
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