サルヴィーニャ

にわとうこ

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幕間7

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 カガイロンはワラストリの開拓を任された一族の代表者だった。

 深い森を切り拓きながら抜けた先は険しい山と海に囲まれたでこぼこした土地で、耕作に向いているとはとても思えなかった。獰猛な野生の獣が生息する森の際に石垣を築き、木を切り倒し、砦を築くつもりで人を連れてきたが、思うように進んでいなかった。
 冬は雪深く夏は短く、簡易な住まいを建てて冬を越す食糧や燃料を確保するだけでも精一杯で、資材も人手も全く足りていなかった。

 思うように進まない開拓に、さっぱり上向かない生活に、人々は不満を抱いている。報われぬ重労働を厭って逃げ出したものが森に潜み、山賊まがいに人々を襲うこともある。

 期待を胸に一族を率いてやってきた父が一昨年の冬に身罷り、長子の自分が代表を継いだが、この土地や人々にそれ程の愛着があるわけでもなかった。それでも与えられた責任を投げ出すようなことはできないと、できる限りのことをしているつもりなのだが、砦を築くことすら今年中にどこまで終えられるかわからなかった。

 人々は家の周りを耕しているがまだそれだけでは食べて行かれず、森での狩猟採集も大切な日々の糧だ。森の深いところには獰猛な獣が潜んでおり、人々が軽装備で行けるのは切り拓いて均した辺りからそれ程離れない程度のものだ。ところが様子のおかしな獣がこの辺りまで出てくるようになり、出会った人を襲うようになってきていた。
 何人か装備を厳重にした者達を率いて森を歩き危険な獣を討伐もしたが、力のある男手をそう何日も留守にさせてはおけず、その内に一人で森を歩くようになっていた。

 様子のおかしな獣に何度か遭遇する内に、通常の獣とは異なり酩酊したような様子で、出会い頭からあからさまにこちらに悪意を持っている獣からは黒っぽい煙が細く立ち上っていることに気づいた。
 そして目を凝らせば集落の人々にも時折その黒っぽい煙を立ち上らせた者がいることに気づいたのだ。この煙が濃い者は、いらいらとして攻撃的になっていた。あの煙がどこから発生しているのかわからない。そして私以外の者にはこの黒い煙が見えていないようだった。

 そんな折、森の奥で一人の娘がひらりひらりと舞いながら細い木の杖で濃い煙を立ち上らせている獰猛な猪豚を打ちのめし、地面に伏せる猪豚に寄り添うようにしばらく過ごした後、獣から煙が消えているのを見た。近寄ってみるとあまりにも幼いその娘に驚いたが、森の精霊の愛し子であるという。御伽噺で聞いた精霊がこの森にいたということがなにより大きな驚きであった。

 目の前に急に現れた不思議な精霊という存在。その愛し子だという幼い娘の獣を倒し浄化する力。
 この娘ならば森の獣だけでなく、集落の人々にも影響を与え始めている黒い煙を払えるかもしれない。精霊に頼み込んで娘を借り受けた。

 口のきけない娘は、精霊に愛されていた。不思議に色とりどりの小さな獣にも、会ったばかりの私の馬にも愛されていた。森の奥で人知れず獣を浄化しながら暮らしているようだった。精霊が断ったのにもかかわらず、人を助けたいと共に来てくれた。道中で野盗と落ちぶれた男二人を浄化し、私の痛む左肩を癒し、従弟の煙を祓った。

 娘は従弟の煙を祓うと倒れこんでしまった。部屋へ運んだ後をクレマに託したが、明け方前に部屋を訪れるとそこには灯りもなく、寝台に上掛けもなく、食べ物や飲み物を持って行った形跡もなく、杖がなくなっていた。肩から斜めに下げていた水筒も見当たらない。不格好に膨らむほど隠しに詰めた堅果ももう入っていないようだった。

 寝ていたクレマを起こして杖をどうしたのか聞くと、私の弟に言われて部屋から持ち出したのだという。聖女を丁重に扱うようにと伝えたにも関わらずのこの数々の仕打ちを厳しく問い質したかったが、まずは杖を探すのを急いだ。館の裏に打ち捨てられているのを厩番が見つけた。この短時間にいったい何が起こったのか、それは無残にも二つに圧し折られていた。

 額に冷たい汗をかき酷く顔色を悪くして呼吸も浅い娘に杖の片割れを握らせると、少しして呼吸が安定してきた。人の地は汚れていると精霊が言っていた。何を馬鹿なことをと内心で思っていたが、精霊の言ったとおりだった。この娘は森ではいきいきと軽やかに飛び回っていたのに、ここでは安心して息もできないでいる。

 娘が目を開けて杖が折れていることに気づいた後は、その心を閉ざす音が聞こえるようだった。こちらを見つめるその瞳の空ろさは、昨日初めて見た精霊と同じ眼差しだった。ああ、人は見限られたのだと絶望した。

 夜明けが近づいている。娘を森の精霊に返さなければならない。そしてもう二度と手は貸してもらえないだろう。私は約束を守れなかった。
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