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4巻
4-3
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『そら、攻撃されたぞ? 反撃しないでいいのか?』
「おい! クーガ! やりすぎだぞ!」
しかし俺の言葉はどうやらクーガには届いていないらしく、その瞳はギラギラと輝き全身の毛が逆立っていて完全に戦闘モードへ移行してしまっている。
『これは……我の魔力に当てられましたか……申し訳ないが人間の。クーガ氏は我を忘れておられる。幼生体ゆえ、当方の力の余波に呑み込まれてしまっているのでしょう。抑えていたであろう戦闘本能が剥き出しになっている。このままでは危険です』
「おいクーガ! 止めろ!」
『マスターも異な事を仰る。私は魔獣です。戦いこそ本懐、闘争こそが意義。強き者と戦いたいと願うのは道理な事。さぁウンヴェッター! どうする! 火の粉をかけられておめおめと退散するのか!』
俺が制止してもクーガは戦闘態勢を解かず、むしろ臨戦態勢だ。
ウンヴェッターは力の余波に呑まれたと言ったが、俺は特に何も感じない。
人と魔獣の違いなのだろう。
しかしクーガが幼生体とは……道理でサイズが小さいはずだ。
という事は、これから成長すればさらに巨大化するという事実に他ならない。
『人の子よ。クーガ氏がこうなってしまったのは当方の責。しばしクーガ氏をお借りしたいのだがよろしいか? 数刻も戦えばクーガ氏の内で暴れる当方の力も発散されるであろう』
ウンヴェッターが申し訳なさそうに俺へ語りかける。
俺としては問題無いのだが、実際はクーガが暴走して喧嘩を売っているような気分なので、申し訳ないのはこちらの方だ。
「分かりました。すみませんが、よろしくお願いします」
『申し訳ない。後ほどきちんと釈明をさせてもらいたい』
こんな事になるなら、クーガの魔装具アブソーブを外すんじゃなかった。
クーガの瞳の輝きは光度を増し、真紅の煌めきが闇夜に流れる。
ハァハァと荒い息を吐く口からは大量の泡が零れていて、時たま小さな種火が噴き出される。
未だかつて見たことの無い興奮度合いに、俺でさえたじろいでしまう。
「クーガ、大丈夫か?」
『問題ありません! 身の内より湧き上がる力の奔流が言うのです。戦え、戦えと!』
これも力のセーブがうまく出来ていないせいなのだろう。
申し訳ないが、今回はウンヴェッターの胸を借りる事にする。
魔獣に対しての知識も扱いも、ウンヴェッターの方が上だと思うし。
『クーガ氏! 付いてくるがいい! 貴殿の挑戦を受けよう! 力の使い方を教えてしんぜよう!』
『ハッハァ! それでこそ強き者! 滾る力、存分にぶつけさせてもらう!』
ウンヴェッターのたてがみの先に淡い光が灯り、フワフワと闇に浮かぶ。
見失わないための目印なのだろうか? だとすればかなり気の回る精霊だ。
たとえ上位精霊と魔獣の戦いだとしても、クーガは俺の相棒だし戦いを見守る義務があると思う。
クーガがやり過ぎるという可能性も捨てきれない。
何かある前に止める。
俺が傷付いたとしても、止めねばならない。
逆にクーガがコテンパンにやられる可能性だってある。
この二体の戦いは、全く未知の領域にあるのだ。
そうこうしている内に、ウンヴェッターが跳躍し、山の斜面を駆け下りていった。
クーガもそれを追い、駆け下りて行く。
ウンヴェッターの誘導灯がトントンと跳ねるように消えていった。
帰って来る時の目印としてランタンに火を入れ、土小屋の上に置いて【フライ】を発動、二体の戦いを見守るべく山から飛び立ったのだった。
◇ ◇ ◇
『クーガ氏、こんな事になって申し訳ない』
『何を言う! むしろ自己を律する事の出来ない私の我儘! 感謝する! 戦いこそ本懐! 戦おう!』
『なるほど……本来は礼儀正しいお方のようだ。闘争本能に抗っているようにも見える』
闇の中で対峙するウンヴェッターとクーガ。
その距離約二百メートル。
周りには灯りになるものは無く、闇に光るのはクーガの紅の眼光と、穏やかな淡い光を灯すウンヴェッターの二体が放つ魔力の灯火のみがひっそりと輝きを保っている。
二百メートルという距離も、この二匹にとっては数センチと変わりない。
詰めようと思えば瞬きの間に接近出来るだろう。
『幼生体といえど魔獣……気を抜いては痛い目を見る。しかし……クーガ氏を滅する事無く、余剰な力のみを発散させ正気に戻す、なかなか難しい注文でありますな』
『来ないのなら私から行くぞ! ガアァァッ!』
冷静に佇むウンヴェッターとは対照的に、ハァハァと激しく呼気を吐くクーガ。
もどかしくなったのか、戦いへの飢えが限界を超えたのか、一際瞳の輝きを増したクーガが吠えた。
『火球……いや、炎弾か』
カパリと開かれたクーガの口から、先程ウンヴェッターに放った火球の数倍はある炎の塊が、連続で射出された。
ウンヴェッターは驚きもせず、その場から動こうともしない。
炎弾が刹那の飛翔の後、ウンヴェッターへと迫り激突、爆音を轟かせた。
『だが、当方に傷を与えるにはまだ足りないな』
爆炎があたりを包み、熱波を浴びた大地がじくじくと融解していく中、ウンヴェッターが口調も変えず、一歩一歩、歩を進めた。
『なるほど、これは岩をも溶かすフレイムキャノン、先の挑発であろう火球、そして貴殿より感じるひりつく魔力。クーガ氏の属性は火なのだな』
ウンヴェッターが歩を進める度に、足元の炎が音を立てて消されていく。
融解し、マグマのように液状化した大地すらものともしない。
消火された箇所は冷え固まり、岩石となりウンヴェッターの足場となる。
『いかにも! 私はマスターの力により魔獣へ変異した獣! ヘルハウンドなり!』
『ヘルハウンド……久しく聞かぬ名だ。それを聞いたのは数百年ほど前になるか……人の子の力により、というのが気になるが……上級魔獣であるヘルハウンドの幼生体とあればさらに気を引き締めねばな。形態強化!』
その瞬間、ウンヴェッターの持つ穏やかで静かな雰囲気が変わった。
『形態強化なぞ数百年ぶりの事、先達と共に流れの吸血鬼と戦った時以来だな……吸血鬼の名は忘れてしまったが、実に良い戦いだった』
誰に向けたわけでもない一人語りをしながらも、ウンヴェッターの体組織が音も無く変質していく。
体は一回りほど肥大化し、二本あった頭部の角は三本に生え変わり、青白い光をまとっている。
その角はまるでトライデントのようであり、角先からはパチパチと音を立てて小さな火花が散っていた。
肥大化した肉体は靄に包まれ、それが段々と凝縮し、ウンヴェッターの肉体を覆い始める。
『おお……さらに魔力が増大して……ウンヴェッター! 素晴らしい、素晴らしいぞ! ようやく戦ってくれる気になったのだな! ありがたい!』
『強化形態ゲヴィッター。こうでもせねば貴殿に傷も付けられそうに無い。多少の被害は許容して欲しい』
『謙遜を……! 私の攻撃など歯牙にも掛けていないではないか! そらそらそら!』
凝縮した靄はやがて形を変え、軍馬がまとうような屈強な鎧へと変化した。
鎧をまとったウンヴェッターへ、クーガが再び無数の炎弾を放つ。
その数およそ百。
『ここが平野だとしても、なかなか環境破壊を助長する攻撃。よしんば躱したとしても地形が変わるな。受けきるしかあるまい』
言葉とは裏腹に、ウンヴェッターは微塵も動じた様子が無い。
その証拠に、次々と飛来する炎弾は灰色の膜に包まれ、黒い塊となり地に落ちていく。
『炎の中に岩石を仕込むか……えげつない事をする』
『これも効かぬ……か。しかし解せぬ、今何をしたのか教えて欲しい』
『何のことは無い、風の膜で包み、鎮火しただけのこと』
火は空気が無ければ燃える事はなく、強風の中でもまた火を維持する事が出来ない。
ウンヴェッターは炎弾を風膜で覆い、外界からの空気を遮断、局地的に閉鎖的空間を作り出して強制的に鎮火したのだ。
言葉で表せば簡単そうに見えるが、それを猛スピードで飛来する百の炎弾全てに対処して見せたのだ。
上位精霊ゆえの対応能力なのか、ウンヴェッターの地力なのか。
どちらにせよ、常識の範疇を超えているのは間違いない。
『吐き出すがいいクーガ氏よ。その身の内を焦がす強烈な闘争本能を。戦いへの渇きを。当方の全力を持って受け止めてしんぜよう』
『その言葉! 後悔しても知らんぞ!』
クーガが一際大きな声で吠える。
遠吠えにも似た咆哮は空気を振動させ、可視化したクーガの魔力が燃え上がり、自身を炎で包み込む。
赤い炎は段々と色を変えていき、冷たい青へと変質する。
『ヘルハウンドの……微覚醒か、だがまだ若々しい青さよ。勢い任せの猛攻など当方の属性の前では無意味』
水のような青さを湛えたクーガの炎。
身を包む蒼炎は周囲の空気を熱し、陽炎のごとき揺らめきを発生させている。
揺らめきとは別に、蒼炎がたなびき線となり不規則な軌跡を描き始める。
軌跡はやがて図形となり魔法陣となり、クーガの蒼炎を吸い込んでいく。
『この技を喰らっても余裕でいられるか! 【ペネトレートフレイムロア】!』
周囲に四つの魔法陣を展開したクーガが吠える。
咆哮に応えるように魔法陣は輝き、直径一メートルほどの青い光線を発射した。
『初めて聞く技だな。どれ程の威力』
その正体は圧縮されたクーガ自身の蒼炎そのものである。
クーガが吠えた刹那、蒼炎の光線はウンヴェッターを穿いていた。
断末魔の嘶きを上げる事もなく、頭部と体を穿たれたウンヴェッターは、静かに闇夜へ溶けて消えた。
『ふはっ……はは! ウンヴェッターよ残念だったな! 貴様の負けだ! 驕りによる油断が命取りとなったな!』
全身を揺らして息をするクーガは勝利の声を上げた。
ことごとく攻撃を防がれるならば、速度と熱量を上げればどうか。
戦いの中で試行錯誤し、炎を圧縮する事を思いついた。
かつて、フィガロとクライシスが、魔導力学という学問について語り合っていた。
圧縮されたエネルギーは解放される際に爆発的な威力を生み出す、というクライシスの言葉を頼りに、自分なりに考えて編み出した技が、この【ペネトレートフレイムロア】だった。
炎の温度を限界ギリギリまで高め、魔力に物を言わせて無理矢理圧縮した技。
成功したのが偶然とも言える力業である。
爆発的なエネルギーの一部を射出力に転換し、撃ち出す。
さすがのウンヴェッターもこの技に反応することができず、まともに喰らってしまったのだろう。
そう思わせる程、【ペネトレートフレイムロア】は綺麗に決まった。
綺麗すぎるくらい完璧に。
あえて受けたと言わんばかりの完璧さ。
クーガがもっと戦い慣れていたら、気付いたのかも知れない。
技を受ける前のウンヴェッターに警戒の色が欠片も無かった事に。
『そら、ボディがガラ空きだぞ』
横から聞こえた声にクーガは戦慄した。
咄嗟に飛び退ろうとしたが、時すでに遅し。
バリバリバリ! と雷鳴が轟き、雷光をまとったトライデントがクーガの腹部を穿いた。
『ぐがっ! あがあああ‼』
闇に走る白色の雷光は、クーガの体を縦横無尽に駆け抜ける。
脇腹に突き刺さったトライデントからは、絶えることない雷撃がとめどなく流し込まれている。
突如として現れたトライデントの持ち主が語りかける。
『驕りはどちらの方だろうか。いや、驕りというよりは慢心、そして油断』
『馬鹿な! お前は確かに私の技でええぇああがああ! ウンヴェッターアアアア!』
『ふむ。確かに当方は貴殿のペネトレなんとかで穿たれた。が、穿ったのは魔力で作った当方の分身、痛くも痒くも無いな』
クーガの横っ腹にトライデントの角を突き刺したまま平然とするウンヴェッター。
その顔に疲弊の色はなく、余裕綽々な口調でクーガの問いに答えた。
『魔獣の敗因の多くは強者ゆえの驕り、慢心、油断よ。勝って兜の緒を締めよ、とはどこの言葉だったか……勝ちを確信しても気を緩めるな、という人族の戒めだったはず。しかしこれで貴殿の内で暴れていた当方の力の余波も収まったであろう』
雷撃をまとうトライデントを引き抜き数歩下がるウンヴェッターに対し、クーガはそのまま大地に倒れ伏して口から泡を噴いていた。
『あが……がっがはっ……』
体を痙攣させながらもクーガの瞳には未だ強い光が残っていたが、徐々に光を失っていき、やがて両の瞼が閉じられた。
『やれやれ……ここまでしてようやく気を失ってくれたか……通常の幼生体であれば、当方の角に貫かれた時点で気を失ってもおかしくないのだが……年長者ゆえ負けるわけにはいかぬと気張っていたが……若さの勢いというのは予測を超えてくるから困る』
ウンヴェッターは戦闘開始から初めて苦悶の表情を浮かべ、がくり、と両膝を地に付けた。
口からは荒い呼吸が漏れ、全身が大きく上下している。
『まさか戦闘中に微覚醒をするとはな、プライド、というやつだろうか。末恐ろしい魔獣よ。しかし最後のペネトレートフレイムロア、だったか……あれは危なかった。一発でももらっていれば負けていたのは当方であったろうな』
クーガの脇腹を貫いたウンヴェッターの角――強化形態の時のみ出現する三又の角は、言ってしまえば最終兵器である。
ウンヴェッターは上位の複合精霊であり、その属性は水・風、そして雷。
通常であれば嵐の時にのみ雷属性が具現化するが、強化形態の時は完全な戦闘モードであり、その力は精霊を超える。
人間でいう肉体強化の魔法と同じようなものだ。
膨大な雷のエネルギーが込められた三又の角は、触れたもの全てを破壊する。たとえそれが頑強な魔獣の肉体であってもだ。
体の外側を硬質化する事は出来ても、内側である臓器や筋肉などを硬質化させる事は出来ない。
それはいかなる生物にも当てはまる。
肉体という閉鎖的な空間に膨大なエネルギーを流し込めば、一瞬で意識を刈り取るなど容易い。
しかしクーガは幼生体ながら、ウンヴェッターの雷撃を受けてなお立ち続け、咆哮すらあげて見せた。
その事実に、ウンヴェッターは驚愕の念を隠せないでいた。
『しかも……がはっ……最後の最後で自らの魔力エネルギーを当方に流し込み……打撃を与える、とはな……こんな魔獣の主人であるあの人の子は、どのような存在だというのか』
ウンヴェッターが咳き込むと同時に、口から水色と薄緑が混じったような液体が吐き出された。
霊質世界の住人である精霊には、血液という概念がない。
こちらの世界である物質界においては、魔素、魔力、そして霊質世界の物質であるエーテルが肉体を構成する。
今ウンヴェッターが吐き出した液体こそがエーテルであり、血液と同じような役割を果たしているのだ。
地に吐き出されたエーテルは、数秒の間柔らかな光を放っていたが、やがて霧となって消えた。
エーテルは霊質界の物質ゆえに、物質界では特殊な魔法が付与された容器でしか保存できない。
このエーテルを用いれば欠損した肉体や、失われた命までも呼び戻す奇跡の霊薬を生成する事が可能である。
数百年前、このエーテルを目当てに霊質界の住人である精霊や幻獣が乱獲された、という事件があるのだが――それはまた別の話である。
「終わりましたか?」
闇の空より小柄な人影が舞い降り、ウンヴェッターに問いかける。
『人の子か……すんでの所であったが終わった。クーガ氏は気を失っておるよ』
「はい。それは上空から見ていたので大丈夫です。それと……申し遅れましたが私はフィガロ、といいます。お疲れクーガ、よく頑張ったな」
フィガロは地に伏したクーガの頭を優しく撫で、傷口に治癒魔法を発動させていた。
それを穏やかな目で見守るウンヴェッターの姿が静かに変化していく。
『フィガロ殿と申すのだな。貴殿には色々と尋ねたい事が多々あるが……いずれかの機会にするとしよう』
「聞きたい事、ですか」
『うむ。難しいことではない。まぁ機会があればの話だがな』
「私は訳あってこの国の南側にあるサーベイト森林公園を含め、王宮の裏手の山岳地帯や平野を領地とする者です。もしよろしければ遊びに来てください」
『なんと! 紅炎聖朱雀様の眠る地を守る人の子であったか! そうかそうか! 承知した! 機会があれば伺いに参ろう』
『う……マスター……』
一人と一体の語らいの中、治癒魔法で意識を取り戻したクーガが力なく呟いた。
傷口は完全に塞がっているが、魔力の低下による弱体化は否めない。
『私は……負けたのですね。なんだか夢を見ていたようで……』
「あぁ、お前は負けたよ、コテンパンにな。けどそれはお前のせいじゃない。お前をしっかり見ていなかった俺の責任だ、よく頑張ったよ」
『マスターは……やはりお優しい……私にも力が……強く、なればあの時のような……守れ、無くて……みんな……』
「クーガ?」
クーガの目は薄く開いていたが、焦点があっておらず、どこか遠い所を見ているかのようだった。
『まだ意識がはっきりしていないのであろう。最後に大技を使い、残存魔力が少ないのだ。寝言のようなものだろう。しばらく休ませていれば再び意識を取り戻すだろうて』
「そう、ですか……」
『では当方はこれにて失礼させてもらおう。さらばだ、南の守護人よ。あちらの守護精霊にもよろしく頼む』
「はい、領地でお待ちしております」
一陣の風が吹き、ウンヴェッターの姿が霞のように流れ、消えた。
暗闇に残されたフィガロとクーガ。
パチン、と闇の中に小さな炎が生まれた。
「こうすると、クーガに出会った時の事を思い出すな……あの時とは全く状況が違うけど……傷付いて俺の前に姿を現した時、どんな気持ちだったんだ? お前に何があったんだ?」
穏やかな寝息を立てる巨大な魔獣の傍らで、小さな炎に当たりつつ一人呟くフィガロ。
炎は当然魔法で作り出したものであり、焚き木などは一切ない。
静けさが満たす平野で、聞こえるのは燃え盛る炎の音と、フィガロが語りかける声だけであった。
◇ ◇ ◇
クーガとウンヴェッターの戦いは、クーガの敗北という形で幕を閉じた。
唐突の戦闘だったがクーガの問題が浮き彫りになったので、結果的にはOKだろう。
「ふぅ……何だかんだあったけど無事に換金も終わったし、後は明日に備えよう」
あの後、意識が戻らないクーガを担いで【フライ】を発動し帰宅した俺は、トンボ返りでボーイング山へ戻り、残りの薬草を採集し、無事に依頼を成功させた。
報酬を受け取ってから組合内に併設されている販売所にて、携帯食料などの準備品――乾燥肉、野菜のペースト、ビタミン剤、胃薬、目薬、オイル漬けの魚の瓶詰め、保存の利く経口補水液などなど――を買い込んだ。
旅に慣れた冒険者ならば香辛料や塩、砂糖なども購入し、現地で簡易的な料理を作ってしまうらしい。
野外で料理を作るのはあまり上手ではないので、俺にはほとんど関係の無い事だ。
そして現在、クーガは地下室にてクライシスの治療を受けている。
俺の魔力を魔石に移し、それを少しずつクーガへ注入してもらっている、人間でいう点滴治療のようなものだ。
クライシス曰く、魔力の使い過ぎによる極度の疲労、ダメージによる弱体化が起きているという。
魔獣の肉体組成は独特で、霊質と物質の半々で構成されている。
食物では無く、周囲の魔素、魔力を栄養源としているため、飲食を必要としない。
魔素、魔力があれば多少の怪我は治ってしまう。
しかし幼生体といえど魔獣は魔獣。そこらへんに漂っている魔素だけでは到底足りないし、仮にその全てをクーガが吸収してしまえば、約五キロ圏内の空間の魔素が枯渇し、圏内にいる人全てが死亡してしまいかねない。
なので、俺に内在する無尽蔵とも言える魔力を治療に充てているというわけだ。
用意された魔力貯蔵用の魔石は計十個。
この魔石一つに溜められる魔力は、上級魔法を二、三発は発動出来るほどの量だという。
夜通し魔力を注入していけば、明日の朝には元気になると太鼓判を押された。
そしてクライシスから追い立てられるように、早く寝ろと言われたので寝室へ上がってきたのだ。
何でそんな魔石があるのかと聞いてみたが、「昔取った杵柄だ」と一蹴されてしまった。
「くあ……明日が楽しみだ」
ランチア守護王国の伯爵、クロムから譲り受けたラビリンスシーカー――迷宮の場所を教えてくれる魔法具――を握り締め、期待に胸を膨らませながら眠りについたのだった。
「おい! クーガ! やりすぎだぞ!」
しかし俺の言葉はどうやらクーガには届いていないらしく、その瞳はギラギラと輝き全身の毛が逆立っていて完全に戦闘モードへ移行してしまっている。
『これは……我の魔力に当てられましたか……申し訳ないが人間の。クーガ氏は我を忘れておられる。幼生体ゆえ、当方の力の余波に呑み込まれてしまっているのでしょう。抑えていたであろう戦闘本能が剥き出しになっている。このままでは危険です』
「おいクーガ! 止めろ!」
『マスターも異な事を仰る。私は魔獣です。戦いこそ本懐、闘争こそが意義。強き者と戦いたいと願うのは道理な事。さぁウンヴェッター! どうする! 火の粉をかけられておめおめと退散するのか!』
俺が制止してもクーガは戦闘態勢を解かず、むしろ臨戦態勢だ。
ウンヴェッターは力の余波に呑まれたと言ったが、俺は特に何も感じない。
人と魔獣の違いなのだろう。
しかしクーガが幼生体とは……道理でサイズが小さいはずだ。
という事は、これから成長すればさらに巨大化するという事実に他ならない。
『人の子よ。クーガ氏がこうなってしまったのは当方の責。しばしクーガ氏をお借りしたいのだがよろしいか? 数刻も戦えばクーガ氏の内で暴れる当方の力も発散されるであろう』
ウンヴェッターが申し訳なさそうに俺へ語りかける。
俺としては問題無いのだが、実際はクーガが暴走して喧嘩を売っているような気分なので、申し訳ないのはこちらの方だ。
「分かりました。すみませんが、よろしくお願いします」
『申し訳ない。後ほどきちんと釈明をさせてもらいたい』
こんな事になるなら、クーガの魔装具アブソーブを外すんじゃなかった。
クーガの瞳の輝きは光度を増し、真紅の煌めきが闇夜に流れる。
ハァハァと荒い息を吐く口からは大量の泡が零れていて、時たま小さな種火が噴き出される。
未だかつて見たことの無い興奮度合いに、俺でさえたじろいでしまう。
「クーガ、大丈夫か?」
『問題ありません! 身の内より湧き上がる力の奔流が言うのです。戦え、戦えと!』
これも力のセーブがうまく出来ていないせいなのだろう。
申し訳ないが、今回はウンヴェッターの胸を借りる事にする。
魔獣に対しての知識も扱いも、ウンヴェッターの方が上だと思うし。
『クーガ氏! 付いてくるがいい! 貴殿の挑戦を受けよう! 力の使い方を教えてしんぜよう!』
『ハッハァ! それでこそ強き者! 滾る力、存分にぶつけさせてもらう!』
ウンヴェッターのたてがみの先に淡い光が灯り、フワフワと闇に浮かぶ。
見失わないための目印なのだろうか? だとすればかなり気の回る精霊だ。
たとえ上位精霊と魔獣の戦いだとしても、クーガは俺の相棒だし戦いを見守る義務があると思う。
クーガがやり過ぎるという可能性も捨てきれない。
何かある前に止める。
俺が傷付いたとしても、止めねばならない。
逆にクーガがコテンパンにやられる可能性だってある。
この二体の戦いは、全く未知の領域にあるのだ。
そうこうしている内に、ウンヴェッターが跳躍し、山の斜面を駆け下りていった。
クーガもそれを追い、駆け下りて行く。
ウンヴェッターの誘導灯がトントンと跳ねるように消えていった。
帰って来る時の目印としてランタンに火を入れ、土小屋の上に置いて【フライ】を発動、二体の戦いを見守るべく山から飛び立ったのだった。
◇ ◇ ◇
『クーガ氏、こんな事になって申し訳ない』
『何を言う! むしろ自己を律する事の出来ない私の我儘! 感謝する! 戦いこそ本懐! 戦おう!』
『なるほど……本来は礼儀正しいお方のようだ。闘争本能に抗っているようにも見える』
闇の中で対峙するウンヴェッターとクーガ。
その距離約二百メートル。
周りには灯りになるものは無く、闇に光るのはクーガの紅の眼光と、穏やかな淡い光を灯すウンヴェッターの二体が放つ魔力の灯火のみがひっそりと輝きを保っている。
二百メートルという距離も、この二匹にとっては数センチと変わりない。
詰めようと思えば瞬きの間に接近出来るだろう。
『幼生体といえど魔獣……気を抜いては痛い目を見る。しかし……クーガ氏を滅する事無く、余剰な力のみを発散させ正気に戻す、なかなか難しい注文でありますな』
『来ないのなら私から行くぞ! ガアァァッ!』
冷静に佇むウンヴェッターとは対照的に、ハァハァと激しく呼気を吐くクーガ。
もどかしくなったのか、戦いへの飢えが限界を超えたのか、一際瞳の輝きを増したクーガが吠えた。
『火球……いや、炎弾か』
カパリと開かれたクーガの口から、先程ウンヴェッターに放った火球の数倍はある炎の塊が、連続で射出された。
ウンヴェッターは驚きもせず、その場から動こうともしない。
炎弾が刹那の飛翔の後、ウンヴェッターへと迫り激突、爆音を轟かせた。
『だが、当方に傷を与えるにはまだ足りないな』
爆炎があたりを包み、熱波を浴びた大地がじくじくと融解していく中、ウンヴェッターが口調も変えず、一歩一歩、歩を進めた。
『なるほど、これは岩をも溶かすフレイムキャノン、先の挑発であろう火球、そして貴殿より感じるひりつく魔力。クーガ氏の属性は火なのだな』
ウンヴェッターが歩を進める度に、足元の炎が音を立てて消されていく。
融解し、マグマのように液状化した大地すらものともしない。
消火された箇所は冷え固まり、岩石となりウンヴェッターの足場となる。
『いかにも! 私はマスターの力により魔獣へ変異した獣! ヘルハウンドなり!』
『ヘルハウンド……久しく聞かぬ名だ。それを聞いたのは数百年ほど前になるか……人の子の力により、というのが気になるが……上級魔獣であるヘルハウンドの幼生体とあればさらに気を引き締めねばな。形態強化!』
その瞬間、ウンヴェッターの持つ穏やかで静かな雰囲気が変わった。
『形態強化なぞ数百年ぶりの事、先達と共に流れの吸血鬼と戦った時以来だな……吸血鬼の名は忘れてしまったが、実に良い戦いだった』
誰に向けたわけでもない一人語りをしながらも、ウンヴェッターの体組織が音も無く変質していく。
体は一回りほど肥大化し、二本あった頭部の角は三本に生え変わり、青白い光をまとっている。
その角はまるでトライデントのようであり、角先からはパチパチと音を立てて小さな火花が散っていた。
肥大化した肉体は靄に包まれ、それが段々と凝縮し、ウンヴェッターの肉体を覆い始める。
『おお……さらに魔力が増大して……ウンヴェッター! 素晴らしい、素晴らしいぞ! ようやく戦ってくれる気になったのだな! ありがたい!』
『強化形態ゲヴィッター。こうでもせねば貴殿に傷も付けられそうに無い。多少の被害は許容して欲しい』
『謙遜を……! 私の攻撃など歯牙にも掛けていないではないか! そらそらそら!』
凝縮した靄はやがて形を変え、軍馬がまとうような屈強な鎧へと変化した。
鎧をまとったウンヴェッターへ、クーガが再び無数の炎弾を放つ。
その数およそ百。
『ここが平野だとしても、なかなか環境破壊を助長する攻撃。よしんば躱したとしても地形が変わるな。受けきるしかあるまい』
言葉とは裏腹に、ウンヴェッターは微塵も動じた様子が無い。
その証拠に、次々と飛来する炎弾は灰色の膜に包まれ、黒い塊となり地に落ちていく。
『炎の中に岩石を仕込むか……えげつない事をする』
『これも効かぬ……か。しかし解せぬ、今何をしたのか教えて欲しい』
『何のことは無い、風の膜で包み、鎮火しただけのこと』
火は空気が無ければ燃える事はなく、強風の中でもまた火を維持する事が出来ない。
ウンヴェッターは炎弾を風膜で覆い、外界からの空気を遮断、局地的に閉鎖的空間を作り出して強制的に鎮火したのだ。
言葉で表せば簡単そうに見えるが、それを猛スピードで飛来する百の炎弾全てに対処して見せたのだ。
上位精霊ゆえの対応能力なのか、ウンヴェッターの地力なのか。
どちらにせよ、常識の範疇を超えているのは間違いない。
『吐き出すがいいクーガ氏よ。その身の内を焦がす強烈な闘争本能を。戦いへの渇きを。当方の全力を持って受け止めてしんぜよう』
『その言葉! 後悔しても知らんぞ!』
クーガが一際大きな声で吠える。
遠吠えにも似た咆哮は空気を振動させ、可視化したクーガの魔力が燃え上がり、自身を炎で包み込む。
赤い炎は段々と色を変えていき、冷たい青へと変質する。
『ヘルハウンドの……微覚醒か、だがまだ若々しい青さよ。勢い任せの猛攻など当方の属性の前では無意味』
水のような青さを湛えたクーガの炎。
身を包む蒼炎は周囲の空気を熱し、陽炎のごとき揺らめきを発生させている。
揺らめきとは別に、蒼炎がたなびき線となり不規則な軌跡を描き始める。
軌跡はやがて図形となり魔法陣となり、クーガの蒼炎を吸い込んでいく。
『この技を喰らっても余裕でいられるか! 【ペネトレートフレイムロア】!』
周囲に四つの魔法陣を展開したクーガが吠える。
咆哮に応えるように魔法陣は輝き、直径一メートルほどの青い光線を発射した。
『初めて聞く技だな。どれ程の威力』
その正体は圧縮されたクーガ自身の蒼炎そのものである。
クーガが吠えた刹那、蒼炎の光線はウンヴェッターを穿いていた。
断末魔の嘶きを上げる事もなく、頭部と体を穿たれたウンヴェッターは、静かに闇夜へ溶けて消えた。
『ふはっ……はは! ウンヴェッターよ残念だったな! 貴様の負けだ! 驕りによる油断が命取りとなったな!』
全身を揺らして息をするクーガは勝利の声を上げた。
ことごとく攻撃を防がれるならば、速度と熱量を上げればどうか。
戦いの中で試行錯誤し、炎を圧縮する事を思いついた。
かつて、フィガロとクライシスが、魔導力学という学問について語り合っていた。
圧縮されたエネルギーは解放される際に爆発的な威力を生み出す、というクライシスの言葉を頼りに、自分なりに考えて編み出した技が、この【ペネトレートフレイムロア】だった。
炎の温度を限界ギリギリまで高め、魔力に物を言わせて無理矢理圧縮した技。
成功したのが偶然とも言える力業である。
爆発的なエネルギーの一部を射出力に転換し、撃ち出す。
さすがのウンヴェッターもこの技に反応することができず、まともに喰らってしまったのだろう。
そう思わせる程、【ペネトレートフレイムロア】は綺麗に決まった。
綺麗すぎるくらい完璧に。
あえて受けたと言わんばかりの完璧さ。
クーガがもっと戦い慣れていたら、気付いたのかも知れない。
技を受ける前のウンヴェッターに警戒の色が欠片も無かった事に。
『そら、ボディがガラ空きだぞ』
横から聞こえた声にクーガは戦慄した。
咄嗟に飛び退ろうとしたが、時すでに遅し。
バリバリバリ! と雷鳴が轟き、雷光をまとったトライデントがクーガの腹部を穿いた。
『ぐがっ! あがあああ‼』
闇に走る白色の雷光は、クーガの体を縦横無尽に駆け抜ける。
脇腹に突き刺さったトライデントからは、絶えることない雷撃がとめどなく流し込まれている。
突如として現れたトライデントの持ち主が語りかける。
『驕りはどちらの方だろうか。いや、驕りというよりは慢心、そして油断』
『馬鹿な! お前は確かに私の技でええぇああがああ! ウンヴェッターアアアア!』
『ふむ。確かに当方は貴殿のペネトレなんとかで穿たれた。が、穿ったのは魔力で作った当方の分身、痛くも痒くも無いな』
クーガの横っ腹にトライデントの角を突き刺したまま平然とするウンヴェッター。
その顔に疲弊の色はなく、余裕綽々な口調でクーガの問いに答えた。
『魔獣の敗因の多くは強者ゆえの驕り、慢心、油断よ。勝って兜の緒を締めよ、とはどこの言葉だったか……勝ちを確信しても気を緩めるな、という人族の戒めだったはず。しかしこれで貴殿の内で暴れていた当方の力の余波も収まったであろう』
雷撃をまとうトライデントを引き抜き数歩下がるウンヴェッターに対し、クーガはそのまま大地に倒れ伏して口から泡を噴いていた。
『あが……がっがはっ……』
体を痙攣させながらもクーガの瞳には未だ強い光が残っていたが、徐々に光を失っていき、やがて両の瞼が閉じられた。
『やれやれ……ここまでしてようやく気を失ってくれたか……通常の幼生体であれば、当方の角に貫かれた時点で気を失ってもおかしくないのだが……年長者ゆえ負けるわけにはいかぬと気張っていたが……若さの勢いというのは予測を超えてくるから困る』
ウンヴェッターは戦闘開始から初めて苦悶の表情を浮かべ、がくり、と両膝を地に付けた。
口からは荒い呼吸が漏れ、全身が大きく上下している。
『まさか戦闘中に微覚醒をするとはな、プライド、というやつだろうか。末恐ろしい魔獣よ。しかし最後のペネトレートフレイムロア、だったか……あれは危なかった。一発でももらっていれば負けていたのは当方であったろうな』
クーガの脇腹を貫いたウンヴェッターの角――強化形態の時のみ出現する三又の角は、言ってしまえば最終兵器である。
ウンヴェッターは上位の複合精霊であり、その属性は水・風、そして雷。
通常であれば嵐の時にのみ雷属性が具現化するが、強化形態の時は完全な戦闘モードであり、その力は精霊を超える。
人間でいう肉体強化の魔法と同じようなものだ。
膨大な雷のエネルギーが込められた三又の角は、触れたもの全てを破壊する。たとえそれが頑強な魔獣の肉体であってもだ。
体の外側を硬質化する事は出来ても、内側である臓器や筋肉などを硬質化させる事は出来ない。
それはいかなる生物にも当てはまる。
肉体という閉鎖的な空間に膨大なエネルギーを流し込めば、一瞬で意識を刈り取るなど容易い。
しかしクーガは幼生体ながら、ウンヴェッターの雷撃を受けてなお立ち続け、咆哮すらあげて見せた。
その事実に、ウンヴェッターは驚愕の念を隠せないでいた。
『しかも……がはっ……最後の最後で自らの魔力エネルギーを当方に流し込み……打撃を与える、とはな……こんな魔獣の主人であるあの人の子は、どのような存在だというのか』
ウンヴェッターが咳き込むと同時に、口から水色と薄緑が混じったような液体が吐き出された。
霊質世界の住人である精霊には、血液という概念がない。
こちらの世界である物質界においては、魔素、魔力、そして霊質世界の物質であるエーテルが肉体を構成する。
今ウンヴェッターが吐き出した液体こそがエーテルであり、血液と同じような役割を果たしているのだ。
地に吐き出されたエーテルは、数秒の間柔らかな光を放っていたが、やがて霧となって消えた。
エーテルは霊質界の物質ゆえに、物質界では特殊な魔法が付与された容器でしか保存できない。
このエーテルを用いれば欠損した肉体や、失われた命までも呼び戻す奇跡の霊薬を生成する事が可能である。
数百年前、このエーテルを目当てに霊質界の住人である精霊や幻獣が乱獲された、という事件があるのだが――それはまた別の話である。
「終わりましたか?」
闇の空より小柄な人影が舞い降り、ウンヴェッターに問いかける。
『人の子か……すんでの所であったが終わった。クーガ氏は気を失っておるよ』
「はい。それは上空から見ていたので大丈夫です。それと……申し遅れましたが私はフィガロ、といいます。お疲れクーガ、よく頑張ったな」
フィガロは地に伏したクーガの頭を優しく撫で、傷口に治癒魔法を発動させていた。
それを穏やかな目で見守るウンヴェッターの姿が静かに変化していく。
『フィガロ殿と申すのだな。貴殿には色々と尋ねたい事が多々あるが……いずれかの機会にするとしよう』
「聞きたい事、ですか」
『うむ。難しいことではない。まぁ機会があればの話だがな』
「私は訳あってこの国の南側にあるサーベイト森林公園を含め、王宮の裏手の山岳地帯や平野を領地とする者です。もしよろしければ遊びに来てください」
『なんと! 紅炎聖朱雀様の眠る地を守る人の子であったか! そうかそうか! 承知した! 機会があれば伺いに参ろう』
『う……マスター……』
一人と一体の語らいの中、治癒魔法で意識を取り戻したクーガが力なく呟いた。
傷口は完全に塞がっているが、魔力の低下による弱体化は否めない。
『私は……負けたのですね。なんだか夢を見ていたようで……』
「あぁ、お前は負けたよ、コテンパンにな。けどそれはお前のせいじゃない。お前をしっかり見ていなかった俺の責任だ、よく頑張ったよ」
『マスターは……やはりお優しい……私にも力が……強く、なればあの時のような……守れ、無くて……みんな……』
「クーガ?」
クーガの目は薄く開いていたが、焦点があっておらず、どこか遠い所を見ているかのようだった。
『まだ意識がはっきりしていないのであろう。最後に大技を使い、残存魔力が少ないのだ。寝言のようなものだろう。しばらく休ませていれば再び意識を取り戻すだろうて』
「そう、ですか……」
『では当方はこれにて失礼させてもらおう。さらばだ、南の守護人よ。あちらの守護精霊にもよろしく頼む』
「はい、領地でお待ちしております」
一陣の風が吹き、ウンヴェッターの姿が霞のように流れ、消えた。
暗闇に残されたフィガロとクーガ。
パチン、と闇の中に小さな炎が生まれた。
「こうすると、クーガに出会った時の事を思い出すな……あの時とは全く状況が違うけど……傷付いて俺の前に姿を現した時、どんな気持ちだったんだ? お前に何があったんだ?」
穏やかな寝息を立てる巨大な魔獣の傍らで、小さな炎に当たりつつ一人呟くフィガロ。
炎は当然魔法で作り出したものであり、焚き木などは一切ない。
静けさが満たす平野で、聞こえるのは燃え盛る炎の音と、フィガロが語りかける声だけであった。
◇ ◇ ◇
クーガとウンヴェッターの戦いは、クーガの敗北という形で幕を閉じた。
唐突の戦闘だったがクーガの問題が浮き彫りになったので、結果的にはOKだろう。
「ふぅ……何だかんだあったけど無事に換金も終わったし、後は明日に備えよう」
あの後、意識が戻らないクーガを担いで【フライ】を発動し帰宅した俺は、トンボ返りでボーイング山へ戻り、残りの薬草を採集し、無事に依頼を成功させた。
報酬を受け取ってから組合内に併設されている販売所にて、携帯食料などの準備品――乾燥肉、野菜のペースト、ビタミン剤、胃薬、目薬、オイル漬けの魚の瓶詰め、保存の利く経口補水液などなど――を買い込んだ。
旅に慣れた冒険者ならば香辛料や塩、砂糖なども購入し、現地で簡易的な料理を作ってしまうらしい。
野外で料理を作るのはあまり上手ではないので、俺にはほとんど関係の無い事だ。
そして現在、クーガは地下室にてクライシスの治療を受けている。
俺の魔力を魔石に移し、それを少しずつクーガへ注入してもらっている、人間でいう点滴治療のようなものだ。
クライシス曰く、魔力の使い過ぎによる極度の疲労、ダメージによる弱体化が起きているという。
魔獣の肉体組成は独特で、霊質と物質の半々で構成されている。
食物では無く、周囲の魔素、魔力を栄養源としているため、飲食を必要としない。
魔素、魔力があれば多少の怪我は治ってしまう。
しかし幼生体といえど魔獣は魔獣。そこらへんに漂っている魔素だけでは到底足りないし、仮にその全てをクーガが吸収してしまえば、約五キロ圏内の空間の魔素が枯渇し、圏内にいる人全てが死亡してしまいかねない。
なので、俺に内在する無尽蔵とも言える魔力を治療に充てているというわけだ。
用意された魔力貯蔵用の魔石は計十個。
この魔石一つに溜められる魔力は、上級魔法を二、三発は発動出来るほどの量だという。
夜通し魔力を注入していけば、明日の朝には元気になると太鼓判を押された。
そしてクライシスから追い立てられるように、早く寝ろと言われたので寝室へ上がってきたのだ。
何でそんな魔石があるのかと聞いてみたが、「昔取った杵柄だ」と一蹴されてしまった。
「くあ……明日が楽しみだ」
ランチア守護王国の伯爵、クロムから譲り受けたラビリンスシーカー――迷宮の場所を教えてくれる魔法具――を握り締め、期待に胸を膨らませながら眠りについたのだった。
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