虹のアジール ~ある姉妹の惑星移住物語~

千田 陽斗(せんだ はると)

文字の大きさ
上 下
61 / 73
惑星動乱

信念と制度

しおりを挟む
 灰色の空に舞う黒い翼
 揺蕩う白い煙
 混じり合わない二つの影




 鳥の巣頭は僕を怒ったりしなかった。

 呆れたのなら、もう放っておいてくれればいいのに――。

 怪我の手当てを終えても、鳥の巣頭は僕の部屋から動こうとしなかった。風呂に入ってジョイントの匂いを落としておいで、とだけ言って、一人掛けのソファーに辛そうに座ったままだった。

「ベッドに寝転んでいるといいよ、身体、辛いんだろ?」
 心配して言ってあげたのに、こいつはむすっとした顔のまま頭を振った。僕は吐息をひとつ吐いて浴室に向かった。



 部屋に戻ってもどうせまだあいつがいるのだ、と思うと腹立たしくて、わざとゆっくりと湯船に浸かった。こうしていた方が、ジョイントの夢から覚める時の、あの身体にずっしりとかかってくる重力が幾分マシに感じられるから。

 僕たちは、どうしてこの肉の重さに耐えていられるのだろう――。不思議で堪らない。精神はこの白い煙の助けさえあれば、どこまでも高く飛翔することだって可能なのに。
 あんな下らない奴らですら、ジョイントの白い煙は愛で包んでくれるのに――。

 鳥の巣頭みたいな、馬鹿で頭のカチンコチンに凝り固まった奴には、解らない。

 神に近づくことが人として生まれてきた意味だというのなら、この重たくて汚い肉体を引きずるようにして生きるよりも、たとえ、この身体に多少の損傷を及ぼそうとも、ジョイントの力でこの肉体の檻の縛りを解き放ち法悦を得る方が、よほど神の御意志にかなっている。



 ゆるゆると揺れるお湯の中で身を捻り窓を覗く。灰色の冬空を。代わり映えのしない陰鬱な空。僕の光は白い煙に導かれるのに、あいつは意地でも邪魔をする。

 と、白樺の林を、黒い影が過ぎった。――ような気がした。

 片羽の大鴉が僕を嗤った。

 飛ぶのに、そんなもの必要ないよ――、って。



 部屋に戻ると、鳥の巣頭はもういなかった。
 安心してベッドに横たわった。

 お腹が空いた。ジョイントを吸うとお腹が空くんだ。
 あの大空を飛ぶから、お腹が空くんだ。




 学校に戻ってからも、鳥の巣頭とはぎくしゃくしたままだ。ボート部の先輩方は、さすがにもう僕と遊ぶ気はないようだった。
 また振り出しだ。
 僕が着々と敷いた布石を鳥の巣頭がぶち壊す。いつもそうだ。あいつは僕の疫病神。そのくせしたり顔で僕の生活の全てを支配しようとするんだ。自分が僕の面倒を全てみてあげているような顔をして。

 大嫌いだ……。




 でも、もう一度あのパブに行きたくて、鳥の巣頭に声をかけた。あんな怖い地区の小汚い店に、一人で行く勇気なんてなかったから。



 大鴉はもう、僕の部屋から見える川沿いの林に翼を休めに来ない。代わりに新入生の一団がツリーイングしている。どいつもこいつも大鴉の真似をして、ロープを引っ掛けた木の枝にみっともなく登っている。あんなもの見たって面白くもなんともない。木から降りる時だって、おっかなびっくりで伝い降りるだけ。大鴉みたいに見事なまでに美しく飛ぶ奴なんて一人もいない。

 ピーチク煩いこの小雀らのせいで、大鴉はこの林に来なくなったんだ!

 確かめたかった。天使くんがまだあの店にいるかどうか。僕の大鴉に近づいたりしていないかどうか。



 休日の外出時は私服の着用が推奨されているのに、あの時の新入生は制服だった。休み明けで気が緩んでいるかもしれないし気になるんだ、と言うと、鳥の巣頭は驚いたように目を大きく見開いて僕の顔を見つめ、それからぱぁっと嬉しそうに笑った。久しぶりだ、こいつのこんな顔。

「そうだね、きみの言う通りだ。少し前にもあの辺りの地区で恐喝事件があったんだよ。見まわりがてら行ってみようか」

 鳥の巣頭はうきうきと背筋を伸ばす。

「そんなふうに下級生のことを心配してくれていたなんて、ちっとも知らなかったよ」
 そして、また以前のように饒舌に喋り始めた。



 名家の子弟ばかりが通う有名私立校である僕たちの母校は、街の不良どもに目をつけられやすい。
 もともと外出時は制服着用だったのを、公立校の連中や、地元のならず者とのトラブルを少しでも避けるようにと、休日時の私服着用を許可して欲しいと進言したのはソールスベリー先輩なのだそうだ。特に、まだ学校にも不慣れで狙われやすい下級生のうちは、上級生が外出につき添って警護するように規則で定めるよう申しで、規則化したのも彼の派閥の功績なのだ、と鳥の巣頭は、まるで自分の手柄でもあるかのように自慢げに喋っていた。

 こいつ、いつの間に白い彼の信奉者に成りさがっていたんだ? でも、その彼が後見をする大鴉は、夜ごと、その危険な区域を遊び歩いている――。

 この事実に鳥の巣頭はきゅっと口元を引きしめて、厳しい表情を示した。



「なんとかしないとね」

 どうせ取りしまったって、あの大鴉のことだから、ひらりひらりと飛び立って逃げるに決まっている。それよりも天使くんだ――。いまだに大鴉を追いかけ回しているのか、その方が気になる。




 答えは案の定だ。
 天使くんは、相変わらず壁際の古びたピアノを弾いていた。
 前に来たときよりも音が明るい。

 僕にはそれが腹立たしくて堪らない。

 その日は空いていたから、僕たちは窓辺の席に座った。鳥の巣頭はカレーを頼まなかった。壁の黒板に、白いチョークで大きく売り切れの文字が書かれていたから。


 紅茶を注文し、しばらく顔を見合わせたまま、黙ってその場に座っていた。刻々と、ステンドグラスが一部嵌め込まれた窓ガラスの向こう側が、薄らと広がる闇に沈んで行く。窓外を通りすぎた一団に、鳥の巣頭は緊張した面持ちで立ちあがりかける。僕はこいつの腕を掴み、耳許で囁いた。

「馬術部の先輩がいる。僕がここに残って様子を探るから、彼を送ってあげて」
「でも……」
「きみじゃ警戒される。それに、これ以上新入生が巻きこまれたりしたら、大ごとになりかねないだろ? 送って、すぐに迎えにきて」

 カラカラーン、と勢いよくドアが開く。どやどやと踏み込んで来た一団を一瞥することもなく、鳥の巣頭はピアノを弾いている天使くんに歩み寄り、天使くんは素直に頷き立ちあがった。

 店の主人と喋っていたその一団は、がやがやと騒がしく厨房に続く扉を開け、階段を上がって行った。足音と、古い階段の軋む音が僕の席にまで大きく響いていた。

 けれど、その中の一人がにやっと笑い、顎をしゃくって僕に合図をするのを、見逃しはしなかった。
 馬術部の先輩ではないけれどね。だって、馬術部から生徒会に入った人なんていないもの――。



 鳥の巣頭と天使くんが店を出るのを見送ってから、僕はこの店の主人に声をかけた。

「ご主人、二階にも部屋があるのですか? さっきの一団に友人がいたもので。僕も上がっても、かまわないでしょうか?」





しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

エレメンツハンター

kashiwagura
SF
 「第2章 エレメンツハンター学の教授は常に忙しい」の途中ですが、3ヶ月ほど休載いたします。  3ヶ月間で掲載中の「第二次サイバー世界大戦」を完成させ、「エレメンツハンター」と「銀河辺境オセロット王国」の話を安定的に掲載できるようにしたいと考えています。  3ヶ月後に、エレメンツハンターを楽しみにしている方々の期待に応えられる話を届けられるよう努めます。  ルリタテハ王国歴477年。人類は恒星間航行『ワープ』により、銀河系の太陽系外の恒星系に居住の地を拡げていた。  ワープはオリハルコンにより実現され、オリハルコンは重力元素を元に精錬されている。その重力元素の鉱床を発見する職業がルリタテハ王国にある。  それが”トレジャーハンター”であった。  主人公『シンカイアキト』は、若干16歳でトレジャーハンターとして独立した。  独立前アキトはトレジャーハンティングユニット”お宝屋”に所属していた。お宝屋は個性的な三兄弟が運営するヒメシロ星系有数のトレジャーハンティングユニットで、アキトに戻ってくるよう強烈なラブコールを送っていた。  アキトの元に重力元素開発機構からキナ臭い依頼が、美しい少女と破格の報酬で舞い込んでくる。アキトは、その依頼を引き受けた。  破格の報酬は、命が危険と隣り合わせになる対価だった。  様々な人物とアキトが織りなすSF活劇が、ここに始まる。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

深海のトキソプラズマ(千年放浪記-本編5上)

しらき
SF
千年放浪記シリーズ‐理研特区編(2)”歴史と権力に沈められた者たちの話” 「蝶、燃ゆ」の前日譚。何故あの寄生虫は作り出されたのか、何故大天才杉谷瑞希は自ら命を絶ったのか。大閥の御曹司、世紀の大天才、異なる2つの星は互いに傷つけ合い朽ちていくのであった…

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

処理中です...