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2 本国との通信
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士官以上のみに与えられる個室の私室で、リリアはデスクチェアに座り、デスクに設置されたスイッチを押して、ホログラムディスプレイを起動させた。
ふぉんっと軽やかな音が鳴り、なにもない宙に、半透明な四角い、薄青色のディスプレイが立ち上がる。照明を落とした薄暗い室内に、ディスプレイの青白い光が投げかけられる。
時刻は午後九時の一歩手前。
リリアは部屋に一人きりだった。
閉めたカーテンの隙間から、外の夜闇がちらりと見える。
リリアは無表情のまま、ディスプレイが変化するのをじっと待った。
仕事終わりで疲れていたが、これからの通信を思えば気分は高揚していた。
(うまくいっていれば、これで終わる……)
やがて爽やかな青のディスプレイに、ノイズがいくつも走ってブレ始めた。ノイズはだんだんと収束していき、画面に黒い人影が映し出される。
リリアは動揺もせず、人影がはっきり映し出されるのを待って、静かに挨拶した。
「こんにちは、Sir」
『こんばんは、スノウ』
画面の向こうから帰ってきた声は、老年の男性のものだった。
本国のボスだ。
時差の関係で、あちらはまだ昼間。
リリアは大人しく、ボスの話の続きを待った。早く結果が知りたい。
『スノウ、君がこの間、送ってくれた情報の精査が終わったよ。情報の正確性が確認された』
緊張で強張っていたリリアの体から、ほっと力が抜ける。
「では、これで」
人影がこくと頷いた。
『スノウ、任務完了だ。おめでとう。可及的速やかに君の存在を消去して、敵国を脱出しろ』
「了解いたしました、Sir」
その後、いくつか脱出の段取りの確認を済ませた。
脱出計画のモデルは事前にいくつか教育されているが、実際にどういうプランを組むかは、そのときの状況による。事前に知らせていた暫定プランに、変更がないかの最終確認だった。
本国からの支援を迅速に受け取るために必要な確認だ。
『さて、ではローズにも早急に帰国指令を出そう。なにか伝言はあるかな?』
リリアは、同い年の幼馴染を思って、懐かしさに目を細めた。
「帰ったら、一緒に遊園地に行こう、と。任務に出る前に二人で約束したんです」
『いいだろう、引き受けた。ではスノウ、健闘を祈る』
「感謝します」
本国のボスとの通信を切り、スノウは……いや、リリアは、ふぅと長い銀髪を掻き上げた。
リリアは、このシェル国に潜入しているスパイだった。
本国とシェル国とは、長年の敵対関係にあるが、現在は冷戦下。表面的には戦争をしていない。
その実、水面下ではスパイを送り合って、激しい諜報戦が行われていた。
リリアがこの国に潜入して、早八年。
コードネームは、スノウ。
シェル国での名前は、リリア・ホワイト。
本名は、レイカ。
混乱してしまいそうなこの生活も、もうすぐ終わりを迎える。
それを思えば、嬉しいと同時に、少し寂しい気もした。
任務前には想像だにしなかった感情だった。
寂しい。
この任務中に関わった人間とは、これからもう一生、二度と会ってはいけないことになっている。秘密漏洩の防止のためだ。
(みんなとも……もう会えない……)
パソコンデスクに置かれた写真立てを見れば、中央に映ったリリアの周囲で、リリアの部下たちが楽しそうに笑っていた。
リリアは、一際目立つ、にっと笑った赤髪の青年をそっと指でなぞった。
(ジャックとも……)
でもその代わり、リリアもローズも生きて本国に帰れる。
リリアの天秤は今回もやはり、二人の命のほうに傾いた。
大体、残ったところで、裏切り者として消されるだけだ。
孤児だったリリアは、幼いころに、本国のスパイ養成機関に引き取られ、そこで厳しく育てられた。
スノウ、という名前は、色素の薄い外見から決められたコードネームだ。
本国による事前の根回しと、リリアの能力のおかげで、ありがたくも、というか、シェル国にとっては、うかつにも、リリアはシェル国の軍で士官の地位をいただき、本国にかなりの情報を回すことができた。
そのおかげで、リリアだけでなく、ローズの任期も短縮することができたのは僥倖だった。
ローズに会える、そう思えば、シェル国脱出までの面倒なアレコレも頑張れると思った。
(ローズ、どんな風になってるかな)
この国に来て八年。ローズとももう、八年会っていない。
ローズは同い年で、同じ養成機関で育った、リリアの血の絆の相手である。
血の絆とは、本国が考案した、スパイの裏切り防止策の一環だ。
本国はスパイを信用していない。
いや、スパイの忠誠心の持続を信用していない。
スパイも人間だから、心変わりするのだと、長年の経験から結論づけたらしかった。
だから、幼いころから仲の良い二人をペアにして、より絆を育ませ、任務前に二人に伝える。
『もし、どちらかが裏切れば、もう片方を処刑する。裏切ったほうも、地の果てまで追いかけて、処分する』
国という大きすぎて顔のない抽象概念では縛りきれないのなら、一個人同士の絆を利用して、明確に名前のある人間の命でもって縛る、という二重の縛りだった。
実際に処刑されたペアもいるらしいが、リリアとローズは無事に任期を終えることができた。
(さて、ローズに会うためにも、さっさと片付けなくちゃね。まずは、どこから手をつけようかしら)
よいしょ、とデスクチェアから立ち上がり、リリアはまず、ホログラムディスプレイのハード内に埋め込んでいた、本国との通信のためのごく小さい端末を破壊した。
証拠隠滅の第一歩。
ここから本国に帰るまで、リリアは完全に独りだった。
ふぉんっと軽やかな音が鳴り、なにもない宙に、半透明な四角い、薄青色のディスプレイが立ち上がる。照明を落とした薄暗い室内に、ディスプレイの青白い光が投げかけられる。
時刻は午後九時の一歩手前。
リリアは部屋に一人きりだった。
閉めたカーテンの隙間から、外の夜闇がちらりと見える。
リリアは無表情のまま、ディスプレイが変化するのをじっと待った。
仕事終わりで疲れていたが、これからの通信を思えば気分は高揚していた。
(うまくいっていれば、これで終わる……)
やがて爽やかな青のディスプレイに、ノイズがいくつも走ってブレ始めた。ノイズはだんだんと収束していき、画面に黒い人影が映し出される。
リリアは動揺もせず、人影がはっきり映し出されるのを待って、静かに挨拶した。
「こんにちは、Sir」
『こんばんは、スノウ』
画面の向こうから帰ってきた声は、老年の男性のものだった。
本国のボスだ。
時差の関係で、あちらはまだ昼間。
リリアは大人しく、ボスの話の続きを待った。早く結果が知りたい。
『スノウ、君がこの間、送ってくれた情報の精査が終わったよ。情報の正確性が確認された』
緊張で強張っていたリリアの体から、ほっと力が抜ける。
「では、これで」
人影がこくと頷いた。
『スノウ、任務完了だ。おめでとう。可及的速やかに君の存在を消去して、敵国を脱出しろ』
「了解いたしました、Sir」
その後、いくつか脱出の段取りの確認を済ませた。
脱出計画のモデルは事前にいくつか教育されているが、実際にどういうプランを組むかは、そのときの状況による。事前に知らせていた暫定プランに、変更がないかの最終確認だった。
本国からの支援を迅速に受け取るために必要な確認だ。
『さて、ではローズにも早急に帰国指令を出そう。なにか伝言はあるかな?』
リリアは、同い年の幼馴染を思って、懐かしさに目を細めた。
「帰ったら、一緒に遊園地に行こう、と。任務に出る前に二人で約束したんです」
『いいだろう、引き受けた。ではスノウ、健闘を祈る』
「感謝します」
本国のボスとの通信を切り、スノウは……いや、リリアは、ふぅと長い銀髪を掻き上げた。
リリアは、このシェル国に潜入しているスパイだった。
本国とシェル国とは、長年の敵対関係にあるが、現在は冷戦下。表面的には戦争をしていない。
その実、水面下ではスパイを送り合って、激しい諜報戦が行われていた。
リリアがこの国に潜入して、早八年。
コードネームは、スノウ。
シェル国での名前は、リリア・ホワイト。
本名は、レイカ。
混乱してしまいそうなこの生活も、もうすぐ終わりを迎える。
それを思えば、嬉しいと同時に、少し寂しい気もした。
任務前には想像だにしなかった感情だった。
寂しい。
この任務中に関わった人間とは、これからもう一生、二度と会ってはいけないことになっている。秘密漏洩の防止のためだ。
(みんなとも……もう会えない……)
パソコンデスクに置かれた写真立てを見れば、中央に映ったリリアの周囲で、リリアの部下たちが楽しそうに笑っていた。
リリアは、一際目立つ、にっと笑った赤髪の青年をそっと指でなぞった。
(ジャックとも……)
でもその代わり、リリアもローズも生きて本国に帰れる。
リリアの天秤は今回もやはり、二人の命のほうに傾いた。
大体、残ったところで、裏切り者として消されるだけだ。
孤児だったリリアは、幼いころに、本国のスパイ養成機関に引き取られ、そこで厳しく育てられた。
スノウ、という名前は、色素の薄い外見から決められたコードネームだ。
本国による事前の根回しと、リリアの能力のおかげで、ありがたくも、というか、シェル国にとっては、うかつにも、リリアはシェル国の軍で士官の地位をいただき、本国にかなりの情報を回すことができた。
そのおかげで、リリアだけでなく、ローズの任期も短縮することができたのは僥倖だった。
ローズに会える、そう思えば、シェル国脱出までの面倒なアレコレも頑張れると思った。
(ローズ、どんな風になってるかな)
この国に来て八年。ローズとももう、八年会っていない。
ローズは同い年で、同じ養成機関で育った、リリアの血の絆の相手である。
血の絆とは、本国が考案した、スパイの裏切り防止策の一環だ。
本国はスパイを信用していない。
いや、スパイの忠誠心の持続を信用していない。
スパイも人間だから、心変わりするのだと、長年の経験から結論づけたらしかった。
だから、幼いころから仲の良い二人をペアにして、より絆を育ませ、任務前に二人に伝える。
『もし、どちらかが裏切れば、もう片方を処刑する。裏切ったほうも、地の果てまで追いかけて、処分する』
国という大きすぎて顔のない抽象概念では縛りきれないのなら、一個人同士の絆を利用して、明確に名前のある人間の命でもって縛る、という二重の縛りだった。
実際に処刑されたペアもいるらしいが、リリアとローズは無事に任期を終えることができた。
(さて、ローズに会うためにも、さっさと片付けなくちゃね。まずは、どこから手をつけようかしら)
よいしょ、とデスクチェアから立ち上がり、リリアはまず、ホログラムディスプレイのハード内に埋め込んでいた、本国との通信のためのごく小さい端末を破壊した。
証拠隠滅の第一歩。
ここから本国に帰るまで、リリアは完全に独りだった。
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