切り札の男

古野ジョン

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第四部 東の怪物、西の天才

第二話 名門と新顔

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 あの一回戦から、天童はすっかり甲子園の話題を独占していた。名門・光世学院を完璧に抑え込み、一本のヒットも許さなかったのだ。去年に続く快投に、早くもプロ入りを期待する声が多く上がっていた。

 そう――天童は去年の甲子園でも活躍したのだ。八木と森山という二人の好投手を擁し、決勝まで勝ち上がった自英学院高校。彼らの優勝を阻んだのが、まさに天童雅美という男だった。天童は決勝戦で自英学院の打線をかわし、見事に完封してみせたのだった。

 すっかり天童率いる大阪山桐高校が優勝候補ともてはやされている中――雄大たちは甲子園のグラウンドに立った。今日はいよいよ初戦の日。その対戦相手は、神奈川代表の横浜中央高校である。今日は大林高校が先攻ということで、先に横浜中央高校が試合前練習を行っていた。

「すげ~」

「さすが強豪だなあ」

 流れるような華麗な守備練習に対し、大林高校の部員たちは見とれるばかりだった。一方、雄大とまなは投球練習を行う投手に視線を送っている。

「あれが平良か」

「調子はそこまで良くなさそうだね」

「というか、緊張してるって感じだな」

 平良が投じる球は上ずっており、あまり制球されていなかったのだ。いくら強豪校といえども、大舞台の初戦で緊張するのは同じ。雄大はそのことをしっかりと確認していた。

「よっしゃお前ら、そろそろ時間だ」

「みんな、行くよー!」

「「おうっ!!」」

 二人の号令で、今度は大林ナインが一斉にグラウンドへと飛び出して行った。いつもと変わらず、まながノックを打ち、皆がそれを受けている。雄大も肩を温めつつ、試合に向けて心の準備を整えていた。

「あれが宮城の剛腕って奴か」

「たしかに速そうだな」

 雄大の投球練習を見て、観客席からもどよめきが起こっていた。横浜中央の選手たちもじっと視線を送っている。初出場校とは言っても、あの自英学院を倒したというだけあり、他校にもその名は確実に伝わっていたのだ。

 やがて練習も終わり、球児たちが本塁を挟んで整列した。今から始まる聖地での戦いに、両校の選手とも心を躍らせている。審判が試合開始を告げると、元気な挨拶が球場中にこだました。

「これより、大林高校対横浜中央高校の試合を開始する。礼!!」

「「「「お願いします!!!!」」」」

 観客席から一斉に拍手が巻き起こり、横浜中央高校の選手たちが各ポジションへと散って行った。場内アナウンスでナインが紹介されていく。その間、一番の雄介はネクストバッターズサークルで体をほぐしながら出番を待っていた。

「雄介、気負うなよー!」

「分かってるっすよー!」

 雄大が大声で声援を送ると、雄介も大きな声で応えた。いくら自英学院で野球をやっていたとはいえ、甲子園の舞台で一番打者を打つというのは相当なプレッシャーを感じるはずである。しかし雄介はいつも通りの表情で、ゆっくりと打席に向かった。

「一回表、大林高校の攻撃は、一番、ライト、久保雄介くん」

「「かっとばせー、くーぼー!」」

 宮城から駆け付けた応援団も、大きな大きな声でエールを送っていた。雄介は左打席に入り、平良と相対する。

「頼むぞ雄介ー!」

「打てよー!」

 大林ナインも声援を送りながら、固唾を飲んで打席を見守っていた。大林高校にとっては何もかも初めてだらけの甲子園での戦い。並みいる強豪校を倒して勝ち進めるかどうか、この初戦はそれを占うゲームでもあるのだ。

「プレイ!!」

 サイレンが鳴り響き、いよいよ試合が始まった。平良は表情を引き締め、ゆっくりと右足を下げる。雄介もバットを強く握り、初球に備えた。そして、平良はノーワインドアップのフォームから第一球を解き放つ。球場中が注目する中、力のある直球が外角に決まった。

「ストライク!!」

「ナイスボール平良ー!」

「いいぞー!」

 スコアボードには「142」と表示されている。強豪校のエースというだけあって簡単に打てる投手ではない。しかし雄介も――並のリードオフマンではないのだ。

「雄介いけよー!」

「狙っていけー!」

 声援を受けながら、雄介はキッと表情を引き締めた。平良はサインを交換し、二球目に備える。厳しい日差しがじりじりと気温を上昇させる中、頂点を争う二人の球児が真剣に睨み合っていた。そして平良は足を上げ――第二球を放った。またも外角のストレートだったが、雄介はしっかりと捉えてみせた。快音が響き、打球が二遊間を抜けていく。

「っしゃー!」

 雄介はガッツポーズを見せながら、一塁へと駆けていった。大林ナインも大きな声を上げ、雄介の安打を讃えている。

「いいぞ雄介ー!」

「ナイバッチー!」

 続いて二番の青野がネクストバッターズサークルから歩き出した。青野は少し固い表情で、ぎこちなく右打席へと向かっていく。

「青野のヤツ、緊張してるな」

「大丈夫かな……」

 雄大とまなが心配する中、試合が再開された。雄介は大きくリードを取り、バッテリーにプレッシャーを与えている。平良はセットポジションを取り、何度も牽制球を送っていた。

「バッター勝負だー!」

「落ち着けー!」

 横浜中央高校の選手たちも平良に声を掛けている。やはり初回ということもあり、平良も緊張しているようだった。

(アイツらでも緊張するんだから、俺たちが緊張したって仕方ないよな)

 雄大はバットを手に取り、打席に向かう準備をしていた。平良は改めて青野に対して、セットポジションを取る。そして小さく足を上げたのだが――構わず雄介はスタートを切った。

「ランナー!!」

 一塁手が大きな声で叫ぶ。雄介は平良の隙を突き、完璧にモーションを盗んでみせた。捕手もしっかりと送球したが、余裕でセーフとなった。

「セーフ!!」

「よっしゃー!」

「ナイスラン雄介ー!」

 これで無死二塁となり、さらにチャンスが広がることになった。すかさずまなは送りバントのサインを送る。青野は頷いたが、依然として緊張した様子だった。

「落ち着けよ青野ー!」

「ボールよく見ろー!」

 大林ナインも一所懸命に声援を送っている。続いて、平良が第二球を投じた。青野は素早くバントの構えに切り替える。しかし平良の投じたインハイのボールに対し、青野は合わせることが出来なかった。ギンという鈍い音が響き、打球は小さく舞い上がる。

「オッケー!」

 平良は大声で叫ぶと、小走りでマウンドを降りる。そのまましっかりと打球を掴み取り、ワンナウトとなった。これでは雄介も進むことは出来ず、青野は悔しそうにベンチへと下がっていった。

「青野くんがバント失敗なんて、珍しい」

「やっぱ緊張してるんだな」

 雄大はヘルメットを頭で抑えながらベンチを出て、ネクストバッターズサークルへと歩き出した。状況は一死二塁と変わり、リョウが打席に向かう。

「三番、ファースト、平塚くん」

「頼むぞリョウー!」

 雄大も大きな声を張り上げ、リョウの背中を押していた。チャンスであることに変わりはなく、応援団も一所懸命に声援を送っている。先制を期待する彼らの声が、じわりじわりとマウンド上の平良にプレッシャーをかけていた。

(あくまで向こうは格上の強豪校だ。初出場の俺たちに先制されるのは避けたいはず)

 横浜中央の心理を推し量りつつ、雄大はじっと打席の方を見つめている。平良はセットポジションに入って二塁の様子を窺っていた。一方のリョウはふうと息を吐き、初球を待っていた。

(平良さんの持ち球はスライダーとカーブ。追い込まれる前に真っすぐを叩く)

 リョウの狙いはストレートだった。大林ナインにとって横浜中央のデータは多くない。となれば、まずは無難にストレートを狙うことになるわけだ。

 平良は小さく足を上げ、第一球を投じた。力のある直球が外角のコースへと突き進んでいく。リョウもスイングをかけていったが、ボールはストライクゾーンよりやや外れていた。バットの先っぽに当たり、遊撃手の真正面に打球が飛んでいく。

「ショート!」

 捕手が指示を出し、遊撃手が落ち着いて打球を掴み取った。彼は二塁の雄介を目で制し、三塁への進塁を許さない。そのまま確実に一塁へと送球し、これでツーアウトとなった。リョウは歯を食いしばり、悔しそうな表情でベンチへと下がっていく。

「ツーアウトツーアウトー!」

「ナイスピー平良ー!」

「いいぞー!」

 二つのアウトを費やしたにもかかわらず、大林高校は二塁の雄介を進めることが出来なかった。先頭打者の出塁で少し焦りが見えていた横浜中央ナインだったが、これでいくらか落ち着いたようであった。流れが横浜中央に傾きかけている中――それを変えることの出来る男が、ゆっくりと打席へと歩き出した。

「四番、ピッチャー、久保雄大くん」

「お前が決めろよー!」

「ホームラン見せてくれー!」

 ひと際大きい声援に、平良は驚いたような顔をしていた。大林高校の応援団にとって雄大は自慢のヒーローなのだ。宮城県大会で散々大暴れしていた怪物が、いよいよ甲子園の舞台に現れる。その事実だけで、皆の胸が躍っていた。

「ここですね」

「雄大なら必ず先制点を取ってくれる。一点でも取れば――私たちの勝ちだよ」

 レイとまなは打席を見つめていた。他の部員たちは大声で雄大にエールを送っている。このまま無得点に終わるのか、それとも先制して主導権を握るのか。この試合の運命が、まさにこの一打席に懸かっていた。

「平良思い切っていけよー!」

「集中集中ー!」

 平良は落ち着いて息を整え、時速百四十キロ台の直球を次々に投げ込んでいく。雄大もそれに合わせてスイングをかけていくが、きっちりと制球されていてなかなか前に飛ばせない。カウントはツーボールツーストライクとなった。

「決めろよ平良ー!」

「押せ押せー!」

 内野陣が平良に声援を送る中、雄大は気にせず真剣な表情で打席に立ち続けていた。いつも通りに威圧感を放ち、ただマウンドだけを見据えている。一方の平良も、集中した様子で捕手のサインを見つめていた。経験豊富な強豪校のエースとして、簡単に打たれるわけにはいかないというわけだ。

「「かっとばせー、くーぼー!!」」

 威勢よくブラスバンドが演奏する中、雄大は第七球を待っていた。ここまで平良は全て直球を投じている。このまま直球で押し切るか、それとも変化球で決めるのか。やがてバッテリーのサインが決まり、平良はセットポジションに入った。

「打てるよ、雄大ー!」

 まなも大きな大きな声で励ましていた。雄大は真っすぐに前を見つめる。雄介は二塁からプレッシャーをかけているが、平良は物ともしていない。まさにエースと四番の真剣勝負。甲子園を満たす熱気に呼応するかのように、二人の間に火花が飛び散っていた。

 そして、平良は第七球を投じた。彼が放ったのは、ウイニングショットであるスライダー。左打者の雄大にとっては内角に食い込んでくる球である。決して悪いコースではなかったが――雄大の方が一枚上手だった。

「なっ……」

 捕手が驚きの声を上げたが、その時には既に雄大のバットが完璧に球を捉えていた。気持ちいいくらいの金属音が球場全体に響き渡る。右方向に高々と打球が舞い上がり、甲子園特有の浜風を切り裂いてスタンドに向かって飛んでいった。

「ライトー!」

 指示の声だけが響いていたが、右翼手は一歩も動かず打球を見上げている。綺麗な放物線を描き、打球はそのままライトスタンド中段へと消えていった。観客たちのどよめきが地響きとなり、甲子園を大きく揺らしている。雄大はそれを噛み締めるようにして――右手を高く突き上げた。
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