切り札の男

古野ジョン

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第三部 怪物の夢

第五十二話 三度目の正直

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 九回表が始まる前、大林高校ナインは円陣を組んでいた。この回で得点を挙げられなければ負けてしまうが、誰も下を向いていない。雄大も皆を励まし、逆転を期している。

「去年と一昨年は、ここから先を越えられなかった。でも――今年は違うよな、お前ら?」

「「おうっ!!」」

「絶対勝つぞ!!」

「「おうーっ!!!」」

 皆が大声を出すと、応援席からも次々に拍手が巻き起こった。先頭の潮田がバットを持ち、打席に向かう。雄介もネクストバッターズサークルに向かおうとしたが、芦田が彼を呼び止めた。

「雄介!!」

「はいっ?」

「ちょっと来い」

 芦田は彼に何かを耳打ちして、ネクストバッターズサークルに送り出した。その様子を見ていた雄大は不思議がり、ベンチに戻ってきた芦田に問いかける。

「芦田、何を言ったんだ?」

「さっきの打席で気づいたんだけどな、向こうのサードはバントしたときの反応が悪い」

「つまり?」

「セーフティ、狙ってもいいんじゃないかって伝えてやったんだ。アイツの足なら必ずセーフになる」

 不敵な笑みを浮かべ、芦田はグラウンドの方を向いた。雄大もニヤリと笑みを浮かべ、そのアイデアを面白く感じている。間もなくアナウンスが流れ、潮田が左打席に入った。

「九回表、大林高校の攻撃は、九番、ショート、潮田くん」

「狙っていけ潮田ー!!」

「出ろよー!!」

 球場中から、大きな声援が飛んでいた。判官びいきか、観客のほとんどが大林高校に対して声を張り上げていたのだ。潮田もそれを力に変え、バットを強く握る。

「あとアウト三つだぞ、森山!!」

「落ち着いていけー!!」

 その雰囲気に抗うかのように、自英学院の内野手も必死に森山を盛り立てていた。健二が初球のサインを出すと、森山はそれに頷いて投球動作に入る。そして威圧するように足を上げ、第一球を投じた。潮田はスイングをかけていったが、白球は本塁手前で急激に変化した。バットが空を切り、審判が右手を挙げた。

「ストライク!!」

「オッケー!!」

「いいぞ森山ー!!」

 潮田はしまったという表情で天を仰ぎ、何度かバットを振っていた。一方で、ベンチの雄大は森山の状況を冷静に分析していた。

(カウント稼ぎのスライダーか。森下の打席でも多投していたし、もうフォークは投げないのかもしれんな)

 まだ直球には威力があるものの、森山はフォークを制球出来ていない。一発が出れば同点になる場面では、浮いた変化球を投じるわけにはいかない。森山がそれを意識しているならば、大林高校は直球とスライダーに狙いを絞ることが出来るというわけだ。

 続いて、森山は第二球に時速百五十五キロの直球を投じた。潮田はバットを短く持ち、必死についていったが、カットするのが精いっぱいだった。これでツーストライクとなり、追い込まれた。

「粘っていけ潮田ー!!」

「打てるぞー!!」

 大林高校の応援席から、必死の声援が続く。雄大たちも、固唾を飲んで潮田の打席を見守っていた。森山は三球目、四球目と力のある直球を投げたが、潮田が冷静に見極めてツーボールツーストライクとなる。

「いいぞー!!」

「見えてる見えてる-!!」

 ボールのカウントが増えるごとに、歓声が大きくなっていく。しかし森山は毅然とした表情でマウンドに立っており、全く動じていない。そして、彼は第五球を投じた。

「ッ!」

 潮田は振りにいったが、ボールはバットの上を通過していった。そのまま健二のミットに収まると、審判が大声でコールした。

「ストライク! バッターアウト!」

「よっしゃああ!!」

「ワンナウトワンナウトー!!」

「あと二つー!!」

 次の瞬間、自英学院の内野陣が沸いた。潮田は悔しそうにバットを見つめ、ベンチへと下がっていく。それでも、大林高校の選手たちは前を向いていた。

「一番、ライト、久保雄介くん」

「頼むぞ雄介ー!!」

「お前が出ろー!!」

 雄介がネクストバッターズサークルから歩き出すと、皆が大声を張り上げた。ここまでの試合、彼の出塁をきっかけに大林高校が得点を挙げることは度々あった。一つアウトを取られたと言っても、ナインに滾る闘志は消えていなかったのだ。

(あまり内野が前進している様子はない。不用心だぞ、健二)

 雄介は内野手の守備位置をちらりと見て、バットを構えた。彼は狙いを悟られないように、本気の表情でマウンドの方を見つめている。森山は、まるで睨み返すかのように健二のサインを凝視していた。

「頼むぞ、雄介ー!!」

 雄大も声を張り上げつつ、自英学院の選手の様子を窺っていた。当然だが、バントが失敗すれば一気に追い込まれるのは大林高校の方だ。細心の注意を払い、試合の様子を見守っていた。

 そして森山は小さく息を吐き、投球動作に入った。ノーワインドアップのフォームから、左足を上げる。彼が右腕を振るおうとしたまさにその時、雄介がバントの構えに切り替えた。

「「なっ……!!」」

 流石にこの局面でのセーフティバントは予想していなかったのか、内野手が慌てて前進してくる。しかし、芦田の見立て通り、三塁手の岡田が僅かに出遅れていた。森山は構わずストレートを投じる。雄介は落ち着いてボールを見て、強めに三塁側に転がした。

「さ、サード!!」

 さしもの健二も動転しており、目を丸くして指示を出していた。雄介は快足を飛ばし、一目散に一塁へと駆けている。岡田はなんとか打球を拾い上げたが、慌ててしまった。無理やり一塁に送球した結果、大きく逸れてしまったのだ。ベースカバーに入った二塁手が飛び上がったが、捕球できない。ボールはそのままファウルグラウンドを転々としていった。

「回れ雄介ー!!」

 雄大の叫び声を聞き、雄介は一気に二塁を目指した。バックアップの右翼手がボールを拾い上げ、二塁に送球する。ベースカバーの遊撃手が捕球するのと同時に、雄介も頭から滑り込んだ。タイミングは際どかったが、間もなく審判が両手を広げた。

「セーフ!!」

「よっしゃー!!」

「ナイスラン雄介ー!!」

 雄介のセーフティバントが見事に自英学院の不意を突き、一死二塁のチャンスとなった。スタジアム全体から大歓声が起こり、大林高校の逆転に向けたムードを作り出している。

「いいぞ大林ー!!」

「このまま逆転してやれー!!」

 グラウンドを包む異様な雰囲気に、自英学院もたまらずタイムを取った。伝令を送り、内野陣に指示を出している。次の打者は二番の青野だが、雄大は自らベンチを出て彼に助言を送った。

「おい青野、分かってるよな」

「そりゃ、もちろん」

「そうじゃない。普段バントばっかのお前に、このチャンスで回ってきたんだぞ」

「えっ?」

「お前が決めろってメッセージだよ。さっきもヒット打ってるんだし、自信もっていけよ!」

 そう言うと、雄大はバシンと背中を叩いた。タイムが終わり、自英学院の内野手が各守備位置に散って行く。青野はコクリと頷き、打席に向かって歩き出した。

「バッターは、二番、セカンド、青野くん」

「お前が決めろよー!!」

「打て青野ー!!」

 応援席からはタイムリーを期待する声が聞こえてくる。健二は立ち上がり、外野に前進守備を指示していた。青野は七回にレフト前ヒットを放っており、バッテリーもかなり警戒していた。

(外野の頭を越されるのだけは避けたいはずだ。直球勝負で来るな)

 青野はバットを構えると、バッテリーの配球を読んでいた。森山は健二のサインを見て、セットポジションに入る。二塁走者は俊足の雄介だ。当然、ノーマークには出来ない。森山はちらりと二塁を見て、再び前を向く。そして小さく足を上げると、第一球を投げた。

(来たっ、真っすぐ!!)

 それを見て、青野はスイングをかけた。しかし、彼の予想以上に森山の球が伸びていた。バットが空を切り、審判の右手が上がる。

「ストライク!!」

「ナイスボール森山ー!!」

「いいぞー!!」

 疲労がありつつも、森山は力のある剛速球を投げ続けている。この球を打ち返し、雄介を生還させることが出来るか。青野のバットに、スタジアム中の視線が集まっていた。

 二球目、森山は外のストレートを投じる。これは青野が冷静に見送り、ワンボールワンストライクとなった。

「見えてるぞ青野ー!!」

 打席に入る準備をしつつ、雄大もベンチで大声を張り上げた。青野は大きく深呼吸して、森山の方を見つめる。状況は一死二塁で、雄介を還せば甲子園への望みを繋ぐことができる。彼は三年間の思いを胸に、打席に入っていた。

(ここで打って、皆と甲子園に行きたい。すぐそばまで迫ってるんだ)

 森山は悠然とセットポジションに入り、二塁を見る。小さく足を上げ、テイクバックを取った。そして全力で、第三球を投じた。威力のある直球が、アウトコースに向かって突き進んでいく。

(真っすぐ!!)

 青野はバットを出し、思い切り流し打った。鋭い打球が右方向に飛んでいき、スタンドから歓声が巻き起こる。森山は目を見開き、後ろを振り向いた。

「セカン!!」

 しかし、二塁手の渡辺が打球に飛びついてしまった。雄介は既に三塁に到達しようとしており、彼は一塁に送球した。青野はヘッドスライディングを見せたものの、及ばずにアウトとなった。

「アウト!!」

「よっしゃー!!」

「あと一人だぞー!!」

 青野は一塁上で膝をついたままうなだれ、悔しそうに拳で地面を叩いた。一度はため息をついた部員たちも、その姿を見て前を向く。追い込まれたことは確かだが、それでもランナーは三塁に進んだのだ。

「無駄にするなよ、リョウー!!」

 雄大はリョウに向かって大声で叫んだ。同級生の青野が悔しがる姿を見て、彼の心にも燃えるものがあったのだ。リョウもそのことを理解し、無言で頷いた。そしてアナウンスが流れ、両校のベンチから声援が飛び交った。

「三番、ファースト、平塚くん」

「打てよリョウー!!」

「あと一つだぞ森山ー!!」

 自英学院にとっては、あとアウト一つで甲子園である。ベンチの選手たちは白い歯を見せ、今か今かと勝利の瞬間を待っていた。一方で、大林高校のナインも負けじと声を張り上げている。三塁ランナーを還せなければ、その時点で彼らの夏は終わってしまうのだ。

(先輩たちの夏を終わらせるわけにはいかない。俺が決めるんだ)

 リョウは一段と気合いの入った顔つきで、バットを構えた。いつも通りの所作を見せ、第一球を待っている。森山は気迫の籠った表情でマウンドに立っているが、その額には大粒の汗が浮かんでいた。剛腕とはいえ、彼も人の子である。甲子園を懸けたこのマウンドで、プレッシャーを感じないわけがなかった。

「狙っていけ、リョウー!!」

 雄大もネクストバッターズサークルから懸命に声援を送る。この瀬戸際においても、彼は焦りを見せていない。リョウならなんとか繋いでくれる、そう信じていたのだ。

 サイン交換を終え、森山はセットポジションに入る。三塁の雄介にちらりと視線を送り、再び前を向いた。健二は堂々と構え、勝負を決める覚悟を見せている。

 そして、森山が第一球を投じる。高めの直球だったが、リョウは思い切り踏み込んだ。彼はバットを振っていったが、ボールの下を叩いてしまった。甲高い音が響き、痛烈なファウルがバックネットに突き刺さった。

「ファウルボール!!」

「「おお~」」

 観客席がどよめき、スコアボードには「156」との表示がなされる。ここに来て、森山は完全にいつもの調子を取り戻していたのだ。

「ナイスボール森山ー!!」

「いいぞー!!」

 リョウは悔しそうにして、バットを軽く振っていた。雄大は口を一文字に結び、その様子をじっと眺めている。

(ほぼ真っすぐだっていうのに、打てる気がしない。――けど、打たないと)

 リョウはもう一度前を向き、マウンドに対した。続いて、森山は第二球を投じる。これは高めに浮いてしまい、ボールとなった。一球ごとに観客席がどよめき、緊迫した空気が作り上げられている。

「決めろよ森山ー!!」

「打てよリョウー!!」

 自英学院がこのまま甲子園を決めるのか、大林高校が希望を繋ぐか。リョウのバットに、両校の運命が託されていた。

 そして、森山は第三球を投じる。またも高めのストレートだったが、リョウはスイングをかけていった。しかし無情にもバットは空を切り、審判の右手が上がった。

「ストライク、ツー!!」

「よっしゃー!!」

「あと一球ー!!」

 これでワンボールツーストライクとなり、いよいよ大林高校は追い込まれた。リョウは思わず歯を食いしばり、悔しさを露わにしている。自英学院の応援席からは「あと一球」の声もこだましており、彼は崖っぷちに立たされていた。

「リョウ!!」

 その時、雄大が大声で叫んだ。リョウもはっとして、ネクストバッターズサークルの方を向く。すると、雄大は笑顔でこう言った。

「勝つぞ!!」

 その言葉に、リョウは強く頷いた。再びバットを強く握り、マウンドの方を向く。森山は大きく息を吐き、健二のサインを見ていた。そしてセットポジションに入り、カッと目を見開いた。

(来るな)

 それを見て、リョウは気合いを入れる。森山は小さく足を上げ、テイクバックを取った。そして右腕を振るい――四球目を解き放った。

(打つ!!)

 その球の軌道を見て、リョウは迷わず打ちにいく。しかし、本塁手前でボールは急激に軌道を変えた。リョウも合わせにいくが、及ばない。そして、彼のバットは空を切った――
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