切り札の男

古野ジョン

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第三部 怪物の夢

第五十一話 ピンチのあとに

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 八回裏、自英学院高校の攻撃。雄大は先頭の六番を三振に打ち取り、アウトを一つ取った。彼は健二の本塁打以外は全く出塁を許しておらず、自英学院の打線をほぼ完璧に封じ込めていた。

「悠北を完封しただけはあるな」

「このままこの回も抑えれば、九回表は面白いぞ」

 スタンドでは、観客たちも雄大のピッチングに期待を寄せている。しかし――森山と同じく、雄大も連投の疲労を隠せなくなっていた。

「七番、ショート、栗崎くん」

「栗崎出ろよー!!」

「追加点取ろうぜー!!」

 栗崎が右打席に入り、雄大も足でガツガツとマウンドをならしていた。状況は一死走者なし。栗崎はバットを構え、マウンドに対した。雄大は少し息を切らし、芦田のサインを見つめている。

(初球、まずは外にストレートだ)

 芦田は直球を要求して、外角に構えた。雄大もそれに頷き、大きく振りかぶる。そして大きく足を上げ、第一球を投じた。ボールは芦田の構えよりやや甘く、真ん中寄りに入っていく。

(甘いッ!!)

 そう思った芦田はミットを動かしたが、彼の目前にバットが現れた。栗崎はコンパクトに振り抜き、そのままセンター前に弾き返してみせた。

「よっしゃー!!」

「ナイバッチ栗崎ー!!」

「よく出たぞー!!」

 久しぶりのランナーに、自英学院のベンチも大きく盛り上がる。芦田はタイムを取ってマウンドに向かい、雄大と話をしていた。二人はここからの配球について話し合っている。間もなくタイムが終わり、場内アナウンスが流れた。

「八番、レフト、寺田くん」

「狙っていけ寺田ー!!」

「打てるぞー!!」

 寺田は左打席に入り、バットで本塁を軽く叩いている。一塁走者の栗崎は俊足であり、バッテリーにとっては嫌な場面になった。雄大は何球か一塁に牽制球を送り、盗塁を警戒している。

(走ってきてもおかしくないが、初球だしな。今のうちに縦スライダーを見せておきたい)

 芦田は縦スライダーを要求し、低めに構えた。雄大もそのサインに頷き、セットポジションに入る。そして小さく息を吐くと、足を上げた。しかし次の瞬間、リョウが大声で叫んだ。

「走った!!」

 栗崎が思い切ってスタートを切ったのだ。雄大は構わず投球し、白球が本塁に向かって突き進んでいく。寺田は打ちにいくが、ボールは急激に軌道を変えた。バットが空を切り、ボールは地面に突き刺さるようにワンバウンドする。

「くっ……!」

 芦田は止めるのが精いっぱいで、二塁には投げられない。これで一死二塁となり、大林高校にとってはピンチが広がることになった。自英学院の応援席は一気に盛り上がりを見せ、得点を期待する声であふれている。

「まな先輩、ここは」

「もちろん前進守備だよ。向こうに追加点が入ればその時点でおしまいだからね」

 外野陣は前に出てきて、バックホームに備えていた。カウントはワンストライクとなり、雄大も必死に直球を投げ込んでいく。しかしここにきて制球が定まらなくなり、結局フォアボールとなった。

「ボール、フォア!!」

「ナイスセン寺田ー!!」

「いいぞー!!」

 自英学院のベンチがますます活気づく中、九番の高崎が右打席に入った。状況は一死一二塁であり、依然としてピンチである。外野陣は引き続き前進守備を敷いており、内野陣はゲッツーシフトに変わっていた。

「打たせて来いよー!!」

「ひとつずつひとつずつー!!」

 ナインも必死に声を張り上げ、雄大を励ましている。このまま一点差を維持して九回に望みを繋ぐか、それとも追加点を許すのか。大林高校と自英学院高校の決勝戦は、大きな山場を迎えていた。

 雄大は芦田のサインを見て、セットポジションに入る。そして小さく足を上げ、第一球を投じた。白球が外角に向かって突き進み、本塁手前で小さく変化する。高崎もスイングをかけていったが、空振りした。

「ストライク!」

「ナイスボール!」

 芦田は力強く声を掛けていた。初球、雄大はカットボールでまず一つカウントを取った。彼は落ち着いたマウンド捌きを見せ、ふうと息を吐く。疲労があるとはいえ、シニア時代に全国大会を戦ったその経験値は伊達ではなかった。

「いいぞ久保ー!」

「落ち着いていけー!!」

 応援団からの声援を背に、雄大はサインを見る。首を縦に振ると、セットポジションを取った。そして足を上げると、第二球を投じた。初球と似たような軌道で、ストレートが突き進んでいく。高崎は強引にバットを振り抜き、無理やり三塁側に打ち返してみせた。

「サード!!」

 打球は高く跳ね上がり、三塁線近くを進んでいく。森下は猛ダッシュを見せて、打球を拾い上げた。なんとか一塁に送球したものの、間に合わない。これで内野安打となり、一死満塁と変わった。

「よっしゃー!!」

「いいぞ高崎ー!!」

 高崎は塁上でほっとした表情を見せている。一方で、打ち取ってはいたものの安打を打たれた格好となり、雄大は表情を険しくしていた。球場中の雰囲気が一気に自英学院寄りに変わっており、まなはタイムを取って伝令を送った。内野陣がマウンドに集まり、岩川がグラウンドに向かって走っていく。

「お疲れさまです、皆さん」

「おう岩川、まなはなんて言ってる?」

「もちろん内野は前進守備です。何が何でも追加点は阻止しろと」

「そうか」

 その言葉を聞き、雄大は一旦目を閉じた。どうしたのかと心配して、芦田が声を掛ける。

「久保、大丈夫か?」

「……なあ芦田、『ピンチのあとにはチャンスあり』って迷信だと思うか?」

「え?」

「俺は迷信だとは思わない。ここを抑えれば甲子園に行ける、そんな気がするんだよ」

 雄大は目を開け、ニヤリと笑みを浮かべた。周囲は一瞬戸惑ったが、間もなく表情が明るくなった。芦田も自信に満ちた顔になり、雄大に答えた。

「お前の言う通りだ! ここを抑えて、必ず点を取ろう」

「それだけ伝えたかったんだ。じゃあ皆、行こう!!」

「「おうっ!!」」

 大きな声を上げ、皆が各ポジションに散っていった。大林高校の応援団は拍手を送り、選手たちの背中を押している。間もなく、ネクストバッターズサークルから次の打者が歩き出した。

「バッターは、一番、ライト、島田くん」

「決めろよ島田ー!」

「打っていこうぜー!!」

 外野フライ、ゲッツー崩れ、スクイズ、あらゆる形で得点が入るこの場面。しかし雄大は前を向き、冷静に芦田のサインを見つめていた。

(まだ久保の真っすぐに力はある。インハイで空振りか内野フライを狙いたい)

 初球、芦田はインハイに構えた。雄大もそのサインに頷き、セットポジションに入る。島田は気合いのこもった顔つきでマウンドを見つめている。雄大は小さく足を上げると、第一球を投じた。

「うおらっ!!」

 彼は投げる瞬間に思わず声を漏らし、全力で右腕を振るった。島田も打ちにいくが、雄大の剛速球に対応しきれない。彼は振り遅れてしまい、キンという鈍い音が響いた。浅めの外野フライが、右方向に舞い上がる。

「ライトー!!」

 芦田が指示を飛ばすと、雄介はゆっくりと前進してきた。栗崎は三塁につき、タッチアップの構え。雄大は本塁の後ろにまわり、バックホームに備えている。間もなく打球が落下してきて、雄介が助走をつけて捕球した。

「おらッ!!」

 雄介は勢いのまま、本塁へ送球した。低い球筋のレーザービームに、観客席が一斉にどよめく。栗崎はスタートの仕草だけ見せたが、三塁へと戻っていった。

「オッケー!」

「ツーアウトツーアウトー!!」

 これで二死満塁となり、雄大は周囲とアウトカウントを確かめ合っていた。大林高校の応援席からもぱちぱちと拍手が巻き起こる。間もなく、アナウンスが流れた。

「二番、セカンド、渡辺くん」

 渡辺は右打席に入ると、バットを短く持ち替えた。もちろん、雄大の速球に対応するためだ。それを見て、芦田はカットボールを要求した。

(当てに来るならカットボールでゴロを打たせる。久保、思い切り投げ込めよ)

 芦田は右手を振る素振りを見せて、「思い切り来い」とのメッセージを発した。雄大は不敵な笑みを浮かべ、セットポジションに入る。各塁のランナーに視線を送ったあと、第一球を投じた。芦田の要求通りに白球が外角へ向かって突き進む。渡辺は積極的にスイングをかけていったが、バットの先っぽに当たり、打球は一塁線を切れていくファウルボールとなった。

「ファウルボール!!」

「ナイスボール久保ー!!」

「押してるぞー!!」

 切れのいいカットボールを見て、渡辺は思わず顔をしかめた。雄大は二球目にもカットボールを投じたが、渡辺はカットするのが精いっぱいだった。カウントはノーボールツーストライクとなる。

「よっしゃー!!」

「追い込んでるぞー!!」

 大林高校の内野陣が元気よく声を張り上げており、渡辺はやや気圧されている。雄大は三球目にシュートを投じたが、これは渡辺が見逃してボールとなった。

「よく見ていけよ渡辺ー!!」

「しっかりなー!!」

 自英学院も追加点を取ろうと必死である。剛腕投手か、強豪校の意地か。両者のプライドがぶつかり合い、激しく火花が飛び散っていた。

「決めてよ、雄大ー!!」

 まなもベンチから大声を張り上げている。八回裏、大林高校は一点ビハインドで自英学院を追っている。この点差を維持して九回表に繋げられるか、雄大の右腕に託されていた。彼は芦田のサインを見て、こくりと頷く。

(決めてやるよ、まな)

 雄大は心の中でまなに誓うと、小さく足を上げた。テイクバックを取り、右腕を始動させる。彼は全力をもって、第四球を投じた。

「うおらっ!!」

 彼の漏らした声が、グラウンドに響き渡る。火の出るような直球が、まるで瞬間移動するかのように渡辺の眼前に現れた。

「ッ!」

 彼はバットを出したが、とても間に合わない。「着払い」のような格好になり、空振りしてしまった。スコアボードに「157」の数字が表示され、雄大は雄叫びを上げた。

「ストライク! バッターアウト!!」

「うぉっしゃあああ!!」

 鬼気迫るガッツポーズを見せ、彼はベンチへと下がっていく。観客たちはその姿に圧倒され、言葉を発することすら出来なかった。ベンチ前で投球練習をしていた森山はグラブを着け、マウンドへと歩き出す。

(決着をつけるときだな、久保)

 彼は一段と引き締まった表情で、応援団の拍手を浴びていた。大林高校と自英学院高校の決勝戦は、いよいよ九回へと突入していく。雄大たちはここで夏を終えるのか、それとも甲子園への望みを繋ぐのか。その答えは、神のみぞ知る――
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