切り札の男

古野ジョン

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第三部 怪物の夢

第四十六話 覚醒の系譜

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 打球がライトスタンドに吸い込まれた瞬間、雄大は思わず膝に手をついた。自英学院の応援席からは大歓声が巻き起こり、健二に向かって拍手が送られている。大林高校のナインは呆然と立ち尽くし、ショックを隠せていなかった。

(アイツ、どうやって久保の真っすぐを……)

 芦田も驚きのあまり目を丸くしている。前の打者二人が全く速球を捉えられていなかったのに、健二は完璧にインハイの速球を打ち砕いてみせたのだ。エースの被弾という出来事でナインに動揺が広がっていたその時、ベンチから大きな声が響いた。

「雄大!!」

 声の主は、まなだった。落ち込んでいた雄大も驚き、彼女の方を振り向く。

「あと一点でも取られたら許さないからねー!!」

 まなは大きな声で叫び、笑みを浮かべて頷いた。過ぎたことを後悔しても仕方ない、次の打者を抑えていこう。そう伝えるための、彼女なりのエールだった。

「そうだ、頑張れ久保ー!」

「負けんなー!!」

 すると、それに呼応するかのように大林高校の応援席からも声援が飛び始めた。スタンド全体が雄大を励ますかのように、拍手が巻き起こる。スタンドでは、岩沢と神林が二年前を懐かしんでいた。

「神林先輩、竜司さんが打たれたときもこんなことありませんでしたか?」

「あったなあ。あの時も滝川が大声で励ましたんだよ」

「ひょっとして、竜司さんみたいに――アイツも覚醒したりして」

 岩沢はニヤリと笑みを浮かべ、雄大の方を見つめた。二年前の試合、竜司は本塁打を打たれたあとに一気にギアを上げた。その後はどの打者も寄せ付けず、圧巻のピッチングで最後まで投げ抜いたのだった。

(そうだよな、がっかりしてる場合じゃないよな)

 雄大は大きく深呼吸をすると、気持ちを入れ替えた。俯くのをやめ、彼は前を向く。アナウンスが流れ、森山が打席に向かった。

「五番、レフト、森山くん」

「追加点取ろうぜ森山ー!」

「続けよー!」

 森山はバットを強く握ると、マウンドの方をぎろりとにらんだ。雄大の登板を心待ちにしていた彼にとって、この打席に懸ける思いは大きい。絶対に打ってやろうという気概で、彼は打席に立っていた。

(お前には悪いが、ここで畳みかけさせてもらう)

 一方で、雄大は落ち着いた表情を見せていた。まるで本塁打がなかったかのように、割り切った雰囲気で芦田のサインを見ている。そして、彼は大きく振りかぶって――第一球を投じた。白球があっという間にミットに吸い込まれ、森山は思わずのけぞってしまう。

「ストライク!!」

「なんだ今の球!?」

「さっきと全然違うぞ」

 スコアボードには「157」の数字が表示され、観客たちがどよめいた。そう、雄大はいきなり自己最速のストレートを投じてみせたのである。森山は唖然として、雄大の方を向いた。

(お前、健二には全力じゃなかったのか)

 明らかにギアが上がったことを感じ取り、森山は表情を険しくした。続いて、雄大は第二球を投じる。これも高めのストレートだったが、森山は全く捉えることが出来ない。これでツーストライクとなった。

「久保先輩、立ち直りましたね」

「それどころか、一気にトップギアだよ」

 マネージャー二人も、雄大の変化に気づいていた。まなはマウンドを見て頷き、ここからの彼の好投を確信している。雄大は芦田のサインに頷き、投球動作に入った。森山は何とか食らいついていこうと、鋭い目つきで前を見据えている。しかし、雄大が外角にカットボールを投じ――彼のバットは空を切った。

「ストライク! バッターアウト!!」

「っしゃあ!!」

 次の瞬間、雄大は雄叫びを上げてマウンドを降りた。森山は呆然として、自分のバットを見つめている。ベンチでは、レイとまなが笑顔で出迎えた。

「ナイスピッチです、久保先輩!」

「ナイスピー雄大!!」

「ホームラン打たれてナイスはないだろう、ハハハ」

 雄大は笑いながら、二人に応えていた。一時は意気消沈していたナインも、今や明るい顔つきでベンチへと戻ってきている。一方で、森山は悔しそうに健二と会話を交わした。

「お前、どうやって久保からホームラン打ったんだ?」

「別に、ヤマを張っただけですよ。あのバッテリーはインハイが多いので、いちにのさんで振りました」

「だからって、よく振り遅れなかったな」

「それより、森山先輩は心の準備をしておいてください」

「どういうことだ?」

「今の回で――向こうはむしろ勢いづきましたから」

 健二はそう言うと、防具をつけてグラウンドに出て行った。先制点を挙げたにも関わらず、健二は油断していない。むしろ、森山の打席で雄大が見せた投球に危機感を覚えていたのだ。そして――彼の予感は、現実のものとなる。

 五回表、大林高校の攻撃。先頭の森下がヒットで出塁すると、九番の潮田がきっちりと送りバントを決めた。雄介は内野フライに倒れて二死二塁となったものの、二番の青野が松下に対して粘りを見せている。

「ファウルボール!!」

「合ってるぞ青野ー!」

「粘っていけー!」

 また青野がカットして、球場が大いに盛り上がっていた。カウントはツーボールツーストライクだが、そこからなかなか松下が決めきれていない。

(健二の言う通り、本当に出番が来るかもしれんな)

 レフトの森山は肩を回し、登板に向けて準備を始めていた。松下は第七球にチェンジアップを投じたが、これも青野がファウルにしてしまう。

「いいぞー!」

「押してるぞ青野ー!」

 青野は真剣な顔つきでマウンドを見据え、バットを強く握っている。松下は息を切らして苦しそうにしており、その表情に余裕はない。彼は第八球に真っすぐを投じたが、青野は左方向に弾き返してみせた。

「ショート!!」

 健二の指示で、遊撃手の栗崎が三遊間の深くまで追っていく。彼はなんとか捕球するが、どこにも投げられない。これで二死一三塁となり、チャンスが広がった。

「まな先輩、ホームラン打たれてから試合が動き始めましたね」

「先制されたのは痛かったけど、こっちのほうが好都合かも」

 マネージャーの二人も、今の試合展開に良い感触を抱いていた。グラウンドでは、健二が立ち上がって野手陣に守備隊形を指示している。間もなく、リョウがネクストバッターズサークルから歩き出した。

「三番、ファースト、平塚くん」

「打てよリョウー!」

「同点にしようぜー!」

 リョウは気合いの入った表情で、左打席に入る。一方の松下は肩で息をしており、限界が近い。彼はまだ無失点だが、この暑さと決勝特有のプレッシャーもあり、かなり体力を消耗していたのだ。自英学院のベンチも慌ただしくなっている。

(そろそろ向こうに動きがありそうだな。久保先輩のためにも、この回で点を返しておきたい)

 打席のリョウは、なんとしても同点をという気持ちでバットを構えた。森下と青野は塁上からマウンドに圧力をかけている。松下は何球か一塁に牽制球を送るなどして、かなり警戒する素振りを見せていた。

「松下、バッター集中だぞー!」

「落ち着いていけー!」

 自英学院の内野陣も必死の声掛けをしていたが、なかなか松下の制球が定まらない。リョウに対して、スリーボールワンストライクとなった。

「よく見ていけよ、リョウー!」

 ネクストバッターズサークルから、雄大が大声で叫ぶ。彼は点を取られたことに対し、責任感を覚えていたのだ。なんとか、自分のバットで試合を振り出しに戻したい。そんな思いだった。

 松下は第五球にストレートを投じたが、アウトコースに大きく外れてボールとなった。これで四球となり、リョウが一塁に向かって歩き出す。

「ボール、フォア!」

「ナイスセンー!」

「よく見たぞー!」

 リョウはネクストバッターズサークルに向かって左の拳を突き出し、小走りで一塁に向かう。雄大は頷いてそれに応え、ゆっくりと歩き出した。これで二死満塁となり、大林高校にとっては千載一遇のチャンスである。しかし次の瞬間、自英学院のベンチに動きがあった。選手交代が告げられ、森山がマウンドに向かって走り出す。

「自英学院高校、選手の交代をお知らせします。松下くんに代わって八番に寺田くんが入り、レフト。そして――」

「レフトの森山くんが、ピッチャー。以上に代わります」

 その名が告げられると、球場中が一気にどよめいた。雄大は厳しい表情で、森山の方を見つめている。大林高校のベンチも、固唾を飲んでグラウンドの方を見ていた。

 ついに相まみえた、二人の剛腕。大林高校と自英学院高校の決勝戦は、ここから一気に激しさを増していった――
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