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第三部 怪物の夢
第十八話 投手戦
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試合は四回表、大林高校の攻撃へと突入していく。三番のリョウからの攻撃だったが、彼はサードフライに打ち取られてしまい、ワンアウトとなった。一死走者なしとなり、打席に雄大が向かっていく。
「四番、ピッチャー、久保雄大くん」
「久保頼むぞー!!」
「先制してくれー!!」
無得点であることもあり、観客たちは雄大に大きな期待を寄せていた。たとえランナーがいなくとも、本塁打が出ればたちまち先制となる。当然森も長打を警戒し、外野手に後退するよう指示を出していた。
「内海、楽にいけよ!」
野村は三塁からマウンドに向かって声を掛けていた。雄大は打席に入ると、内海の配球について考えを巡らせていた。
(やっぱり左打者は外角についていけてない。まなの指示とは違うが、インコースの見せ球を強引に狙うか)
彼はインコースに狙いを絞り、バットを強く握った。内海は長打を警戒し、低めを丁寧に攻めていく。雄大はなかなかバットを振らず、冷静に見極めていた。カウントはツーボールツーストライクとなったが、ここまで全てアウトコースの球であった。雄大は次の球を読みながら、バットを構えた。
(そろそろインコースに来るかもしれん。絶対に打つ)
彼の読み通り、森はインコースに構えた。内海は投球動作に入り、足を上げる。そのまま、第五球を投じた。指から放たれた白球が、雄大の身体目掛けて飛んでいく。
(当たる!!)
彼はなんとか避けようとしたが、その動きを止めた。彼の目に、白球が軌道を変えようとしているのが見えたのだ。そう、内海はインコースにスライダーを投じていたのだ。
(違う、フロントドアだっ!)
雄大は素早く反応し、バットを出していく。肘をうまく抜くと、そのまま振り抜いてみせた。金属音が響き渡り、打球が右方向へと飛んでいく。
「セカン!!」
森が指示を飛ばしたが、打球はそのままライト前へと抜けていった。雄大は一塁に到達し、これでヒットとなった。
「ナイバッチー!!」
「いいぞ久保ー!!」
塁上でガッツポーズを見せる雄大とは対照的に、バッテリーは目を丸くして驚いていた。今日初めて投じた、左打者のインコースへのスライダー。雄大はそれをものともせずに打ち返してみせたのだ。森と内海にとって、予想外の出来事だった。
「五番、キャッチャー、芦田くん」
「打てよ芦田ー!!」
「決めろー!!」
ここで、打席に右打者の芦田が入る。まなが言っていた通り、この試合で内海を攻略する鍵は右打者にある。芦田が彼に対してどう立ち向かうか、皆の注目が集まっていた。
(狙うは内寄りの変化球。初球から狙っていくしかない)
芦田はまなの指示通り、インコースに入ってくる変化球を狙っていた。内海はサインを交換して、セットポジションに入る。応援席ではブラスバンドが元気よく演奏して、芦田の背中を後押ししていた。
「「かっとばせー、あしだー!!」」
大声援がこだまする中、内海は第一球を投じた。アウトコースへのストレートだったが、芦田は見逃した。審判の右手が上がり、今度は悠北の応援席が盛り上がる。
「ストライク!!」
「ナイスボール!!」
「頑張れ内海ー!!」
森からの返球を受け取ると、内海は少し間を置いた。その間に、芦田は軽く素振りをしてスイングを調整している。
(追い込まれるまでは耐えるしかない。とにかく、内の変化球だ)
芦田は考えを整理すると、打席で構えた。内海もサイン交換を終え、セットポジションに入る。小さく足を上げると、第二球を投じた。ボールはインコースに向かって進んでいき、徐々に軌道を変化させていく。
(来たっ、スライダー!)
待ってましたとばかりに、芦田はスイングを開始した。そのまま金属音が響き渡り、観客が一瞬沸き上がる。しかし芦田の予想以上に低めに制球されていたため、打球が上がらなかった。当たりこそ良かったものの、打球は遊撃手の正面へと飛んでいく。
「ショート!!」
森が指示を飛ばすと、遊撃手が捕球して素早く二塁へと送球した。二塁手はベースを踏んでしっかりと一塁へと送球し、併殺を完成させてしまった。これでスリーアウトとなり、芦田は悔しそうに天を仰いだ。
「ナイスショート!!」
「いいぞ内海ー!!」
悠北のベンチが盛り上がっている一方で、雄大は小走りでベンチへと戻っていった。彼はまなのところに向かい、作戦面について意見を述べていた。
「まな、狙い球を変えないか?」
「どういうこと?」
「右も左も変化球狙いだけど、うまくかわされてるだろ?」
雄大がそう言うと、まなは少し考えを巡らせていた。しかし首を横に振ると、こんな返事をした。
「今は耐えるときだよ。徹底して変化球を狙えば、必ず勝機は見えてくる」
「そ、そうなのか?」
「ほら、雄大は早くマウンド行くの!!」
どうにも納得できないまま、雄大はマウンドへと走って行った。試合は四回裏へと進んでいく。この回の先頭は二番の右打者だったが、雄大はシュートを詰まらせてサードゴロに打ち取った。打席には、三番の尾田が入る。
「三番、ライト、尾田くん」
「もう一本頼むぞー!!」
「打てよー!!」
尾田は第一打席でライト前ヒットを放っている。俊足も兼ね備える彼の出塁を許せば、先制点を許しかねない。芦田は様子を窺いながら、慎重に配球を組み立てていた。
(さっきは内角の真っすぐを打たれてる。それを利用したい)
芦田は初球にシュートを要求した。雄大もそれに同意し、大きく振りかぶって初球を投じた。尾田はスイングをかけていったが空振りし、まずノーボールワンストライクとなった。
「オッケー、ナイスボール!」
声を掛けながら芦田が返球すると、雄大も頷いた。シュートは、左打者の尾田からすれば逃げる軌道を描く。バッテリーには、尾田に対して外角の球を印象付ける狙いがあった。
雄大は二球目、三球目と外角のストレートを投じた。尾田は両方とも見逃し、カウントがツーボールワンストライクとなった。
(尾田は狙い球を絞ってくるはず。久保、これで勝負だ)
芦田は内角のカットボールを要求した。雄大も頷き、投球動作に入る。大きく振りかぶると、第四球を投じた。白球がインコースに向かうのを見て、尾田がバットを始動させる。しかし、本塁手前で僅かにボールが内側へと食い込んだ。
「くっ……!」
直球だと思い込んでいた尾田は思わず声を漏らし、なんとかバットの根元で弾き返した。打球はボテボテのゴロとなり、一塁方向へと転がっていく。リョウはそれを拾い上げると、自ら一塁ベースを踏んだ。これでツーアウトだ。
「ツーアウトツーアウトー!!」
「ナイスピー!!」
雄大は内野陣とアウトカウントを確かめ合っていた。しかし、それを終えると表情を引き締め、打席の方に向き直った。というのも、次の打者は――野村である。
「四番、サード、野村くん」
「かっとばせよー!!」
「ホームラン打てー!!」
四番の登場に、悠北高校の応援団が沸いていた。二死走者無しとはいえ、一発がある打者である。第一打席でもセンターに大飛球を打ち上げており、バッテリーはかなり警戒していた。
(初球、インハイにストレート)
芦田は直球を要求し、インハイのボールゾーンに構えた。雄大はふうと大きく息を吐き、右腕の力を抜く。そこから大きく振りかぶり、全力で右腕を振るった。白球が唸りを上げ、本塁へと向かっていく。
野村は迷わず、バットを出していった。その目でしっかりとボールを捉えており、タイミングはばっちり合っていたが、彼の予想以上に雄大の直球が伸びていた。バットがボールの下を通過すると、ブンという風切り音が鳴り、観客がどよめいた。
「ストライク!!」
「「おお~」」
雄大の剛速球と、目にも止まらぬ野村のスイング。高校レベルを凌駕した戦いが繰り広げられており、観客たちは心を奪われるばかりだった。
(とんでもないスイングだな。初見でカットボールを外野に運ぶだけはある)
雄大もそのスイングを見て、野村の実力を再認識していた。続いて、彼は第二球にも内角の直球を投じたものの、これは野村がファウルにしてしまった。そして、雄大は第三球にインコースのボール球を投げる。野村はバットを出しかけたものの、しっかりと見逃した。これでワンボールツーストライクとなった。
(散々内角の球を見せたんだし、これで勝負だ)
芦田はカットボールのサインを出し、外角に構えた。雄大も同意し、握りを変える。内角を印象付けて、最後に外角のカットボールで打ち取るという、セオリー通りの配球だった。
雄大は大きく振りかぶり、第四球を投じた。芦田の要求通り、カットボールが外角のコースへと向かう。ところが、野村は思い切り左足を踏み込んできた。そのままバットを振り抜くと、鋭い打球が右方向へと飛んでいった。
「セカン!!」
芦田が指示を飛ばして二塁手の青野がジャンプしたが、打球はその頭上を通過していった。そのまま右中間を破り、野村は一気に二塁へと進んだ。
「ナイバッチ野村ー!!」
「いいぞー!!」
塁上で笑顔を見せる野村に対し、雄大の表情は冴えなかった。第一打席では捉えられなかったカットボールを、次の打席で捉えてみせる修正力。野村が悠北の四番に君臨している所以だった。
(今のは力負けだ、くそ)
雄大は悔し気な素振りを見せながら、ふうと息をついた。これで状況は二死二塁となり、彼はこの試合で初めて得点圏にランナーを背負うこととなった。
「久保先輩、大丈夫でしょうか」
「次は森くんだもんねえ」
ベンチでは、マネージャー二人が心配そうに雄大を見つめていた。続いて、五番の森が左打席へと向かっていく。彼はチャンスに強く、尾田と野村が残したランナーを帰す役割を果たしていた。
(先制点だけはやれん)
雄大は気合いを入れ直し、マウンドで深呼吸した。悠北の応援団からは、先制点を期待して大声援が響いている。スタジアム全体が悠北寄りの雰囲気になっているが、雄大は気にする素振りを見せず、集中することが出来ている。
「雄大ー、落ち着いてー!!」
ベンチからは、まなが大声を張り上げている。雄大はセットポジションに入り、二塁の野村をちらりと見た。そして小さく足を上げ、第一球を投じた。直球が唸りを上げて、アウトローへと向かっていく。そのままドンという捕球音が響き、審判が右手を突き上げた。
「ストライク!!」
「えっ」
森はバットが出せず、目を丸くしていた。さっきの打席とは明らかに違う、雄大の投球。観客席もどよめいているが、雄大は飄々と振舞っていた。
(雄大、明らかにギアが上がった)
ベンチにいるまなも、彼の様子が明らかに変わったことに気づいた。野村にカットボールを打たれたうえ、得点圏にランナーを背負うことになった。エースとしての本能が、顔を覗かせつつあったのだ。
続いて、雄大は第二球を投じる。今度はインハイの直球だったが、森は打ちにいった。しかし捉えきれずに空振りしてしまい、カウントがノーボールツーストライクとなった。
「いいぞ久保ー!!」
「ナイスピッチー!!」
大林高校の内野陣が雄大を盛り立てている一方で、二塁の野村は呆気に取られていた。さっきの打席は本気ではなかったのだということに気づき、自分と雄大の差に愕然としていたのだ。
(これが、本来の久保くん……)
その後、雄大は高めの釣り球を投じたが、なんとか森が見極めた。これでワンボールツーストライクとなったが、依然として投手有利のカウントである。雄大は芦田とサインを交換して、セットポジションに入った。
「「かっとばせー、もーりー!!」」
声援が飛び交っているが、それを受ける森の表情は厳しい。一方で、雄大は落ち着いてマウンドに立つことが出来ている。彼は小さく足を上げると、第四球を投じた。白球が、高めの軌道を描いて本塁へと突き進んでいく。
森はスイングを開始したが、途中でボールの軌道が変化した。地面に引き寄せられるように曲がっていき、バットの下を通過していく。そのまま芦田のミットに収まると、審判の右手が上がった。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「っしゃあ!!」
雄大は雄叫びを上げ、マウンドを降りた。ストレートでカウントを稼ぎ、最後に縦スライダーで仕留める。まさしく豪腕というピッチングで、彼はピンチを凌いでみせた。
「ナイスピー!!」
「いいぞ久保ー!!」
部員たちも雄大を讃え、彼とハイタッチを交わしていた。まながその様子を黙って見つめていると、ベンチに戻ってきた雄介が口を開いた。
「滝川先輩、どうしたんすか?」
「いや、なんていうか…… 雄大はすごいなって」
「というと?」
「力で悠北を抑えるなんて簡単に出来ることじゃない。なのに、雄大はいつも通りだから……」
雄介はそれを聞くと、笑い声を上げた。まながその意図を理解できず、彼に問いかけた。
「ちょ、ちょっと何がおかしいのよ」
「いやあ、先輩は兄貴のことを何も分かってないんだなあと思って」
「えっ、えっ?」
「先輩に『どうして自英学院の高等部に進学しなかったの?』って聞かれたことがあったっすよね?」
「たしか『こっちの方が甲子園に近いから』って言ってたよね? 雄大がいるからってこと?」
「そうっす」
「それがどうしたの?」
まながそう尋ねると、雄介は雄大の方を向いた。そして静かに、かつ誇らしげに、まなに対してこう告げたのだ。
「兄貴は、先輩が思っているより何倍もすごいピッチャーっすよ」
「甲子園に行けるくらい?」
「行くどころか――頂点に立てる投手っす」
甲子園の頂点に立つ。その意味を理解し、まなは震えが止まらなかった。
「四番、ピッチャー、久保雄大くん」
「久保頼むぞー!!」
「先制してくれー!!」
無得点であることもあり、観客たちは雄大に大きな期待を寄せていた。たとえランナーがいなくとも、本塁打が出ればたちまち先制となる。当然森も長打を警戒し、外野手に後退するよう指示を出していた。
「内海、楽にいけよ!」
野村は三塁からマウンドに向かって声を掛けていた。雄大は打席に入ると、内海の配球について考えを巡らせていた。
(やっぱり左打者は外角についていけてない。まなの指示とは違うが、インコースの見せ球を強引に狙うか)
彼はインコースに狙いを絞り、バットを強く握った。内海は長打を警戒し、低めを丁寧に攻めていく。雄大はなかなかバットを振らず、冷静に見極めていた。カウントはツーボールツーストライクとなったが、ここまで全てアウトコースの球であった。雄大は次の球を読みながら、バットを構えた。
(そろそろインコースに来るかもしれん。絶対に打つ)
彼の読み通り、森はインコースに構えた。内海は投球動作に入り、足を上げる。そのまま、第五球を投じた。指から放たれた白球が、雄大の身体目掛けて飛んでいく。
(当たる!!)
彼はなんとか避けようとしたが、その動きを止めた。彼の目に、白球が軌道を変えようとしているのが見えたのだ。そう、内海はインコースにスライダーを投じていたのだ。
(違う、フロントドアだっ!)
雄大は素早く反応し、バットを出していく。肘をうまく抜くと、そのまま振り抜いてみせた。金属音が響き渡り、打球が右方向へと飛んでいく。
「セカン!!」
森が指示を飛ばしたが、打球はそのままライト前へと抜けていった。雄大は一塁に到達し、これでヒットとなった。
「ナイバッチー!!」
「いいぞ久保ー!!」
塁上でガッツポーズを見せる雄大とは対照的に、バッテリーは目を丸くして驚いていた。今日初めて投じた、左打者のインコースへのスライダー。雄大はそれをものともせずに打ち返してみせたのだ。森と内海にとって、予想外の出来事だった。
「五番、キャッチャー、芦田くん」
「打てよ芦田ー!!」
「決めろー!!」
ここで、打席に右打者の芦田が入る。まなが言っていた通り、この試合で内海を攻略する鍵は右打者にある。芦田が彼に対してどう立ち向かうか、皆の注目が集まっていた。
(狙うは内寄りの変化球。初球から狙っていくしかない)
芦田はまなの指示通り、インコースに入ってくる変化球を狙っていた。内海はサインを交換して、セットポジションに入る。応援席ではブラスバンドが元気よく演奏して、芦田の背中を後押ししていた。
「「かっとばせー、あしだー!!」」
大声援がこだまする中、内海は第一球を投じた。アウトコースへのストレートだったが、芦田は見逃した。審判の右手が上がり、今度は悠北の応援席が盛り上がる。
「ストライク!!」
「ナイスボール!!」
「頑張れ内海ー!!」
森からの返球を受け取ると、内海は少し間を置いた。その間に、芦田は軽く素振りをしてスイングを調整している。
(追い込まれるまでは耐えるしかない。とにかく、内の変化球だ)
芦田は考えを整理すると、打席で構えた。内海もサイン交換を終え、セットポジションに入る。小さく足を上げると、第二球を投じた。ボールはインコースに向かって進んでいき、徐々に軌道を変化させていく。
(来たっ、スライダー!)
待ってましたとばかりに、芦田はスイングを開始した。そのまま金属音が響き渡り、観客が一瞬沸き上がる。しかし芦田の予想以上に低めに制球されていたため、打球が上がらなかった。当たりこそ良かったものの、打球は遊撃手の正面へと飛んでいく。
「ショート!!」
森が指示を飛ばすと、遊撃手が捕球して素早く二塁へと送球した。二塁手はベースを踏んでしっかりと一塁へと送球し、併殺を完成させてしまった。これでスリーアウトとなり、芦田は悔しそうに天を仰いだ。
「ナイスショート!!」
「いいぞ内海ー!!」
悠北のベンチが盛り上がっている一方で、雄大は小走りでベンチへと戻っていった。彼はまなのところに向かい、作戦面について意見を述べていた。
「まな、狙い球を変えないか?」
「どういうこと?」
「右も左も変化球狙いだけど、うまくかわされてるだろ?」
雄大がそう言うと、まなは少し考えを巡らせていた。しかし首を横に振ると、こんな返事をした。
「今は耐えるときだよ。徹底して変化球を狙えば、必ず勝機は見えてくる」
「そ、そうなのか?」
「ほら、雄大は早くマウンド行くの!!」
どうにも納得できないまま、雄大はマウンドへと走って行った。試合は四回裏へと進んでいく。この回の先頭は二番の右打者だったが、雄大はシュートを詰まらせてサードゴロに打ち取った。打席には、三番の尾田が入る。
「三番、ライト、尾田くん」
「もう一本頼むぞー!!」
「打てよー!!」
尾田は第一打席でライト前ヒットを放っている。俊足も兼ね備える彼の出塁を許せば、先制点を許しかねない。芦田は様子を窺いながら、慎重に配球を組み立てていた。
(さっきは内角の真っすぐを打たれてる。それを利用したい)
芦田は初球にシュートを要求した。雄大もそれに同意し、大きく振りかぶって初球を投じた。尾田はスイングをかけていったが空振りし、まずノーボールワンストライクとなった。
「オッケー、ナイスボール!」
声を掛けながら芦田が返球すると、雄大も頷いた。シュートは、左打者の尾田からすれば逃げる軌道を描く。バッテリーには、尾田に対して外角の球を印象付ける狙いがあった。
雄大は二球目、三球目と外角のストレートを投じた。尾田は両方とも見逃し、カウントがツーボールワンストライクとなった。
(尾田は狙い球を絞ってくるはず。久保、これで勝負だ)
芦田は内角のカットボールを要求した。雄大も頷き、投球動作に入る。大きく振りかぶると、第四球を投じた。白球がインコースに向かうのを見て、尾田がバットを始動させる。しかし、本塁手前で僅かにボールが内側へと食い込んだ。
「くっ……!」
直球だと思い込んでいた尾田は思わず声を漏らし、なんとかバットの根元で弾き返した。打球はボテボテのゴロとなり、一塁方向へと転がっていく。リョウはそれを拾い上げると、自ら一塁ベースを踏んだ。これでツーアウトだ。
「ツーアウトツーアウトー!!」
「ナイスピー!!」
雄大は内野陣とアウトカウントを確かめ合っていた。しかし、それを終えると表情を引き締め、打席の方に向き直った。というのも、次の打者は――野村である。
「四番、サード、野村くん」
「かっとばせよー!!」
「ホームラン打てー!!」
四番の登場に、悠北高校の応援団が沸いていた。二死走者無しとはいえ、一発がある打者である。第一打席でもセンターに大飛球を打ち上げており、バッテリーはかなり警戒していた。
(初球、インハイにストレート)
芦田は直球を要求し、インハイのボールゾーンに構えた。雄大はふうと大きく息を吐き、右腕の力を抜く。そこから大きく振りかぶり、全力で右腕を振るった。白球が唸りを上げ、本塁へと向かっていく。
野村は迷わず、バットを出していった。その目でしっかりとボールを捉えており、タイミングはばっちり合っていたが、彼の予想以上に雄大の直球が伸びていた。バットがボールの下を通過すると、ブンという風切り音が鳴り、観客がどよめいた。
「ストライク!!」
「「おお~」」
雄大の剛速球と、目にも止まらぬ野村のスイング。高校レベルを凌駕した戦いが繰り広げられており、観客たちは心を奪われるばかりだった。
(とんでもないスイングだな。初見でカットボールを外野に運ぶだけはある)
雄大もそのスイングを見て、野村の実力を再認識していた。続いて、彼は第二球にも内角の直球を投じたものの、これは野村がファウルにしてしまった。そして、雄大は第三球にインコースのボール球を投げる。野村はバットを出しかけたものの、しっかりと見逃した。これでワンボールツーストライクとなった。
(散々内角の球を見せたんだし、これで勝負だ)
芦田はカットボールのサインを出し、外角に構えた。雄大も同意し、握りを変える。内角を印象付けて、最後に外角のカットボールで打ち取るという、セオリー通りの配球だった。
雄大は大きく振りかぶり、第四球を投じた。芦田の要求通り、カットボールが外角のコースへと向かう。ところが、野村は思い切り左足を踏み込んできた。そのままバットを振り抜くと、鋭い打球が右方向へと飛んでいった。
「セカン!!」
芦田が指示を飛ばして二塁手の青野がジャンプしたが、打球はその頭上を通過していった。そのまま右中間を破り、野村は一気に二塁へと進んだ。
「ナイバッチ野村ー!!」
「いいぞー!!」
塁上で笑顔を見せる野村に対し、雄大の表情は冴えなかった。第一打席では捉えられなかったカットボールを、次の打席で捉えてみせる修正力。野村が悠北の四番に君臨している所以だった。
(今のは力負けだ、くそ)
雄大は悔し気な素振りを見せながら、ふうと息をついた。これで状況は二死二塁となり、彼はこの試合で初めて得点圏にランナーを背負うこととなった。
「久保先輩、大丈夫でしょうか」
「次は森くんだもんねえ」
ベンチでは、マネージャー二人が心配そうに雄大を見つめていた。続いて、五番の森が左打席へと向かっていく。彼はチャンスに強く、尾田と野村が残したランナーを帰す役割を果たしていた。
(先制点だけはやれん)
雄大は気合いを入れ直し、マウンドで深呼吸した。悠北の応援団からは、先制点を期待して大声援が響いている。スタジアム全体が悠北寄りの雰囲気になっているが、雄大は気にする素振りを見せず、集中することが出来ている。
「雄大ー、落ち着いてー!!」
ベンチからは、まなが大声を張り上げている。雄大はセットポジションに入り、二塁の野村をちらりと見た。そして小さく足を上げ、第一球を投じた。直球が唸りを上げて、アウトローへと向かっていく。そのままドンという捕球音が響き、審判が右手を突き上げた。
「ストライク!!」
「えっ」
森はバットが出せず、目を丸くしていた。さっきの打席とは明らかに違う、雄大の投球。観客席もどよめいているが、雄大は飄々と振舞っていた。
(雄大、明らかにギアが上がった)
ベンチにいるまなも、彼の様子が明らかに変わったことに気づいた。野村にカットボールを打たれたうえ、得点圏にランナーを背負うことになった。エースとしての本能が、顔を覗かせつつあったのだ。
続いて、雄大は第二球を投じる。今度はインハイの直球だったが、森は打ちにいった。しかし捉えきれずに空振りしてしまい、カウントがノーボールツーストライクとなった。
「いいぞ久保ー!!」
「ナイスピッチー!!」
大林高校の内野陣が雄大を盛り立てている一方で、二塁の野村は呆気に取られていた。さっきの打席は本気ではなかったのだということに気づき、自分と雄大の差に愕然としていたのだ。
(これが、本来の久保くん……)
その後、雄大は高めの釣り球を投じたが、なんとか森が見極めた。これでワンボールツーストライクとなったが、依然として投手有利のカウントである。雄大は芦田とサインを交換して、セットポジションに入った。
「「かっとばせー、もーりー!!」」
声援が飛び交っているが、それを受ける森の表情は厳しい。一方で、雄大は落ち着いてマウンドに立つことが出来ている。彼は小さく足を上げると、第四球を投じた。白球が、高めの軌道を描いて本塁へと突き進んでいく。
森はスイングを開始したが、途中でボールの軌道が変化した。地面に引き寄せられるように曲がっていき、バットの下を通過していく。そのまま芦田のミットに収まると、審判の右手が上がった。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「っしゃあ!!」
雄大は雄叫びを上げ、マウンドを降りた。ストレートでカウントを稼ぎ、最後に縦スライダーで仕留める。まさしく豪腕というピッチングで、彼はピンチを凌いでみせた。
「ナイスピー!!」
「いいぞ久保ー!!」
部員たちも雄大を讃え、彼とハイタッチを交わしていた。まながその様子を黙って見つめていると、ベンチに戻ってきた雄介が口を開いた。
「滝川先輩、どうしたんすか?」
「いや、なんていうか…… 雄大はすごいなって」
「というと?」
「力で悠北を抑えるなんて簡単に出来ることじゃない。なのに、雄大はいつも通りだから……」
雄介はそれを聞くと、笑い声を上げた。まながその意図を理解できず、彼に問いかけた。
「ちょ、ちょっと何がおかしいのよ」
「いやあ、先輩は兄貴のことを何も分かってないんだなあと思って」
「えっ、えっ?」
「先輩に『どうして自英学院の高等部に進学しなかったの?』って聞かれたことがあったっすよね?」
「たしか『こっちの方が甲子園に近いから』って言ってたよね? 雄大がいるからってこと?」
「そうっす」
「それがどうしたの?」
まながそう尋ねると、雄介は雄大の方を向いた。そして静かに、かつ誇らしげに、まなに対してこう告げたのだ。
「兄貴は、先輩が思っているより何倍もすごいピッチャーっすよ」
「甲子園に行けるくらい?」
「行くどころか――頂点に立てる投手っす」
甲子園の頂点に立つ。その意味を理解し、まなは震えが止まらなかった。
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