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第三部 怪物の夢
第六話 投手の役割
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タイムを終え、マウンド上の雄大はふうと息をついた。打席には三番打者が入り、構えている。一塁を見れば、俊足の村上がいる。彼は大きくリードを取っており、盗塁を狙っていることは明らかだった。
(さっきの言葉、信じるから)
まなは直球のサインを出していた。動揺していた彼女だったが、雄大の言葉で落ち着きを取り戻しつつあったのだ。
「打てよー!!」
「頼むぜー!!」
木島工業のベンチからは、打者を応援する声が飛び交っている。雄大は気にせず、セットポジションに入った。そして走者を一度も見ず、小さく足を上げた。
「走った!!」
次の瞬間、リョウが大きな声で叫んだ。当然のごとく、村上が盗塁を仕掛けてきたのだ。彼はみるみる加速していき、全力で二塁を目指している。
「このっ……!」
ボールを捕ったまなは素早く送球体勢に入った。プレッシャーからか肩に力が入りすぎており、その動きはどこかぎこちない。そのまま強引に投げようとしたが、それを雄大が制した。
「投げるな!!」
「えっ!?」
その声を聞き、まなは動きを止めた。村上は余裕で二塁に滑り込み、セーフとなった。これで二死二塁となったが、雄大は表情を変えずに口を開いた。
「まな、打者勝負だ。俺に任せろ」
「う、うん」
まなは落ち着いて返球し、再びサインを出した。得点圏にランナーが進んだため、彼女は変化球で打ち気を逸らそうと考えていた。
(ここはシュートで、内角を意識させよう)
しかし、雄大はそのサインに首を振った。まなは縦スライダーのサインを出したが、雄大はこれにも頷かなかった。
(じゃあ、真っすぐ……?)
彼女が直球のサインを出すと、雄大は大きく頷いてセットポジションに入った。塁上の村上は再びリードを取ってバッテリーの気を引こうとしているが、雄大は一切気にせずにいる。そのまま足を上げ、第二球を投げようとする。すると、二塁手の青野が叫んだ。
「走った!!」
村上がスタートを切っていたのだ。しかし雄大は我関せずといった感じで、平然と右腕を振るう。すると、白球が唸りをあげて――外いっぱいのコースへと向かっていった。
「えっ」
次の瞬間、まなは小さく声を出した。まるで瞬間移動したかのように、ボールが目の前に現れたのだ。彼女がそのまま受け止めると、ドンという捕球音がグラウンドに響き渡った。あまりの衝撃に、彼女は送球体勢に入ることすら出来なかった。
「ストライク!!」
「いいぞ久保ー!!」
「ナイスボール!!」
その球を見て、大林高校の選手たちから大きな歓声が上がった。村上は三塁に到達していたが、もはや場内の誰もそんなことは気にしていなかった。
「なんだ、今の球……?」
「セットで投げてあれかよ」
木島工業の選手たちは、今の一球に理解が追い付いていなかった。打者を抑えれば問題ないとばかりに、雄大は剛速球を投げ込んだのだ。たったの一球で、彼は試合の雰囲気を大きく変えてしまった。
(今のを、もう一球)
まなが直球のサインを出すと、雄大は即座に頷いてセットポジションに入った。三塁に走者が進んだが、一瞥をくれることもなく、彼はそのまま第三球を投じた。
重い重い速球が、右腕から解き放たれる。打者は迎え撃とうとバットを出していくが、白球はそのはるか上を通過していく。そのままミットに収まると、審判の右手が上がった。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「しゃあ!!!」
次の瞬間、雄大がマウンドから雄叫びを上げた。彼は大きくガッツポーズを見せると、そのままベンチへと戻っていった。
「ナイスボール!!」
「ナイスピッチです、久保先輩!!」
芦田とレイは、大きな声で出迎えた。雄大が二人とハイタッチを交わしていると、まなもベンチへと戻ってきた。黙っていた彼女だったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……ありがとう、雄大」
「礼はいらない。お前の兄貴と同じことをしただけだよ」
「え?」
「ピッチャーなら、チームのために腕を振る。それだけさ」
そう言って、雄大はベンチにグラブを置いた。投手としての役割を果たす。彼はただそのためだけに、マウンドに立っていたのだ。まなは、兄の背中を見たような気がしていた。
七回表、大林高校は無得点に終わった。その裏のマウンドにも雄大が上がり、投球練習を行っている。芦田とレイは、その様子をじっと見つめていた。
「またランナーが出たら、大丈夫でしょうか」
「心配するな。多分、久保はもう一人も出さないつもりだ」
「えっ?」
「ランナーがいなきゃ、走れないだろう?」
そう言って、芦田はベンチに腰掛けた。まな同様、彼も去年から雄大の球を受けてきた。すなわち、その凄まじさを身をもって体感してきたのだ。本気を出せば、誰だってバットにすら当てることが出来ない。そう確信していた。
そして――その予感は現実のものとなった。この回、雄大は四番、五番、六番を三者連続三振に打ち取ってみせたのだ。最後の打者をスライダーで打ち取ると、彼は大きな雄叫びをあげた。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「っしゃああ!!」
その鬼気迫る投球で、試合の雰囲気が大きく動かされていく。その球を間近で見つめていたまなも、ただただ圧倒されるばかりであった。
(すごい、またギアが一段上がった)
木島工業の選手たちは、完全にその投球に気圧されてしまった。八回裏も雄大の前に出塁することが出来ず、もはやどうすることも出来なくなっていた。
そして九回表、一気に試合が動いた。二死満塁で雄大に打席が回ると、彼はセンター方向に特大のホームランを放ったのだ。そのド派手な一発で、勝負はほとんどついてしまった。
九回裏、彼はマウンドに向かおうとしていた。その時、ベンチで防具を着けていたまなが彼を呼び止めた。
「雄大、待って」
「どうした?」
「……ありがとね。私、試合に出られて良かった」
彼女は真剣な表情で、感謝の言葉を述べていた。それを聞いた雄大はきょとんとして、彼女を小突いた。
「何言ってんだ、さっさと行くぞ」
「うん、行こう!」
二人はそう言って、ベンチから歩き出す。その様子を見て、他の部員たちは拍手で送りだしていた。最初で最後の、雄大とまなのバッテリー。間もなく、それが終わりを告げようとしていたのだ。
九回裏、打順は一番からだ。雄大は宗山を三振に打ち取ると、村上はライトフライに仕留めてみせた。あっさりとツーアウトとなり、打席には三番打者が入る。
「雄大、ラスト!!」
「おうよ!!」
まなはすっかり元気を取り戻し、雄大に声を掛けていた。打者は何とか食らいつこうと、バットを短く持っている。コンパクトなスイングで必死にカットしていたが、五球目のシュートを詰まらせてしまった。ガチンという鈍い音が響き、打球がふらふらと舞い上がる。
「ピッチャー!!」
「オーライ!!」
まなが指示を飛ばすと、雄大はグラブを掲げた。そのまま打球をしっかりと収めると、審判がアウトを告げ、試合が終わった。
「よっしゃー!」
「ナイスピー!!」
次の瞬間、大林高校の選手たちが大きな声で雄大を讃えた。一失点こそしたものの、見事無安打で九回を投げ切ったのだ。夏の大会での好投を予感させる投球に、皆が手応えを感じていた。
「ナイスピー、雄大!!」
もちろん、まなも笑顔で彼に声を掛けていた。彼女も、見事九回まで雄大の投球を受け切ったのだ。その達成感を覚えつつも、一方で自らの限界を感じた一日となった。
「九対一で大林高校の勝利!! 礼!!」
「「「「ありがとうございました!!!」」」」
両校の選手たちは挨拶を交わし、試合を終えた。木島工業の選手たちはまなのところへと向かい、そのプレーについて話していた。彼女は少し照れながら、受け答えをしていた。
(良かったな、まな)
雄大は遠くから、その景色を見つめていた。そして大林高校の部員たちは片付けを終え、帰路に就いた。雄大は何も言わずに歩いていたが、やがて横にいたまなに話しかけられた。
「雄大、今日はありがとう」
「さっきも聞いたぞ、それ」
「良いじゃん別に! ……私、この試合忘れないから」
「そうか」
それを聞いた雄大は、少し頬を緩めた。すると、まながさらに付け加えた。
「それからね、分かったことがあるの」
「なんだ?」
「私、やっぱり心のどこかで選手を諦めきれてなかった。けど、今日になって無理だって分かった」
「そんなことは――」
「無理だよ。盗塁が刺せないなら、捕手をやる資格はない。……悔しいけどね」
「……そうか。お前がそう思うなら、そうなんだろう」
「うん。明日から、私はまた『監督』として頑張るよ」
「分かった。頼むぜ、監督さん」
「君こそ、今日の結果で調子に乗るんじゃないよ!」
「ははは、分かってるさ」
そう言って、二人は笑い合っていた。今日の練習試合、大林高校には何がもたらされたのか。その答えは、夏が始まるまでは分からない。けれど部員たちは、明るい気持ちだった。甲子園を目指し、彼らは明日からも練習に励んでいく――
(さっきの言葉、信じるから)
まなは直球のサインを出していた。動揺していた彼女だったが、雄大の言葉で落ち着きを取り戻しつつあったのだ。
「打てよー!!」
「頼むぜー!!」
木島工業のベンチからは、打者を応援する声が飛び交っている。雄大は気にせず、セットポジションに入った。そして走者を一度も見ず、小さく足を上げた。
「走った!!」
次の瞬間、リョウが大きな声で叫んだ。当然のごとく、村上が盗塁を仕掛けてきたのだ。彼はみるみる加速していき、全力で二塁を目指している。
「このっ……!」
ボールを捕ったまなは素早く送球体勢に入った。プレッシャーからか肩に力が入りすぎており、その動きはどこかぎこちない。そのまま強引に投げようとしたが、それを雄大が制した。
「投げるな!!」
「えっ!?」
その声を聞き、まなは動きを止めた。村上は余裕で二塁に滑り込み、セーフとなった。これで二死二塁となったが、雄大は表情を変えずに口を開いた。
「まな、打者勝負だ。俺に任せろ」
「う、うん」
まなは落ち着いて返球し、再びサインを出した。得点圏にランナーが進んだため、彼女は変化球で打ち気を逸らそうと考えていた。
(ここはシュートで、内角を意識させよう)
しかし、雄大はそのサインに首を振った。まなは縦スライダーのサインを出したが、雄大はこれにも頷かなかった。
(じゃあ、真っすぐ……?)
彼女が直球のサインを出すと、雄大は大きく頷いてセットポジションに入った。塁上の村上は再びリードを取ってバッテリーの気を引こうとしているが、雄大は一切気にせずにいる。そのまま足を上げ、第二球を投げようとする。すると、二塁手の青野が叫んだ。
「走った!!」
村上がスタートを切っていたのだ。しかし雄大は我関せずといった感じで、平然と右腕を振るう。すると、白球が唸りをあげて――外いっぱいのコースへと向かっていった。
「えっ」
次の瞬間、まなは小さく声を出した。まるで瞬間移動したかのように、ボールが目の前に現れたのだ。彼女がそのまま受け止めると、ドンという捕球音がグラウンドに響き渡った。あまりの衝撃に、彼女は送球体勢に入ることすら出来なかった。
「ストライク!!」
「いいぞ久保ー!!」
「ナイスボール!!」
その球を見て、大林高校の選手たちから大きな歓声が上がった。村上は三塁に到達していたが、もはや場内の誰もそんなことは気にしていなかった。
「なんだ、今の球……?」
「セットで投げてあれかよ」
木島工業の選手たちは、今の一球に理解が追い付いていなかった。打者を抑えれば問題ないとばかりに、雄大は剛速球を投げ込んだのだ。たったの一球で、彼は試合の雰囲気を大きく変えてしまった。
(今のを、もう一球)
まなが直球のサインを出すと、雄大は即座に頷いてセットポジションに入った。三塁に走者が進んだが、一瞥をくれることもなく、彼はそのまま第三球を投じた。
重い重い速球が、右腕から解き放たれる。打者は迎え撃とうとバットを出していくが、白球はそのはるか上を通過していく。そのままミットに収まると、審判の右手が上がった。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「しゃあ!!!」
次の瞬間、雄大がマウンドから雄叫びを上げた。彼は大きくガッツポーズを見せると、そのままベンチへと戻っていった。
「ナイスボール!!」
「ナイスピッチです、久保先輩!!」
芦田とレイは、大きな声で出迎えた。雄大が二人とハイタッチを交わしていると、まなもベンチへと戻ってきた。黙っていた彼女だったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……ありがとう、雄大」
「礼はいらない。お前の兄貴と同じことをしただけだよ」
「え?」
「ピッチャーなら、チームのために腕を振る。それだけさ」
そう言って、雄大はベンチにグラブを置いた。投手としての役割を果たす。彼はただそのためだけに、マウンドに立っていたのだ。まなは、兄の背中を見たような気がしていた。
七回表、大林高校は無得点に終わった。その裏のマウンドにも雄大が上がり、投球練習を行っている。芦田とレイは、その様子をじっと見つめていた。
「またランナーが出たら、大丈夫でしょうか」
「心配するな。多分、久保はもう一人も出さないつもりだ」
「えっ?」
「ランナーがいなきゃ、走れないだろう?」
そう言って、芦田はベンチに腰掛けた。まな同様、彼も去年から雄大の球を受けてきた。すなわち、その凄まじさを身をもって体感してきたのだ。本気を出せば、誰だってバットにすら当てることが出来ない。そう確信していた。
そして――その予感は現実のものとなった。この回、雄大は四番、五番、六番を三者連続三振に打ち取ってみせたのだ。最後の打者をスライダーで打ち取ると、彼は大きな雄叫びをあげた。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「っしゃああ!!」
その鬼気迫る投球で、試合の雰囲気が大きく動かされていく。その球を間近で見つめていたまなも、ただただ圧倒されるばかりであった。
(すごい、またギアが一段上がった)
木島工業の選手たちは、完全にその投球に気圧されてしまった。八回裏も雄大の前に出塁することが出来ず、もはやどうすることも出来なくなっていた。
そして九回表、一気に試合が動いた。二死満塁で雄大に打席が回ると、彼はセンター方向に特大のホームランを放ったのだ。そのド派手な一発で、勝負はほとんどついてしまった。
九回裏、彼はマウンドに向かおうとしていた。その時、ベンチで防具を着けていたまなが彼を呼び止めた。
「雄大、待って」
「どうした?」
「……ありがとね。私、試合に出られて良かった」
彼女は真剣な表情で、感謝の言葉を述べていた。それを聞いた雄大はきょとんとして、彼女を小突いた。
「何言ってんだ、さっさと行くぞ」
「うん、行こう!」
二人はそう言って、ベンチから歩き出す。その様子を見て、他の部員たちは拍手で送りだしていた。最初で最後の、雄大とまなのバッテリー。間もなく、それが終わりを告げようとしていたのだ。
九回裏、打順は一番からだ。雄大は宗山を三振に打ち取ると、村上はライトフライに仕留めてみせた。あっさりとツーアウトとなり、打席には三番打者が入る。
「雄大、ラスト!!」
「おうよ!!」
まなはすっかり元気を取り戻し、雄大に声を掛けていた。打者は何とか食らいつこうと、バットを短く持っている。コンパクトなスイングで必死にカットしていたが、五球目のシュートを詰まらせてしまった。ガチンという鈍い音が響き、打球がふらふらと舞い上がる。
「ピッチャー!!」
「オーライ!!」
まなが指示を飛ばすと、雄大はグラブを掲げた。そのまま打球をしっかりと収めると、審判がアウトを告げ、試合が終わった。
「よっしゃー!」
「ナイスピー!!」
次の瞬間、大林高校の選手たちが大きな声で雄大を讃えた。一失点こそしたものの、見事無安打で九回を投げ切ったのだ。夏の大会での好投を予感させる投球に、皆が手応えを感じていた。
「ナイスピー、雄大!!」
もちろん、まなも笑顔で彼に声を掛けていた。彼女も、見事九回まで雄大の投球を受け切ったのだ。その達成感を覚えつつも、一方で自らの限界を感じた一日となった。
「九対一で大林高校の勝利!! 礼!!」
「「「「ありがとうございました!!!」」」」
両校の選手たちは挨拶を交わし、試合を終えた。木島工業の選手たちはまなのところへと向かい、そのプレーについて話していた。彼女は少し照れながら、受け答えをしていた。
(良かったな、まな)
雄大は遠くから、その景色を見つめていた。そして大林高校の部員たちは片付けを終え、帰路に就いた。雄大は何も言わずに歩いていたが、やがて横にいたまなに話しかけられた。
「雄大、今日はありがとう」
「さっきも聞いたぞ、それ」
「良いじゃん別に! ……私、この試合忘れないから」
「そうか」
それを聞いた雄大は、少し頬を緩めた。すると、まながさらに付け加えた。
「それからね、分かったことがあるの」
「なんだ?」
「私、やっぱり心のどこかで選手を諦めきれてなかった。けど、今日になって無理だって分かった」
「そんなことは――」
「無理だよ。盗塁が刺せないなら、捕手をやる資格はない。……悔しいけどね」
「……そうか。お前がそう思うなら、そうなんだろう」
「うん。明日から、私はまた『監督』として頑張るよ」
「分かった。頼むぜ、監督さん」
「君こそ、今日の結果で調子に乗るんじゃないよ!」
「ははは、分かってるさ」
そう言って、二人は笑い合っていた。今日の練習試合、大林高校には何がもたらされたのか。その答えは、夏が始まるまでは分からない。けれど部員たちは、明るい気持ちだった。甲子園を目指し、彼らは明日からも練習に励んでいく――
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