切り札の男

古野ジョン

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第二部 大砲と魔術師

第二十六話 意外な一手

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 悠北高校の内野陣はマウンドに集まっていたが、やがて散っていった。捕手が指示を送ると、外野手が前進してきた。ワンアウト二塁という状況で、何としても同点を許さないという姿勢の表れだった。

「プレイ!!」

「「かっとばせー、きーおー!!」」

 審判が試合を再開させると、大林高校のスタンドから大声援が響いた。皆打席を見つめ、祈るように声を出している。木尾はふうと息をつくと、強くバットを握り直した。

(ツーシームでゴロを打たされるのが最悪。ゾーンを高めに)

 木尾は浮いた球に狙いを絞っていた。一方で、松原も簡単には甘い球を投げない。低め中心の投球で、ツーボールワンストライクとなった。

「いいぞ木尾ー!!」

「絞ってけー!!」

 カウントは打者有利だが、未だに高い球は来ていない。捕手が再び低めに構えると、松原もそれに応じて第四球を投じた。低めへのカーブだったが、木尾は最初から手を出さなかった。

「ボール!!」

「オッケーオッケー!!」

「ナイスセン木尾ー!!」

 これでスリーボールワンストライクだ。木尾に四球となれば、サヨナラの走者を出塁させることになる。悠北バッテリーとしては、何としても避けなければならないところだった。

(このバッター、低めを捨ててるらしいな。危ないが、カウントを取りにいくしかない)

 捕手は少し高めに構えた。松原はちらりと二塁ランナーを見たあと、第五球を投じた。白球は構え通りに、ストライクゾーンに向かって進んでいく。

(来たっ!!)

 木尾はスイングを開始したが、ボールが手元で沈んだ。そう、松原はツーシームを投じていたのだ。それでも、木尾はそのままバットを振り抜いた。ボールは強く地面に叩きつけられ、マウンドの方へ飛んでいった。

「ッ!」

 松原は左手を伸ばして捕球しようとしたが、打球はその横を通り抜けていった。そのまま二遊間を突破し、センター前ヒットとなった。二塁ランナーの青野は三塁で止まったが、これでワンアウト一三塁とチャンスが広がった。

「いいぞ木尾ー!!」

「ナイバッチー!!」

 盛り上がる大林高校のベンチを横目に、悠北高校が動いた。ベンチから伝令が走り、球審に選手交代を告げていた。ここで松原に代えて、二年生投手の内海を登板させたのだ。

「悠北高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、松原くんに代わりまして、内海くん」

 選手交代がアナウンスされると、悠北高校側の観客席から拍手が巻き起こった。一方で、久保はまなに内海の特徴を尋ねていた。

「まな、内海の持ち球はスライダーとカーブだったよな」

「うん、そう。悠北の次のエースだって噂だね」

「左だから登板させたんだろうな」

 次の近藤から四番の久保まで、左打者が三人並んでいる。基本的に、左打者は左投手に対して相性が悪いと言われている。悠北高校は、そのセオリー通りに継投を仕掛けてきたのだ。

「近藤先輩には打たせるのか?」

「状況次第だね。向こうもスクイズ警戒してるだろうし」

「まあ、外野フライでも一点だしな」

 間もなく内海の投球練習が終わった。悠北高校の捕手が指示を出すと、内野陣が前に出てきた。三塁ランナーの本塁突入を何としても防ごうとしていたのだ。

「プレイ!!」

「内海踏ん張れー!!」

「打たせていけよー!!」

 野村を中心に、内野手が内海に声を掛けていた。そしてじわりじわりと前に出て、スクイズを警戒している。内海はランナーを目で牽制しつつ、初球を投げた。

 近藤がサッとバントの構えを見せると、三塁手と一塁手が一斉にチャージをかけてきた。投球は外に大きく外れ、近藤もバットを引いた。これでワンボールとなった。

「内海落ち着けー!!」

「しっかり投げろー!!」

 内海はふうと息を吐きつつ、捕手からの返球を受け取った。近藤がベンチを見ると、まながサインを送った。状況は依然としてワンアウト一三塁。続いて、内海は第二球を投げた。

「ランナー!!」

 次の瞬間、一塁手が叫んだ。木尾が二塁目掛けてスタートを切っていたのだ。捕手は投球を捕ると、素早く二塁方向へ向かって送球した。しかし三塁ランナーの青野が軽く飛び出しており、内海は送球をカットした。青野はそれを見て帰塁し、これでワンアウト二三塁となった。

「ナイスラン木尾ー!!」

「いいぞー!!」

 木尾が二塁に進んだことで、一塁が空いた。二塁走者が帰れば逆転サヨナラの状況となり、悠北高校が動いた。満塁の方が守りやすいと判断して、近藤を申告敬遠したのだ。

「ただいま、申告故意四球がありましたので、近藤くんは一塁に出塁します」

 大林高校の応援席からはパチパチと拍手が起こり、チャンス拡大を喜んでいた。ワンアウト満塁で、打席には三番の岩沢が向かうことになった。

「岩沢先輩、頼みますよー!!」

「サヨナラしちゃってくださいー!!」

 岩沢は片手を挙げて部員たちの声に応えつつ、左打席に入った。悠北高校の内野陣は変わらず前進守備を取っている。二塁走者が帰ればサヨナラ勝ち、ゲッツーなら負け。両校ともに、緊張した状態が続いていた。

「頼みますよー!!」

 久保はネクストバッターズサークルに入りつつ、声援を送っていた。バッテリーも、次の打者が彼であることは当然承知している。岩沢でアウトを取ろうと、慎重に配球を組み立てていた。

「左対左ですけど、大丈夫でしょうか」

「岩沢先輩を信じるしかないよ」

 不安そうに話すレイに対して、まなが答えた。内野手はじわりじわりと前進し、岩沢に対してプレッシャーをかけている。内海は小さく足を上げ、第一球を投じた。

(ストレートだッ!!)

 直球だと判断した岩沢は積極的に振っていったが、ボールは遠くへ逃げていった。内海はスライダーを投じていたのだ。岩沢は空振りしたことに戸惑い、首をかしげていた。

「いいぞ内海ー!!」

「その調子でいけー!!」

 悠北高校のベンチからも、内海を盛り立てる声が聞こえている。久保はじっとその様子を見つめ、投球の軌道をイメージしていた。

(あのスライダー、見づらそうだな)

 続いて、内海は第二球を投げた。岩沢は今度も打ちにいったが、またもスライダーを空振りしてしまった。これであっさりノーボールツーストライクと追い込まれてしまった。

「まな先輩、左バッターには辛いんじゃないですか」

「そうかも。岩沢先輩、このままじゃ……」

 岩沢本人も焦りを隠せていなかった。内海の左腕から繰り出されるスライダーに対し、全く見極めが出来ていなかったのだ。

(まずい、スライダーが見えない。でも気にしすぎると、真っすぐに刺される)

 外のスライダーも怖いが、内角の真っすぐで差し込まれるのも怖い。岩沢は、文字通り追い込まれていた。

 バッテリーがサイン交換を終えると、捕手は二球目と同じところに構えた。球場中が、固唾を飲んでこの勝負を見守っている。白熱した準々決勝もいよいよ大詰め。ベスト四をかけた大一番は、まさに決着の時を迎えようとしていた。

 セットポジションから、内海は第三球を投げた。先ほどと同じような軌道で、白球が外角へと向かっていく。

(さっきと同じ!!)

 岩沢は必死に手を伸ばして、スライダーに食らいついていった。なんとかバットの先っぽでボールを捉え、そのまま振り切った。打球がグラウンドに叩きつけられ、高く跳ね上がる。その瞬間、観客席が一気にどよめいた。

「ショート!!」

 打球を見て、前進守備だった遊撃手が後ろに下がった。後ろ向きでボールを掴んだが、体勢を崩してしまった。どこにも投げられず、その間に三塁ランナーの青野が生還した。岩沢も一塁に到達し、タイムリー内野安打となった。

「よっしゃー!!」

「ナイバッチ岩沢ー!!」

 これで七対七の同点だ。盛り上がる大林高校に対し、悠北高校のベンチは気落ちしていた。特に内海は口を一文字に結び、悔しそうな表情を浮かべていた。ワンアウト満塁は変わらず、次の打者は四番の久保。間違いなく、大林高校の方へと風が吹いていた。

 ここで、悠北高校はもう一度守備のタイムを取った。マウンドに内野陣が集まり、伝令の指示を聞いていた。その間に、まなも久保に対してリョウを伝令を走らせていた。その様子を見ていたレイが、まなに問いかけた。

「まな先輩、何を伝えさせたんですか?」

「まあ、ちょっとね。岩沢先輩の打席を見て、思いついたことがあるから」

 リョウの話を聞いた久保は、ちらりとベンチの方を見た。それに気づいたまなが頷くと、久保も力強く頷いた。やがて内野陣が散り、場内アナウンスが流れた。

「四番、レフト、久保くん」

「頼むぞ久保ー!!」

「お前が決めろー!!」

「一発打てー!!」

 野村が九回表に本塁打を放ったことで、二人の本塁打数は共に五本となった。ここで久保が一発を放てば、単独トップとなる。この試合の行く末と共に、そちらにも観客の注目が集まっていた。

(アイツ、凄い顔で睨んでるな)

 打席に入りながら、久保は三塁の方を見た。野村は厳しい形相で彼を睨みつけている。チームの勝利と、古豪の四番としてのプライド。野村にとって、その両方が懸かっている打席なのだ。

 悠北高校の内野陣は、先ほど同様に前進守備を敷いている。もちろん、三塁ランナーが帰ればサヨナラの場面だ。内野ゴロが飛べばバックホームして、本塁で封殺するつもりの態勢だった。

「プレイ!!」

 審判が試合を再開すると、内海はじっと捕手のサインを見つめていた。一方の久保も彼の様子を窺いながら、初球に何が来るか考えていた。

(暴投のリスクがあるが、スライダーで様子見だろう。初球は見ていくか)

 内海は小さく足を上げ、第一球を投げた。久保の予想通り、白球が外角へと曲がっていく。彼がそのまま見逃すと、審判がコールした。

「ボール!!」

「オッケーオッケー!!」

「よく見ていけー!!」

(やはり途中まで真っすぐに見える。これはキツイ)

 久保にとっても、スライダーの軌道は見極めづらいものだった。ふうと息をついてバットを握り直し、再度内海に向かって構えた。

「打たせていけよー!!」

「内海踏ん張れ-!!」

 悠北高校のベンチからも必死の声援が飛ぶ。一死満塁の大ピンチで、打席には久保を迎えているのだ。彼らにとって、息が詰まるような思いだった。

 内海はセットポジションから第二球を投じた。今度もスライダーだったが、久保はスイングを開始した。彼は一度見た球の軌道は頭の中で思い描くことが出来る。そのイメージ通りに、バットに当ててみせた。

「サード!!」

 捕手が大声で叫んだ。カーンという金属音を残して、鋭い打球が左方向へと飛んでいく。野村が打球に飛びついていったが、打球は三塁線を切れていった。

「ファール!!」

「内海いいぞー!!」

「落ち着いていけー!!」

 これでワンボールワンストライクとなった。一つカウントを取れたことで、内海は少し落ち着いた。額の汗を拭い、ボールを受け取った。

(泳がされていたと思うが、あれだけの打球を打てるのか)

 一方で、野村は今の打球について考えを巡らせていた。前進守備を敷いていたため、強い打球に反応しきれなかったのだ。彼は若干下がり、体重を後ろに傾けていた。

(来たな)

 久保はその様子を見逃さなかった。ベンチに目をやり、まなの様子を窺った。彼女もそれに気づき、素早くサインを送った。久保はヘルメットのひさしに手を当て、頷いた。

「「かっとばせー、くーぼー!!」」

 応援席からは久保のサヨナラ打を願う声援が飛んでいる。ここまで五本塁打を放っている四番に対して、厚い期待が寄せられていたのだ。内海はじっとサインを見つめ、頷いた。

 セットポジションに入り、ランナーをちらりと見た。彼はそのまま足を上げ、第三球を投じようとしている。その瞬間、野村が叫んだ。

「ら、ランナー!!」

 三塁走者の木尾が、一気にスタートを切ったのだ。内海は戸惑ったが、そのまま投球した。野村と一塁手が前に出てこようとしたが、やや遅れた。そして打席の久保は素早く、バントの構えに切り替えた――
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