切り札の男

古野ジョン

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第一部 切り札の男

第十一話 打破

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 九回裏、大林高校の攻撃が始まろうとしていた。藤山高校のマウンドには、依然としてエースの内藤が立っている。ブラスバンドが元気よく演奏しているなか、場内アナウンスが流れた。

「九回裏、大林高校の攻撃は、三番センター、岡本くん」

 岡本は三年生で、右投左打の外野手だ。俊足とミート力が持ち味であり、クリーンナップにおいて重要な役割を果たしている。

「岡本先輩、頼みます!!」

「岡本ー、出塁してくれー!!」

 ベンチからも懸命な声援が飛ぶ。この後は四番に神林、五番に竜司という打順。岡本が出塁すれば、サヨナラ勝ちがぐっと近づく。

 内藤が足を上げ、第一球を投じた。外へのストレートだったが、岡本は見逃した。

「ストライク!!」

 審判がコールし、内藤が捕手からの返球を受け取った。岡本は一度打席を外し、呼吸を整えた。

「岡本先輩、落ち着いてー!!」

 まなが声援を送る。岡本は打席に戻り、構えた。続けて内藤は第二球を投じる。またアウトコースへの球だ。岡本はスイングをしていくが、ホームベースの直前で球が外に逃げて行った。キンという高い音が響き、打球が前に飛ぶ。

「ショート!!」

 打球は平凡な内野ゴロとなり、遊撃手の方へ転がっていった。岡本の懸命な走塁もむなしく、ワンアウトとなってしまった。

「ワンアウトワンアウトー!!」

「ナイスピッチ内藤ー!!」

 藤山高校のベンチが盛り上がった。一方で、大林高校のベンチにはため息がこだまする。カットボールで内野ゴロを打たされる。今日何度も見たパターンで、再び打ち取られてしまった。間もなく、場内アナウンスが流れた。

「四番、キャッチャー、神林くん」

 そして、神林が右打席に入った。状況はワンアウトランナー無し。

「神林ー、お前が塁に出てくれー!!」

 ネクストバッターズサークルから、竜司が大声で叫んだ。神林は集中力を高め、じっと内藤の方を見る。負ければ終わりの、夏の大会。その独特な緊張感は、九回になってさらに濃度を増していた。

 両校が必死に声援を送るなか、内藤が初球を投じた。また外への球だ。すると神林は躊躇なく左足を踏み込み、逆方向へと思い切り打ち返した。

 カーンと良い音が響き、打球が一気に右中間へと飛んで行く。ボールが外野を転々とする間に、神林は二塁へと到達した。これでワンアウト二塁だ。

「ナイバッチ神林先輩!!」

「よくやったー、神林!!」

 大林高校の応援席が一気に湧いた。竜司が打席に向かおうとすると、藤山高校はタイムを取った。それを見たまなは、ベンチの裏から久保を呼びだした。

「久保くん、出番だよ!!」

「おう、任せろ」

 久保はバットを持ち、ベンチに姿を現した。グラウンドの状況を見た彼は不思議に思い、まなに問いかけた。

「あれ、竜司さんに代打か?」

「ううん、違うよ。あなたの仕事は、そこで突っ立ってること」

 まなはそう言うと、ネクストバッターズサークルを指さした。

「どういうことだ?」

「多分、このままだとおにーちゃんは歩かされる。そうさせないために、そこで立ってて」

 久保はまなの意図を理解し、ネクストバッターズサークルに向かった。それを見て、マウンドに集まっていた内野陣が騒がしくなった。

 そう、あの練習試合で名を馳せたのは竜司だけではない。久保は自英学院の斎藤からスリーランホームランを放ったのだ。となれば、竜司同様にその名が知れ渡るのも当然のことだったのだ。

 まなは、竜司を敬遠すれば久保と勝負せざるを得ない――という状況を作りたかったのだ。代打の切り札は、打席に立たずとも役目を果たすことが出来る。彼女はそのことをよく理解していた。

 藤山高校の内野陣が散っていく。それに合わせて場内アナウンスが流れた。

「バッターは、五番、ピッチャー、滝川くん」

「頼むぞー!!!」

「頑張ってー!!!!」

 球場全体がさらに騒がしくなった。会場中から、竜司に対する熱い視線が注がれる。サヨナラのチャンスで、打席には快投を見せた剛腕投手。今まさに、試合は大詰めを迎えていた。

 ブラスバンドの応援がさらに活気を帯びていく。竜司は右打席に入り、すうと息をついた。内藤はセットポジションから、第一球を投じた。

 インコースへのカットボールだ。竜司はぴくっと反応したが、振りに行かずそのまま見逃がした。

「ボール!!!」

 審判がそうコールすると、ベンチから声援が飛ぶ。

「竜司さんナイスセン!!」

「落ち着いて!!!」

 竜司の狙いは、外の球だった。さっき神林が見せた逆方向へのバッティング。それを手本に、右中間に流し打ちをしようと企んでいたのである。

 内藤の第二球は、ボールゾーンへのカーブだった。竜司は落ち着いて見逃し、カウントはツーボールノーストライクとなった。

「狙っていけ竜司ー!!」

「おにーちゃんお願い!!」

 ボール先行で、打者有利な状況。藤山高校の捕手が外角に構えた。

(おにーちゃん、来るよ……!)

 まなは心の中で念を送った。内藤が第三球を投じる。やはり、外へのストレートだった。

 竜司はそれに反応し、神林と同じように左足を踏み込む。カキーンと快音を残し、打球は右方向へ飛んで行った。

「やったー!」

 思わずまなは声を出した。しかし、やや右寄りに守っていたセカンドが打球に飛びついた。

「あー!!」

 とまなが再び声を出す。セカンドは素早く起き上がり、一塁に送球した。その間に神林は三塁に進み、これでツーアウト三塁となった。

「オッケーオッケー!!」

「ツーアウトだぞ、内藤ー!!」

 藤山高校のベンチからも必死の応援が続いていた。エースが打ち取られ、試合の流れが敵に傾きかけている。そう判断したまなは久保のもとに駆け寄って耳打ちし、そのまま打席へと送り込んだ。

「大林高校、バッターの交代をお知らせいたします。六番の岩沢くんに代わりまして、久保くん」

「頼むぞー、久保ー!!」

「久保、打てー!!」

 球場の雰囲気が最高潮になった。久保はネクストバッターズサークルからゆっくりと歩き出す。相手の持ち球は、今の球数は、前のバッターへの配球は。頭の中を整理しながら、バッターボックスへと入った。

 一方、アウトになった竜司はベンチに帰ってきた。バットを置き、延長に備えてグラブを手に取っている。久保の方をじっと見つめるまなを見て、竜司は声を掛けた。

「さっき、久保になんて声を掛けてたんだ?」

「別に、大したことないよ。『三塁ランナーが帰ればいいから』って」

「そんなこと言ったって、もうツーアウトだろ。出来ることはそんなにない」

「いーから、見てなよおにーちゃん」

 ワンアウトなら内野ゴロや犠牲フライで生還出来るが、今はツーアウトだ。安打を打つしか点を取る手段は無い。竜司は首をかしげながら、投球練習のためにベンチを出た。打席では、久保がバットを構えてふうと息をついていた。

「かっとばせー、くーぼー!!」

 応援席から一段と大きい声援が送られる。内藤は小さく足を上げ、第一球を投じた。

 久保はスイングを開始する。しかし、彼の目には山なりの軌道を描くボールが写っていた。そう、カーブだ。

「ストライク!!」

 久保が空振りをして、審判がコールした。前の打者二人には初球に速いボールを投じていたため、彼もそれを狙っていた。しかし、藤山高校バッテリーは慎重だったのだ。

(連続でカーブはない)

 久保は頭の中でそう考え、改めて構えた。続けて、内藤が第二球を投じる。今度こそとスイングを開始するが、なんと二球目もカーブだった。久保は辛うじてバットに当てたものの、力のないファウルボールとなった。

「ファール!!」

「内藤ナイスピッチー!!」

「追い込んでるぞー!!」

 予想外の配球に、久保は困惑していた。速球中心だったバッテリーが、ここに来てカーブを連投してきたのだ。そうなるのも当然だった。

「落ち着いて、久保くん!!!」

 そんな久保の耳に、まなの声が届いた。彼女は久保の方を見ながら、神林の方を指さした。そうだ、三塁ランナーを返しさえすれば良いんだ。そう思った久保は深呼吸し、開き直ったように再び打席に入った。

 内藤は第三球を投じた。またカーブだが、やや低い。久保は落ち着いてバットを止め、見逃した。すると、ワンバウンドしたボールを捕手が捕り切れずに弾いてしまった。

「チャンス!!」

 まなはそう叫んだ。神林が本塁に向かってスタートを切ろうとしたが、ボールはそれほど転がっていなかった。それを見た久保は、左手を出して神林を制した。神林は三塁に戻り、捕手もボールを掴んだ。

「三球連続でカーブとは、キツイな」

 ベンチでは、岡本がまなに話しかけていた。それに対し、まなは冷静に答える。

「いえ、今ので向こうはカーブが投げづらくなったはずです。チャンスは必ず来ます」

「でも、これでワンツーだぞ。もしカットボールが来たら」

「大丈夫です。久保くんは分かってます」

 まなははっきりとそう言った。一方で、久保もカーブはもう来ないと判断していた。

(裏の裏をかかれてカーブが来たら、それはもう諦めだ)

 久保はバットを握り直し、内藤と対する。捕手は外にミットを構えた。内藤は小さく息をつき、第四球を投じた。

 彼が投じたのは、カーブ――ではなく、速球だった。

(来たっ!!)

 久保は迷わずバットを出しに行った。だがホームベースの直前で、ボールは小さく変化する。そう、カットボールだ。

(ヤバい!!)

 ベンチの岡本が、心の中でそう叫んだ。大林高校の打者が散々苦しめられてきたこのボール。また、このパターンか……。彼はため息をつきそうになった。

 だが、久保は厭わずバットを振りに行く。左打者の久保にとって、内藤のカットボールは逃げる軌道を描く。ボールがバットの先に当たり、カキッという打球音が響いた。打球の行方を見ないまま、彼は一目散に駆け出した――
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