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第13話 幼馴染のために練習する

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 ……自分でも単純だと思うが、朱里のためだと思えば恥ずかしくない。球技大会でのスタメン出場を命じられてしまった俺は、放課後に自宅で物置を漁っていた。なぜそんなことをしているのかと言うと、野球の練習をするためである。出ると決めた以上はそれなりに頑張らなければならない。クラスメイトのため、自分のため、そして何より朱里のために。

「あった……!」

 埃だらけの段ボール箱から掘り出したのは、ガキの頃に使っていたバットとグローブ。高校生が扱うにはサイズが小さいが練習で使う分には十分だ。おっ、硬式のボールもある。久しぶりに握ってみると本当に石みたいだな。コレを投げたり打ったりするのだから、野球ってのは本当に恐ろしい競技だな。

 さっそくグローブをはめてボールを握ってみる。去年の球技大会以来だな。あの時も代打のあとに外野を守らされたけど、幸いにして打球が飛んでこなかった。だが今年はスタメン出場だ。流石に一度も打球が飛んでこないなんてことはないだろう。

「よっ……」

 俺はポーンと壁に向かってボールを放り投げ、跳ね返ってきたのをグローブでキャッチする。フライの練習は出来ないけど、ゴロくらいはちゃんと捕れるようにしないとな。

 壁に向かってひたすら投げては、グローブを差し出してボールをつかみ取る。こうして身体を動かすのは久しぶりだ。普段は家でゴロゴロしてばかりだが、たまの運動というのも悪くない。健康にも良いしな。まあ、あと一か月で死ぬんだけど。

「……」

 嫌なことを思い出してしまい、投げたところで体の動きを止めてしまう。跳ね返ってきたボールが自分の右を通り過ぎていき、やがてコロコロと勢いを失ってしまった。その動きを自らに重ね合わせ、嘲笑するようにひひひと声を出す。誰も受け止める人間などおらず、ただ一人で勝手に止まるだけ。まさに俺のことじゃないか。

 不意に自分のやっていることが馬鹿らしくなり、てくてくと歩いてボールを拾い上げる。もうやめだ。何をしようが無駄。こんなグローブなんて片付けて、大人しく昼寝でも――

「あ……」

 そう思ってグローブを見ると、ピンクの糸で補修された跡があった。……そうだ、思い出した。昔コイツが破れてしまったとき、朱里が習いたての裁縫で直してくれたんだ。グローブの革なんて厚いだろうに、丁寧に縫い合わせてくれたのをよく覚えている。

 朱里のため、と意気込んで練習していたのをすっかり忘れてしまっていたな。アイツにカッコいいところを見せられたらそれでいいんだ。何年か経ったあとに「あの時のしまちゃんはカッコよかったな」と思い出してくれれば十分。ちょっと図々しい気もするけど、そう思っておくくらいが発奮するには丁度良い。

「よっし!」

 自らを奮い立たせるような声を上げ、ボールを強く握った。ふうと息を吐いてから、再び壁に向かって放り投げる。人生の目的を忘れてはいけないんだ。朱里と最後の思い出を作り、それでいて最後のお別れをする。相反する二つを両立させなければならない。簡単ではないが、文字通り人生の全てを賭けるにはぴったりの目標だろう。

 壁から跳ね返ってきたボールを掴み、また投げ返す。これが練習になるのかは知らないが、やらないよりはずっといいはずだ……!

「あんた、いつから野球部になったの?」
「べ、別に気にすんなって!」

 縁側の母親が呆れたようにこちらを見てきて、今になって恥ずかしくなった俺であった……。

***

「いてててて!!」
「もー、だから言ったのに」
「母さん、湿布持ってきて!」
「はいはい」

 壁当てをしたり素振りをしたりしているうちに、いつの間にか夜になっていた。慣れないことをしたものだから全身の筋肉が悲鳴を上げている。縁側で悶絶しながらのたうち回っていると、ちょうど部活を終えて帰宅中であろう朱里が家の前を通るのが見えた。ちょこちょこと自分の家に入っていこうとしていたが、俺が縁側にいることに気がついたようで、こちらの敷地へと足を踏み入れてきた。

「し、しまちゃん? 何してるの……?」
「いやっ、そのっ……!」

 ジャージ姿の朱里が不思議そうな顔で歩み寄ってくる。よりによってこんな醜態を晒しているところを見られたくはない! と思ったが、逃げようにも体が痛すぎる。しかし「朱里のために野球を練習していた」と言うのは恥ずかしい。さて、どうしたものか……。

「ねえ、お庭で何してたの?」
「なんて言うか……たまには運動をと思って」
「えー、しまちゃんが?」
「わ、悪いかよ」
「ふふっ、珍しいなって」

 朱里はニコリとほほ笑み、縁側に寝転がる俺の隣に腰かけた。そしてグローブが近くに置いてあることに気が付いたようで、そっと手に取ってしげしげと眺めている。

「どうした?」
「しまちゃん、これまだ使ってたの……?」
「あっ、ああ。グローブ、それしか持ってなくて」
「そうなんだあ。えへへっ、なんか嬉しい」

 愛おしそうにグローブを見つめる朱里。補修の跡にも気が付いたようで、縫い目を丁寧に指でなぞっていた。まるで昔の日々を懐かしむように目を細めている。

「……昔の私、頑張ったなあ」
「えっ?」
「んーん、なんでもない。それよりしまちゃん、なんで寝てるの?」
「いやあ、そのお……腰とか肩とか痛くて」
「なーんだ、私がマッサージしてあげるよお」
「いててててっ!」

 朱里はグローブを置くと俺の背中に手を置き、ぐっと体重をかけてきた。正直マッサージどころか拷問に近かったが、一所懸命に俺を労わろうとする朱里を止めることなど出来なかった。そして何より――俺にとって、この一秒一秒が本当に惜しいものだったのだ。この時間が永遠に続くならどんなに良かったことか。

 背中を押す小さな手、いたずらっぽく笑う声。何から何まで、今となっては宝物のように思える。きっと自らの寿命を知らなければこんなふうに思うこともなかったのだろう。こんな世界一愛らしい幼馴染を置いて――俺は死ぬのだ。

「あら、やっぱり朱里ちゃんとは仲が良いのねえ」
「おおお、おかあさんっ!?」
「え~、もうお義母さんって呼んでくれるの?」
「ちち、違いますっ!」

 湿布を持った母親が現れた途端、いつも通りの赤面を見せた朱里であった。

***

「いよいよだなあ」
「周平、レフトは頼んだぞ!」
「洋一こそちゃんと打てよな!」
「ははは、分かってらい」

 そして数日後、いよいよ迎えた球技大会本番。洋一とともにグラウンドに立ち、準備運動を行っている。果たして練習の成果を発揮し、朱里に良いところを見せることが出来るのか。葬式の写真写りを賭けた戦いが、幕を開けようとしていた――
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