上 下
4 / 9

第四話 針と糸

しおりを挟む
 夕方になった。店の外から、帰宅する小学生たちの声が聞こえてくる。そろそろ閉める準備かな。そう思っていたとき、中年の男性客が入ってきた。

 男はテーブル席にどっかりと座り、カバンの中の書類を漁っている。俺は水を出しながら、注文を聞いた。

「いらっしゃいませ。 ご注文はいかがなさいますか?」

「コーヒー、アイスで頼む」

「かしこまりました」

 男は老眼鏡をかけ、束になった書類を読み始める。ちらっとしか見えなかったが、何やら難しそうなことが書いてあった。

 しばらくしてコーヒーを持って行くと、相変わらず熱心に読み込んでいた。

「こちら、アイスコーヒーでございます」

「おお、すまんね」

 男は片手で書類を持ったまま、もう片方の手でコーヒーを飲み始めた。なんだか、忙しない人だなあ。

 しばらくすると、書類を読み終えた男が話しかけてきた。

「君、バイトの子?」

「いえ、甥でして。 しばらく店を任されています」

「マスターは元気なの?」

「ええ、変わりありません」

「そうか、なら良いんだ」

 男はそう言うと、カバンから何かを取り出した。あれは……糸?がついた針? なんの道具だろう。

「ティッシュを一枚くれないか?」

「は、はい。少々お待ちを」

 ティッシュを渡すと、針でそれを縫い始めた。いったい何をやっているんだろう?

「あの、何をされてるんですか?」

「練習だよ。 初心を忘れないように、毎日こうしているんだ」

 よく見ると、縫い方が特徴的だ。普通の裁縫とは明らかに違う。だけどなんだか美しい手さばきで、思わず見入ってしまう。

 間もなく縫い終えると、男は帰り支度を始めた。

「勘定を頼む」

「かしこまりました」

 レジを叩いていると、男がじっと俺の胸あたりを見ている。

「あの、どうかされましたか?」

「君、マスターと似て漏斗胸ろうときょうだねえ」

「なんですか?それ」

「胸が少しへこんでいるってことさ。 マスターのは特徴的だったから、よく覚えているよ」

「はあ、そうなんですか」

 この人、叔父さんとどういう間柄なんだろう。ん?男のネクタイを見ると、なんだか見覚えのあるロゴが印字してある。テレビ番組のロゴだったような……

「すいません、そのネクタイって」

「これ? 密着取材されたときのだよ。 記念に貰ったのを着けてるんだ」

「密着取材……ですか?」

「いやあ、あっちこっち追いかけられて大変だったよ」

 言われてみれば、この男の顔を何度かテレビで見たことがあるような気がする。この人は、たしか……

 そんなことを考えていると、男が店のドアを開けて出ようとしていた。俺は慌てて挨拶をする。

「ご来店ありがとうございました。 またのお越しをお待ちしております」

 すると、男は笑みを浮かべながら口を開いた。

「じゃあ、マスターに伝えておいてくれ。 『またのご来院をお待ちしております』ってね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...