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第11話 爪痕
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エレナが泣き止む頃、いつの間にか軍の人間が校庭に来ていた。実況見分と遺体の回収を兼ねているのか、校庭をいろいろと調べ回っている。結果的にこうなったとはいえ、先に攻撃してきたのは向こうの方だ。停戦が揺らぐ事態であるのは間違いないし、遺体の返還も交渉材料として使われるのだろう。……死んでなお、あの航空魔術師たちは人質というわけだ。
「もう大丈夫か、エレナ?」
「……うん」
目をすっかり赤く腫らしているが、エレナははっきりと返事した。……強い子だな。良心の呵責に押しつぶされて戦場を去っていく人間など、俺は数えきれないほど見てきたというのに。
「ソラ、大丈夫か?」
「クラーラ……」
その時、軍の奴らと話し合っていたクラーラがやってきた。さっきの戦闘についていろいろと報告をしていたらしい。
「軍はなんて?」
「魔術師の配備が遅くなって申し訳ないとさ。向こうが頭を下げるなんて珍しいな」
「生徒に頼らざるを得なくなったのは奴らの失態だからな。当然だろう」
「しかし、これで王国との関係は厳しくなった。停戦が終わるのも近いかもしれん」
「けど、この間の件と併せれば向こうは八人の航空魔術師を失っている。そんなに余裕はないぞ」
「こちらが何人落とそうが、王国にジェルマンがいる限り同じことだ。……分かっているだろう、ソラ?」
「分かってるよ。アイツが本気を出せばただじゃ済まない」
今日のジェルマンは恐らく本気ではなかっただろう。その気になれば、学校ごと俺たちのことを消し飛ばすことなど造作もなかったはず。
「とにかく、今日はもう生徒たちを帰宅させる。お前のクラスにもそのように指示を出しておいた」
「ああ、それがいいな」
「ところで……貴様の腰に引っ付いているのはどうするつもりだ?」
「えっ?」
クラーラが指さしていたのは、俺にしがみついて離れないエレナだった。さっき大丈夫と言っていたが、やはりこんなことがあっては平常心ではいられないだろう。
「その状態で帰すつもりか?」
「分かったよ、コイツは俺が送っていく。ついでに俺から親御さんにも謝っておくよ」
「……ありがとう、せんせー」
エレナはそっと微笑んだ。校舎に荷物を取りに戻ってから、俺はエレナと共に学校を後にする。杖をつきながら、学校から続く坂道を延々と下っていくのだ。いつもの登下校時は俺のことなど追い越していってしまうエレナも、今日はゆっくり歩いていた。
「すまんな、歩くのが遅くて」
「ううん、別に」
「親御さんも心配しているだろうからな。早く帰らんとな」
エレナにそう言いながら、俺の頭には家で待つベルの顔が思い浮かんでいた。街の建物はあまり攻撃を受けていないとは思うが、とはいえ心配だ。
「……せんせー、別な女のこと考えてる」
「な、なんだよ急に」
「やっぱり家に誰かいるんだ」
「誰もいねえって!」
「えー、本当かなあ」
コイツ、元気じゃねえか! そうだ、そもそもエレナはこういう奴だということをすっかり忘れていた。
「そんなことが言えるなら元気そうだな。心配して損した」
「せんせー、ひっどー!」
「うるせえよ」
すっかりいつもの調子を取り戻したエレナを適当にあしらいつつ、坂道を抜けて街中へと入って行った。たしかコイツの家は靴屋だったよな。両親で店をやっていて、エレナは下の兄弟たちの面倒を見ていると聞いているが。
「エレナ、お前の家はどこなんだ?」
「そこを右に行ったとこ」
エレナの指示通りに道を曲がっていくと、まさしく「靴のアーレント」との看板が目に入ってきた。どうやらここみたいだな。
「お母さんただいまー!」
「お帰りなさい。……あら、あなたは」
「お久しぶりにお目にかかります。シュトラウス教官であります」
「あらあ、そんな言葉遣いしなくていいのに」
店の中に入ると、茶色い髪をしたエレナの母親が出迎えてくれた。前にエレナの忘れ物を学校まで届けにいらしたことがあったので、会うのはそれ以来だ。
「先生、今日はどうかしたのですか?」
「お話したいことがあります。お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
「あら、でしたら。あなた、先生がいらしたわよー!」
エレナの母親は、奥の工房に向かって声を張り上げていた。たしか父親は靴職人だったよな。きっと普段はこもりっきりなんだろう。間もなくして、父親がエプロン姿のままこちらにやってきた。
「やあやあ、悪いねこんな格好で!」
「いえ、とんでもない。こちらこそ急に押しかけてしまいまして」
「エレナ、お二階に上がってなさい。リリーたちを見ててちょうだい」
「はあい」
母親に言われた通り、エレナは階段を上がっていった。普段はおちゃらけていても、家に帰れば頼れるお姉さんというわけか。
「それで先生、お話というのは?」
「ええ。今日の空襲のことなのですが――」
***
「じゃあ先生、うちのエレナが王国の奴らをやっつけちゃったのかい!?」
「まあ、端的に申し上げればそうなります。大事な娘さんを危険な目に遭わせてしまい、申し訳なく思います」
俺が今日の出来事を説明すると、両親は顔を見合わせて驚いていた。いくら軍の学校に通わせているとはいえ、まさか娘が学生の身で戦闘に加わるとは思っていなかっただろう。叱責されても仕方ない、その覚悟でいたのだが――
「いやあ、よくやってくれたよ先生!」
「へ?」
「うちの娘がそんなに立派になって、私たち嬉しいですわ!」
「えっ、えっ?」
エレナの両親があまりにも喜んでいるので、俺は拍子抜けしてしまった。怒られるよりはいいけど、なんかこう……逆に怖いというか。
「娘さんは初めての戦闘でショックを受けているようでした。気丈に振舞ってはいますが、気を遣ってあげていただけると」
「平気だよ先生、あれでも丈夫に育ててあるから!」
「ええ、エレナは昔から元気な子ですから!」
息ぴったりだな、この夫婦。しかしまあ、この雰囲気なら大丈夫だろう。エレナが強い子だというのは、俺もよく分かっていることだし。
「では、私はこのあたりで失礼いたします。また何かございましたらご連絡を」
「あらあ、もっとゆっくりなさっていけばよろしいのに」
「おーいエレナ、先生がお帰りだぞー!」
父親が二階に声を張り上げると、エレナが下の兄弟を引き連れて降りてきた。弟が二人、妹は一人……いや、もう一人いるな。あの妹はエレナと歳が近そうだな。
「どうだい先生、下の子たちも大きくなっただろう?」
「ええ、本当に」
「……先生が六年前に助けてくださったおかげですわ」
「いえ、昔のことですから」
母親が頭を下げてきたので、俺は手でそれを制した。この「靴のアーレント」は、かつてはハイルブロンに店を構えていた。……六年前、王国軍に焼き尽くされてしまったのだが。
「ねーねー、この人がねえちゃんのせんせー?」
「そうだよ」
「ふうん」
エレナの服を掴んでいる小さな少年が、そんなことを尋ねていた。あの時、この子はまだ赤ん坊だったはず。戦禍を潜り抜け、こんなに大きくなっていたとは感慨深いものがあるな。
「……へえ」
後ろの方で気だるげにしているのは、エレナと歳が近そうな妹だ。たしかコイツがリリーという名だったよな。
「ほら、リリーも挨拶してよ」
「……こんにちは」
「ごめんねせんせー、リリーは反抗期だから」
「うっさい」
まあ、難しいお年頃だよな。しかしこんなに兄弟がいるというのに、エレナもよく不貞腐れないものだ。やっぱりコイツは他の生徒とは違うようだな。すると、リリーはつかつかとこちらに歩み寄ってきた。
「なあ、あんたが姉貴の先生なのか?」
「ん? ああ」
「……姉貴がいっつもあんたの話をしてうるさいんだ。何とかしてくれよ」
「ちょ、リリー!!」
エレナの方を見ると、顔を真っ赤にして大声を上げていた。他の兄弟たちはぽかんとしていたが、両親はくすくすと笑っている。
「せんせー、違うの! 別にそ、そんなわけじゃ……」
「じゃあなエレナ、また明日」
「ちょっと、せんせー!!」
俺はアーレント家に手を振りながら、店を後にした。ああ、幸せそうな一家だなあ。……俺が「英雄」であった証は、今でもこうして残っているということか。どうかこのまま、あの家に何事もありませんように――
「もう大丈夫か、エレナ?」
「……うん」
目をすっかり赤く腫らしているが、エレナははっきりと返事した。……強い子だな。良心の呵責に押しつぶされて戦場を去っていく人間など、俺は数えきれないほど見てきたというのに。
「ソラ、大丈夫か?」
「クラーラ……」
その時、軍の奴らと話し合っていたクラーラがやってきた。さっきの戦闘についていろいろと報告をしていたらしい。
「軍はなんて?」
「魔術師の配備が遅くなって申し訳ないとさ。向こうが頭を下げるなんて珍しいな」
「生徒に頼らざるを得なくなったのは奴らの失態だからな。当然だろう」
「しかし、これで王国との関係は厳しくなった。停戦が終わるのも近いかもしれん」
「けど、この間の件と併せれば向こうは八人の航空魔術師を失っている。そんなに余裕はないぞ」
「こちらが何人落とそうが、王国にジェルマンがいる限り同じことだ。……分かっているだろう、ソラ?」
「分かってるよ。アイツが本気を出せばただじゃ済まない」
今日のジェルマンは恐らく本気ではなかっただろう。その気になれば、学校ごと俺たちのことを消し飛ばすことなど造作もなかったはず。
「とにかく、今日はもう生徒たちを帰宅させる。お前のクラスにもそのように指示を出しておいた」
「ああ、それがいいな」
「ところで……貴様の腰に引っ付いているのはどうするつもりだ?」
「えっ?」
クラーラが指さしていたのは、俺にしがみついて離れないエレナだった。さっき大丈夫と言っていたが、やはりこんなことがあっては平常心ではいられないだろう。
「その状態で帰すつもりか?」
「分かったよ、コイツは俺が送っていく。ついでに俺から親御さんにも謝っておくよ」
「……ありがとう、せんせー」
エレナはそっと微笑んだ。校舎に荷物を取りに戻ってから、俺はエレナと共に学校を後にする。杖をつきながら、学校から続く坂道を延々と下っていくのだ。いつもの登下校時は俺のことなど追い越していってしまうエレナも、今日はゆっくり歩いていた。
「すまんな、歩くのが遅くて」
「ううん、別に」
「親御さんも心配しているだろうからな。早く帰らんとな」
エレナにそう言いながら、俺の頭には家で待つベルの顔が思い浮かんでいた。街の建物はあまり攻撃を受けていないとは思うが、とはいえ心配だ。
「……せんせー、別な女のこと考えてる」
「な、なんだよ急に」
「やっぱり家に誰かいるんだ」
「誰もいねえって!」
「えー、本当かなあ」
コイツ、元気じゃねえか! そうだ、そもそもエレナはこういう奴だということをすっかり忘れていた。
「そんなことが言えるなら元気そうだな。心配して損した」
「せんせー、ひっどー!」
「うるせえよ」
すっかりいつもの調子を取り戻したエレナを適当にあしらいつつ、坂道を抜けて街中へと入って行った。たしかコイツの家は靴屋だったよな。両親で店をやっていて、エレナは下の兄弟たちの面倒を見ていると聞いているが。
「エレナ、お前の家はどこなんだ?」
「そこを右に行ったとこ」
エレナの指示通りに道を曲がっていくと、まさしく「靴のアーレント」との看板が目に入ってきた。どうやらここみたいだな。
「お母さんただいまー!」
「お帰りなさい。……あら、あなたは」
「お久しぶりにお目にかかります。シュトラウス教官であります」
「あらあ、そんな言葉遣いしなくていいのに」
店の中に入ると、茶色い髪をしたエレナの母親が出迎えてくれた。前にエレナの忘れ物を学校まで届けにいらしたことがあったので、会うのはそれ以来だ。
「先生、今日はどうかしたのですか?」
「お話したいことがあります。お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
「あら、でしたら。あなた、先生がいらしたわよー!」
エレナの母親は、奥の工房に向かって声を張り上げていた。たしか父親は靴職人だったよな。きっと普段はこもりっきりなんだろう。間もなくして、父親がエプロン姿のままこちらにやってきた。
「やあやあ、悪いねこんな格好で!」
「いえ、とんでもない。こちらこそ急に押しかけてしまいまして」
「エレナ、お二階に上がってなさい。リリーたちを見ててちょうだい」
「はあい」
母親に言われた通り、エレナは階段を上がっていった。普段はおちゃらけていても、家に帰れば頼れるお姉さんというわけか。
「それで先生、お話というのは?」
「ええ。今日の空襲のことなのですが――」
***
「じゃあ先生、うちのエレナが王国の奴らをやっつけちゃったのかい!?」
「まあ、端的に申し上げればそうなります。大事な娘さんを危険な目に遭わせてしまい、申し訳なく思います」
俺が今日の出来事を説明すると、両親は顔を見合わせて驚いていた。いくら軍の学校に通わせているとはいえ、まさか娘が学生の身で戦闘に加わるとは思っていなかっただろう。叱責されても仕方ない、その覚悟でいたのだが――
「いやあ、よくやってくれたよ先生!」
「へ?」
「うちの娘がそんなに立派になって、私たち嬉しいですわ!」
「えっ、えっ?」
エレナの両親があまりにも喜んでいるので、俺は拍子抜けしてしまった。怒られるよりはいいけど、なんかこう……逆に怖いというか。
「娘さんは初めての戦闘でショックを受けているようでした。気丈に振舞ってはいますが、気を遣ってあげていただけると」
「平気だよ先生、あれでも丈夫に育ててあるから!」
「ええ、エレナは昔から元気な子ですから!」
息ぴったりだな、この夫婦。しかしまあ、この雰囲気なら大丈夫だろう。エレナが強い子だというのは、俺もよく分かっていることだし。
「では、私はこのあたりで失礼いたします。また何かございましたらご連絡を」
「あらあ、もっとゆっくりなさっていけばよろしいのに」
「おーいエレナ、先生がお帰りだぞー!」
父親が二階に声を張り上げると、エレナが下の兄弟を引き連れて降りてきた。弟が二人、妹は一人……いや、もう一人いるな。あの妹はエレナと歳が近そうだな。
「どうだい先生、下の子たちも大きくなっただろう?」
「ええ、本当に」
「……先生が六年前に助けてくださったおかげですわ」
「いえ、昔のことですから」
母親が頭を下げてきたので、俺は手でそれを制した。この「靴のアーレント」は、かつてはハイルブロンに店を構えていた。……六年前、王国軍に焼き尽くされてしまったのだが。
「ねーねー、この人がねえちゃんのせんせー?」
「そうだよ」
「ふうん」
エレナの服を掴んでいる小さな少年が、そんなことを尋ねていた。あの時、この子はまだ赤ん坊だったはず。戦禍を潜り抜け、こんなに大きくなっていたとは感慨深いものがあるな。
「……へえ」
後ろの方で気だるげにしているのは、エレナと歳が近そうな妹だ。たしかコイツがリリーという名だったよな。
「ほら、リリーも挨拶してよ」
「……こんにちは」
「ごめんねせんせー、リリーは反抗期だから」
「うっさい」
まあ、難しいお年頃だよな。しかしこんなに兄弟がいるというのに、エレナもよく不貞腐れないものだ。やっぱりコイツは他の生徒とは違うようだな。すると、リリーはつかつかとこちらに歩み寄ってきた。
「なあ、あんたが姉貴の先生なのか?」
「ん? ああ」
「……姉貴がいっつもあんたの話をしてうるさいんだ。何とかしてくれよ」
「ちょ、リリー!!」
エレナの方を見ると、顔を真っ赤にして大声を上げていた。他の兄弟たちはぽかんとしていたが、両親はくすくすと笑っている。
「せんせー、違うの! 別にそ、そんなわけじゃ……」
「じゃあなエレナ、また明日」
「ちょっと、せんせー!!」
俺はアーレント家に手を振りながら、店を後にした。ああ、幸せそうな一家だなあ。……俺が「英雄」であった証は、今でもこうして残っているということか。どうかこのまま、あの家に何事もありませんように――
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