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第1話 森の少女

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「……以上が、魔術戦闘理論の基礎的な部分というわけだ。質問があれば授業後に」

 話し終えたところで、ちょうどチャイムが鳴り響いた。真面目に授業を聴いていた生徒たちも、ほっとした表情で周囲と会話を交わしている。

「ねえ、魔術師の配置がかなり変わったの知ってる?」
「知ってる! 結構な人数が前線に行かされたらしいね」
「向こうが休戦協定を破るって噂、本当かなあ」
「うーん、うちの街が手薄にならないといいんだけど」
「軍も余裕ないらしいからねー。私たちも早く軍に入らないとね」

 ……会話の内容を盗み聞きした俺が悪いが、気が滅入ってくるな。やれやれ、今日の授業はこれで終わりか。さっさと帰るとするか――

「ソラせんせー、しつもーん!」

 教壇に駆け寄ってきたのは、エレナ・アーレントという女子生徒だ。茶髪のポニーテールで、目はくりくりとしていて可愛らしい。

「なんだ、エレナ?」
「いい加減恋人出来たー?」
「帰れ」
「えー、ひっどーい!」

 エレナは頬を膨らませてぷんぷんと怒っていた。エレナはまだ十六歳で、俺の二つ下だ。俺は事情があってこの歳で教官をしているのだが、コイツからしたら「年上のお兄さん」くらいの感覚なんだろう。だけど、あくまで立場は教官と生徒だ。

「質問がないなら俺は帰る。じゃあな」
「あっ、待ってよせんせー!」
「待つかよ、さっさと帰れ」

 俺は荷物をまとめたあと、すぐさま教室を出た。右足を引きずって廊下を歩いていると、エレナも俺についてくる。

「せんせーってさ、いっつも不機嫌だよね」
「そうか?」
「そんなんだから私以外の子に話しかけられないんだよ?」
「うるせえ」
「ほらー、また怒った!」

 俺がこの魔術学校で教鞭をとるようになって三年が経過した。最初は教官という仕事に慣れなかったが、最近はうまくこなせるようになってきた。しかし生徒と付き合うのは苦手なもので、俺に懐いているのはこのエレナくらいなものだった。

「みんなさあ、ソラ先生は怖いって言ってるんだよ? まだ若いのに教官で、いっつも厳しい顔してるからさ」
「別に、そう思わせておけばいい」
「……本当は凄い人なのに」
「昔のことだ、お前も皆に言うなよ」
「分かってるけどさあ」

 別に生徒たちと仲良くするつもりはない。この学校は、あくまで魔術師を育てることを目的としている。……卒業した生徒たちを待ち受けているのは、地獄のような戦場なのだ。情が移るくらいなら、最初から嫌われていた方がいい。

「ソラせんせー、じゃあねー!」
「おう、気をつけて帰れよー」

 校門のところでエレナと別れ、俺は帰途に就いた。帰りは市場にでも寄って、適当に夕飯を調達しようかな。となれば森を突っ切っていくのが近道だ。薄暗くて気味が悪いので、正直あまり通りたくはないのだが。

「何も出ないでくれよ……」

 俺は周囲をきょろきょろと見回しながら、ゆっくりと歩を進めていた。俺の左手には杖が握られている。もうだいぶ慣れたが、昔のようにすたすたと歩けないのがもどかしい。……空を飛ぶことが出来れば、もっと。

『……誰かいるの?』
「へっ?」

 その時、近くの茂みの中から人の声が聞こえてきた。聞きなれない言葉だ。……うちの国の言語じゃないな。俺は身構えつつ、声のした方に近づいていく。ゆっくりと、ゆっくりと進んでいくと――そこに倒れていたのは、みすぼらしい格好に身を包んだ金髪の少女だった。しかし端正な顔立ちで、どことなく神秘的な雰囲気も漂っている。

「……大丈夫か?」
『あの、こちらの言葉が分からないのです』

 やはりうちの国の言葉が分からないらしい。話しているのは……「王国」の言葉か。敵対する国の人間ということなら、ただで済ますわけにはいかない。

「お前、何者だ?」
「わ、私の言葉が分かるのですか?」
「昔は『王国』の人間と仕事をすることが多かったものでね。分かるんだ」
「そうでしたか。あの、私……」
「我が国の人間じゃないな。となれば、然るところに連行しなければならないのだが」
「そ、それはっ!」

 少女は慌てふためき、なんとか逃げようとしていた。だがろくに飯を食っていないのか、体が満足に動いていない。いくら古傷がある俺でも容易に捕らえられそうだ。

「残念だが、これは決まりなんだ。『王国』の人間は全て捕らえなければならない」
「でもっ、私……!」
「例外は一切ない。大人しく連行されてくれ」

 俺は少女の腕を掴み、立ち上がらせようとする。あまり手荒な真似はしたくないのだが、仮にも昔は国防を担っていた身だ。ひょっとしたら密入国者に成りすましたスパイという可能性もあるし、簡単に見過ごすわけにはいかないというものだ。

「すまんが、立てるか?」
「は、はい……」
「よし、これで――って、うん?」

 その時、俺は街の方から大きな鐘の音がしていることに気がついた。この音は……空襲警報? 珍しいな、何かあったのか――

「空に何か来てます!」
「航空魔術師だ!」

 少女の指さす先には、編隊を組んで飛行する魔術師たちがいた。遠目でよく分からないが、魔力の放出様式からして「王国」の部隊だろう。たまにある偵察か? それならすぐに帰っていくだろうし、そんなに心配することはないはずだ。

「上のことはよく分からんが、今はお前を連行する方が先だ。さっさと歩いてくれ」
「あの、空から何か……!」
「へっ……?」

 しかし次の瞬間、上空の魔術師たちが街の方に向かって一斉に攻撃を開始した。詳細は分からないが、恐らく火力魔法の一種。光線のようなものが一斉に発射され、間もなく着弾。一気に爆炎が上がり、俺はただ目を見開くしかなかった。

「て、停戦中だぞ……!?」
「そんなっ、なんてひどい……」

 少女もその爆炎を見て、恐れおののいていた。魔術師たちは攻撃の手を止めていない。注意深く攻撃方向を見てみると、どうやら街外れの方を狙っているようだ。……恐らく、軍需工場だろう。

「……悔しいな」
「えっ?」
「何も出来ない自分がいて悔しいんだ。昔なら……ってな」
「……そうですか」

 思わず呟いてしまったが、よく考えたらコイツはスパイかもしれないのだ。あまり自分のことを話すのはやめた方がいいだろうか? でもまあ、スパイがこんなところで行き倒れているのも変な話だしな。本当にただの密入国者かもしれん。

「昔なら、とはどういうことですか?」
「見れば分かるだろ? これ、怪我してるんだ」
「なるほど、右足を……」

 俺は少女に右足を見せてやった。かつての戦いで大怪我を負い、満足に動かなくなった。こいつのせいで身体のバランスが思うように制御できず、昔のように魔力を存分に発揮することが出来なくなっているのだ。

「……あの、これが治ればあなたはあの魔術師たちを追い払うことが出来るのですか?」
「ん? まあ、そんなのわけないよ」
「そうでしたか。では――私が治してみせましょう」
「へっ?」

 そう言って、少女は何かをぶつぶつと呟き始めた。そのまま両手を広げると、その上には術式が浮かび上がってくる。……やはり「王国」の術式だ。しかし、国中の医者が無理だと言った傷だ。こんな少女に治せるわけが――

「神よ。この傷を癒したまえ」
「なっ……!?」

 しかし次の瞬間、少女の術式は一気に光を放ち始めた。その光はそのまま俺の右足に降り注いでいく。……信じられん、右足の感覚がどんどん昔のように戻っていく。

「……完了です。いかがですか?」
「元通りだ。……お前、一体何者なんだ?」
「私の名はベルナデッタ。『王国』を追われるようにして、ここまで逃げて参りました」
「そうか。俺はソラ・シュトラウスってんだ。今の仕事は――学校の先生だ」
「えっ、先生?」
「そうだが?」
「……てっきり、現役の魔術師の方かと思いましたのに」
「まあ、『元』魔術師って感じだな。詳しい話は長くなる」

 ふと街の方を見ると、相変わらず魔術師たちが攻撃を加えていた。このままでは工場が全て焼き尽くされてしまう。そうなれば――前線にも大きく響くし、これ以上は見過ごすわけにはいかない。

「すまん、俺はもう行く。ありがとな、ベルナデッタとやら」
「行くって、どうやって――」
「飛ぶのさ」
「えっ?」

 昔のように、俺は身体中の魔力を集中させる。普通の魔術師はこれほどの魔力を持ち合わせていないし、仮に持ち合わせていても自由に操ることなどできない。俺は全神経を使って、重力を打ち消すように魔力を作用させていった。

「あなた、まさかっ……!」
「そう、俺も航空魔術師だったんだ。飛ぶのは久しぶりだがな」

 俺の周囲につむじ風が発生し、それがだんだんと強さを増していく。ベルナデッタの美しい金髪がたなびき、近くの木々もさわさわと音を立てて揺れていた。

「世話になった。じゃあな」
「嘘っ……!?」

 そして――俺は四年ぶりに宙を舞った。ベルナデッタは驚いた顔をしているが、無理もない。この国に航空魔術師は数十人しかいないのだから。俺は一気に高度を上げていく。体の魔力がみるみる消費されていき、浮力に変わっていくのを実感する。そうだ、こんな感覚だったな。

 ある程度まで上昇した俺は、探索魔法を使って敵魔術師の現在位置を確認した。今ここらへんにいるのは……五人か。大火力で一気に撃ち落とす方法もあるが、それでは下の街まで巻き添えになる。

「ソラ・シュトラウス、近接戦闘に入る」

 昔の癖でそう呟きつつ、俺は一気に加速していった。隊列を組んで攻撃していた魔術師たちもこちらに気づいたようで、驚いた様子で迎撃態勢に入っていた。

「なんだ貴様っ!?」
「なぜ航空魔術師がここにいるっ!?」

 そりゃそうだ、この地域に我が国の航空魔術師の配置はない。敵が驚くのも当然のことだろう。そして――俺は、敵の隊列が崩れたのを見逃さなかった。僅かに置いていかれた魔術師がいたので、迷いなく小火力魔法で狙い撃つ。

「うわああっ!!?」
「モルガン!?」

 あっという間にモルガンとやらを撃墜した。そのまま素早く敵と距離を取りつつ、再び攻撃態勢に移る。こっちは一名で、向こうは四名。数的には劣勢だが、向こうの混乱に乗ずれば活路はあるはずだ。

「なんだあの魔術師は!?」
「あのスピード、間違いない……!」

 どうやら、敵は俺の正体に気づいたようだ。自分たちの不利を悟ったのか、みるみる距離を離していってしまう。そして――隊長らしき男が、恐れをなして部下たちに叫んだ。

「あの男、『ハイルブロンの悪魔』だ……!」
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