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第十二 価値観
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我が身に宿るは天邪鬼
世界が神を祀れども
己の心は変わらずや
クリスマス・・・聖人の誕生を祝う日。
二千年以上も経過しているというのに、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的にクリスマスでお祭り騒ぎだ。
人々は、聖人の誕生に便乗して、浮かれている。
大して宗教が浸透していない日本もまた、その文化に呑まれている。
教会の教えは浸透していないが、都合の良い部分だけは利用する。
それとも、日本では聖人も、八百万の神に含まれるのだろうか。
私には、日本におけるクリスマスというものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、それに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をやっている。
実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、楽しそうにその下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはさっぱり理解できなかった。
恐らく、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、きっと天邪鬼が取り憑いているに違いない。
比喩などに利用するために、私に宗教的知識はあっても、宗教的価値観はない。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、プレゼントは渡さない。
私にとっては普通の日だし、彼らは信者でもないのだから。
奇妙な表現だが、私は無意識なだけであって、聖人のアンチなのだろうか。
正月・・・新たな年を迎える日。
数え切れないほど昔から、歴こそ変わってしまったが、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的に正月でお祭り騒ぎだ。
人々は、新たな年を迎え、再び浮かれている。
地球が太陽の周りを約一回廻っただけなのだが、歴が変わったにもかかわらず、日本もまた、その文化を維持している。
特に、この地は相変わらず、冬がわかりにくい。
昼間は汗をかくほど暑い陽が差しているのに、夜間は凍えるほど冷たい風が吹く。
しかし、雪が降ることは零に等しい。南部の離島でもないのに、特有の立地のおかげで、ここは、常に比較的暖かいのだ。
そのため、正月のこの地の情景は、一般的な正月の日本の情景が、全く当てはまらない。
陽が照り、ヤシの木が揺れ、海は唸る。
私には、日本における正月というものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、再びそれに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をまたやっている。
未だに実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が毎回私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、またしても楽しそうに、その下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはやっぱり理解できなかった。
きっと、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、やはり天邪鬼が取り憑いているに違いない。
とはいえ、永く続いている文化を蔑ろにするのは、些か気が引ける。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、お年玉を渡している。
私にとっては普通の日でも、彼らにとっては特別な日なのだから。
微妙な表現だが、私は文化を認めてこそいるが、理解はできていないのだろうか。
私にとって、特別な日などというものはない。
正月も、誕生日も、クリスマスも、私にとっては普通の日だ。
悪い意味で言っているのではない。なぜなら、私にとって、普通の毎日それぞれが「特別な日」なのだから。
物事も、歴史も、人々も、自然も、毎日変化している。特別な日が当たり前なので、私にはもはや、そのような概念がないのだ。
それ故「普通で特別な毎日」が、新たな発見や面白さで満たされている。反面、人々の「特別な日」で浮かれるという気持ちが理解できない。
しかし、自分自身の価値観と、他者の価値観を一つにしてしまうのは、非常に愚かだ。
世の中には、自分の価値観で善悪を決めつけ、そうして、決めつけた悪に対して善を押し付ける者がいる。
自分は自分、他者は他者。
その境界線がわからない者こそ、真の悪と言えよう。
私は、私の目に映る他者を、私の中で捻じ曲げ、こうして暗喩的に批判している。私もまた、悪の一部なのだ。
私が「問題」と捉えているのは、あくまでも「輩共」の中の善と、私の中の善が鬩ぎ合っているだけの物事に過ぎない。
それも、私が一方的にそう思っているだけであり、輩共は悪いことをしているという自覚はないだろうし、私がそう思っていることも知らないだろう。
今起こっている「問題」は、輩共にとっては利益でしかなく、恐らくそれが自然にとって脅威となることも、認識できていない。
私と同じ考えを持つ人間も少なくないようだが、こうして「問題」を食い止められていないのが、現実だ。
同じ考えを持っていても、実際に行動する人間は、限られている。
考えと目的を持った上で、問題に立ち向かえる者こそ、真の善と言えよう。
私は自分で考え、問題を食い止めるという目的をもち、実際に行動している。私もまた、善の一部なのだ。
私は、また私の価値観で物事を決めつけてしまった。
確実に、私には天邪鬼が取り憑いているに違いない。
世界が神を祀れども
己の心は変わらずや
クリスマス・・・聖人の誕生を祝う日。
二千年以上も経過しているというのに、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的にクリスマスでお祭り騒ぎだ。
人々は、聖人の誕生に便乗して、浮かれている。
大して宗教が浸透していない日本もまた、その文化に呑まれている。
教会の教えは浸透していないが、都合の良い部分だけは利用する。
それとも、日本では聖人も、八百万の神に含まれるのだろうか。
私には、日本におけるクリスマスというものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、それに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をやっている。
実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、楽しそうにその下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはさっぱり理解できなかった。
恐らく、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、きっと天邪鬼が取り憑いているに違いない。
比喩などに利用するために、私に宗教的知識はあっても、宗教的価値観はない。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、プレゼントは渡さない。
私にとっては普通の日だし、彼らは信者でもないのだから。
奇妙な表現だが、私は無意識なだけであって、聖人のアンチなのだろうか。
正月・・・新たな年を迎える日。
数え切れないほど昔から、歴こそ変わってしまったが、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的に正月でお祭り騒ぎだ。
人々は、新たな年を迎え、再び浮かれている。
地球が太陽の周りを約一回廻っただけなのだが、歴が変わったにもかかわらず、日本もまた、その文化を維持している。
特に、この地は相変わらず、冬がわかりにくい。
昼間は汗をかくほど暑い陽が差しているのに、夜間は凍えるほど冷たい風が吹く。
しかし、雪が降ることは零に等しい。南部の離島でもないのに、特有の立地のおかげで、ここは、常に比較的暖かいのだ。
そのため、正月のこの地の情景は、一般的な正月の日本の情景が、全く当てはまらない。
陽が照り、ヤシの木が揺れ、海は唸る。
私には、日本における正月というものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、再びそれに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をまたやっている。
未だに実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が毎回私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、またしても楽しそうに、その下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはやっぱり理解できなかった。
きっと、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、やはり天邪鬼が取り憑いているに違いない。
とはいえ、永く続いている文化を蔑ろにするのは、些か気が引ける。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、お年玉を渡している。
私にとっては普通の日でも、彼らにとっては特別な日なのだから。
微妙な表現だが、私は文化を認めてこそいるが、理解はできていないのだろうか。
私にとって、特別な日などというものはない。
正月も、誕生日も、クリスマスも、私にとっては普通の日だ。
悪い意味で言っているのではない。なぜなら、私にとって、普通の毎日それぞれが「特別な日」なのだから。
物事も、歴史も、人々も、自然も、毎日変化している。特別な日が当たり前なので、私にはもはや、そのような概念がないのだ。
それ故「普通で特別な毎日」が、新たな発見や面白さで満たされている。反面、人々の「特別な日」で浮かれるという気持ちが理解できない。
しかし、自分自身の価値観と、他者の価値観を一つにしてしまうのは、非常に愚かだ。
世の中には、自分の価値観で善悪を決めつけ、そうして、決めつけた悪に対して善を押し付ける者がいる。
自分は自分、他者は他者。
その境界線がわからない者こそ、真の悪と言えよう。
私は、私の目に映る他者を、私の中で捻じ曲げ、こうして暗喩的に批判している。私もまた、悪の一部なのだ。
私が「問題」と捉えているのは、あくまでも「輩共」の中の善と、私の中の善が鬩ぎ合っているだけの物事に過ぎない。
それも、私が一方的にそう思っているだけであり、輩共は悪いことをしているという自覚はないだろうし、私がそう思っていることも知らないだろう。
今起こっている「問題」は、輩共にとっては利益でしかなく、恐らくそれが自然にとって脅威となることも、認識できていない。
私と同じ考えを持つ人間も少なくないようだが、こうして「問題」を食い止められていないのが、現実だ。
同じ考えを持っていても、実際に行動する人間は、限られている。
考えと目的を持った上で、問題に立ち向かえる者こそ、真の善と言えよう。
私は自分で考え、問題を食い止めるという目的をもち、実際に行動している。私もまた、善の一部なのだ。
私は、また私の価値観で物事を決めつけてしまった。
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