混虫

萩原豊

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第十一 墓場

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死を疎むより
それを受け入れ
メビウスの輪を作り出す


様々な資料を見漁り、研究を続けていくうちに、いつの間にか、私は夜型人間ではなくなっていた。

天照大神が、地上を真上から見降すその時、私の新たな一日が始まる。

私なりに、情報を収集、編纂するうちに、私の活動開始時間は、従来よりも早くなっていた。

庭の紅葉は、真の意味で紅葉となり、柿の実は、次第に地へと落ちる様になった。
活発だった昆虫達は、落ち着き始め、セミの声は、次第に少なくなってゆく。

この時期になると、短命な種の魂は、一つ一つ、その外骨格から離れてゆく。
私は、毎年この時期になると、昆虫標本を作る。

およそ一年ほど前に防腐、乾燥処理をした、魂のないいくつかの外骨格達を、私は水につけ込んだ。
これらはいずれも、去年のこの時期に、魂が離れた外骨格達だ。

同時に、今年魂が離れた外骨格を、私は、防腐乾燥処理するための「棺桶」に入れた。
その中には、「彼」も居た。

本来、コクワガタは、ほとんどの場合もっと遅い時期に魂が抜ける。
そうでない場合は、越冬をし、春が終りにさすころ、また、新たな活動を迎える。

ドルクス属は全員、一様に管理していたのだが、他のコクワガタも、オオクワガタも、あのヒラタクワガタ達も、まだ元気だ。

「彼」だけが、最も先に外骨格だけを残し、その魂は、遥か遠くへと行ってしまった。
私は、ここで「彼」が異質な存在であった、という事実を、再確認することとなった。

それから、三日が経過した。
一つ一つ、丁寧に、脚を広げ、触覚や、その他細部を整え、それをピンで固定していく。

私は、弔いの気持ちを込めつつも、水で再び「動く」様になった外骨格達を「元の姿」に戻し、それを板に留めた。

魂の抜けた外骨格は、脚を縮こませ、ひっくり返ってしまう。
だが、こうしてやることで、かつての姿を保ちながら、それを半永久的にとどめらられるのだ。

一通りの作業が終わった後、私は、防腐乾燥の準備が整った、彼らの「棺桶」の蓋をとじ、一本の線香を手向けた。

そうして、二ヶ月が経過した。
私の、最も苦手な季節。
昆虫達の、最も苦手な季節がやってきた。

この地の冬は、足音を立てることもなく、突然やってくる。

ここは、冬という概念があるのかも怪しい。昼間は、汗をかくほど暑いが、夜になると、一転して急激に寒くなる。
だが、ある時を境に、突然、昆虫達は姿を消す。
他に明確なインジケーターたるものもないため、私は、それを冬の到来として認識している。

そして、今年いつもの場所で捕獲した三匹のコクワガタ達、複数のカブトムシ達とノコギリクワガタ達は、外骨格だけを残し、その魂は遥か遠くへと行ってしまった。

私は、新たに、彼らの「棺桶」を用意した。

寒さで手先がいうことを聞かなくなる前に、私は、二ヶ月前に「今年元の姿に戻した」彼らを、「去年元の姿に戻した」彼らの隣に留めた。

状態のよい乾燥標本を作るのには、時間がかかるのである。

丸一年、「魂の抜けた瞬間の姿」で徹底的に防腐、乾燥させ、丸三日かけて「元の姿」に戻し、丸二ヶ月かけて「完全な姿」にする。

こうすることで、水分も含まず、外骨格の傷みもなく、ほぼ完全にかつての姿を、ほぼ永遠に遺せるのである。

私は、ほとんどの場合、複数の種類を、まとめて一つの標本板に並べる。
かつてこれらの外骨格に魂が宿っていた時とは打って変わって、一箇所にまとめるのだ。

こうすることで、多種多様な種族を、いっぺんに見比べることができる。
色鮮やかな板は、美しいのみならず、その違いを、まとめて見比べることができる。

ただ「彼」は、特別な扱いをすることにした。
ここから数年、「今の姿」でいてもらうことにした。

理由は簡単である。私は、他のサンプル達と「彼」だけを並べられる、「特等席」を用意することにしたのだ。

そのためには、複数のコクワガタと、複数のオオクワガタの外骨格が、雌雄それぞれ必要になる。
この特等席を作り上げるには、まだ長い年月を要する。
まだ他のサンプルが必要なだけでなく、オオクワガタは特に、サイズに関係なく長生きするからだ。

それとは別に、ここには、私を悩ませる外骨格がある。他のもの達と同様にするべきか、特等席を与えるべきか、わからない存在があるのだ。

彼は、一般的に「ヘラクレスオオカブト」と呼ばれる、超巨大なカブトムシだ。
言うまでもなく、彼の図体は、他の存在と一線を凌駕する。
その身体は、体長だけでも150mmを越える。

彼を、他の存在とともに並べてしまうと、彼が「メイン」になってしまう。
敢えて一括りにして、みな平等に見比べられるという、私のやり方が通用しないのだ。

私は、頭を悩ませながら、その英雄の抜け殻を、どうするか考えていた。
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