竜頭――柔太郎と清次郎――

神光寺かをり

文字の大きさ
25 / 60
柔太郎と清次郎

プライム・ナンバー

しおりを挟む
「江戸はよいなぁ。物も人ももあふれている。海無しの田舎とは大違いだ。山奥には物も人も流れては来ない」

 柔太郎は微笑したまま腕組みし、顎を上げた。当然目は天井に向く。
 すすたけの隙間から煙の匂いが漏れている気がする。

「お陰で、おれなんかがこんな分不相応な品物を手に入れられたわけですよ」

 清次郎は懐中時計の紐を持って持ち上げ、兄の眼前に突きつけるように見せて、胸を張った。

いけはたなかちょうと言えば、私が学んだしょうへいこうからも、づかりつぞう先生がほんごうもとまちに開いたゆうしんどう塾からも近い場所だ。
 まかり間違っていたら、私の方が先にその白木屋というじんうていたかもしれない」

「ならばいっそ、もういっぺん遊学しちまえばどうですか? そしたら、前の時とは違う新しい出逢いっちゅうのもあるかもしれない。
 ほれ昌平黌を出た後に入門なさった手塚先生の蘭学塾に、もう一度入り直すとか。兄上はあそこで随分と秀才の評判を取ったそうじゃないですか。
 ……そうだ、神田のたまいけあたりに真田公御家中のしゅどのがしゅがくの私塾を開いたとか開くとかいう話を、聞いたような気がしますし」

 清次郎は兄の眼前で懐中時計を振り子のように揺すった。

「一度、儒学と蘭学の学問を終えたということになっていて、召し出されて藩校で勤めているものを、もう一度学ばせろとは、幕府おかみにもくににもやすく頼める物ではない」

「兄上は本当に堅い」 

 柔太郎は顎を持ち上げたまま、眼球だけを下に向けた。
 丸い懐中時計が揺れている。

「それじゃぁ、別の学問をやりたくなったとかいうテイにすればどうです? 例えば、国学とか、洋学とか、兵学とか、いっそ本道和漢医術とか」

「自分に自信のある算学は勧めないと見える」

 清次郎は懐中時計の紐をつまんでいない方の手を、懐中時計の揺れよりも激しく左右にに振った。

「逆、逆。
 だって、それで実はそっちの道でもおれなんかよりも兄上の方が優秀なんだとバレっちまったら困りますからね。
 なんたってそいつはおれが江戸にいる口実なんですよ。
 もし兄上が江戸に蹴り出された後、おれは首根っこがひっ捕まえられて引き戻されたらどうするんですか。
 そんでこんな山奥の、カラスの住処みたいな城の中に押し込まれるんですよ。
 そんなのはぴらめんこうむります」

「お前はよほどに国元ここに居たくないのだな」

 柔太郎は天井に向けていた顔を正面まで戻した。
 相変わらず目の前で懐中時計を揺らしている清次郎は、短く、きっぱりと、力強く、

「金輪際、居たくありませんね」

 と、迷いなく言い切った。兄の顔を見据え、真面目な顔をして懐中時計を振り続けている。

「お前はよほどに懐中時計それを自慢したいのだな」

「だって、そのために持ってきたんですよ。わざわざ父上たちが母上の実家のねずみ宿じゅくむらまで祝い事に出かけて留守になっている頃合いを、ちゃーんと見計らって」

 兄が懐中時計に目を注いでいることを確認すると、清次郎は振り子に振るのを止めた。それでも懐中時計は掲げたまま、真面目顔で、

「おれはこの手にときを手に入れた思いでいるんです。
 これが美しいんですよ。外見だけじゃなくて、中が美しい。
 江戸で時計師だという職人に裏蓋を開けてもらって、仕掛けをチラリと見せて貰ったんですよ。
 特に歯車の美しさ!」

「歯車、な。確かにあの円と円の組み合わせと、かっちりとした動きは美しいだろうな。懐中時計の中味など、私は見たことがないから解らぬが」

 少々拗ねた口ぶりになっているな、と柔太郎は胸の内で自嘲した。

「そう、形の美しさ! 動きの美しさ! その上に!」

 清次郎の顔が、ずいっと柔太郎の眼前に迫った。

「歯数がprimeになっているンですよ」

 清次郎はうっとりとした目で、自らが掲げた時計の裏蓋側を見ている。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ナイスミドルな国王に生まれ変わったことを利用してヒロインを成敗する

ぴぴみ
恋愛
少し前まで普通のアラサーOLだった莉乃。ある時目を覚ますとなんだか身体が重いことに気がついて…。声は低いバリトン。鏡に写るはナイスミドルなおじ様。 皆畏れるような眼差しで私を陛下と呼ぶ。 ヒロインが悪役令嬢からの被害を訴える。元女として前世の記憶持ちとしてこの状況違和感しかないのですが…。 なんとか成敗してみたい。

名もなき民の戦国時代

のらしろ
ファンタジー
 徹夜で作った卒論を持って大学に向かう途中で、定番の異世界転生。  異世界特急便のトラックにはねられて戦国時代に飛ばされた。  しかも、よくある有名人の代わりや、戦国武将とは全く縁もゆかりもない庶民、しかも子供の姿で桑名傍の浜に打ち上げられる。  幸いなことに通りかかった修行僧の玄奘様に助けられて異世界生活が始まる。  でも、庶民、それも孤児の身分からの出発で、大学生までの生活で培った現代知識だけを持ってどこまで戦国の世でやっていけるか。  とにかく、主人公の孫空は生き残ることだけ考えて、周りを巻き込み無双していくお話です。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

婚約破棄されて勝利宣言する令嬢の話

Ryo-k
ファンタジー
「セレスティーナ・ルーベンブルク! 貴様との婚約を破棄する!!」 「よっしゃー!! ありがとうございます!!」 婚約破棄されたセレスティーナは国王との賭けに勝利した。 果たして国王との賭けの内容とは――

悪役令嬢に相応しいエンディング

無色
恋愛
 月の光のように美しく気高い、公爵令嬢ルナティア=ミューラー。  ある日彼女は卒業パーティーで、王子アイベックに国外追放を告げられる。  さらには平民上がりの令嬢ナージャと婚約を宣言した。  ナージャはルナティアの悪い評判をアイベックに吹聴し、彼女を貶めたのだ。  だが彼らは愚かにも知らなかった。  ルナティアには、ミューラー家には、貴族の令嬢たちしか知らない裏の顔があるということを。  そして、待ち受けるエンディングを。

【短編】その婚約破棄、本当に大丈夫ですか?

佐倉穂波
恋愛
「僕は“真実の愛”を見つけたんだ。意地悪をするような君との婚約は破棄する!」  テンプレートのような婚約破棄のセリフを聞いたフェリスの反応は?  よくある「婚約破棄」のお話。  勢いのまま書いた短い物語です。  カテゴリーを児童書にしていたのですが、投稿ガイドラインを確認したら「婚約破棄」はカテゴリーエラーと記載されていたので、恋愛に変更しました。

処理中です...