25 / 35
柔太郎と清次郎
プライム・ナンバー
しおりを挟む
「江戸はよいなぁ。物も人も機宜もあふれている。海無しの田舎とは大違いだ。山奥には物も人も流れては来ない」
柔太郎は微笑したまま腕組みし、顎を上げた。当然目は天井に向く。
煤竹の隙間から煙の匂いが漏れている気がする。
「お陰で、おれなんかがこんな分不相応な品物を手に入れられたわけですよ」
清次郎は懐中時計の紐を持って持ち上げ、兄の眼前に突きつけるように見せて、胸を張った。
「池之端中町と言えば、私が学んだ昌平黌からも近い場所だ。まかり間違っていたら、私の方が先にその白木屋という仁と出逢うていたかもしれない」
「ならばいっそ、もう一遍遊学しちまえばどうですか? そしたら、前の時とは違う新しい出逢いというものもあるかもしれない」
清次郎は兄の眼前で懐中時計を振り子のように揺すった。
「一度学問を終えたということになっていて、召し出されて藩校で勤めているものを、もう一度学ばせろとは、幕府にも藩にも容易く頼める物ではない」
「兄上は本当に堅い」
柔太郎は顎を持ち上げたまま、眼球だけを下に向けた。
丸い懐中時計が揺れている。
「それじゃぁ、別の学問をやりたくなったとかいう体にすればどうです? 例えば、国学とか、洋学とか、兵学とか、いっそ本道とか」
「自分に自信のある算学は勧めないと見える」
清次郎は懐中時計の紐を抓んでいない方の手を、懐中時計の揺れよりも激しく左右にに振った。
「逆、逆。
だって、それで実はそっちの道でもおれなんかよりも兄上の方が優秀なんだとバレっちまったら困りますからね。
なんたってそいつはおれが江戸にいる口実なんですよ。
もし兄上が江戸に蹴り出された後、おれは首根っこがひっ捕まえられて引き戻されたらどうするんですか。
そんでこんな山奥の、烏の住処みたいな城の中に押し込まれるんですよ。
そんなのは真っ平御免被ります」
「お前はよほどに国元に居たくないのだな」
柔太郎は天井に向けていた顔を正面まで戻した。
相変わらず目の前で懐中時計を揺らしている清次郎は、短く、きっぱりと、力強く、
「金輪際、居たくありませんね」
と、迷いなく言い切った。兄の顔を見据え、真面目な顔をして懐中時計を降り続けている。
「お前はよほどに懐中時計を自慢したいのだな」
「だって、そのために持ってきたんですよ。わざわざ父上たちが母上の実家の鼠宿村まで祝い事に出かけて留守になっている頃合いを、ちゃーんと見計らって」
兄が懐中時計に目を注いでいることを確認すると、清次郎は振り子に振るのを止めた。それでも懐中時計は掲げたまま、真面目顔で、
「おれはこの手に刻を手に入れた思いでいるんです。
これが美しいんですよ。外見だけじゃなくて、中が美しい。
江戸で時計師だという職人に裏蓋を開けてもらって、仕掛けをチラリと見せて貰ったんですよ。
特に歯車の美しさ!」
「歯車、な。確かにあの円と円の組み合わせと、かっちりとした動きは美しいだろうな。懐中時計の中味など、私は見たことがないから解らぬが」
少々拗ねた口ぶりになっているな、と柔太郎は胸の内で自嘲した。
「そう、形の美しさ! 動きの美しさ! その上に!」
清次郎の顔が、ずいっと柔太郎の眼前に迫った。
「歯数が素になっているンですよ」
清次郎はうっとりとした目で、自らが掲げた時計の裏蓋側を見ている。
柔太郎は微笑したまま腕組みし、顎を上げた。当然目は天井に向く。
煤竹の隙間から煙の匂いが漏れている気がする。
「お陰で、おれなんかがこんな分不相応な品物を手に入れられたわけですよ」
清次郎は懐中時計の紐を持って持ち上げ、兄の眼前に突きつけるように見せて、胸を張った。
「池之端中町と言えば、私が学んだ昌平黌からも近い場所だ。まかり間違っていたら、私の方が先にその白木屋という仁と出逢うていたかもしれない」
「ならばいっそ、もう一遍遊学しちまえばどうですか? そしたら、前の時とは違う新しい出逢いというものもあるかもしれない」
清次郎は兄の眼前で懐中時計を振り子のように揺すった。
「一度学問を終えたということになっていて、召し出されて藩校で勤めているものを、もう一度学ばせろとは、幕府にも藩にも容易く頼める物ではない」
「兄上は本当に堅い」
柔太郎は顎を持ち上げたまま、眼球だけを下に向けた。
丸い懐中時計が揺れている。
「それじゃぁ、別の学問をやりたくなったとかいう体にすればどうです? 例えば、国学とか、洋学とか、兵学とか、いっそ本道とか」
「自分に自信のある算学は勧めないと見える」
清次郎は懐中時計の紐を抓んでいない方の手を、懐中時計の揺れよりも激しく左右にに振った。
「逆、逆。
だって、それで実はそっちの道でもおれなんかよりも兄上の方が優秀なんだとバレっちまったら困りますからね。
なんたってそいつはおれが江戸にいる口実なんですよ。
もし兄上が江戸に蹴り出された後、おれは首根っこがひっ捕まえられて引き戻されたらどうするんですか。
そんでこんな山奥の、烏の住処みたいな城の中に押し込まれるんですよ。
そんなのは真っ平御免被ります」
「お前はよほどに国元に居たくないのだな」
柔太郎は天井に向けていた顔を正面まで戻した。
相変わらず目の前で懐中時計を揺らしている清次郎は、短く、きっぱりと、力強く、
「金輪際、居たくありませんね」
と、迷いなく言い切った。兄の顔を見据え、真面目な顔をして懐中時計を降り続けている。
「お前はよほどに懐中時計を自慢したいのだな」
「だって、そのために持ってきたんですよ。わざわざ父上たちが母上の実家の鼠宿村まで祝い事に出かけて留守になっている頃合いを、ちゃーんと見計らって」
兄が懐中時計に目を注いでいることを確認すると、清次郎は振り子に振るのを止めた。それでも懐中時計は掲げたまま、真面目顔で、
「おれはこの手に刻を手に入れた思いでいるんです。
これが美しいんですよ。外見だけじゃなくて、中が美しい。
江戸で時計師だという職人に裏蓋を開けてもらって、仕掛けをチラリと見せて貰ったんですよ。
特に歯車の美しさ!」
「歯車、な。確かにあの円と円の組み合わせと、かっちりとした動きは美しいだろうな。懐中時計の中味など、私は見たことがないから解らぬが」
少々拗ねた口ぶりになっているな、と柔太郎は胸の内で自嘲した。
「そう、形の美しさ! 動きの美しさ! その上に!」
清次郎の顔が、ずいっと柔太郎の眼前に迫った。
「歯数が素になっているンですよ」
清次郎はうっとりとした目で、自らが掲げた時計の裏蓋側を見ている。
10
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
真田源三郎の休日
神光寺かをり
歴史・時代
信濃の小さな国衆(豪族)に過ぎない真田家は、甲斐の一大勢力・武田家の庇護のもと、どうにかこうにか生きていた。
……のだが、頼りの武田家が滅亡した!
家名存続のため、真田家当主・昌幸が選んだのは、なんと武田家を滅ぼした織田信長への従属!
ところがところが、速攻で本能寺の変が発生、織田信長は死亡してしまう。
こちらの選択によっては、真田家は――そして信州・甲州・上州の諸家は――あっという間に滅亡しかねない。
そして信之自身、最近出来たばかりの親友と槍を合わせることになる可能性が出てきた。
16歳の少年はこの連続ピンチを無事に乗り越えられるのか?
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる