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柔太郎と清次郎
Watch《ウォッチ》
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赤松清次郎は、
「そんなこんなで、父親の言葉を子どもの頃から聞かされていたんで、おれも……それから兄やら姉なんかも……そういう話が頭の中にしみ込んじまったんでしょうね。
こっちには覚えるつもりがなくても、子どもの頭というのは物覚えがいいんです。立って歩くとか、大小便は厠でひるとか、飯椀は左手に箸は右手にとか、そういうことと同様に、当たり前のこととして覚えちまったんですよ。
そんなものだから、ちょっと突くとその手の話が、こう零れて出てくるという訳ですよ。困ったことに」
軽口めいた口ぶりで言った。言いながら、同時に脳漿の中ではいくつもの言葉と数字と図形とをめまぐるしく動かしていた。
『痩せても枯れても腐っても、瑪得瑪弟加塾塾生であるこの白木屋が奉納する算額だ。
ただ難しいだけの問題ではつまらないじゃないか。そして美しいだけの問題では物足りない。
如何にも「美しい呉服」を扱う「抜け目ない商人」にふさわしい文様を描く、そんな問題を考えねばならないな。
ああ面倒なことだ、面倒極まりない』
清次郎の脳の中で、突觸と神経細胞がめまぐるしく接続と切断をくり返している。
間を置かず、清次郎の口元に微笑が浮かんだ。頭の中には美しい数式が浮かんでいた。
その機を見越したものだろうか。あるいはただの偶然だったのだろうか。白木屋庄兵衛が清次郎ににじり寄って、
「ではあちらこちらをちょいちょいと突いてみましょう。妙案がポロリと落ちるかも知れません」
懐から袱紗包みを取り出した。
「とある筋から廻り廻って手前の手の中に入ったのでございますが、どうも手前の懐内には不釣り合いな代物のようでして」
開かれた袱紗の中には、金古美色の丸い物が入っていた。円形の一カ所に突起がある。突起の上部には楕円の環が付いている。
分厚い風防硝子の下に真っ白な円を十二等分して配置された羅馬数字。
円の中心から伸びて数字を指し示す、二本の長短の細い針。
それを見た瞬間、清次郎はその正体に気付いた。
『懐中時計だ!』
両の拳を握り締めて両の腿の上に置いた清次郎は、その場から一寸たりとも体を動かしてはならぬと、心中で己に言い聞かせた。
強く自制しなければ、この場で白木屋に飛びかかって、その掌に収まる丸い金属を奪い取る暴挙に出そうだ。
清次郎は奥歯をかみしめた。白木屋が彼の膝の前に置いた、袱紗にの上の金色の機械を見つめ、観察する。
『ケースは金無垢か金張か。鎖は付いていないのに提環には擦り傷があるな。ということは、最初は鎖を付けていたが、後々外した、か。
表面を見るだけでは解ることは少ないな。前の持ち主はかなり使い込んだが、丁寧に扱っていたに違いない、ことぐらいしかわからない。
ああ、裏蓋をこじ開けて、中の仕掛を見たい。撥条と歯車が噛み合い組み合って動くところを、じっくりと観察したい』
膝の上で握り締めている両手が、小刻みに震えた。
「そんなこんなで、父親の言葉を子どもの頃から聞かされていたんで、おれも……それから兄やら姉なんかも……そういう話が頭の中にしみ込んじまったんでしょうね。
こっちには覚えるつもりがなくても、子どもの頭というのは物覚えがいいんです。立って歩くとか、大小便は厠でひるとか、飯椀は左手に箸は右手にとか、そういうことと同様に、当たり前のこととして覚えちまったんですよ。
そんなものだから、ちょっと突くとその手の話が、こう零れて出てくるという訳ですよ。困ったことに」
軽口めいた口ぶりで言った。言いながら、同時に脳漿の中ではいくつもの言葉と数字と図形とをめまぐるしく動かしていた。
『痩せても枯れても腐っても、瑪得瑪弟加塾塾生であるこの白木屋が奉納する算額だ。
ただ難しいだけの問題ではつまらないじゃないか。そして美しいだけの問題では物足りない。
如何にも「美しい呉服」を扱う「抜け目ない商人」にふさわしい文様を描く、そんな問題を考えねばならないな。
ああ面倒なことだ、面倒極まりない』
清次郎の脳の中で、突觸と神経細胞がめまぐるしく接続と切断をくり返している。
間を置かず、清次郎の口元に微笑が浮かんだ。頭の中には美しい数式が浮かんでいた。
その機を見越したものだろうか。あるいはただの偶然だったのだろうか。白木屋庄兵衛が清次郎ににじり寄って、
「ではあちらこちらをちょいちょいと突いてみましょう。妙案がポロリと落ちるかも知れません」
懐から袱紗包みを取り出した。
「とある筋から廻り廻って手前の手の中に入ったのでございますが、どうも手前の懐内には不釣り合いな代物のようでして」
開かれた袱紗の中には、金古美色の丸い物が入っていた。円形の一カ所に突起がある。突起の上部には楕円の環が付いている。
分厚い風防硝子の下に真っ白な円を十二等分して配置された羅馬数字。
円の中心から伸びて数字を指し示す、二本の長短の細い針。
それを見た瞬間、清次郎はその正体に気付いた。
『懐中時計だ!』
両の拳を握り締めて両の腿の上に置いた清次郎は、その場から一寸たりとも体を動かしてはならぬと、心中で己に言い聞かせた。
強く自制しなければ、この場で白木屋に飛びかかって、その掌に収まる丸い金属を奪い取る暴挙に出そうだ。
清次郎は奥歯をかみしめた。白木屋が彼の膝の前に置いた、袱紗にの上の金色の機械を見つめ、観察する。
『ケースは金無垢か金張か。鎖は付いていないのに提環には擦り傷があるな。ということは、最初は鎖を付けていたが、後々外した、か。
表面を見るだけでは解ることは少ないな。前の持ち主はかなり使い込んだが、丁寧に扱っていたに違いない、ことぐらいしかわからない。
ああ、裏蓋をこじ開けて、中の仕掛を見たい。撥条と歯車が噛み合い組み合って動くところを、じっくりと観察したい』
膝の上で握り締めている両手が、小刻みに震えた。
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