6 / 35
柔太郎と清次郎
宇宙堂ニテ
しおりを挟む
赤松清次郎と紹介された男は、肩で息をしながら、
「まだ、縁組みは、済んで、いません」
切れ切れに小さく言うのへ、
「正式な縁組みは、な。だが、すでに藩邸でもお前は『巨助の孫』で通っている」
赤松家は代々武門の家柄で、ことに馬術をお家芸としていた。
清次郎から見ると養祖父に当たる巨助は江戸詰であった時期がある。藩の古老の中にはその人物像を覚えている者、あるいは、祖父・父などから伝え聞いている者もいた。
そういう人々は口を揃え、養父・小平太の事を通り越して、
「あの巨助の家が、武術ではなく算術の達者を養子に迎えるとはなぁ」
と驚いたような感心したような口ぶりで言う。よほどに巨助に武辺物の印象が強いのだろう。
「全く以て、面倒、な」
清次郎は無理矢理に息を整えて、女将の横をすり抜けて部屋に駆け込んだ。
「そんなことよりも兄上、これを、どうかこれをご覧下さい」
抱えていた風呂敷包みを柔太郎の膝前に放り投げるように置いて、彼はその傍らに飛び込み、すとんと座った。
柔太郎が包みを開けてみると、中味は糸で閉じて書物の形になった薄紙の束と、まだ閉じられていない薄紙の束があった。どちらとも、表面には細い細い線で文字らしき物が横書きに書き付けてある。文字だけではなく、図版もあった。
筆跡を見れば、徹頭徹尾、同一人物が書き上げたと言うことがわかる。
「これは……和蘭陀語か?」
閉じられている紙束の一冊を手に取った柔太郎が訊ねると、清次郎は大げさなくらいに大きくうなずいてみせた。ただし、柔太郎はそちらに目を向けていない。目玉は横書きの華奢なブロック体を追いかけている。
「これは……GEWEER……銃、か?」
再び疑問系でいう柔太郎の、紙束に落ちたままの目には入らない場所で、清次郎は嬉しげに何度もうなずいた。
「しかし、古くさい火縄銃のことなどではなく、燧石式の銃です」
まるで己を褒められたかのように嬉しげに胸を張っている。
柔太郎は手にしていた紙の束を元入っていた風呂敷の上に置き戻した。
閉じられている紙束の表紙に当たる紙には、
『宇宙堂ニテ写ス』
と小さく書き込まれている。
宇宙堂は瑪得瑪弟加塾塾長・内田弥太郎の号の一つだ。
こういった細かい情報を、こだわってきっちりと書き留めるのは、清次郎の一種のクセのようなものだが、周りの者には往々にして真意が伝わらない。
「これの原本は内田先生が所有なさっているのか?」
柔太郎の目がようやく紙束から離れた。清次郎の顔へ移動した視線は、弟の輝く瞳に注がれた。
「いえ、下曽根桂園先生からお借りいたしました」
「下曽根……というと、あの高島流砲術の? 赤羽橋に塾があるという?」
高島流砲術は、長崎の高島秋帆が、出島のオランダ人から学び取った洋式砲術を基礎にして完成させた砲術大系だ。秋帆はこの砲術を広めるために私塾を開いた。
その塾に、幕命を帯びた旗本寄合の下曽根桂園などが遊学し、習得し、さらにそれを広めるために塾を開いた。
「はい! さすが兄上は物事をよく知っておられる」
清次郎の声が一層明るくなった。
「まだ、縁組みは、済んで、いません」
切れ切れに小さく言うのへ、
「正式な縁組みは、な。だが、すでに藩邸でもお前は『巨助の孫』で通っている」
赤松家は代々武門の家柄で、ことに馬術をお家芸としていた。
清次郎から見ると養祖父に当たる巨助は江戸詰であった時期がある。藩の古老の中にはその人物像を覚えている者、あるいは、祖父・父などから伝え聞いている者もいた。
そういう人々は口を揃え、養父・小平太の事を通り越して、
「あの巨助の家が、武術ではなく算術の達者を養子に迎えるとはなぁ」
と驚いたような感心したような口ぶりで言う。よほどに巨助に武辺物の印象が強いのだろう。
「全く以て、面倒、な」
清次郎は無理矢理に息を整えて、女将の横をすり抜けて部屋に駆け込んだ。
「そんなことよりも兄上、これを、どうかこれをご覧下さい」
抱えていた風呂敷包みを柔太郎の膝前に放り投げるように置いて、彼はその傍らに飛び込み、すとんと座った。
柔太郎が包みを開けてみると、中味は糸で閉じて書物の形になった薄紙の束と、まだ閉じられていない薄紙の束があった。どちらとも、表面には細い細い線で文字らしき物が横書きに書き付けてある。文字だけではなく、図版もあった。
筆跡を見れば、徹頭徹尾、同一人物が書き上げたと言うことがわかる。
「これは……和蘭陀語か?」
閉じられている紙束の一冊を手に取った柔太郎が訊ねると、清次郎は大げさなくらいに大きくうなずいてみせた。ただし、柔太郎はそちらに目を向けていない。目玉は横書きの華奢なブロック体を追いかけている。
「これは……GEWEER……銃、か?」
再び疑問系でいう柔太郎の、紙束に落ちたままの目には入らない場所で、清次郎は嬉しげに何度もうなずいた。
「しかし、古くさい火縄銃のことなどではなく、燧石式の銃です」
まるで己を褒められたかのように嬉しげに胸を張っている。
柔太郎は手にしていた紙の束を元入っていた風呂敷の上に置き戻した。
閉じられている紙束の表紙に当たる紙には、
『宇宙堂ニテ写ス』
と小さく書き込まれている。
宇宙堂は瑪得瑪弟加塾塾長・内田弥太郎の号の一つだ。
こういった細かい情報を、こだわってきっちりと書き留めるのは、清次郎の一種のクセのようなものだが、周りの者には往々にして真意が伝わらない。
「これの原本は内田先生が所有なさっているのか?」
柔太郎の目がようやく紙束から離れた。清次郎の顔へ移動した視線は、弟の輝く瞳に注がれた。
「いえ、下曽根桂園先生からお借りいたしました」
「下曽根……というと、あの高島流砲術の? 赤羽橋に塾があるという?」
高島流砲術は、長崎の高島秋帆が、出島のオランダ人から学び取った洋式砲術を基礎にして完成させた砲術大系だ。秋帆はこの砲術を広めるために私塾を開いた。
その塾に、幕命を帯びた旗本寄合の下曽根桂園などが遊学し、習得し、さらにそれを広めるために塾を開いた。
「はい! さすが兄上は物事をよく知っておられる」
清次郎の声が一層明るくなった。
11
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
【18禁】「胡瓜と美僧と未亡人」 ~古典とエロの禁断のコラボ~
糺ノ杜 胡瓜堂
歴史・時代
古典×エロ小説という無謀な試み。
「耳嚢」や「甲子夜話(かっしやわ)」「兎園小説」等、江戸時代の随筆をご紹介している連載中のエッセイ「雲母虫漫筆」
実は江戸時代に書かれた書物を読んでいると、面白いとは思いながら一般向けの方ではちょっと書けないような18禁ネタや、エロくはないけれど色々と妄想が膨らむ話などに出会うことがあります。
そんな面白い江戸時代のストーリーをエロ小説風に翻案してみました。
今回は、貞享四(1687)年開板の著者不詳の怪談本「奇異雑談集」(きいぞうだんしゅう)の中に収録されている、
「糺の森の里、胡瓜堂由来の事」
・・・というお話。
この貞享四年という年は、あの教科書でも有名な五代将軍・徳川綱吉の「生類憐みの令」が発布された年でもあります。
令和の時代を生きている我々も「怪談」や「妖怪」は大好きですが、江戸時代には空前の「怪談ブーム」が起こりました。
この「奇異雑談集」は、それまで伝承的に伝えられていた怪談話を集めて編纂した内容で、仏教的価値観がベースの因果応報を説くお説教的な話から、まさに「怪談」というような怪奇的な話までその内容はバラエティに富んでいます。
その中でも、この「糺の森の里、胡瓜堂由来の事」というお話はストーリー的には、色欲に囚われた女性が大蛇となる、というシンプルなものですが、個人的には「未亡人が僧侶を誘惑する」という部分にそそられるものがあります・・・・あくまで個人的にはですが(原話はちっともエロくないです)
激しく余談になりますが、私のペンネームの「糺ノ杜 胡瓜堂」も、このお話から拝借しています。
三話構成の短編です。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる