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夏休みの間
69.怖くない幽霊。
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また雷光が輝いた。
家がビリビリと揺れる。
天井近くでブツンと音がして、電灯が消えた。
昼間なのに真っ暗になった部屋の隅に、白い着物を着た女の人が立っていた。
いや、立っていると言うよりは、浮かんでいると表現した方が正しいのかも知れない。
『幽霊だ!』
龍は雷が自分の頭に落ちたみたいに驚いて、ガタガタ震えた。
光なのか影なのか区別が付かないくらいぼんやり見えるその女の人は、龍をじっと見て、ふわっと笑った。
真っ白な顔、黒い瞳、薄紅の唇。
「『トラ』?」
思わず口をついて出てきた言葉に、龍自身が驚いた。それから怖くなった。
女の人は龍を見つめて微笑んだまま黙っている。龍が呼んだ名前が違っているとも合っているとも答えてくれない。
なにも答えないことが余計に恐ろしい。
龍は汗ばんだ腕で目の回りをごしごしと拭いた。いっぺん目を閉じて、一つ呼吸をしてからかっと目蓋を開いた。
女の人は、確かに「トラ」によく似ているけれど、全然似ていなかった。
まず「トラ」より少し背が高い。「トラ」よりずっと髪の毛が長い。そして「トラ」よりずっと年上のようだ。
龍は心臓がドキドキ飛び跳ねるのが収まってくるまでチョットだけ待ってから、
「寅姫さま?」
訊いたけれども、女の人はやっぱり返事をしてくれない。
でも、言葉で答える代わりに、笑顔を大きくした。
龍はホッとした。
おかしな事だけれど、目の前に幽霊が――だって、寅姫さまはずっと大昔に無くなった人だから、もし今ここにいるとしたらそれは絶対幽霊だ――いるのに、ちっとも怖く感じない。
『幽霊が「トラ」でなくて良かった。「トラ」が幽霊になっていなくて良かった』
そればかり考えて、安心し、喜んでいる。
でもすぐ困ったことに気付いた。
寅姫さまの幽霊らしき女の人は、ただ微笑むばかりだ。どうしてここにいるのか、何をして欲しいのか、何の説明もしてくれない。
仕方がないから龍は質問することにした。
「どうしてこんな所に居るんですか?」
寅姫さまはやっぱり答えてくれなかった。
それは龍が予想したとおりだったけれど、そんな予想が当ったって、ちっとも嬉しくなんかない。
「困ったなぁ」
龍は頭を掻いた。
そうするうちに、寅姫さまはふんわり、すぅっと彼の膝元までやってきた。そうして、ひんやり細い手指の先を彼のおでこの真ん中にあてがった。
ほんの軽く触られただけなのに、龍の身体はぐいっと押しつけられたみたいに重くなった。
床は重さに耐えかねて歪み始めた。
身体はぐんぐん床に押し込まれる。
まるで、できあがって一時間くらい経った頃のカレーの表面に貼った薄い膜の上に乗っけたしゃもじみたいに、龍の身体はゆっくりと床にめり込んだ。
でも龍は、痛みとか苦しさとかは、ちっとも感じなかった。
なにしろ、溶けてゆく床は暖かいし、寅姫の手はひんやりと心地よい。それに目の前の寅姫はずっとにこやかに笑っている。
何か恐ろしいことが起きるようには全然思えない。
龍は真っ暗な場所まで落ちたのに、まるきり怖くなかった。とても居心地が良かった。
家がビリビリと揺れる。
天井近くでブツンと音がして、電灯が消えた。
昼間なのに真っ暗になった部屋の隅に、白い着物を着た女の人が立っていた。
いや、立っていると言うよりは、浮かんでいると表現した方が正しいのかも知れない。
『幽霊だ!』
龍は雷が自分の頭に落ちたみたいに驚いて、ガタガタ震えた。
光なのか影なのか区別が付かないくらいぼんやり見えるその女の人は、龍をじっと見て、ふわっと笑った。
真っ白な顔、黒い瞳、薄紅の唇。
「『トラ』?」
思わず口をついて出てきた言葉に、龍自身が驚いた。それから怖くなった。
女の人は龍を見つめて微笑んだまま黙っている。龍が呼んだ名前が違っているとも合っているとも答えてくれない。
なにも答えないことが余計に恐ろしい。
龍は汗ばんだ腕で目の回りをごしごしと拭いた。いっぺん目を閉じて、一つ呼吸をしてからかっと目蓋を開いた。
女の人は、確かに「トラ」によく似ているけれど、全然似ていなかった。
まず「トラ」より少し背が高い。「トラ」よりずっと髪の毛が長い。そして「トラ」よりずっと年上のようだ。
龍は心臓がドキドキ飛び跳ねるのが収まってくるまでチョットだけ待ってから、
「寅姫さま?」
訊いたけれども、女の人はやっぱり返事をしてくれない。
でも、言葉で答える代わりに、笑顔を大きくした。
龍はホッとした。
おかしな事だけれど、目の前に幽霊が――だって、寅姫さまはずっと大昔に無くなった人だから、もし今ここにいるとしたらそれは絶対幽霊だ――いるのに、ちっとも怖く感じない。
『幽霊が「トラ」でなくて良かった。「トラ」が幽霊になっていなくて良かった』
そればかり考えて、安心し、喜んでいる。
でもすぐ困ったことに気付いた。
寅姫さまの幽霊らしき女の人は、ただ微笑むばかりだ。どうしてここにいるのか、何をして欲しいのか、何の説明もしてくれない。
仕方がないから龍は質問することにした。
「どうしてこんな所に居るんですか?」
寅姫さまはやっぱり答えてくれなかった。
それは龍が予想したとおりだったけれど、そんな予想が当ったって、ちっとも嬉しくなんかない。
「困ったなぁ」
龍は頭を掻いた。
そうするうちに、寅姫さまはふんわり、すぅっと彼の膝元までやってきた。そうして、ひんやり細い手指の先を彼のおでこの真ん中にあてがった。
ほんの軽く触られただけなのに、龍の身体はぐいっと押しつけられたみたいに重くなった。
床は重さに耐えかねて歪み始めた。
身体はぐんぐん床に押し込まれる。
まるで、できあがって一時間くらい経った頃のカレーの表面に貼った薄い膜の上に乗っけたしゃもじみたいに、龍の身体はゆっくりと床にめり込んだ。
でも龍は、痛みとか苦しさとかは、ちっとも感じなかった。
なにしろ、溶けてゆく床は暖かいし、寅姫の手はひんやりと心地よい。それに目の前の寅姫はずっとにこやかに笑っている。
何か恐ろしいことが起きるようには全然思えない。
龍は真っ暗な場所まで落ちたのに、まるきり怖くなかった。とても居心地が良かった。
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