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夏休みの間
55.蝉が鳴く。
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言ったすぐ後、龍は変な言い方だと感じた。そして、なんで変なんだろうだろうと考えた。
ちょっと考えた後、赤ちゃんが生まれたのはずっと昔のことなのに、まるでこれから生まれるみたいな言い方をしてしまったからだと気付いた。
文集用の作文を提出したあとで間違いに気付いたみたいな、変な気分だった。
『「トラ」にも変な風に思われたかな』
龍は子供の「トラ」の顔をちらりと見た。
「男の子が生まれるんだよ」
「トラ」は笑っていた。でも、それは嬉しそうで悲しそうな笑顔だった。
「それが三百年くらい前。
それ以来、ボクの家に生まれた男の子は、ずっと寅姫と龍神のお社を守っている。
つまり、その仕事は女の子はやっちゃいけないって意味だ。
だから、もしボクがその仕事をやるためには、ボクは男の子じゃなきゃいけないんだ。
それでボクのお母さんは……」
声は尻つぼみに小さくなって、やがて唇から続きが出てこなくなった。
龍は何をどう言ってあげたらよいのか判らなくて、黙り込んだ。
二人とも口をつぐんで、ただお互いの顔を見合っていた。
セミがシュワシュワと鳴いている。
ちょっと遠くて少し近い場所で、誰かが何かを歌っているみたいな声が聞こえる。
黙っている間に「トラ」の顔の悲しそうな笑顔が、フツウの笑顔に変わっていった。
冷えたガラスが流れるみたいに、ゆっくりと、少しずつ。
やがて完全にフツウに戻った笑顔だったけれど、その直後、「トラ」の眉毛は八の時にゆがんだ。
「最初のは、解らないよ」
困り笑顔の「トラ」は、申し訳なさそうに頭を左右に振った。
「最初の? 何の最初?」
龍が裏返った声で訊ね返すと、彼女は小さく吹き出した。肩が小刻みに揺れる。
「自分で幾つも質問しただろう? その一番最初」
龍は顔を天井に向けて考え込んだ。「トラ」に訊きたかった解らないことの答えは、全部返ってきたような気がしていた。
……答えてもらったセイで余計にこんがらかったこともあったような気もするけれど。
でも、「トラ」が言うからには、まだ何か質問をしていたのだろう。そして自分は、ほんの少しの間に、質問をしたと言うことを忘れてしまったのだろう。
彼は「トラ」の方が勘違いをしているとはちっとも考えなかった。
『だって、僕より「トラ」の方が頭が良いんだから。今までだって間違ったことなんか一回もなかったから』
だから、大分恥ずかしくなった。
そして、不安になった。
自分の言ったことをころっと忘れてしまったなんて、また「トラ」に笑われるかもしれない。バカにされるかもしれない。
「僕、なんて言った?」
恐る恐る、訊ねる。
「トラ」の肩の揺れがぴたりとやんだ。少しだけ龍をバカにしているみたいだった笑顔も、すっと消えた。
代わりに広がったのは、とても誠実で、とても真面目な、真剣の色だった。
「御札が消えたと言った。でも君は、それがなんの御札で、何処から消えたのかは言わなかった。
だから、ボクには解らない、と答えるより他にない」
ちょっと考えた後、赤ちゃんが生まれたのはずっと昔のことなのに、まるでこれから生まれるみたいな言い方をしてしまったからだと気付いた。
文集用の作文を提出したあとで間違いに気付いたみたいな、変な気分だった。
『「トラ」にも変な風に思われたかな』
龍は子供の「トラ」の顔をちらりと見た。
「男の子が生まれるんだよ」
「トラ」は笑っていた。でも、それは嬉しそうで悲しそうな笑顔だった。
「それが三百年くらい前。
それ以来、ボクの家に生まれた男の子は、ずっと寅姫と龍神のお社を守っている。
つまり、その仕事は女の子はやっちゃいけないって意味だ。
だから、もしボクがその仕事をやるためには、ボクは男の子じゃなきゃいけないんだ。
それでボクのお母さんは……」
声は尻つぼみに小さくなって、やがて唇から続きが出てこなくなった。
龍は何をどう言ってあげたらよいのか判らなくて、黙り込んだ。
二人とも口をつぐんで、ただお互いの顔を見合っていた。
セミがシュワシュワと鳴いている。
ちょっと遠くて少し近い場所で、誰かが何かを歌っているみたいな声が聞こえる。
黙っている間に「トラ」の顔の悲しそうな笑顔が、フツウの笑顔に変わっていった。
冷えたガラスが流れるみたいに、ゆっくりと、少しずつ。
やがて完全にフツウに戻った笑顔だったけれど、その直後、「トラ」の眉毛は八の時にゆがんだ。
「最初のは、解らないよ」
困り笑顔の「トラ」は、申し訳なさそうに頭を左右に振った。
「最初の? 何の最初?」
龍が裏返った声で訊ね返すと、彼女は小さく吹き出した。肩が小刻みに揺れる。
「自分で幾つも質問しただろう? その一番最初」
龍は顔を天井に向けて考え込んだ。「トラ」に訊きたかった解らないことの答えは、全部返ってきたような気がしていた。
……答えてもらったセイで余計にこんがらかったこともあったような気もするけれど。
でも、「トラ」が言うからには、まだ何か質問をしていたのだろう。そして自分は、ほんの少しの間に、質問をしたと言うことを忘れてしまったのだろう。
彼は「トラ」の方が勘違いをしているとはちっとも考えなかった。
『だって、僕より「トラ」の方が頭が良いんだから。今までだって間違ったことなんか一回もなかったから』
だから、大分恥ずかしくなった。
そして、不安になった。
自分の言ったことをころっと忘れてしまったなんて、また「トラ」に笑われるかもしれない。バカにされるかもしれない。
「僕、なんて言った?」
恐る恐る、訊ねる。
「トラ」の肩の揺れがぴたりとやんだ。少しだけ龍をバカにしているみたいだった笑顔も、すっと消えた。
代わりに広がったのは、とても誠実で、とても真面目な、真剣の色だった。
「御札が消えたと言った。でも君は、それがなんの御札で、何処から消えたのかは言わなかった。
だから、ボクには解らない、と答えるより他にない」
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