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夏休みの間

23.鉄の梯子。

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 左足が川の中に落ちた。

 バシャリと音がして、澄んだ水が跳ね上がる。しぶきの一滴が顔のあたりまで跳んだ。
 足首のあたりまでが水に浸かった。濡れた靴がじわじわ冷たくなってゆく。
 慌ててを持ち上げた。なま暖かい何かが、踝《くるぶし》の上にぺたり張り付いている。

 人の形に切り抜かれた紙。
 難しい文字がぎっしり書かれている真ん中に、自分の名がある。

 龍は大あわてでそれを掴み取った。
 紙は、今度は掌と指にまとわりついた。
 小さな白い人間が龍の手にしがみついているみたいになった。

「うわぁー!」

 遠くへ投げ捨てたつもりだったけれど、水に濡れた紙は以外と飛ばない。
 狭い川の反対岸のへ、ぺちょりと落ちた。

 その時、龍は気付いた。

「一昨日も昨日も今日も、雨なんかこれっぽっちも降ってないのに、なんであれが川にあるんだろう?」

 龍にとって、あの御札は「雨の降った翌々日に川岸に打ち上げられている物」だった。
 それ以外の場所で彼が目にすることはなかった。だから、それ以外の時と場所にあるはずがないというのが、龍の頭の中での常識だった。
 確かにそれは川上から流れてくるのだろうとはぼんやりと想像してはいた。
 それはつまり、川上のどこかにそれが流れ始める場所があるということだ。

「もしかして、この向こうが出発点?」

 ゆっくりと、恐る恐る、龍は「川上」に目を向けた。
 鉄の柵で塞がれた、暗い穴。
 龍はつばを飲み込もうとした。でも、口の中がカラカラに乾いていて、へんてこな空気が喉の奥を通っただけで終わった。
 気持ちが落ち着かない。胸のあたりまでがひりひりと痛くなった気がする。心臓がドキドキする。
 そのドキドキが、体中に血液を運んでいる。
 頭のてっぺんから足の先まで、大動脈から毛細血管まで、ドキドキと鳴り、ビクビクと騒ぐ。
 カラカラの喉から熱い息を吐き出しながら、龍はもう一度鉄の柵に近づいた。近づいたけれど、今度は鉄の柵にしがみつくようなことはしなかった。
 鉄の柵には触らないで、柵の周りを注意深く見ることにした。

 すると、鉄の柵の脇の壁に蔓草つるくさが巻き付いた鉄のはしごあるのを見付けた。壁にぴったり取り付けられて、まっすぐ上に続いている。
 少し古い感じのはしごだったけれど、白い塗料がきれいに塗られていて、さびても汚れてもいなかった。
 壁の高さは龍の目には自分の信条の三倍くらい高いように見えた。そこに据え付けられているはしごも、やっぱり同じくらいの高さがあるんじゃないかと思った。
 龍の足は自然に壁に向かい、手は当たり前のようにはしごを掴んだ。
 鉄のはしごの、蔓草の葉っぱの影に隠れていたところはひんやりと冷たかった。日の当たっているところはほんのりと熱い。
 腕で体を引っ張り上げ、足で体を持ち上げて、彼ははしごをよじ登った。
 下から見上げていたときは、壁と同じぐらいの高さに思えた梯子だったけれど、壁の天辺から三十センチメートルぐらいのところで途切れていた。
 龍は途切れた先の、上の方に手を伸ばした。指先にが触った。まさぐると土があるのが解った。
 龍ははしご段の一番上まで昇り切った。地面に手を突いて、しっかりと掴んで、体を持ち上げる。

 熱い汗が額から流れ落ちて、目玉にしみこんだ。龍はあわてて目を閉じた。
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