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夏休みのすこし前
6.学校で怖い話をする。
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授業が始まるまであと二十分ぐらいある。
体育館の中からはバスケットのボールやバレーのボールが弾む音がした。
校庭に野球クラブとサッカークラブの上級生達がいて、朝の練習の後かたづけをしている。
第一音楽室からは合唱クラブの歌声、第二音楽室からはブラスバンドの練習の音が聞こえた。
校舎の廊下を走り回る足音が――それを注意する先生方声も――する。
自然にできたグループ事にわいわいとおしゃべりする声は、何を話しているのかはさっぱり判らないけれど、全部の教室からしている。
昼間の学校という場所は、喧噪に満ちている。
でもその日は、別の騒ぎがあった。
新校舎の正面玄関に大勢の大人達人が集まっていた。
正面玄関は、生徒達は使わない。先生方もあんまり出入りしない。
ここから校舎に入るのは「学校に訪れる人」たちだ。
一番新しい校舎の一階の真ん中から、コンクリートのひさしが突き出た玄関になっている。
そのの両脇に花壇があって、右側の花壇の中に学校の名前が刻まれた大きな石が据えてある。
ひさしの中側で、年をとった女の人がわぁわぁと叫んでいるのだ。
とても痩せていて、背丈が小さくて、顔や手がしわしわで、髪の毛が真っ白だったから、龍はお年寄りだと思った。着ているのが洋服ではなくて、薄い緑の混じった灰色のきれいな着物だったから、余計にそう見える。
お年寄りはちょっと背伸びをして教頭先生のスーツの襟にしがみついている。そして泣きながら何かを言っている。
他の先生達や、保健室の先生達もそこに集まってきていた。みんなでお年寄りを説得したり慰めたりしている様子だった。
それを登校してきた児童達が遠巻きに眺めている。校舎の窓から下を見ようと身を乗り出している児童もいた。そういう子供達は先生や上級生や学級委員長なんかに注意されたりもしている。
龍は怒られても減らない人垣の一番後ろにいた。人垣の中には先生なんかもいるから、龍が背伸びをしてもピョンピョン跳ねても、正面玄関の様子ははっきり見えなかった。
ただ、お年寄りは小さくて悲しそうな声で、何かを言っているらしいのは判る。言葉の内容はわからない出れど、教頭先生がその話をちゃんと聞いて、首を横に振ったり、縦に振ったりしているのも判る。
お年寄りは時々咳き込んだ。そうすると保健室の先生が背中をさすってあげた。
先生がたの何人かは校舎の中に出たり入ったりしている。
お巡りさんと話している先生もいる。
集まってきた児童を早く教室へ入れようとして、注意したり、怒ったりしている先生もいる。
たくさんの人がそれぞれに色々言っている。
龍にはその場所にいる全員の声が、言葉でも話でもないように思えた。
教頭先生や保健室の先生やお年寄りの「声」は聞こえてはいるのだけれども、それは「音」だった。
誰が何を言ってもお年寄りがその場を動こうとしないということは、説得しても納得してもらえていないと言うことだろう。
もしかしたら、お年寄りにも、その場所にいる全員の声が、言葉でも話でもないように思えているのかもしれない。
お年寄りは灰色がかった白髪をお団子のようにひとまとめにして頭の上にとめている。だけど、何か良いながら時々頭や体を揺すりったり泣いたりするものだから、そのお団子がどんどんと崩れて、解けた髪の毛がバラバラと背中や顔の方に垂れ下がった。
龍はお年寄りがまるで
『山姥みたい』
に見えた。
もう少しよく見てみようと背伸びをしたら、後ろから方をポンと叩かれた。
振り向くと、副担任の女教諭がいた。
背は高くなくて、髪の毛が半分位白くて、もうじき……だいたい龍たちの学年が卒業する頃……定年を迎えるY先生は、龍だけでなくその辺りにいる生徒一人一人の肩や頭のあたりを優しく軽く叩いたり、そっとなでたりしながら、
「教室に入りなさい」
と、静かに言って回った。
怒られたり、怒鳴られたりするよりも、こんな風に諭される方が、胸に響いた。
一人二人、ぽつりぽつりと、児童が野次馬の輪から外れ始めた。それはやがて川の堤防が切れたみたいに人垣が崩れ、人々は動き出し、昇降口へと流れ込んで行く。
ただ、皆おとなしくしているというのではなくて、わいわいとしゃべりながらの大移動だ。
それぞれが教室に入っても、その騒ぎは収まらない。
話題は当然、あのお年寄りのことだ。
誰かが言う。
「近所のお年寄りが、生徒たちがうるさいって苦情を言いに来たンじゃないかな」
別の誰かが言う。
「ウチの生徒の誰かのお祖母さんで、孫がいじめられているって言いに来たんだよ」
また別の誰かが言う。
「呆けちゃって、何でここにいるのか判らなくなちゃったンじゃないの?」
またまた別の誰かが言う。
「ずうっと前に卒業した生徒のお母さんとか?」
その誰かに、もっと別の誰かが訊いた。
「ずうっと前の卒業生のお母さんが、なんで今頃学校に来たりするのさ?」
「だからさ、呆けちゃってて、最近のことが判らなくなっちゃったんだよ。子供が大人になったあとのことは思い出せなくて、子供が子供だった頃のことしか覚えていなくて。それで、子供の頃の子供が家にいないもんだから、学校まで探しに来たんだ」
「おまえさぁ、もしかして、なんか変なマンガかなんか読んだ?」
「マンガって限定するし」
生徒たちはケラケラと笑った。
「怖いマンガだったら、似たようなの知ってるけどさ」
もっと別の誰かが言い出す。
「怖いって、どんな話さ?」
「えっと、子供が学校の新築現場を見に行くって言ったきり行方不明になっちゃって、心配したお母さんは、何十年も歩き回って捜し続けて。
んで、地震で学校の校舎が崩れたら、その床下からコンクリート詰めになった子供の死体が出てきて、その死体の足をもっと古い死体が掴んでいて、もっと古い死体の体にはもっともっと古い死体がいっぱいついていて。
その学校の敷地は昔は沼みたいな池で、そこで何人もおぼれて死んだりしていて。
建物を建てるときに固い地面にする工事のためにヒトバシラの生け贄っていうのをやって、その生け贄が成仏できなくて悪霊になっていて、それからおぼれて死んだ人とかも一緒に悪霊になって、そういうのは仲間をたくさん呼び寄せるから、学校の下には悪霊がうじゃうじゃいて……」
要領を得ない説明だったのだけれど、周囲の子供たちの背筋を凍らせるのにはそれで充分だった。
運の悪いことに、この学校も新校舎が建ったばかりだ。
子供達の想像力は、もしかしたら新校舎の床下に子供の死体があるかも知れない、というところまで飛躍した。
「怖いこと言うなよぉ」
「だって、どんな話かって訊いたのは、おまえじゃんかぁ」
彼らは、ばたばたと足踏みをしたり、できるだけ大きな声で話すようにしたりして、どうにか「怖い気持ち」を追い払おうとした。
龍の背筋も凍っていた。
それはコンクリート詰めの子供の死体を想像したからでも、何百年も昔のおぼれた人たちの死体の固まりを想像したからでもなかった。
「ヒトバシラの生け贄」
人間を命を神様のお供え物にする……彼の頭の中に、あの白い御札と、虎目石と、それから「トラ」の顔がいちどきにに浮かんだ。
危うくまた卒倒しそうになった。すんでの所で誰かの、
「校長先生が来た!」
という大声が聞こえたから、どうにか倒れずに済んだ。
教室から廊下にまで広がって、てんでにおしゃべりをしていた児童達は、キャイキャイした高い声を上げながら、自分の席へと駆け戻った。
龍も自分のロッカーにランドセルを放り込んで、ばたばたと席に着いた。
教室の教壇に近い方のドアが開いて入ってきたのは、誰かの叫び声通りに、少し禿げた、少し太った、少し怖そうな、少し優しそうな、校長先生だった。
体育館の中からはバスケットのボールやバレーのボールが弾む音がした。
校庭に野球クラブとサッカークラブの上級生達がいて、朝の練習の後かたづけをしている。
第一音楽室からは合唱クラブの歌声、第二音楽室からはブラスバンドの練習の音が聞こえた。
校舎の廊下を走り回る足音が――それを注意する先生方声も――する。
自然にできたグループ事にわいわいとおしゃべりする声は、何を話しているのかはさっぱり判らないけれど、全部の教室からしている。
昼間の学校という場所は、喧噪に満ちている。
でもその日は、別の騒ぎがあった。
新校舎の正面玄関に大勢の大人達人が集まっていた。
正面玄関は、生徒達は使わない。先生方もあんまり出入りしない。
ここから校舎に入るのは「学校に訪れる人」たちだ。
一番新しい校舎の一階の真ん中から、コンクリートのひさしが突き出た玄関になっている。
そのの両脇に花壇があって、右側の花壇の中に学校の名前が刻まれた大きな石が据えてある。
ひさしの中側で、年をとった女の人がわぁわぁと叫んでいるのだ。
とても痩せていて、背丈が小さくて、顔や手がしわしわで、髪の毛が真っ白だったから、龍はお年寄りだと思った。着ているのが洋服ではなくて、薄い緑の混じった灰色のきれいな着物だったから、余計にそう見える。
お年寄りはちょっと背伸びをして教頭先生のスーツの襟にしがみついている。そして泣きながら何かを言っている。
他の先生達や、保健室の先生達もそこに集まってきていた。みんなでお年寄りを説得したり慰めたりしている様子だった。
それを登校してきた児童達が遠巻きに眺めている。校舎の窓から下を見ようと身を乗り出している児童もいた。そういう子供達は先生や上級生や学級委員長なんかに注意されたりもしている。
龍は怒られても減らない人垣の一番後ろにいた。人垣の中には先生なんかもいるから、龍が背伸びをしてもピョンピョン跳ねても、正面玄関の様子ははっきり見えなかった。
ただ、お年寄りは小さくて悲しそうな声で、何かを言っているらしいのは判る。言葉の内容はわからない出れど、教頭先生がその話をちゃんと聞いて、首を横に振ったり、縦に振ったりしているのも判る。
お年寄りは時々咳き込んだ。そうすると保健室の先生が背中をさすってあげた。
先生がたの何人かは校舎の中に出たり入ったりしている。
お巡りさんと話している先生もいる。
集まってきた児童を早く教室へ入れようとして、注意したり、怒ったりしている先生もいる。
たくさんの人がそれぞれに色々言っている。
龍にはその場所にいる全員の声が、言葉でも話でもないように思えた。
教頭先生や保健室の先生やお年寄りの「声」は聞こえてはいるのだけれども、それは「音」だった。
誰が何を言ってもお年寄りがその場を動こうとしないということは、説得しても納得してもらえていないと言うことだろう。
もしかしたら、お年寄りにも、その場所にいる全員の声が、言葉でも話でもないように思えているのかもしれない。
お年寄りは灰色がかった白髪をお団子のようにひとまとめにして頭の上にとめている。だけど、何か良いながら時々頭や体を揺すりったり泣いたりするものだから、そのお団子がどんどんと崩れて、解けた髪の毛がバラバラと背中や顔の方に垂れ下がった。
龍はお年寄りがまるで
『山姥みたい』
に見えた。
もう少しよく見てみようと背伸びをしたら、後ろから方をポンと叩かれた。
振り向くと、副担任の女教諭がいた。
背は高くなくて、髪の毛が半分位白くて、もうじき……だいたい龍たちの学年が卒業する頃……定年を迎えるY先生は、龍だけでなくその辺りにいる生徒一人一人の肩や頭のあたりを優しく軽く叩いたり、そっとなでたりしながら、
「教室に入りなさい」
と、静かに言って回った。
怒られたり、怒鳴られたりするよりも、こんな風に諭される方が、胸に響いた。
一人二人、ぽつりぽつりと、児童が野次馬の輪から外れ始めた。それはやがて川の堤防が切れたみたいに人垣が崩れ、人々は動き出し、昇降口へと流れ込んで行く。
ただ、皆おとなしくしているというのではなくて、わいわいとしゃべりながらの大移動だ。
それぞれが教室に入っても、その騒ぎは収まらない。
話題は当然、あのお年寄りのことだ。
誰かが言う。
「近所のお年寄りが、生徒たちがうるさいって苦情を言いに来たンじゃないかな」
別の誰かが言う。
「ウチの生徒の誰かのお祖母さんで、孫がいじめられているって言いに来たんだよ」
また別の誰かが言う。
「呆けちゃって、何でここにいるのか判らなくなちゃったンじゃないの?」
またまた別の誰かが言う。
「ずうっと前に卒業した生徒のお母さんとか?」
その誰かに、もっと別の誰かが訊いた。
「ずうっと前の卒業生のお母さんが、なんで今頃学校に来たりするのさ?」
「だからさ、呆けちゃってて、最近のことが判らなくなっちゃったんだよ。子供が大人になったあとのことは思い出せなくて、子供が子供だった頃のことしか覚えていなくて。それで、子供の頃の子供が家にいないもんだから、学校まで探しに来たんだ」
「おまえさぁ、もしかして、なんか変なマンガかなんか読んだ?」
「マンガって限定するし」
生徒たちはケラケラと笑った。
「怖いマンガだったら、似たようなの知ってるけどさ」
もっと別の誰かが言い出す。
「怖いって、どんな話さ?」
「えっと、子供が学校の新築現場を見に行くって言ったきり行方不明になっちゃって、心配したお母さんは、何十年も歩き回って捜し続けて。
んで、地震で学校の校舎が崩れたら、その床下からコンクリート詰めになった子供の死体が出てきて、その死体の足をもっと古い死体が掴んでいて、もっと古い死体の体にはもっともっと古い死体がいっぱいついていて。
その学校の敷地は昔は沼みたいな池で、そこで何人もおぼれて死んだりしていて。
建物を建てるときに固い地面にする工事のためにヒトバシラの生け贄っていうのをやって、その生け贄が成仏できなくて悪霊になっていて、それからおぼれて死んだ人とかも一緒に悪霊になって、そういうのは仲間をたくさん呼び寄せるから、学校の下には悪霊がうじゃうじゃいて……」
要領を得ない説明だったのだけれど、周囲の子供たちの背筋を凍らせるのにはそれで充分だった。
運の悪いことに、この学校も新校舎が建ったばかりだ。
子供達の想像力は、もしかしたら新校舎の床下に子供の死体があるかも知れない、というところまで飛躍した。
「怖いこと言うなよぉ」
「だって、どんな話かって訊いたのは、おまえじゃんかぁ」
彼らは、ばたばたと足踏みをしたり、できるだけ大きな声で話すようにしたりして、どうにか「怖い気持ち」を追い払おうとした。
龍の背筋も凍っていた。
それはコンクリート詰めの子供の死体を想像したからでも、何百年も昔のおぼれた人たちの死体の固まりを想像したからでもなかった。
「ヒトバシラの生け贄」
人間を命を神様のお供え物にする……彼の頭の中に、あの白い御札と、虎目石と、それから「トラ」の顔がいちどきにに浮かんだ。
危うくまた卒倒しそうになった。すんでの所で誰かの、
「校長先生が来た!」
という大声が聞こえたから、どうにか倒れずに済んだ。
教室から廊下にまで広がって、てんでにおしゃべりをしていた児童達は、キャイキャイした高い声を上げながら、自分の席へと駆け戻った。
龍も自分のロッカーにランドセルを放り込んで、ばたばたと席に着いた。
教室の教壇に近い方のドアが開いて入ってきたのは、誰かの叫び声通りに、少し禿げた、少し太った、少し怖そうな、少し優しそうな、校長先生だった。
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