屈狸ークズリ―

神光寺かをり

文字の大きさ
上 下
1 / 2

クロアナグマ

しおりを挟む
 その日、電話口の義妹の口ぶりは要領を得なかった。早口で聞き取りづらい言葉の中から「倒れた」とか「救急車」とか「精密検査」とか「麻痺」といった単語を拾い、つなぎ合わせて、ようやく状況が把握できた。
 オフクロ様が病気になった。近所の診療所ではなく、遠方の総合病院に入院しなければならないような病気に。
 普段しっかり者の嫁がこんな状況なのだから、オヤジ殿の方は輪を掛けて聴牌テンパっているに違いない。取り乱す老人の様子を想像して、酷く不安になった。
 嫁ぎ先兼勤務先に頭を下げ、車をブッ飛ばしてきた娘は、病室中を開いたままの扉の陰からそっと覗き込んで、卒倒しかけた。

 いや、正確にはずっこけた。

 白とクリーム色しかない病室のほとんど真ん中に、毒々しいまでに真っ赤な色の、腹の丸い喜寿きじゅジジイが鎮座している。
 オヤジ殿はたぶん倅の「コレクション」の中から勝手に引っ張り出したのだろう派手派手しいアメコミ柄のTシャツを着込んでいた。臙脂えんじのジャージズボンはたぶん私が実家に置いてきた高校指定の運動着だ。丈も太さも足りないものを無理矢理はいているものだから、尻が半分出かかっている。広くなった額を隠すように猩々緋しょうじょうひのバンダナを巻いているが、こっちはオヤジ殿自身の趣味だ。
 派手派手しい発色のせいで、手前にいた義妹の姿にすぐには気付かなかった。

「おう、遅いかったな」

 オヤジ殿は、まるで自分の寝床のにいるようにくつろいだそぶりで、ひらひらと手を振る。

『この、ごま塩禿ハゲ達磨だるまめ!』

 喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込めたのは、脇にオフクロ様がいたからだ。
 うす青の検査着を羽織り、車椅子に座っていた。顔色はさほど悪くないが、頬のあたりが酷く浮腫むくんでいる。
 元々小柄な人だったが、無節操に膨張色を着込んだオヤジ殿が側にいるモノだから、余計に小さく縮んでみえた。

「たいしたこと、はないのよ」

 ようやく口を動かして言う。短い言葉だが、聞き取るのに苦労した。

「これがね、入院するのに、要るの。そろうかしら?」

 病人はゆらゆら揺れる手先で、メモを一枚差し出した。赤いボールペンの文字は、胃痙攣を起こした沙蚕ゴカイの群れのようだった。

「慌ててたから、必要なモノが全然わからなくて。わかる分はに頼んだけども……」

 義妹が申し訳なさそうな顔をしている。頼まれた方がふんぞり返って、

「肌着だのタオルだのが何処にあるかなんて、男親おとこおやが知ってるワケがない」

 平然と言った。

「あんたはこの人の『親』じゃなくて『亭主』でしょうに」

 病人当人が書いた文字を解読しながら、聞こえないように呟いた。

「売店は何階だっけ?」

「二階、でも、何でも、高いのよ」

 答えたのはオフクロ様だった。オヤジ殿は兎も角、しっかり者の筈の嫁もどうやら今に限っては役に立ちそうもない。ただ、おろおろしている。

「すぐ必要なものは、高いの安いの言ってる場合じゃないからね。緊急じゃないのは、あとでホームセンターか何かで仕入れてくる」

 オフクロ様はもぐもぐと口を動かし、手を震わせながら、別の何かを差し出した。

「これ」

 通帳とキャッシュカードだった。

「一階に、銀行、お金」

 確かに、病室を探すときに見た院内の案内板には、玄関ロビーの隅にを示す場所にATMの文字があった。

「治療費は退院するときでいいんだよ」

 通帳とカードを押し戻されたオフクロ様は、ちらりとオヤジ殿を見た。

「年金、お父さん、お金、出せないの」

 伝えたいことが言葉にならないのがもどかしいらしい。

「暗証番号を知らないの?」

 気を回して聞いた。ところが、

「キャッシュ何とかとか、ワカラねぇよ。銀行なんか行ったことねぇ」

 オヤジ殿は当たり前のように言い切った。
 オフクロ様が息を吐いた。まったく、病人に呆れられてどうする。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

せめく

月澄狸
現代文学
ひとりごと。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

#彼女を探して・・・

杉 孝子
ホラー
 佳苗はある日、SNSで不気味なハッシュタグ『#彼女を探して』という投稿を偶然見かける。それは、特定の人物を探していると思われたが、少し不気味な雰囲気を醸し出していた。日が経つにつれて、そのタグの投稿が急増しSNS上では都市伝説の話も出始めていた。

私たちの雪どけ

春光 皓
現代文学
「……もう、終わりにしよう」 長田望実は告げられた。 内心、もうダメなのかもしれないと思っていた。 七年間の同棲生活。 目に映る「今」を信じれば信じる程、見えなくなっていたのだろうか――。

トラロープの絆

深川さだお
現代文学
トラロープの絆は、商業誌掲載のため非公開といたします。ご愛読ありがとうございました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

新しい派遣先の上司が私のことを好きすぎた件 他

rpmカンパニー
恋愛
新しい派遣先の上司が私のことを好きすぎた件 新しい派遣先の上司は、いつも私の面倒を見てくれる。でも他の人に言われて挙動の一つ一つを見てみると私のこと好きだよね。というか好きすぎるよね!?そんな状態でお別れになったらどうなるの?(食べられます)(ムーンライトノベルズに投稿したものから一部文言を修正しています) 人には人の考え方がある みんなに怒鳴られて上手くいかない。 仕事が嫌になり始めた時に助けてくれたのは彼だった。 彼と一緒に仕事をこなすうちに大事なことに気づいていく。 受け取り方の違い 奈美は部下に熱心に教育をしていたが、 当の部下から教育内容を全否定される。 ショックを受けてやけ酒を煽っていた時、 昔教えていた後輩がやってきた。 「先輩は愛が重すぎるんですよ」 「先輩の愛は僕一人が受け取ればいいんです」 そう言って唇を奪うと……。

処理中です...