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【二】永楽銭六文
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海野宿の白鳥神社から分社せしめたという高市神社は、海野の市の鎮である。祭神は大国主と事代主の親子であるが、これは俗に言う大黒様と恵比寿様のことで、つまりは商業神であるから、市の守り神としては大変に適当(※いい加減という意味ではない)で有ると言えよう。
普段は無人であるその小さな社の裏手、至極小ぶりな井戸の中から、一本の腕が出た。
腕は二本に増え、その間から頭が出た。
真田昌幸である。
井戸の中から這い出でると、城内のあの井戸に飛び込む直前にそうしたように、辺りを見回す。
人気は無い。
にんまりと笑うと、昌幸は小躍りするような足取りで市へと向かった。
海野町は、東西におよそ一町の道筋に町割りが成されている。東から北国街道とつながり、その西の端は上田城の追手門。街道は北上すること再び一町余。西へ折れて、城の大外堀である矢出沢川の外側を善光寺平へと進む。要するに上田の宿駅でもあった。
海野町の名が示すとおり、北国街道を遡って上田の隣の宿場である海野宿から町人・百姓を呼び寄せて作らせている町だ。
海野は真田家の衰退した本家の本拠地である。城下にその名を冠した町を整備することによって、自分の家と勢力域に箔を付けよう、という昌幸の下心が透けて見える。……考えすぎだと思うが。
ともかく、海野町の市で商売をするのは海野宿出身の者が主な訳だが、僅かに甲州の出の者も含まれている。
真田昌幸は元々甲斐の武田信玄の寵臣だった。若い頃は奥近習六人衆というJr.めいた一団に所属し、キレのある動きと歌唱力の低さに定評のある足軽大将として信玄の傍近くに仕えていた。
信玄の死後、色々あって(徳川家康から金を引き出して)信州上田に城を建てることになった訳だが、そのときに甲州や上州における昌幸の領地に棲み暮らしていた人々も、少なからず従ってきた。
甲州屋やら、富士屋、あるいは上野屋、といった屋号の店は、あるいはそういった移住者が開いたものかもしれない。
昌幸が跳躍しながら向かったのは、冨士雪糕という小店であった。店先に小麦の焦げる甘い匂いが漂い、人だかりが出来ている。
この店の名物は小麦粉の焼き饅頭だ。小麦粉に甘味と卵を加えた生地を、丸いくぼみを切った銅板の型に流し込み、中に小豆餡や蛋漿餡を入れ込んで、筒状に焼き上げる。
その形が駿河の今川氏の家紋【丸に引両】に似ていると誰かがこじつけて「今川焼き」と呼んだり、円筒の形が太鼓のようだというので「太鼓饅頭」、むしろ車の車輪だと言う者がいて「車輪餅」、いや黄金の大判じゃと「大判焼き」、焼いた饅頭ゆえ「おやき」でよかろう、なににせよありがたいものに「御座候」などと、皆々勝手な呼び方をしているが、店の方では、味が自慢の「じまんやき」と名付けている。
元来が年寄り夫婦が営む茶店であって、先の戦の前は一膳飯なども饗していたのだが、近頃はこの焼き饅頭の人気があまりに高まりすぎて手が足りなくなり、飯も茶も出せなくなってしまった。
今は若い衆を幾人も雇い入れ、日が昇ってから暮れるまで、日がなに饅頭を焼き続けている。
店の若い衆と客とのやりとりが、また実に見事であった。
客は店先で若い者に饅頭の入り用な個数を告げて代金を払い、すぐに脇によける。そして、待つ。
別な客がまた若い衆に数を告げて銭を払い、よける。
その後にまた別な客が数を告げ、支払いをして、よける。
店の中ではひたすらに饅頭が焼かれ、客に告げられた数を各々取りよけて、経木に包む。
饅頭の数が多くて経木に包みきれぬ時は、朱で富士の山を描いた厚紙を小箱に仕立てたものに入れる。
そうして、店先の若い衆が、
「へーい、小豆いくつ、蛋漿いくつの客殿やーい!」
と呼ばわると、よけていた注文主が包みを受け取って帰って行く。
これを、誰が率いるとも指示するともなく、整然と繰り返しているから、全く見物である。
「鉄砲の三段打ちのようじゃ」
この様を見る度に、昌幸は感嘆の声を上げる。
さて、昌幸はただ感嘆したいがために、わざわざ城から脱走して町中に来る訳ではない。
信州上田三万八千石の殿様は、茶店の行列の最後尾に行儀良く並ぶために来ているのである。
そう。一つ鐚銭一文のじまんやきを買う、そのために、不思議な井戸の不思議な途を起動させるのだ。
先頭の客が、個数を告げて代金を払い脇によける。列が縮まり、待っている客が一歩前へ進む。昌幸も一歩ずつ、じりじりと進む。
一歩進む毎に、饅頭の焼ける香気が強くなる。
やがて昌幸の前に一人の客もいなくなった。注文取りの若い衆が、昌幸の顔を見て相好を崩す。
「へい、旦那様。いつもありがとうございます」
愛想良く言うや、店内へ振りかえって、
「小豆六つに蛋漿六つぅ」
注文も訊かずに職人へ指示を入れたものだ。
昌幸は破顔して、鐚銭四文=永楽銭一文の歩合で換算した三文に、
「先だっての分、を……な」
と、どうやら手元不如意のおりに付で買ったらしい分を合わせて、六文の永楽銭を払い、列から横によけた。
甲州から出てきた、今は隠居と呼ばれている老店主はともかく、後から雇い入れられた若い衆が、この壮年の侍の正体をどれ程まで深く知っているものだろうか。あるいは身分も名前も全く知らぬだろう。城主だなとどは思いもしていないに違いない。
それでいて、若い衆はこの客の好みも注文数も把握している。僅かな代金を付にすることも許している。
常客の上客なのである。
つまり、昌幸はそれだけ足繁くこの店に焼き饅頭を買いに来ているということに他ならない。
――あの不思議の井戸の途を使って。
やがて真田昌幸は、焼きたてほかほかのじまんやきを十個ぎっしり詰めた「朱で富士の山を描いた厚紙の小箱」と、残り二つをふんわり包んだ経木とを、しっかりと、ぬくぬくと抱きかかえて、高市神社へ駆け戻り、小さな井戸の水底に向かって、
「上田城、本丸」
と声をかけるや、その中へ飛び込んだのだった。
普段は無人であるその小さな社の裏手、至極小ぶりな井戸の中から、一本の腕が出た。
腕は二本に増え、その間から頭が出た。
真田昌幸である。
井戸の中から這い出でると、城内のあの井戸に飛び込む直前にそうしたように、辺りを見回す。
人気は無い。
にんまりと笑うと、昌幸は小躍りするような足取りで市へと向かった。
海野町は、東西におよそ一町の道筋に町割りが成されている。東から北国街道とつながり、その西の端は上田城の追手門。街道は北上すること再び一町余。西へ折れて、城の大外堀である矢出沢川の外側を善光寺平へと進む。要するに上田の宿駅でもあった。
海野町の名が示すとおり、北国街道を遡って上田の隣の宿場である海野宿から町人・百姓を呼び寄せて作らせている町だ。
海野は真田家の衰退した本家の本拠地である。城下にその名を冠した町を整備することによって、自分の家と勢力域に箔を付けよう、という昌幸の下心が透けて見える。……考えすぎだと思うが。
ともかく、海野町の市で商売をするのは海野宿出身の者が主な訳だが、僅かに甲州の出の者も含まれている。
真田昌幸は元々甲斐の武田信玄の寵臣だった。若い頃は奥近習六人衆というJr.めいた一団に所属し、キレのある動きと歌唱力の低さに定評のある足軽大将として信玄の傍近くに仕えていた。
信玄の死後、色々あって(徳川家康から金を引き出して)信州上田に城を建てることになった訳だが、そのときに甲州や上州における昌幸の領地に棲み暮らしていた人々も、少なからず従ってきた。
甲州屋やら、富士屋、あるいは上野屋、といった屋号の店は、あるいはそういった移住者が開いたものかもしれない。
昌幸が跳躍しながら向かったのは、冨士雪糕という小店であった。店先に小麦の焦げる甘い匂いが漂い、人だかりが出来ている。
この店の名物は小麦粉の焼き饅頭だ。小麦粉に甘味と卵を加えた生地を、丸いくぼみを切った銅板の型に流し込み、中に小豆餡や蛋漿餡を入れ込んで、筒状に焼き上げる。
その形が駿河の今川氏の家紋【丸に引両】に似ていると誰かがこじつけて「今川焼き」と呼んだり、円筒の形が太鼓のようだというので「太鼓饅頭」、むしろ車の車輪だと言う者がいて「車輪餅」、いや黄金の大判じゃと「大判焼き」、焼いた饅頭ゆえ「おやき」でよかろう、なににせよありがたいものに「御座候」などと、皆々勝手な呼び方をしているが、店の方では、味が自慢の「じまんやき」と名付けている。
元来が年寄り夫婦が営む茶店であって、先の戦の前は一膳飯なども饗していたのだが、近頃はこの焼き饅頭の人気があまりに高まりすぎて手が足りなくなり、飯も茶も出せなくなってしまった。
今は若い衆を幾人も雇い入れ、日が昇ってから暮れるまで、日がなに饅頭を焼き続けている。
店の若い衆と客とのやりとりが、また実に見事であった。
客は店先で若い者に饅頭の入り用な個数を告げて代金を払い、すぐに脇によける。そして、待つ。
別な客がまた若い衆に数を告げて銭を払い、よける。
その後にまた別な客が数を告げ、支払いをして、よける。
店の中ではひたすらに饅頭が焼かれ、客に告げられた数を各々取りよけて、経木に包む。
饅頭の数が多くて経木に包みきれぬ時は、朱で富士の山を描いた厚紙を小箱に仕立てたものに入れる。
そうして、店先の若い衆が、
「へーい、小豆いくつ、蛋漿いくつの客殿やーい!」
と呼ばわると、よけていた注文主が包みを受け取って帰って行く。
これを、誰が率いるとも指示するともなく、整然と繰り返しているから、全く見物である。
「鉄砲の三段打ちのようじゃ」
この様を見る度に、昌幸は感嘆の声を上げる。
さて、昌幸はただ感嘆したいがために、わざわざ城から脱走して町中に来る訳ではない。
信州上田三万八千石の殿様は、茶店の行列の最後尾に行儀良く並ぶために来ているのである。
そう。一つ鐚銭一文のじまんやきを買う、そのために、不思議な井戸の不思議な途を起動させるのだ。
先頭の客が、個数を告げて代金を払い脇によける。列が縮まり、待っている客が一歩前へ進む。昌幸も一歩ずつ、じりじりと進む。
一歩進む毎に、饅頭の焼ける香気が強くなる。
やがて昌幸の前に一人の客もいなくなった。注文取りの若い衆が、昌幸の顔を見て相好を崩す。
「へい、旦那様。いつもありがとうございます」
愛想良く言うや、店内へ振りかえって、
「小豆六つに蛋漿六つぅ」
注文も訊かずに職人へ指示を入れたものだ。
昌幸は破顔して、鐚銭四文=永楽銭一文の歩合で換算した三文に、
「先だっての分、を……な」
と、どうやら手元不如意のおりに付で買ったらしい分を合わせて、六文の永楽銭を払い、列から横によけた。
甲州から出てきた、今は隠居と呼ばれている老店主はともかく、後から雇い入れられた若い衆が、この壮年の侍の正体をどれ程まで深く知っているものだろうか。あるいは身分も名前も全く知らぬだろう。城主だなとどは思いもしていないに違いない。
それでいて、若い衆はこの客の好みも注文数も把握している。僅かな代金を付にすることも許している。
常客の上客なのである。
つまり、昌幸はそれだけ足繁くこの店に焼き饅頭を買いに来ているということに他ならない。
――あの不思議の井戸の途を使って。
やがて真田昌幸は、焼きたてほかほかのじまんやきを十個ぎっしり詰めた「朱で富士の山を描いた厚紙の小箱」と、残り二つをふんわり包んだ経木とを、しっかりと、ぬくぬくと抱きかかえて、高市神社へ駆け戻り、小さな井戸の水底に向かって、
「上田城、本丸」
と声をかけるや、その中へ飛び込んだのだった。
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