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大きな石
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破却されており、元よりほとんど何もない城内で、人足たちが引っ越し支度に立ち働いている。
もし、信之の上田城修築の願いが幕府に許されていたならば、今頃は城の建て直し工事に従事していたであろう大工町の職人たちが、そのために用意したはずの柱材や板材を、木っ端にして空壕へ投げ入れていた。
瓦町の鬼師たちも、手塩にかけた違いない金漆で彩られた瓦を、やはり砕いては壕へ投げ込んでいる。
「ええい、甲斐もないぇことだで。立派な城になるはずのものを打ち遣るのは」
「だれぇ構うものか。これは立派な真田様の城にするはずの材だらず? 後から来る何とかいう殿さまは、自分で立派な何とか様の城の材を用立てればええわえ」
職人たちが小声で言う言葉が、出浦昌相の耳に届いた。七十をとうに過ぎているというのに、耳も目も実に良く利く。
実を云えば、この男、忍びの頭領でもある。表向きは普通の家老職だが、裏では忍者を束ねている。若い頃には、手の者達を差し置いて、敵陣に忍び込んだりもしたらしい。
さて、職人達は元々埋め壕にされていたその上へ様々なものを投げ込んでいるのだから、二の丸・本丸の壕はすっかり埋め立てられ、地面と場所と地続きに見えるほどに平らな姿となっていた。
その一方で、庭師が松の木、梅の木に根回しをして、土から掘り起こしている。石工が石灯籠にこもを掛けている。
「こんねんまで、殿様は束ねて行かれなさるのかね」
「そりゃそうじゃろう。元々真田の殿様が植えたり据えたりしなしたもんだから、真田の殿様の持ち物ちうことになる。真田の殿様の持ち物なら、引っ越しの荷物になったとて不思議はねぇだら」
「そのくせ、奥方様や先代様のお墓は、残して行かれるときいたぞ」
「分骨なさるさけぇ、なんのことはないのじゃろうよ」
「後から来る殿様が、御陵墓を壊したりせんかの?」
「なぁに、そしたらへぇ、俺達がどやせばいいことずら」
人足たちの声は小声だが、昌相の耳に良く通る。
いや、良く聞こえ過ぎる。
『こやつら、よもやわしに聞かせるために喋っておるのではあるまいか?』
疑いを持った老臣は、その疑いが真実であったなら、職人・人足たちに今のような台詞を吹き込んだ当人であるはずの人物の見た。
背の高い老年の男の、十万石の殿様に見合わぬ地味な紬を着た背中を、チラリと、鋭く、睨む様に……。
途端、信之が振り向いた。肩越しに家臣を見返した目が意地悪く笑っている。
昌相は肩をすくめた。
真田信之はこの引っ越しを楽しんでいる。
徳川幕府に故郷を追われる哀れな「外様のお殿様」を装うことを。その非情な処置に僅かばかり手向かいする「反骨の武将」を演出することを。
そんなことを楽しんでいることが幕府に知れれば、今度は改易では済まないというのに、まるで刃の上を歩くような危ない遊びを、真田信之は楽しんでいる。
かつて、生死の狭間のギリギリの際を敢えて選ぶようにして、戦国の世を泳ぎ回りった男がいた。
最後は、ギリギリの橋を見事に渡り抜いてたどり着いたその先が、大雨で崩れた崖の底であった……そんな不運とも自業自得とも言える生涯を送った、真田安房守昌幸という男の、
『紛れもない。源三郎の中にはあやつの血が流れている』
出浦昌相は背筋に震えが走るのを感じた。
寒気ではない。
熱い武者震いであった。
老体の背骨がすっと伸びた。
こうしている間にも、荷造りされた物が次々と代八車に乗せられている。
大ぶりな代八車は北虎口から城外へ出、牛に引かれて北国街道善光寺道を北へ向かって進んで行く。
小ぶりな荷車は車力人足が轢いた。これは城外には出ない。櫓台の中半崩れた坤櫓の脇に付け、そこで荷物が下ろされる。
人足たちに担がれた荷物は、そこから切り立った崖に作られた石段を降りる。降りた先の、坤櫓のちょうど真下が船着きになっていた。
崖を洗う尼ヶ淵の水は、やがて千曲川に合流し、川中島へ向かって流れる。
こうして、様々な引っ越しの荷物を積み込んだ高瀬舟は、松代へと漕ぎ出して行く。
そして元々何もない城であった上田城は、ますます何もない城になって行った。
『それにしても執拗すぎる』
昌相には信之が何故ここまで徹底的に「城の中のもの」を持ち出そうとするのか、その理由が測りかねた。
いや、思い当たる節はある。
仙石忠政への嫌がらせ。だがこれは、これは御当人が否定している。
あるいは幕府への意趣返し。これも同様だ。幾分か不満はある様だが、大殿様は不平は言っていない。
となれば、
『単なる物惜しみ』
そこに考え至って、昌相は苦心して苦笑いを腹の中に封じ込めた。
『何しろこの大殿は、吝嗇であられるからな』
城下町を整備し、村分を開拓し、存命だった頃の父や弟の生活を支えつつ、幕府から命じられた橋や道の御普請、大坂の陣などへの派兵といった軍役、秀忠の京都御所参内への随身などの共奉、といった、様々な奉公を行った。
これらへの出費を滞りなく行い、当然九万五千石の大名としての体裁を十分整えた上で、信之が個人的に蓄財した金子は、なんと十万両を超える。
『その金子を、隠し運ぶ心づもりか』
そう考えれば、腑に落ちなくもない。
十万両といえば、重さ一千貫。現代のメートル法に換算すれば三千七百五十kgとなる。
この大量の黄金を、それと気付かせずに運び出すためには……それ以外の大量の荷物を創り出し、紛れ込ませることがが出来れば、あるいは……。
こう思い至った昌相であったは、すぐにこの考えを否定した。
件の金子に関しては、隠し立てするどころか、堂々「真田家御用」の札を立てて、陸路運搬する手はずであることを、家臣の誰もが知らされていた。当然昌相もわきまえている。
その警護のために、昌相は裏の配下、つまり忍者たちを街道筋に配置する指図を、不承不承ながら行っていた。
『では何を隠しているのか』
昌相はこの大荷物を「何かの目眩まし」であると決めつけた。
信之が立ち止まったのは、東虎口の櫓跡であった。
かつて櫓門を支えていた二基の櫓の内の北側、辰櫓の石垣の前である。
無論、櫓はない。石垣だけが残されている。
そう、ここだけ「石垣」が残されているのだ。
他の場所は全て崩された石垣が、この部分だけ残されている。
理由は――。
「これも持って行くぞ」
昌相は、主の指の先を見て、息を飲んだ。
彼の視線と主君の指先の交点には、幅も高さも人の背丈を悠に越える大石がある。
この、わずかに緑みがかった一枚岩は、表から見れば巨大だが、厚みは思った程のものではなかった。重さは見た目の印象よりはもずっと軽いはずだ。
だが、上田城を破却した徳川方の城番たちは、これを動かすことが出来なかったらしい。
そのため、城内にはこの大石を含む石垣だけが、上物を取り払われて何の役目も成さぬというのに、ぽつねんと残されていたのだ。
昌相のつぶらな眼が大きく見開かれた。口はだらしなくぽかりと開いている。
呆けた狸面で、彼はその巨石をみつめた。
しばらく鯉か鮒のように目を瞬かせたり口を開閉させたりしていたが、やがて上吊った声を絞り出した。
「この石は安房殿が……」
「そうだ。亡き親父殿が苦心して太郎山より切り出した大石だ」
真田信之、満面これ笑み、である。
主従の脳裏には、そのときの光景が鮮やかに蘇っていた。
太郎山は上田盆地の北方にある。その名は、この地方を昔から支配していた海野氏の総領名「小太郎」に因むとも伝えられるが、定かではない。
硬質な緑色凝灰岩という優れた石材と、柱状節理を呈する流紋岩というまれに見る奇岩を産するこの山は、古来から神聖視され、修験道の修行場としても名高い。
山体からその石が切り出され、コロで引かれ、牛馬の引く車に乗せられ、矢出沢川を渡った時、誰もが感嘆の声を上げた。車輪がきしむ音に、人々は興奮した。
神職が祝詞を上げる。僧侶が経文を読む。百姓が田楽を舞う。
歌が青空に満ちた。
大気が歓喜で振動する中、石は悠然と列を成して進む。
やがて石は組まれて橋を成し、水を堰き止めて濠を成し、積み上げられて垣となった。
東虎口にこの巨大な石を据えた時、真田昌幸は満足そうに笑い、云った。
「この石こそ我が化身。たといわしがこの城を離れることがあっても、この石はこの城を守る。攻め来る敵は追い返す。慕い来る者を出迎える」
組み上げられた石垣の上で、整地された土盛の上で、人々は舞い踊った。
鉦や太鼓が打ち鳴らされて、高らに響く笛の音に合わせて獅子が舞う。
人々の足に踏み固められた土は、城の土台となり、町の守りとなる。
満足げにこの祭りを眺めていた昌幸が、人々の歌声に吊られて立ち上がり、自身も調子外れに歌い出したのを、信幸と昌相とがやんわりと、且つ必死の思いで止めた、その三十数年前のあの日のことが、つい昨日の出来事のように思い起こされる。
風が吹いた。
微かに湿った土の匂いを嗅ぎ取って、昌相は今に引き戻された。
主君・信之が淡い緑色の巨石を愛おしげに撫でている。
「二十年前、城番衆はこれを動かせなかったと云うが、なんの動かぬという筈が無い。親父殿は山からここまで運び出したのだ。今度はわしが上田から松代まで運ぶ番だ」
齢五十七になる老大殿が、小童のように笑った。
『ああ、このためか。石灯籠も庭の木々も、襖も、鍋釜も、一切を私物と云い張ったのは、石垣の石を運び出すことを不審に思われぬ、そのためであったか』
なんという大がかりな偽装工作であろうか。
しかし、これは大きすぎる。嵩がありすぎる。重すぎる。
初め、昌相が反対しようと考えたのも無理はない。
だが、結局は彼もこの「形見分け」に賛同した。
信之が、
「わしから見ればこの大石は、上田城と、小県の地と、何よりも親父殿の化身に他ならない。わしは親父殿に松代まで御同行願うつもりだ」
と、付け足したからだ。
「かしこまりました。直ちに石工と人夫を集め、大石を運び出しましょう。安房殿を、我らと共に松代へ!」
昌相も主同様に満面の笑みを浮かべた。
早速に出浦昌相の手配によって、とりわけ屈強な人夫が集められた。石垣の周囲に足場が組まれ、支柱が立てられ、大石には綱が掛けられた。
信之や重臣たちの見守る中、人夫たちは慎重に、力強く、綱を引いた。
綱が、支柱が、足場が、人夫たちの骨が、音を立ててきしんだ。
重く湿った風は、人夫の汗も侍たちの脂汗も、乾かしてはくれない。
息の詰まる時間は長くは続かなかった。
綱が切れ、支柱が折れ、足場が崩れ、人夫たちは地面にたたきつけられた。
石は動かなかった。
怪我人が運び出され、代わりに、前にも増してたくましげな男たちがやってきた。
大石と石垣とのすき間に丸太を差し込んで、てこの要領で石を浮き上がらせようと試る。
丸太が折れた。
石はびくとしない。
馬奉行が厩から軍馬を十数頭引いて来た。太い縄を大石と繋いで馬に鞭を入れた。
四半刻の後、馬奉行は馬の背にちぎれた太縄を乗せて、厩へと逆戻りした。
石は微動だにしない。
大騒ぎを聞きつけて、人々が集まる。
いつの間にか城内は人で溢れていた。
神職が祈祷の祝詞を上げる。僧侶がの降伏の経文を読む。百姓が祈願の田楽を舞う。
歌は曇天に吸い込まれた。
城下の力自慢たちが次々に石にとりついて揺さぶった。
動くはずがない。
落胆の声が上がる。
そして、誰も口を利かなくなった。
曇り空から、水滴が落ちた。
叩く様な雨が人々を散らした。
巨石の前にたたずむ人間は、真田信之と出浦昌相のみであった。
雨だれが信之の前身をぬらした。目から頬を伝い、顎の先からしたたり落ちる水は、しかし果たして雨水なのだろうか。
ふ、と信之の頭上を暗がりが覆った。
藩主屋敷で膨大な書類を書き綴っている筈の禰津幸直が、傘を差し掛けている。
動かない石を見ながら信之はぽつりと呟いた。
「やれやれ、頑固な御仁よの」
「は?」
昌相が仰ぎ見ると、信之は悲しげに、大石を凝視ていた。
『この眼差し、かつて何処ぞで見たような……』
主君の横顔に、昌相は二十二年の昔を……関ヶ原合戦で西軍に加勢した真田昌幸・信繁が九度山に流された、あの冬の事を……思い出した。
父弟は謀反人である。徳川の家臣である信幸が二人を見送る事は、公には許されなかった。
物陰に隠れて、山道を行く父弟の背を眺める事しか、彼にはできなかった。
去って行く偉大な父と、従い行く父に認められた弟、そして二人に取り残された自分……。信之は寂しさの中に、羨望を溶かし込んだ、悲しげな眼差しを二人に向けていた。
そして彼は、誰に言うとでもなく呟いた。
「私一人が、ここに置いて行かれてしまった……」
その時、旧主の背に注いでいた視線と、今大石に注がれている視線は、まるで同じ物だ。
昌相がそっと傘の中をのぞき込むと、主君の頬はわずかに紅潮していた。
『さようですか、親父殿。この地を離れたくないと仰せなのですね。源二郎共々、上田の地を死守すると。松代へはそれがし独りで行けと。……私はまた、父上に置いてゆかれるのですね』
油紙を大粒の雨が叩いている。
「万事、整いましてございます」
幸直が小さく言上すると、真田信之は袖で顔を拭い、赤い目を細めて笑った。
微笑む主君の瞳から抑えきれぬ熱いものが、なお止めどなくあふれ出るのを、昌相は確かに見た。
追って上田城へ入った仙石兵部大輔忠政は、城跡にも藩主屋敷にも報告書通り本当に何一つ残されていないことに改めて驚愕した。
庭に庭木無く、家屋に家具無く、武器庫に矢の一条も無い。
巨大な、あの石をのぞいて。
それからやがて四百年も経とうだろうか。
上田城跡公園に復元された櫓門脇の石垣に、その大石……真田石……は居る。
彼らは今な、お静かに上田の地を守っている。
【了】
※この物語はフィクションです。
※現存する上田城石垣は(真田石と呼ばれる巨石も含めて)仙石忠政公が造ったものです。
もし、信之の上田城修築の願いが幕府に許されていたならば、今頃は城の建て直し工事に従事していたであろう大工町の職人たちが、そのために用意したはずの柱材や板材を、木っ端にして空壕へ投げ入れていた。
瓦町の鬼師たちも、手塩にかけた違いない金漆で彩られた瓦を、やはり砕いては壕へ投げ込んでいる。
「ええい、甲斐もないぇことだで。立派な城になるはずのものを打ち遣るのは」
「だれぇ構うものか。これは立派な真田様の城にするはずの材だらず? 後から来る何とかいう殿さまは、自分で立派な何とか様の城の材を用立てればええわえ」
職人たちが小声で言う言葉が、出浦昌相の耳に届いた。七十をとうに過ぎているというのに、耳も目も実に良く利く。
実を云えば、この男、忍びの頭領でもある。表向きは普通の家老職だが、裏では忍者を束ねている。若い頃には、手の者達を差し置いて、敵陣に忍び込んだりもしたらしい。
さて、職人達は元々埋め壕にされていたその上へ様々なものを投げ込んでいるのだから、二の丸・本丸の壕はすっかり埋め立てられ、地面と場所と地続きに見えるほどに平らな姿となっていた。
その一方で、庭師が松の木、梅の木に根回しをして、土から掘り起こしている。石工が石灯籠にこもを掛けている。
「こんねんまで、殿様は束ねて行かれなさるのかね」
「そりゃそうじゃろう。元々真田の殿様が植えたり据えたりしなしたもんだから、真田の殿様の持ち物ちうことになる。真田の殿様の持ち物なら、引っ越しの荷物になったとて不思議はねぇだら」
「そのくせ、奥方様や先代様のお墓は、残して行かれるときいたぞ」
「分骨なさるさけぇ、なんのことはないのじゃろうよ」
「後から来る殿様が、御陵墓を壊したりせんかの?」
「なぁに、そしたらへぇ、俺達がどやせばいいことずら」
人足たちの声は小声だが、昌相の耳に良く通る。
いや、良く聞こえ過ぎる。
『こやつら、よもやわしに聞かせるために喋っておるのではあるまいか?』
疑いを持った老臣は、その疑いが真実であったなら、職人・人足たちに今のような台詞を吹き込んだ当人であるはずの人物の見た。
背の高い老年の男の、十万石の殿様に見合わぬ地味な紬を着た背中を、チラリと、鋭く、睨む様に……。
途端、信之が振り向いた。肩越しに家臣を見返した目が意地悪く笑っている。
昌相は肩をすくめた。
真田信之はこの引っ越しを楽しんでいる。
徳川幕府に故郷を追われる哀れな「外様のお殿様」を装うことを。その非情な処置に僅かばかり手向かいする「反骨の武将」を演出することを。
そんなことを楽しんでいることが幕府に知れれば、今度は改易では済まないというのに、まるで刃の上を歩くような危ない遊びを、真田信之は楽しんでいる。
かつて、生死の狭間のギリギリの際を敢えて選ぶようにして、戦国の世を泳ぎ回りった男がいた。
最後は、ギリギリの橋を見事に渡り抜いてたどり着いたその先が、大雨で崩れた崖の底であった……そんな不運とも自業自得とも言える生涯を送った、真田安房守昌幸という男の、
『紛れもない。源三郎の中にはあやつの血が流れている』
出浦昌相は背筋に震えが走るのを感じた。
寒気ではない。
熱い武者震いであった。
老体の背骨がすっと伸びた。
こうしている間にも、荷造りされた物が次々と代八車に乗せられている。
大ぶりな代八車は北虎口から城外へ出、牛に引かれて北国街道善光寺道を北へ向かって進んで行く。
小ぶりな荷車は車力人足が轢いた。これは城外には出ない。櫓台の中半崩れた坤櫓の脇に付け、そこで荷物が下ろされる。
人足たちに担がれた荷物は、そこから切り立った崖に作られた石段を降りる。降りた先の、坤櫓のちょうど真下が船着きになっていた。
崖を洗う尼ヶ淵の水は、やがて千曲川に合流し、川中島へ向かって流れる。
こうして、様々な引っ越しの荷物を積み込んだ高瀬舟は、松代へと漕ぎ出して行く。
そして元々何もない城であった上田城は、ますます何もない城になって行った。
『それにしても執拗すぎる』
昌相には信之が何故ここまで徹底的に「城の中のもの」を持ち出そうとするのか、その理由が測りかねた。
いや、思い当たる節はある。
仙石忠政への嫌がらせ。だがこれは、これは御当人が否定している。
あるいは幕府への意趣返し。これも同様だ。幾分か不満はある様だが、大殿様は不平は言っていない。
となれば、
『単なる物惜しみ』
そこに考え至って、昌相は苦心して苦笑いを腹の中に封じ込めた。
『何しろこの大殿は、吝嗇であられるからな』
城下町を整備し、村分を開拓し、存命だった頃の父や弟の生活を支えつつ、幕府から命じられた橋や道の御普請、大坂の陣などへの派兵といった軍役、秀忠の京都御所参内への随身などの共奉、といった、様々な奉公を行った。
これらへの出費を滞りなく行い、当然九万五千石の大名としての体裁を十分整えた上で、信之が個人的に蓄財した金子は、なんと十万両を超える。
『その金子を、隠し運ぶ心づもりか』
そう考えれば、腑に落ちなくもない。
十万両といえば、重さ一千貫。現代のメートル法に換算すれば三千七百五十kgとなる。
この大量の黄金を、それと気付かせずに運び出すためには……それ以外の大量の荷物を創り出し、紛れ込ませることがが出来れば、あるいは……。
こう思い至った昌相であったは、すぐにこの考えを否定した。
件の金子に関しては、隠し立てするどころか、堂々「真田家御用」の札を立てて、陸路運搬する手はずであることを、家臣の誰もが知らされていた。当然昌相もわきまえている。
その警護のために、昌相は裏の配下、つまり忍者たちを街道筋に配置する指図を、不承不承ながら行っていた。
『では何を隠しているのか』
昌相はこの大荷物を「何かの目眩まし」であると決めつけた。
信之が立ち止まったのは、東虎口の櫓跡であった。
かつて櫓門を支えていた二基の櫓の内の北側、辰櫓の石垣の前である。
無論、櫓はない。石垣だけが残されている。
そう、ここだけ「石垣」が残されているのだ。
他の場所は全て崩された石垣が、この部分だけ残されている。
理由は――。
「これも持って行くぞ」
昌相は、主の指の先を見て、息を飲んだ。
彼の視線と主君の指先の交点には、幅も高さも人の背丈を悠に越える大石がある。
この、わずかに緑みがかった一枚岩は、表から見れば巨大だが、厚みは思った程のものではなかった。重さは見た目の印象よりはもずっと軽いはずだ。
だが、上田城を破却した徳川方の城番たちは、これを動かすことが出来なかったらしい。
そのため、城内にはこの大石を含む石垣だけが、上物を取り払われて何の役目も成さぬというのに、ぽつねんと残されていたのだ。
昌相のつぶらな眼が大きく見開かれた。口はだらしなくぽかりと開いている。
呆けた狸面で、彼はその巨石をみつめた。
しばらく鯉か鮒のように目を瞬かせたり口を開閉させたりしていたが、やがて上吊った声を絞り出した。
「この石は安房殿が……」
「そうだ。亡き親父殿が苦心して太郎山より切り出した大石だ」
真田信之、満面これ笑み、である。
主従の脳裏には、そのときの光景が鮮やかに蘇っていた。
太郎山は上田盆地の北方にある。その名は、この地方を昔から支配していた海野氏の総領名「小太郎」に因むとも伝えられるが、定かではない。
硬質な緑色凝灰岩という優れた石材と、柱状節理を呈する流紋岩というまれに見る奇岩を産するこの山は、古来から神聖視され、修験道の修行場としても名高い。
山体からその石が切り出され、コロで引かれ、牛馬の引く車に乗せられ、矢出沢川を渡った時、誰もが感嘆の声を上げた。車輪がきしむ音に、人々は興奮した。
神職が祝詞を上げる。僧侶が経文を読む。百姓が田楽を舞う。
歌が青空に満ちた。
大気が歓喜で振動する中、石は悠然と列を成して進む。
やがて石は組まれて橋を成し、水を堰き止めて濠を成し、積み上げられて垣となった。
東虎口にこの巨大な石を据えた時、真田昌幸は満足そうに笑い、云った。
「この石こそ我が化身。たといわしがこの城を離れることがあっても、この石はこの城を守る。攻め来る敵は追い返す。慕い来る者を出迎える」
組み上げられた石垣の上で、整地された土盛の上で、人々は舞い踊った。
鉦や太鼓が打ち鳴らされて、高らに響く笛の音に合わせて獅子が舞う。
人々の足に踏み固められた土は、城の土台となり、町の守りとなる。
満足げにこの祭りを眺めていた昌幸が、人々の歌声に吊られて立ち上がり、自身も調子外れに歌い出したのを、信幸と昌相とがやんわりと、且つ必死の思いで止めた、その三十数年前のあの日のことが、つい昨日の出来事のように思い起こされる。
風が吹いた。
微かに湿った土の匂いを嗅ぎ取って、昌相は今に引き戻された。
主君・信之が淡い緑色の巨石を愛おしげに撫でている。
「二十年前、城番衆はこれを動かせなかったと云うが、なんの動かぬという筈が無い。親父殿は山からここまで運び出したのだ。今度はわしが上田から松代まで運ぶ番だ」
齢五十七になる老大殿が、小童のように笑った。
『ああ、このためか。石灯籠も庭の木々も、襖も、鍋釜も、一切を私物と云い張ったのは、石垣の石を運び出すことを不審に思われぬ、そのためであったか』
なんという大がかりな偽装工作であろうか。
しかし、これは大きすぎる。嵩がありすぎる。重すぎる。
初め、昌相が反対しようと考えたのも無理はない。
だが、結局は彼もこの「形見分け」に賛同した。
信之が、
「わしから見ればこの大石は、上田城と、小県の地と、何よりも親父殿の化身に他ならない。わしは親父殿に松代まで御同行願うつもりだ」
と、付け足したからだ。
「かしこまりました。直ちに石工と人夫を集め、大石を運び出しましょう。安房殿を、我らと共に松代へ!」
昌相も主同様に満面の笑みを浮かべた。
早速に出浦昌相の手配によって、とりわけ屈強な人夫が集められた。石垣の周囲に足場が組まれ、支柱が立てられ、大石には綱が掛けられた。
信之や重臣たちの見守る中、人夫たちは慎重に、力強く、綱を引いた。
綱が、支柱が、足場が、人夫たちの骨が、音を立ててきしんだ。
重く湿った風は、人夫の汗も侍たちの脂汗も、乾かしてはくれない。
息の詰まる時間は長くは続かなかった。
綱が切れ、支柱が折れ、足場が崩れ、人夫たちは地面にたたきつけられた。
石は動かなかった。
怪我人が運び出され、代わりに、前にも増してたくましげな男たちがやってきた。
大石と石垣とのすき間に丸太を差し込んで、てこの要領で石を浮き上がらせようと試る。
丸太が折れた。
石はびくとしない。
馬奉行が厩から軍馬を十数頭引いて来た。太い縄を大石と繋いで馬に鞭を入れた。
四半刻の後、馬奉行は馬の背にちぎれた太縄を乗せて、厩へと逆戻りした。
石は微動だにしない。
大騒ぎを聞きつけて、人々が集まる。
いつの間にか城内は人で溢れていた。
神職が祈祷の祝詞を上げる。僧侶がの降伏の経文を読む。百姓が祈願の田楽を舞う。
歌は曇天に吸い込まれた。
城下の力自慢たちが次々に石にとりついて揺さぶった。
動くはずがない。
落胆の声が上がる。
そして、誰も口を利かなくなった。
曇り空から、水滴が落ちた。
叩く様な雨が人々を散らした。
巨石の前にたたずむ人間は、真田信之と出浦昌相のみであった。
雨だれが信之の前身をぬらした。目から頬を伝い、顎の先からしたたり落ちる水は、しかし果たして雨水なのだろうか。
ふ、と信之の頭上を暗がりが覆った。
藩主屋敷で膨大な書類を書き綴っている筈の禰津幸直が、傘を差し掛けている。
動かない石を見ながら信之はぽつりと呟いた。
「やれやれ、頑固な御仁よの」
「は?」
昌相が仰ぎ見ると、信之は悲しげに、大石を凝視ていた。
『この眼差し、かつて何処ぞで見たような……』
主君の横顔に、昌相は二十二年の昔を……関ヶ原合戦で西軍に加勢した真田昌幸・信繁が九度山に流された、あの冬の事を……思い出した。
父弟は謀反人である。徳川の家臣である信幸が二人を見送る事は、公には許されなかった。
物陰に隠れて、山道を行く父弟の背を眺める事しか、彼にはできなかった。
去って行く偉大な父と、従い行く父に認められた弟、そして二人に取り残された自分……。信之は寂しさの中に、羨望を溶かし込んだ、悲しげな眼差しを二人に向けていた。
そして彼は、誰に言うとでもなく呟いた。
「私一人が、ここに置いて行かれてしまった……」
その時、旧主の背に注いでいた視線と、今大石に注がれている視線は、まるで同じ物だ。
昌相がそっと傘の中をのぞき込むと、主君の頬はわずかに紅潮していた。
『さようですか、親父殿。この地を離れたくないと仰せなのですね。源二郎共々、上田の地を死守すると。松代へはそれがし独りで行けと。……私はまた、父上に置いてゆかれるのですね』
油紙を大粒の雨が叩いている。
「万事、整いましてございます」
幸直が小さく言上すると、真田信之は袖で顔を拭い、赤い目を細めて笑った。
微笑む主君の瞳から抑えきれぬ熱いものが、なお止めどなくあふれ出るのを、昌相は確かに見た。
追って上田城へ入った仙石兵部大輔忠政は、城跡にも藩主屋敷にも報告書通り本当に何一つ残されていないことに改めて驚愕した。
庭に庭木無く、家屋に家具無く、武器庫に矢の一条も無い。
巨大な、あの石をのぞいて。
それからやがて四百年も経とうだろうか。
上田城跡公園に復元された櫓門脇の石垣に、その大石……真田石……は居る。
彼らは今な、お静かに上田の地を守っている。
【了】
※この物語はフィクションです。
※現存する上田城石垣は(真田石と呼ばれる巨石も含めて)仙石忠政公が造ったものです。
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