131 / 158
ヨハンナ嬢の夢
独身最後の夜会《バチェラーパーティー》
しおりを挟む
【月】の……いや、ヨハネス・グラーヴの胸の奥に、一つの景色が浮かんだ。
そこは夜の酒場だった。
上等な社交場とは言い難い。
普段、この薄暗い店内では、あまり身なりの良くない男達が、一人か二人ずつ席について、話もせずにちびりちびりと安酒をなめている。
だが今日はそんな客は一人としていなかった。
ただ一卓、騒がしいテーブルがあった。
若い剣士達が数人集まって、笑い、呑んでいる。
明日とある良家の婿養子となる花婿とその友人達が、友の結婚を祝い、独身最後の日を惜しむ乱痴気騒ぎの為に、店を貸し切りにしたのだ。
「××も明日から城伯サマか。たいした出世だな」
明日の花婿の杯に、一人の友人が強い酒を注ぐ。口調には厭味と軽蔑と、少しばかりの羨望とが入り交じっていた。
そのテーブルに着いているのは、皆、貧乏貴族の次男や三男だった。相続権は無いに等しく、身を立てるためには武功を上げるか、実力者に取り入るか、さもなくば、どこかの家付き娘の婿養子になるより他、方法のない連中である。
数年前、ハーンからギュネイへの帝位の禅譲が何の悶着もなく平穏に執り行われたほど、世の中は平和だ。武功に依る出世などというものは、夢のまた夢だ。
実力者に取り入るには多くの付け届けが要る。元より領地も財産も無いに等しい小貴族の家には、そのような「余分の費用」をひねり出す余裕は無い。
どこかの令嬢と縁を結ぶにしても、相続権付きの花嫁などは相続権付きの花婿とよりも少ないくらいだから、やはり難しい。
自分の貴族の身分は諦めて、貴族との縁続きという「箔」が欲しい平民の金持ちの所へ入り婿として転がり込めればしめたものだが、そういった口も多くあるわけではない。
そんな中、この花婿は城伯という「小国の王」にも等しい権力者の娘と婚姻することとなった。友人達が羨み、嫉み、妬むのも当然であり、仕方ないことだった。
木の杯にあふれるほど注がれた強い安酒をあおりつつ、花婿はニタリと嗤った。
「まあ、しばらくはおとなしく猫を被って辛抱することになるがな」
「辛抱か」
「確かに辛抱が必要だろうな。花嫁殿のあのご面相は……」
一同、笑いを堪え、肩をふるわせている。
「なんでも城伯様は男の子を欲していたとか。
それで生まれた赤子の顔を見て、願い適ったと小躍りしたが、産婆に『姫だ』と言われて失神したそうな」
「親が気を失う顔か!」
友人達がどっと笑った。
「それでも跡取りを作らぬ訳にはゆくまい」
「××に一番の贈り物は美女の面であろうよ。明日の夜、床に入る前に女房の顔にかぶせてしまえ」
「いやいや麻の袋で充分だ」
花婿が一番の大口を開けて笑っていた。
「思えば哀れな娘ごだ。
広い額に尖った鼻。眼差し鋭い三白眼。
まだしも男に生まれておれば、中々に勇ましき顔と言われはしても、こうして笑われることはあるまいに」
別の友人が杯を掲げた。
「気の毒なヨハンナ嬢に乾杯」
皆がそれに応じて笑いながら杯を掲げる。
「乾杯」
そのかけ声は、直後に悲鳴に変わった。
彼らは考えもしてなかった。
よもやこんな場末の酒場に、城伯の姫がただ一人訪れていようとは。
哀れで愚かな男達は、自分たちが「男であればまだ見られる」などと言ったその顔立ち故、彼女が男の形で酒場の暗がりにいることにまるで気がつかなかったのだ。
しかも彼女がよく斬れる剣を携えていて、それをいきなりすっぱ抜くなどと、だれが思い至るであろうか。
そこは夜の酒場だった。
上等な社交場とは言い難い。
普段、この薄暗い店内では、あまり身なりの良くない男達が、一人か二人ずつ席について、話もせずにちびりちびりと安酒をなめている。
だが今日はそんな客は一人としていなかった。
ただ一卓、騒がしいテーブルがあった。
若い剣士達が数人集まって、笑い、呑んでいる。
明日とある良家の婿養子となる花婿とその友人達が、友の結婚を祝い、独身最後の日を惜しむ乱痴気騒ぎの為に、店を貸し切りにしたのだ。
「××も明日から城伯サマか。たいした出世だな」
明日の花婿の杯に、一人の友人が強い酒を注ぐ。口調には厭味と軽蔑と、少しばかりの羨望とが入り交じっていた。
そのテーブルに着いているのは、皆、貧乏貴族の次男や三男だった。相続権は無いに等しく、身を立てるためには武功を上げるか、実力者に取り入るか、さもなくば、どこかの家付き娘の婿養子になるより他、方法のない連中である。
数年前、ハーンからギュネイへの帝位の禅譲が何の悶着もなく平穏に執り行われたほど、世の中は平和だ。武功に依る出世などというものは、夢のまた夢だ。
実力者に取り入るには多くの付け届けが要る。元より領地も財産も無いに等しい小貴族の家には、そのような「余分の費用」をひねり出す余裕は無い。
どこかの令嬢と縁を結ぶにしても、相続権付きの花嫁などは相続権付きの花婿とよりも少ないくらいだから、やはり難しい。
自分の貴族の身分は諦めて、貴族との縁続きという「箔」が欲しい平民の金持ちの所へ入り婿として転がり込めればしめたものだが、そういった口も多くあるわけではない。
そんな中、この花婿は城伯という「小国の王」にも等しい権力者の娘と婚姻することとなった。友人達が羨み、嫉み、妬むのも当然であり、仕方ないことだった。
木の杯にあふれるほど注がれた強い安酒をあおりつつ、花婿はニタリと嗤った。
「まあ、しばらくはおとなしく猫を被って辛抱することになるがな」
「辛抱か」
「確かに辛抱が必要だろうな。花嫁殿のあのご面相は……」
一同、笑いを堪え、肩をふるわせている。
「なんでも城伯様は男の子を欲していたとか。
それで生まれた赤子の顔を見て、願い適ったと小躍りしたが、産婆に『姫だ』と言われて失神したそうな」
「親が気を失う顔か!」
友人達がどっと笑った。
「それでも跡取りを作らぬ訳にはゆくまい」
「××に一番の贈り物は美女の面であろうよ。明日の夜、床に入る前に女房の顔にかぶせてしまえ」
「いやいや麻の袋で充分だ」
花婿が一番の大口を開けて笑っていた。
「思えば哀れな娘ごだ。
広い額に尖った鼻。眼差し鋭い三白眼。
まだしも男に生まれておれば、中々に勇ましき顔と言われはしても、こうして笑われることはあるまいに」
別の友人が杯を掲げた。
「気の毒なヨハンナ嬢に乾杯」
皆がそれに応じて笑いながら杯を掲げる。
「乾杯」
そのかけ声は、直後に悲鳴に変わった。
彼らは考えもしてなかった。
よもやこんな場末の酒場に、城伯の姫がただ一人訪れていようとは。
哀れで愚かな男達は、自分たちが「男であればまだ見られる」などと言ったその顔立ち故、彼女が男の形で酒場の暗がりにいることにまるで気がつかなかったのだ。
しかも彼女がよく斬れる剣を携えていて、それをいきなりすっぱ抜くなどと、だれが思い至るであろうか。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
側妃に追放された王太子
基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」
正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。
そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。
王の代理が側妃など異例の出来事だ。
「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」
王太子は息を吐いた。
「それが国のためなら」
貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。
無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。
性奴隷を飼ったのに
お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。
異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。
異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。
自分の領地では奴隷は禁止していた。
奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。
そして1人の奴隷少女と出会った。
彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。
彼女は幼いエルフだった。
それに魔力が使えないように処理されていた。
そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。
でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。
俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。
孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。
エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。
※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。
※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。
ズボラ通販生活
ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
【全話挿絵】発情✕転生 〜何あれ……誘ってるのかしら?〜
墨笑
ファンタジー
『エロ×ギャグ×バトル+雑学』をテーマにした異世界ファンタジー小説です。
主人公はごく普通(?)の『むっつりすけべ』な女の子。
異世界転生に伴って召喚士としての才能を強化されたまでは良かったのですが、なぜか発情体質まで付与されていて……?
召喚士として様々な依頼をこなしながら、無駄にドキドキムラムラハァハァしてしまう日々を描きます。
明るく、楽しく読んでいただけることを目指して書きました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる