9 / 158
古い話
尊敬すべき母親
しおりを挟む
ジオ一世という皇帝陛下は、短気で短絡的という、支配者には不向きな性格だったのだ。
しかしその事実を口に出して言う訳には行かない。
クレールの歯切れの悪い口ぶりは、むしろブライトに彼女の本心を良く伝えるものとなった。
彼も言葉を選び、声を潜めて言う。
「両方の言い分を聞く前に領地の没収やら爵位の剥奪やらを決めたのは、確かに『その人』の落ち度だがね」
「それで母は、ハーン家にとっては良くない物語だと怒って……」
「それもそうだが、敵討ちの標的にされた方の登場人物の描かれ方のほうが、むしろ癪に障ったんだろうよ。……ジオ一世のお気に入りの役人学者の、さ」
ブライトはわざわざ遠回しに言った。クレールの顔に浮かんだ疑問符は消えない。
『こりゃ今朝の夢見は相当に悪いモンだったらしいな。いつも以上に勘働きが悪い』
彼は櫛目の通っていない鳥の巣のような後頭部をゴリゴリと掻きながら
「そいつは名をギルベルトって言ってな。で、名字はギュネイだ。今のお偉いサンの三代前のご先祖だよ。お前さんのお袋さんにとっちゃ……そう、血はつながってないが、大叔父、つまり義理の爺さんの兄弟にあたる」
足りなかった言葉を補った。
彼の言葉を理解した途端、クレールの瞳からキラキラとした光が消え失せた。
「母は、自分がギュネイの血族であることを重んじていましたから」
ブライトの呆れの対象は、目の前にいる男のなりをした元公女から、その母親に移った。
「その人は、後妻の連れ子だったろうに」
深く考えもせずに言ったその直後、彼は黙り込んだエルの瞳に、別の輝く物を見付けた。
涙だった。
こぼれ落ちる寸前の量で、蓮の葉の上で転がる露のようにふるふると震えている。
ブライトは少々あわてて、しかし吐き捨てるように言った。
「この場合は褒め言葉だぜ。何しろ、あの一族の小汚ぇ血が流れてねぇってことだからな」
「そこまであの家を嫌わずともよいでしょうに」
目頭を軽く押さえ、クレールは無理矢理に苦笑して見せた。
「名家の苗字を背負わされるのは、それだけで大変な重責なのです。だから母は……むしろ血が繋がっていないからこそ、ギュネイの名を重んじなければならなかった」
クレールの脳裏に、なぜか一枚の肖像画が浮かんだ。
愛らしい、しかし大人びた少女の像だ。
それはジオ三世に嫁ぐ四年前に描かれたという、母・ヒルダの姿だった。
かつて娘は、『いずれ自身もこのように成るのだ』と信じていた。
だが夢見るお姫様は、一二歳の時に絶望した。
額縁の中に封印された過去の母は、華奢な肩の下に丸いふくよかな胸を持っている。
しかし「過去の母」と同じ年齢になったクレール姫は、少年のように痩せていた。
この瞬間、母はエル=クレール……いや、クレール姫にとって信仰対象となった。
理性的で、知性的で、夫を立てる良妻で、子を慈しむ賢母で、何より美しい……一番近くにいて、一番自分から遠い存在――。
しかしその事実を口に出して言う訳には行かない。
クレールの歯切れの悪い口ぶりは、むしろブライトに彼女の本心を良く伝えるものとなった。
彼も言葉を選び、声を潜めて言う。
「両方の言い分を聞く前に領地の没収やら爵位の剥奪やらを決めたのは、確かに『その人』の落ち度だがね」
「それで母は、ハーン家にとっては良くない物語だと怒って……」
「それもそうだが、敵討ちの標的にされた方の登場人物の描かれ方のほうが、むしろ癪に障ったんだろうよ。……ジオ一世のお気に入りの役人学者の、さ」
ブライトはわざわざ遠回しに言った。クレールの顔に浮かんだ疑問符は消えない。
『こりゃ今朝の夢見は相当に悪いモンだったらしいな。いつも以上に勘働きが悪い』
彼は櫛目の通っていない鳥の巣のような後頭部をゴリゴリと掻きながら
「そいつは名をギルベルトって言ってな。で、名字はギュネイだ。今のお偉いサンの三代前のご先祖だよ。お前さんのお袋さんにとっちゃ……そう、血はつながってないが、大叔父、つまり義理の爺さんの兄弟にあたる」
足りなかった言葉を補った。
彼の言葉を理解した途端、クレールの瞳からキラキラとした光が消え失せた。
「母は、自分がギュネイの血族であることを重んじていましたから」
ブライトの呆れの対象は、目の前にいる男のなりをした元公女から、その母親に移った。
「その人は、後妻の連れ子だったろうに」
深く考えもせずに言ったその直後、彼は黙り込んだエルの瞳に、別の輝く物を見付けた。
涙だった。
こぼれ落ちる寸前の量で、蓮の葉の上で転がる露のようにふるふると震えている。
ブライトは少々あわてて、しかし吐き捨てるように言った。
「この場合は褒め言葉だぜ。何しろ、あの一族の小汚ぇ血が流れてねぇってことだからな」
「そこまであの家を嫌わずともよいでしょうに」
目頭を軽く押さえ、クレールは無理矢理に苦笑して見せた。
「名家の苗字を背負わされるのは、それだけで大変な重責なのです。だから母は……むしろ血が繋がっていないからこそ、ギュネイの名を重んじなければならなかった」
クレールの脳裏に、なぜか一枚の肖像画が浮かんだ。
愛らしい、しかし大人びた少女の像だ。
それはジオ三世に嫁ぐ四年前に描かれたという、母・ヒルダの姿だった。
かつて娘は、『いずれ自身もこのように成るのだ』と信じていた。
だが夢見るお姫様は、一二歳の時に絶望した。
額縁の中に封印された過去の母は、華奢な肩の下に丸いふくよかな胸を持っている。
しかし「過去の母」と同じ年齢になったクレール姫は、少年のように痩せていた。
この瞬間、母はエル=クレール……いや、クレール姫にとって信仰対象となった。
理性的で、知性的で、夫を立てる良妻で、子を慈しむ賢母で、何より美しい……一番近くにいて、一番自分から遠い存在――。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
え?私、最強なんですか?~チートあるけど自由気ままに過ごしたい~
猫野 狗狼
ファンタジー
神様の手違いで転生してしまう主人公ナナキ、ちょっとボケた神様はステータスすらとんでもないことにしちゃって…!?ナナキの所に神様やら聖獣やら精霊王やら集まってくるけど、周りの人達のおかげで今日も今日とて元気に暮らせます。そして、自分からやらかすナナキだけどほとんど無自覚にやっています。そんな女の子が主人公の話です。
表紙は、左上がハデス、真ん中がナナキ、右上がゼウス、ナナキの隣がアポロ、右下がヘファイストスです。
ド素人な私が描いた絵なので下手だと思いますが、こんな感じのキャラクターなんだとイメージして頂けたら幸いです。他の人達も描きたかったのですが、入りきりませんでした。すいません。
稚拙ですが、楽しんでもらえたら嬉しいです。
お気に入り700人突破!ありがとうございます。
傷モノ令嬢は冷徹辺境伯に溺愛される
中山紡希
恋愛
父の再婚後、絶世の美女と名高きアイリーンは意地悪な継母と義妹に虐げられる日々を送っていた。
実は、彼女の目元にはある事件をキッカケに痛々しい傷ができてしまった。
それ以来「傷モノ」として扱われ、屋敷に軟禁されて過ごしてきた。
ある日、ひょんなことから仮面舞踏会に参加することに。
目元の傷を隠して参加するアイリーンだが、義妹のソニアによって仮面が剥がされてしまう。
すると、なぜか冷徹辺境伯と呼ばれているエドガーが跪まずき、アイリーンに「結婚してください」と求婚する。
抜群の容姿の良さで社交界で人気のあるエドガーだが、実はある重要な秘密を抱えていて……?
傷モノになったアイリーンが冷徹辺境伯のエドガーに
たっぷり愛され甘やかされるお話。
このお話は書き終えていますので、最後までお楽しみ頂けます。
修正をしながら順次更新していきます。
また、この作品は全年齢ですが、私の他の作品はRシーンありのものがあります。
もし御覧頂けた際にはご注意ください。
※注意※他サイトにも別名義で投稿しています。
稀代の大賢者は0歳児から暗躍する〜公爵家のご令息は運命に抵抗する〜
撫羽
ファンタジー
ある邸で秘密の会議が開かれていた。
そこに出席している3歳児、王弟殿下の一人息子。実は前世を覚えていた。しかもやり直しの生だった!?
どうしてちびっ子が秘密の会議に出席するような事になっているのか? 何があったのか?
それは生後半年の頃に遡る。
『ばぶぁッ!』と元気な声で目覚めた赤ん坊。
おかしいぞ。確かに俺は刺されて死んだ筈だ。
なのに、目が覚めたら見覚えのある部屋だった。両親が心配そうに見ている。
しかも若い。え? どうなってんだ?
体を起こすと、嫌でも目に入る自分のポヨンとした赤ちゃん体型。マジかよ!?
神がいるなら、0歳児スタートはやめてほしかった。
何故だか分からないけど、人生をやり直す事になった。実は将来、大賢者に選ばれ魔族討伐に出る筈だ。だが、それは避けないといけない。
何故ならそこで、俺は殺されたからだ。
ならば、大賢者に選ばれなければいいじゃん!と、小さな使い魔と一緒に奮闘する。
でも、それなら魔族の問題はどうするんだ?
それも解決してやろうではないか!
小さな胸を張って、根拠もないのに自信満々だ。
今回は初めての0歳児スタートです。
小さな賢者が自分の家族と、大好きな婚約者を守る為に奮闘します。
今度こそ、殺されずに生き残れるのか!?
とは言うものの、全然ハードな内容ではありません。
今回も癒しをお届けできればと思います。
へなちょこ鑑定士くん、脱獄する ~魔物学園で飼育された少年は1日1個スキルを奪い、魔王も悪魔も神をも従えて世界最強へと至る~
めで汰
ファンタジー
魔物の学校の檻の中に囚われた鑑定士アベル。
絶体絶命のピンチに陥ったアベルに芽生えたのは『スキル奪取能力』。
奪い取れるスキルは1日に1つだけ。
さて、クラスの魔物のスキルを一体「どれから」「どの順番で」奪い取っていくか。
アベルに残された期限は30日。
相手は伝説級の上位モンスターたち。
気弱な少年アベルは頭をフル回転させて生き延びるための綱渡りに挑む。
転生幼女はお願いしたい~100万年に1人と言われた力で自由気ままな異世界ライフ~
土偶の友
ファンタジー
サクヤは目が覚めると森の中にいた。
しかも隣にはもふもふで真っ白な小さい虎。
虎……? と思ってなでていると、懐かれて一緒に行動をすることに。
歩いていると、新しいもふもふのフェンリルが現れ、フェンリルも助けることになった。
それからは困っている人を助けたり、もふもふしたりのんびりと生きる。
9/28~10/6 までHOTランキング1位!
5/22に2巻が発売します!
それに伴い、24章まで取り下げになるので、よろしく願いします。
【完結】あなたの思い違いではありませんの?
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
複数の物語の登場人物が、一つの世界に混在しているなんて?!
「カレンデュラ・デルフィニューム! 貴様との婚約を破棄する」
お決まりの婚約破棄を叫ぶ王太子ローランドは、その晩、ただの王子に降格された。聖女ビオラの腰を抱き寄せるが、彼女は隙を見て逃げ出す。
婚約者ではないカレンデュラに一刀両断され、ローランド王子はうろたえた。近くにいたご令嬢に「お前か」と叫ぶも人違い、目立つ赤いドレスのご令嬢に絡むも、またもや否定される。呆れ返る周囲の貴族の冷たい視線の中で、当事者四人はお互いを認識した。
転生組と転移組、四人はそれぞれに前世の知識を持っている。全員が違う物語の世界だと思い込んだリクニス国の命運はいかに?!
ハッピーエンド確定、すれ違いと勘違い、複数の物語が交錯する。
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/11/19……完結
2024/08/13……エブリスタ ファンタジー 1位
2024/08/13……アルファポリス 女性向けHOT 36位
2024/08/12……連載開始
無才印の大聖女 〜聖印が歪だからと無能判定されたけど、実は規格外の実力者〜
Josse.T
ファンタジー
子爵令嬢のイナビル=ラピアクタは聖印判定の儀式にて、回復魔法が全く使えるようにならない「無才印」持ちと判定されてしまう。
しかし実はその「無才印」こそ、伝説の大聖女の生まれ変わりの証であった。
彼女は普通(前世基準)に聖女の力を振るっている内に周囲の度肝を抜いていき、果てはこの世界の常識までも覆し——
男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
藤雪花(ふじゆきはな)
恋愛
双子の王子と姫が入れ替わる。
その約束も16才まで。
再び王子は王子に、姫は姫に戻ったはずでした。
姫の元には縁談申し込みが多数寄せられ、悩みます。密かに初恋王子との結婚を望んでいたのでした。
だけど、姫を迎えに現れた初恋王子は傲慢な強国王子となっていて。
さらに強国王子が国に連れて帰ったのは、妻の姫ではなく、再び王子扮する姫。
そして、強国王子のスクールに男として参加することになる。
(強国)王子 × (男装)王子
この恋、成就不可能ではないですか?
※ご感想、大歓迎です!!
☆表紙の画像は以下で作りました。EuphälleButterfly さまありがとうございます!!!
https://picrew.me/image_maker/336819
Lavörice arno euphälisiese nou ewintezsel.
(訳 : 愛しいあの子の横顔)
【報告】
※エブリスタ小説大賞2021めちゃコミック女性向けマンガ原作賞 優秀作品に選ばれました!!(2022.3.28)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる