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七
見返りの搭
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千曲川左岸、ことに塩田平には真田家に従わない者たちがいくらか存在することを、三左衛門も十分にわきまえている。
それゆえ戦が始まる前に、三左衛門自身がそういった小さな反真田勢のいくつかに説得の文を送らねばならなかった。
それらの小さな抵抗勢力――村上氏の旧臣、室賀氏の残党、その他の「真田に付くよりは徳川の勢力下に入った方がいくらか良いだろう」と考えている人々――の元へは、丸子氏のみならず、真田と同盟している、乃至はその支配下に身を置く国衆たちの名義で、真田への従属を勧める手紙へがもたらされているだろう。
無論、真田家の当主たる昌幸の名前で発行された文書もある。
三左衛門が発行したものへの返信は真田方に付くことを表明する内容ばかりだった。ただし、それが彼らの本心であるのかは推し量りようがない。
しかし、従わない者、日和見する者があったとしたら、昌幸のことであるから何かしらの手を打っている筈だ。
三左衛門は僅かに不安の色のある目を昌幸に向けた。
倅源三郎の顔を見ていた昌幸の唇の端が、僅かに持ち上がるのを、三左衛門は見た。
「よし、任せる」
「かたじけなく存じます」
源三郎は顔を上げ、にこりと笑った。
下がって行く源三郎の作法通りの所作を見ながら、昌幸はもう一度、
「何を面白がっておるのやら」
と口の中でつぶやいた。
丸子三左衛門も心中で、
『親子揃って、何を面白がっておられるのやら』
つぶやいていた。
源三郎が丸子城を出立する直前に、足の速い忍者が一人走り出た。行き先は上田城だ。
真田昌幸が丸子城に携えてきた抱え大筒だけでは、源三郎が「必要」と言った数には足らなかった。昌幸が、そんな物は丸子城守備戦には不要、であると考えたからだ。
足りない分を、
「こちらへ回してよこすように」
という命令を、上田城に留守居をしている根津昌綱に伝えるため、忍者は全速力で走った。
上田城から大砲が届くまでの間、源三郎の部隊は青木村の一乗山観音院大法寺で待機することになっている。
この寺には見事な三重の仏舎利塔がある。開基は平安の頃の藤原鎌足の子の定恵で、一時没落したものの、平安時代に坂上田村麻呂が再興させた……という縁起が伝わっているそうだから、そうとうな古刹と言える。
源三郎が率いてきたのは、鉄砲足軽と荷駄足軽、そこへ源三郎の馬丁を加えても十名余だった。
上田城からまわされてくる人数も、おおよそ同じほどの人数になるだろう。
真田源三郎が率いるのは、二十人ほどの部隊とも呼べぬ部隊となる。
大法寺の境内に立った源三郎は、上田から人と荷が着くのは、
「明日の朝か」
誰に言うでもなくつぶやいて、西南の山を見上げた。
空が暗くなり始めている。
目を凝らすと、よく晴れた暮れゆく秋空の中で、子檀嶺岳の山頂付近だけがわずかに霞がかっているように見えた。
「氷垂」
源三郎の呼びかけに、
「あい、ここに」
すぐに答えが返ってきた。
「お前が連絡を取っていた、青木の……子檀嶺のあたりのことを私たちに知らせてくれていた者というのは、一体、誰だね?」
この場合の「誰」は忍者を指している。青木の郷の山中に潜伏して情報の収集や攪乱を行っている忍者が、まだ居残っているならば、その者と連絡を付けねばならない。
それゆえ戦が始まる前に、三左衛門自身がそういった小さな反真田勢のいくつかに説得の文を送らねばならなかった。
それらの小さな抵抗勢力――村上氏の旧臣、室賀氏の残党、その他の「真田に付くよりは徳川の勢力下に入った方がいくらか良いだろう」と考えている人々――の元へは、丸子氏のみならず、真田と同盟している、乃至はその支配下に身を置く国衆たちの名義で、真田への従属を勧める手紙へがもたらされているだろう。
無論、真田家の当主たる昌幸の名前で発行された文書もある。
三左衛門が発行したものへの返信は真田方に付くことを表明する内容ばかりだった。ただし、それが彼らの本心であるのかは推し量りようがない。
しかし、従わない者、日和見する者があったとしたら、昌幸のことであるから何かしらの手を打っている筈だ。
三左衛門は僅かに不安の色のある目を昌幸に向けた。
倅源三郎の顔を見ていた昌幸の唇の端が、僅かに持ち上がるのを、三左衛門は見た。
「よし、任せる」
「かたじけなく存じます」
源三郎は顔を上げ、にこりと笑った。
下がって行く源三郎の作法通りの所作を見ながら、昌幸はもう一度、
「何を面白がっておるのやら」
と口の中でつぶやいた。
丸子三左衛門も心中で、
『親子揃って、何を面白がっておられるのやら』
つぶやいていた。
源三郎が丸子城を出立する直前に、足の速い忍者が一人走り出た。行き先は上田城だ。
真田昌幸が丸子城に携えてきた抱え大筒だけでは、源三郎が「必要」と言った数には足らなかった。昌幸が、そんな物は丸子城守備戦には不要、であると考えたからだ。
足りない分を、
「こちらへ回してよこすように」
という命令を、上田城に留守居をしている根津昌綱に伝えるため、忍者は全速力で走った。
上田城から大砲が届くまでの間、源三郎の部隊は青木村の一乗山観音院大法寺で待機することになっている。
この寺には見事な三重の仏舎利塔がある。開基は平安の頃の藤原鎌足の子の定恵で、一時没落したものの、平安時代に坂上田村麻呂が再興させた……という縁起が伝わっているそうだから、そうとうな古刹と言える。
源三郎が率いてきたのは、鉄砲足軽と荷駄足軽、そこへ源三郎の馬丁を加えても十名余だった。
上田城からまわされてくる人数も、おおよそ同じほどの人数になるだろう。
真田源三郎が率いるのは、二十人ほどの部隊とも呼べぬ部隊となる。
大法寺の境内に立った源三郎は、上田から人と荷が着くのは、
「明日の朝か」
誰に言うでもなくつぶやいて、西南の山を見上げた。
空が暗くなり始めている。
目を凝らすと、よく晴れた暮れゆく秋空の中で、子檀嶺岳の山頂付近だけがわずかに霞がかっているように見えた。
「氷垂」
源三郎の呼びかけに、
「あい、ここに」
すぐに答えが返ってきた。
「お前が連絡を取っていた、青木の……子檀嶺のあたりのことを私たちに知らせてくれていた者というのは、一体、誰だね?」
この場合の「誰」は忍者を指している。青木の郷の山中に潜伏して情報の収集や攪乱を行っている忍者が、まだ居残っているならば、その者と連絡を付けねばならない。
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