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七
戦術単位
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碁盤の上の戦いは、昌幸の手番になっている。しかし殿様はなかなか碁石を抓まない。
三左衛門は源三郎の方を向き、極小さい笑みを見せた。いたずら小僧のような微笑だった。
父と三左衛門から少し離れた場所にいる源三郎には盤面の様子が見えないが、三左衛門の笑い方から察するところ、
『父上の劣勢か』
源三郎は三左衛門へ微笑を返した。
『父上の頭は、本物の戦の間は、偽の戦への興味が減る』
その傾向を、源三郎はよく知っている。
先般片の付いた上田神川の合戦の時もそうだった。
昌幸は徳川軍が上田城二の丸近くへ攻め寄るまで碁を打っていた。相手は先ほど昌幸自身がその名を口にした禰津長右衛門昌綱だ。
何番勝負したかは判らないが、ほとんどが
「大殿の大負けであったそうな」
と、源三郎に告げ口したのは、昌綱とは少々年の離れた弟の助右衛門尉幸直という者だ。
彼は源三郎の乳母子で、年齢も近い。幸直は源三郎が心許せる数少ない友であった。
この時幸直は、
「棋道は戦の鍛錬になるというのになぁ。戦場では優れた采配を振るう殿が、なぜ我が兄者ごときに負け込むのか、俺には解らぬ」
と、首を傾げた。源三郎が、
「鍛錬と本番とは別物ということだろうよ。つまり、本番で負けなければ良いだけのことさ」
苦笑いして答えると、
「なるほど、若殿の仰せの通りだ」
幸直は手を打って笑った。
事実、昌幸が碁盤の上で負けている間に、自軍は徳川七千余を上田の地から敗走させたのだ。
さて今、三左衛門が苦笑するほどに昌幸が負けているということは、
『真田昌幸は徳川家康との戦はまだ終わっていない、と考えている』
ということの証明と言えるだろう。
昌幸は天井を向いたまま、
「それで……源三よ、何がしたい?」
「塩田の一揆勢の対処を、それがしにお任せいただきたく」
「一揆?」
昌幸は目玉だけを信幸に向けた。
「青木の、子檀嶺城に……」
「おお、あの古城か。そういえば、あそこには何の手も打っておらなんだ」
この言葉には、昌幸が「子檀嶺城については何の手も打つ必要がないと考えている」という意味が込められている。
自分が不要と思っている場所について、長子の口から名前が出たことが、昌幸には不思議と思えたらしい。天井に向けていた頭を、源三郎の方へ向け直した。
「お許しをいただけますでしょうか?」
源三郎の真面目顔を見た昌幸は、「何を面白がっておるのやら」と口の中でつぶやいたが、
「何がどれほどいる?」
源三郎は平伏して、
「大砲十挺。それより他は不要」
短く言った。
大砲とは大口径の火縄銃のことだ。
それが十挺というのは、打ち手である鉄砲足軽を十人程連れて行きたい、という意味ではない。
鉄砲本体とそれと同数の射撃手がいるだけでは、鉄砲部隊とは言えない。
源三郎の「ほかは不要」と言う言葉の中には、控えの射撃手が要ることと、弾薬の類を運ぶ者も要ることと、兵糧などの小荷駄が要る、ということが含まれている。
つまり源三郎は、
「合わせて十五乃至二十人程度の人員を回して欲しい」
と願い出ていることになる。
『それではいかにも少な過ぎる』
丸子三左衛門の眉間に浅く皺が寄った。
三左衛門は源三郎の方を向き、極小さい笑みを見せた。いたずら小僧のような微笑だった。
父と三左衛門から少し離れた場所にいる源三郎には盤面の様子が見えないが、三左衛門の笑い方から察するところ、
『父上の劣勢か』
源三郎は三左衛門へ微笑を返した。
『父上の頭は、本物の戦の間は、偽の戦への興味が減る』
その傾向を、源三郎はよく知っている。
先般片の付いた上田神川の合戦の時もそうだった。
昌幸は徳川軍が上田城二の丸近くへ攻め寄るまで碁を打っていた。相手は先ほど昌幸自身がその名を口にした禰津長右衛門昌綱だ。
何番勝負したかは判らないが、ほとんどが
「大殿の大負けであったそうな」
と、源三郎に告げ口したのは、昌綱とは少々年の離れた弟の助右衛門尉幸直という者だ。
彼は源三郎の乳母子で、年齢も近い。幸直は源三郎が心許せる数少ない友であった。
この時幸直は、
「棋道は戦の鍛錬になるというのになぁ。戦場では優れた采配を振るう殿が、なぜ我が兄者ごときに負け込むのか、俺には解らぬ」
と、首を傾げた。源三郎が、
「鍛錬と本番とは別物ということだろうよ。つまり、本番で負けなければ良いだけのことさ」
苦笑いして答えると、
「なるほど、若殿の仰せの通りだ」
幸直は手を打って笑った。
事実、昌幸が碁盤の上で負けている間に、自軍は徳川七千余を上田の地から敗走させたのだ。
さて今、三左衛門が苦笑するほどに昌幸が負けているということは、
『真田昌幸は徳川家康との戦はまだ終わっていない、と考えている』
ということの証明と言えるだろう。
昌幸は天井を向いたまま、
「それで……源三よ、何がしたい?」
「塩田の一揆勢の対処を、それがしにお任せいただきたく」
「一揆?」
昌幸は目玉だけを信幸に向けた。
「青木の、子檀嶺城に……」
「おお、あの古城か。そういえば、あそこには何の手も打っておらなんだ」
この言葉には、昌幸が「子檀嶺城については何の手も打つ必要がないと考えている」という意味が込められている。
自分が不要と思っている場所について、長子の口から名前が出たことが、昌幸には不思議と思えたらしい。天井に向けていた頭を、源三郎の方へ向け直した。
「お許しをいただけますでしょうか?」
源三郎の真面目顔を見た昌幸は、「何を面白がっておるのやら」と口の中でつぶやいたが、
「何がどれほどいる?」
源三郎は平伏して、
「大砲十挺。それより他は不要」
短く言った。
大砲とは大口径の火縄銃のことだ。
それが十挺というのは、打ち手である鉄砲足軽を十人程連れて行きたい、という意味ではない。
鉄砲本体とそれと同数の射撃手がいるだけでは、鉄砲部隊とは言えない。
源三郎の「ほかは不要」と言う言葉の中には、控えの射撃手が要ることと、弾薬の類を運ぶ者も要ることと、兵糧などの小荷駄が要る、ということが含まれている。
つまり源三郎は、
「合わせて十五乃至二十人程度の人員を回して欲しい」
と願い出ていることになる。
『それではいかにも少な過ぎる』
丸子三左衛門の眉間に浅く皺が寄った。
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