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六
二人の侍
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「畜生っ!」
四郎兵衛方にはもう「兵」は一人たりとも残っていなかった。
今この子檀嶺岳の山頂にいるのは、戦に巻き込まれた無力な人間だけだ。
刀を取る気概も、石礫を投げる勇気も失った者たちだ。
ほんの僅かの、勘定するのに片手で十分な、腹を空かせた人々だけだった。
ただ二人、杉原四郎兵衛と、次郎太を除いて――。
四郎兵衛は這った。
腰が立たないが、自分の建てた「城」へ向かって這い進んだ。
崩れた「城」の、屋根なのか壁なのか判らなくなった筵の中をまさぐって、誰のものだったのか判らない刀を掴み出す。
刀身を抜き、鞘を投げ捨てた。
「四郎、何をする気だ!?」
次郎太は慌てた。従弟が自害でもするのではないかと思った。
だが四郎兵衛の答えは違った。
「戦だ、戦をやる!」
次郎太には予想もできない答えだった。
「おまえ……戦なんかやらねぇって言ってたじゃねぇか! そんなモノはやる必要がねえって!」
「あン時は、そういう策だった。でも、今はやる。やんねばなンねえんだ」
四郎兵衛は抜き身の刀を杖にして立ち上がった。
「無茶だ! 連中がどれくらいの人数か判らねぇが、たとえ百でも……いいや、ほんの十でも、俺達二人きりじゃ勝てるわけがねぇよ」
次郎太は四郎兵衛の足に取りすがった。ボロボロと涙を流して啼いている。
四郎兵衛は次郎太を見なかった。湧き上がってくる敵方の気配をにらんでいる。歯の根が合っていない。
「次郎兄ぃは、逃げていい。いや、兄ぃは他の連中を連れて、逃げ落ちてくれ。
どうせ負けるなら、討ち死にするヤツは少ない方がいい」
「何を言ってやがる。お前一人でどうするってンだ?」
「武士は、最後まで戦う者だ」
四郎兵衛は笑った。
青い顔をして、奥歯をガタガタ鳴らしながら、精一杯の笑みを、精一杯の強がりを、次郎太に向けた。
四郎兵衛の覚悟が、次郎太の胸を射貫いた。
次郎太は四郎兵衛の足から離れた。
彼の「主君」がしたのと同じように、這いずって「城跡」に戻った。
筵の中を掻き回すと、古びた拵えの打ち刀が出てきた。
次郎太はよろよろと立ち上がって、刀を抜いた。
「殿様よ、お前さまが武士だってンなら、俺も武士だ。武士なら敵に背中は見せられん」
恐ろしくて涙が止まらない。鼻水を流しながら、それでも次郎太は刀を構えた。
「わかった」
二人は背中合わせに立った。互いに寄りかかりながら、互いの背後を守った。
「挟み撃ちにされてる」
四郎兵衛が言うと、次郎太はうなずいた。
四郎兵衛は北東を向き、次郎太は西南を見た。
険しい山の前後から、敵は、ほとんど同時に現れた。
その数は……二人だった。
四郎兵衛方にはもう「兵」は一人たりとも残っていなかった。
今この子檀嶺岳の山頂にいるのは、戦に巻き込まれた無力な人間だけだ。
刀を取る気概も、石礫を投げる勇気も失った者たちだ。
ほんの僅かの、勘定するのに片手で十分な、腹を空かせた人々だけだった。
ただ二人、杉原四郎兵衛と、次郎太を除いて――。
四郎兵衛は這った。
腰が立たないが、自分の建てた「城」へ向かって這い進んだ。
崩れた「城」の、屋根なのか壁なのか判らなくなった筵の中をまさぐって、誰のものだったのか判らない刀を掴み出す。
刀身を抜き、鞘を投げ捨てた。
「四郎、何をする気だ!?」
次郎太は慌てた。従弟が自害でもするのではないかと思った。
だが四郎兵衛の答えは違った。
「戦だ、戦をやる!」
次郎太には予想もできない答えだった。
「おまえ……戦なんかやらねぇって言ってたじゃねぇか! そんなモノはやる必要がねえって!」
「あン時は、そういう策だった。でも、今はやる。やんねばなンねえんだ」
四郎兵衛は抜き身の刀を杖にして立ち上がった。
「無茶だ! 連中がどれくらいの人数か判らねぇが、たとえ百でも……いいや、ほんの十でも、俺達二人きりじゃ勝てるわけがねぇよ」
次郎太は四郎兵衛の足に取りすがった。ボロボロと涙を流して啼いている。
四郎兵衛は次郎太を見なかった。湧き上がってくる敵方の気配をにらんでいる。歯の根が合っていない。
「次郎兄ぃは、逃げていい。いや、兄ぃは他の連中を連れて、逃げ落ちてくれ。
どうせ負けるなら、討ち死にするヤツは少ない方がいい」
「何を言ってやがる。お前一人でどうするってンだ?」
「武士は、最後まで戦う者だ」
四郎兵衛は笑った。
青い顔をして、奥歯をガタガタ鳴らしながら、精一杯の笑みを、精一杯の強がりを、次郎太に向けた。
四郎兵衛の覚悟が、次郎太の胸を射貫いた。
次郎太は四郎兵衛の足から離れた。
彼の「主君」がしたのと同じように、這いずって「城跡」に戻った。
筵の中を掻き回すと、古びた拵えの打ち刀が出てきた。
次郎太はよろよろと立ち上がって、刀を抜いた。
「殿様よ、お前さまが武士だってンなら、俺も武士だ。武士なら敵に背中は見せられん」
恐ろしくて涙が止まらない。鼻水を流しながら、それでも次郎太は刀を構えた。
「わかった」
二人は背中合わせに立った。互いに寄りかかりながら、互いの背後を守った。
「挟み撃ちにされてる」
四郎兵衛が言うと、次郎太はうなずいた。
四郎兵衛は北東を向き、次郎太は西南を見た。
険しい山の前後から、敵は、ほとんど同時に現れた。
その数は……二人だった。
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