子檀嶺城始末―こまゆみじょうしまつ―

神光寺かをり

文字の大きさ
上 下
26 / 40

よく効く薬

しおりを挟む
 もうじき長月新暦十月になるというのに、妙に蒸し暑い。
 杉原すぎはら四郎兵衛しろべえは蒸し暑さで目を覚ました。
 太陽はすでに大分高い所まで昇っている。

『なんだ、今日は悟円ごえん和尚おしょう法螺貝ほらを吹かなかったのか? それとも俺がぐっすり寝ぇっちまっていて、聞こえなかっただけかや?』

 千曲川の向こう側で「ボヤ騒」ぎが起きて以降、四郎兵衛は眠れぬ日々を過ごしていた。
 四郎兵衛の算段では、

『勝った徳川の軍勢は、速やかに真田のおさえていた土地を回って、残党狩りと身方みかた探しをする』

 ことになっていた。
 徳川の身方探しの人々に自分たちを見付けてもらわねば、四郎兵衛の苦労は意味をなくす。

 だが、来ない。いくら待っても徳川からの使者が来ない。

 ならば、真田が勝ったというのか。
 万が一にも真田が勝ったとしたら、大々的に――四郎兵衛としてはという意味だが――「徳川に着く」と宣言した自分たちを放って置くはずがない。
 四郎兵衛の考えでは、

『真田は敵方に付いた者たちを徹底的に探して、捕まえて、殺す』

 に違いが無かった。
 だが、来ない。上田城の方角に煙を見た日から、毎日物陰ものかげに隠れて眼下の平地を見張っているが、真田の捜索隊は影一つ見えない。

 来るはずのものが来ない不安と、来るかも知れない事態への恐怖。
 そのことを考え、思い、悩むうちに、四郎兵衛は眠れなくなった。
 かれこれ半月ほどは、まともに寝ていない。

 しかし昨晩ゆうべは久しぶりによく眠れた。


 昨日の夕方の、夕餉ゆうげの薄いかゆが煮え上がるまで、まだ少しばかり時間が掛かりそうな頃のことだ。
 やつれて頬がこけて目が落ちくぼんだ四郎兵衛を見かねた悟円坊が、

「殿様は心身共にお疲れでござろう故に、疲れの取れるものを……」

 黒に近い茶色の、大きさがうずらの卵ほどある丸薬らしき物体を、縁の欠けた土器かわらけに乗せて四郎兵衛の前に出した。

「この山中にてサンシュヤマビルを見付け申した。
 本来、薬用とするためには天日てんぴに当てて乾かし、せんじて飲むべきところでありますが、そのいとまはございませなんだ。
 そこで、生のまま潰し、味噌に混ぜ、食しやすい形に致し申しました」

 くたびれたむしろ張りの城中の、すり切れたむしろの敷物の上で、四郎兵衛は土器かわらけごとそれを持ち上げ、まじまじと見た。ぐと、味噌の香りと薬臭い臭いに混じって韮菜ニラに似た匂いがする。

「一つしか、ないのか?」

「効き目が強うございますれば、一度に食べるのはそれくらいにしておきませぬと、かえって心の臓に悪うございます」

「そうじゃねえ。これ一つばかりっぱかを俺一人が喰って、それで俺一人ばかりっぱか身体からだが良くなっても、どうしようもないでねえか。
 なあ和尚……。ここにいる連中は、全部、全員、みんな、一人残らず疲れているんだ」

 悟円坊は少々驚いたような、感心したような、困ったような顔をした。

「いやはや、殿におかれましては、御家中の皆々のことまでお案じになっておられままするか。それに気が付かぬ拙僧せっそうは、まだ修業が足りませぬ」

 城内には四郎兵衛と悟円坊とを入れて、十人ほどの人数がいる。
 それは詰まるところ、僅か一ヶ月弱の期間で、最初に山に入った人数のうちの半分が

「逃げた」

 ということだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

龍蝨―りゅうのしらみ―

神光寺かをり
歴史・時代
年の暮れも押し迫ってきたその日、 甲州・躑躅ヶ崎館内の真田源五郎の元に、 二つの知らせが届けられた。 一つは「親しい友」との別れ。 もう一つは、新しい命の誕生。 『せめて来年の間は、何事も起きなければ良いな』 微笑む源五郎は、年が明ければは十八歳となる。 これは、ツンデレな兵部と、わがままな源太郎とに振り回される、源五郎の話――。 ※この作品は「作者個人サイト【お姫様倶楽部Petit】」「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」でも公開しています。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

鉄と草の血脈――天神編

藍染 迅
歴史・時代
日本史上最大の怨霊と恐れられた菅原道真。 何故それほどに恐れられ、天神として祀られたのか? その活躍の陰には、「鉄と草」をアイデンティティとする一族の暗躍があった。 二人の酔っぱらいが安酒を呷りながら、歴史と伝説に隠された謎に迫る。 吞むほどに謎は深まる——。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

女の首を所望いたす

陸 理明
歴史・時代
織田信長亡きあと、天下を狙う秀吉と家康の激突がついに始まろうとしていた。 その先兵となった鬼武蔵こと森長可は三河への中入りを目論み、大軍を率いて丹羽家の居城である岩崎城の傍を通り抜けようとしていた。 「敵の軍を素通りさせて武士といえるのか!」 若き城代・丹羽氏重は死を覚悟する!

処理中です...