子檀嶺城始末―こまゆみじょうしまつ―

神光寺かをり

文字の大きさ
上 下
24 / 40

信州丸子城

しおりを挟む
 おおひこもんただたか曰く――。

「当方ことごとく腰がぬけはて、震えて返事も出来ず、下戸に酒を強いたるがごとし」

 その日のかんがわは日頃の三倍に近い水位になっていた。激しい水流は大地から土石を削り取り、樹木をなぎぎ倒した。それら全てが含み込まれた水は、黄色い土そのもの色になっている。
 土色の濁流は、その中にさらにあまたの人馬をも巻き込んで、轟々として千曲川へ流れ落ちて行った。

 大久保忠教は著書「三河物語みかわものがたり」に

身方みかたの死者三百五十余名」

 と書き残している。
 他方、さなげんざぶろうのぶゆきは沼田に残してきた家臣にてた書状に、

敵方てきかた千三百余を討ち、身方みかた四十余死す」

 と記している。

 どちらが正しいとは言い難い。おそらくは両方間違っている。いや、わざと違えている。
 どちらも、自軍の損失を少なく、戦功を高く記しているに違いない。

 残された数字が現実的でないことを踏まえてもなお、この戦で徳川方は大敗したといって良い。

 真田方として上田城に入った者、その周囲の城や山陰やまかげなどに潜んでいた真田方の兵数は、城下の村々の民まで入れて三千に少し足りない程度だったという。
 攻手せめての徳川軍の兵数は、確実に七千を超えていた。大部隊と呼べるほどの多勢とは言い難い微妙な数字だが、それでも真田方の倍を優に超える兵数だ。
 それなのに、上田本城は元より、支城の一つすらも落とせない。
 よしんば「この戦場においての問題」ではない「何事か」が徳川家中で起きていたとして、そしてそれが勝敗に影響を与えていたのだとしても、この戦に関しては「徳川が敗北し、真田が勝利した」のである。
 しかも、主戦であった上田城下での戦闘は、呆気あっけのないことにたった一日で終わってしまっているのだ。

 時に天正十三年閏八月二日西暦一五八五年九月十五日のことだった。

 上田城下から敗走した徳川勢は、暴れる神川を超えて――城下で討ち死にしたのと同じ位の兵を濁流に流されて失い――その東岸で兵を整えた。
 そして街道を二里8キロメートルほど戻り、大屋おおや地籍ちせきの手前で西に折れ、千曲川ちくまがわを渡り越えた。たどり着いた場所は長瀬ながせという。
 そこから今度は、これも千曲川の支流である依田よだ川に沿って南進した。

 彼らが始めたのは、丸子まるこ城攻めだった。
 誇り高い三河武士が、小勢の真田を攻めて返り討ちにあったなどと、易々やすやす復命ふくめいできようか。
 少なくとも一つ二つの城を落とさねば、主君・徳川家康に顔向けができない。

 丸子城は堅固けんごな山城だ。加えて城主の丸子さんもんは強情者で、徳川方が何をどう仕掛けても動こうとしなかった。
 あきらめて兵を下げると、途端に城から少数の兵が出てきて、矢を射かけ鉄砲を放つ。あるいは舞い踊って徳川勢を挑発する。
 腹立たしいことこの上ない。徳川勢が転進して攻めかけると、少しばかり槍を合わせる素振りを見せ、直ぐに退却する。
 攻め手の兵士達は、これに乗せられて深追いしてしまう。
 慌てて引こうとすれば、横腹を伏勢ふくぜいに突かれ、殿軍しんがりを叩かれる。
 手勢はじわじわと削られて行く。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

龍蝨―りゅうのしらみ―

神光寺かをり
歴史・時代
年の暮れも押し迫ってきたその日、 甲州・躑躅ヶ崎館内の真田源五郎の元に、 二つの知らせが届けられた。 一つは「親しい友」との別れ。 もう一つは、新しい命の誕生。 『せめて来年の間は、何事も起きなければ良いな』 微笑む源五郎は、年が明ければは十八歳となる。 これは、ツンデレな兵部と、わがままな源太郎とに振り回される、源五郎の話――。 ※この作品は「作者個人サイト【お姫様倶楽部Petit】」「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」でも公開しています。

幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。 新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。 武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。 ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。 否、ここで滅ぶわけにはいかない。 士魂は花と咲き、決して散らない。 冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。 あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。 ⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。 ⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。 ⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/ 備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。 →本編は完結、関連の話題を適宜更新。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

WEAK SELF.

若松だんご
歴史・時代
かつて、一人の年若い皇子がいた。 時の帝の第三子。 容姿に優れ、文武に秀でた才ある人物。 自由闊達で、何事にも縛られない性格。 誰からも慕われ、将来を嘱望されていた。 皇子の母方の祖父は天智天皇。皇子の父は天武天皇。 皇子の名を、「大津」という。 かつて祖父が造った都、淡海大津宮。祖父は孫皇子の資質に期待し、宮号を名として授けた。 壬申の乱後、帝位に就いた父親からは、その能力故に政の扶けとなることを命じられた。 父の皇后で、実の叔母からは、その人望を異母兄の皇位継承を阻む障害として疎んじられた。 皇子は願う。自分と周りの者の平穏を。 争いたくない。普通に暮らしたいだけなんだ。幸せになりたいだけなんだ。 幼い頃に母を亡くし、父と疎遠なまま育った皇子。長じてからは、姉とも引き離され、冷たい父の元で暮らした。 愛してほしかった。愛されたかった。愛したかった。 愛を求めて、周囲から期待される「皇子」を演じた青年。 だが、彼に流れる血は、彼を望まぬ未来へと押しやっていく。 ーー父についていくとはどういうことか、覚えておけ。 壬申の乱で散った叔父、大友皇子の残した言葉。その言葉が二十歳になった大津に重く、深く突き刺さる。 遠い昔、強く弱く生きた一人の青年の物語。 ――――――― weak self=弱い自分。

竜頭

神光寺かをり
歴史・時代
幕末の信州上田藩。 藤井松平家の下級藩士・芦田家に、柔太郎と清次郎の兄弟が居た。 兄・柔太郎は儒学を学ぶため昌平黌《しょうへいこう》へ、弟・清次郎は数学を学ぶため瑪得瑪弟加塾《まてまてかじゅく》へ、それぞれ江戸遊学をした。 嘉永6年(1853年)、兄弟は十日の休暇をとって、浦賀まで「黒船の大きさを測定する」ための旅に向かう。 品川宿で待ち合わせをした兄弟であったが、弟・清次郎は約束の時間までにはやってこなかった。 時は経ち――。 兄・柔太郎は学問を終えて帰郷し、藩校で教鞭を執るようになった。 遅れて一時帰郷した清次郎だったが、藩命による出仕を拒み、遊学の延長を望んでいた。 ---------- 神童、数学者、翻訳家、兵学者、政治思想家、そして『人斬り半次郎』の犠牲者、赤松小三郎。 彼の懐にはある物が残されていた。 幕末期の兵学者・赤松小三郎先生と、その実兄で儒者の芦田柔太郎のお話。 ※この作品は史実を元にしたフィクションです。 ※時系列・人物の性格などは、史実と違う部分があります。 【ゆっくりのんびり更新中】

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

処理中です...