22 / 40
四
山伏・悟円坊
しおりを挟む
「あの乞食坊主がどんな情報網を持ってるっていうんだ?」
次郎太の眉の上の疑念は消えない。
「修験者の横の繋がりは舐めたもんじゃねぇって事さ」
まるで自分のことのように自慢げに四郎兵衛は答えた。
修験者の情報網のことは、次郎太も少しは知っている。
あちこちの霊山を登り歩く山伏達にとって、地形やら道筋やら、あるいは各地の人々様子やらは大切な情報だ。彼らはそれを仲間内で教え合い、共有している。
だが彼らがその情報を「離れた所にいる仲間」に伝えることができるのだろうか。
四郎兵衛たちが子檀嶺城を「再建」してからこの方、悟円坊がこの山から下りたことはないし、悟円坊以外の山伏がここへ来たこともない。
次郎太は考え込んだ。すると四郎兵衛が訳知り顔をして、
「和尚が法螺貝を吹くことがあるだろう?」
「ああ、朝だの昼だのに馬鹿でかい音を立てて、喧しいてかなわん」
山伏・悟円坊はまだ暗いうちに誰よりも早く起き出す。
例の石塔の前の炎は細くして夜通し燃やしているが、悟円坊は起き抜けに柴を積み上げ直して火力を整える。大きくなった炎に抹香を投げ込んで焚く。経文らしいモノを短く唱える。
そこまでの作業をこなしても、まだ日は昇っていない。
悟円坊は東の方へ向いて、大きく呼吸をする。呼吸を整えて、時を待つ。
太陽が遠く東の果ての山の稜線を闇の中に輝かせる、その瞬間が訪れると、悟円坊は法螺貝を取り出し、整った呼吸をその中に吹き込むのだ。
まずは東に昇りつつある太陽へ向かって高々と吹き鳴らす。
振り返って西に残る闇に向かって吹く。
次に南の飛騨山脈へ向き直して吹く。
仕上げに北の、千曲川を越えた先の太郎山山脈へ正対して吹く。
これを毎日くり返す。
初めはその喧しさに文句を言っていた城内の連中だったが、三日を過ぎる頃にはすっかりなれて、今では
「鶏の声や時告の梵鐘の代わりに、目覚ましにもなるし飯の時間が判るから重宝する」
などと、かえって便利に使っている。
法螺貝を吹くのは朝ばかりではない。太陽が一番高くなる頃にも吹く。日が落ちる時にもまた吹く。つまりは最低三回は法螺貝が鳴るわけだが、日によっては朝と昼の間、昼と夜の間にも吹く。
ある夜など、真夜中に起き出して、ただ一吹きして止めたことがある。
方角も、常に東西南北にピタリと合わせて吹くとは限らない。
「和尚曰く、あれは勤行なんだそうだ。それと同時に、別の山にいる仲間の山伏との連絡でもあるんだとよ。
吹き方だの音の高さ低さだの、そういうのを組み合わせると、ずいぶん細かく会話ができるんだとさ」
この頃の四郎兵衛は悟円坊を「和尚」と敬って呼んでいた。最初は「糞坊主」呼ばわりしていたのに、だ。
悟円坊はこの山頂にたどり着いたその日に、どこの何者とも名乗らなかった自分の、半ば脅迫に近かった言い分を、真剣に受け止め、真面目に行を執りおこなってくれた。社の前に小さな火が熾きて、抹香の清らかな香りが立ち上った瞬間から、四郎兵衛はこのボロ雑巾を纏った垢まみれの行者を信頼し、尊敬し、すっかり帰依してしまった。
次郎太は四郎兵衛ほどには悟円坊を尊んでいない。道案内をしてくれたことも、祈祷をしてくれていることも有難いことだとは思うが、ただそれだけのことだ。
次郎太の眉の上の疑念は消えない。
「修験者の横の繋がりは舐めたもんじゃねぇって事さ」
まるで自分のことのように自慢げに四郎兵衛は答えた。
修験者の情報網のことは、次郎太も少しは知っている。
あちこちの霊山を登り歩く山伏達にとって、地形やら道筋やら、あるいは各地の人々様子やらは大切な情報だ。彼らはそれを仲間内で教え合い、共有している。
だが彼らがその情報を「離れた所にいる仲間」に伝えることができるのだろうか。
四郎兵衛たちが子檀嶺城を「再建」してからこの方、悟円坊がこの山から下りたことはないし、悟円坊以外の山伏がここへ来たこともない。
次郎太は考え込んだ。すると四郎兵衛が訳知り顔をして、
「和尚が法螺貝を吹くことがあるだろう?」
「ああ、朝だの昼だのに馬鹿でかい音を立てて、喧しいてかなわん」
山伏・悟円坊はまだ暗いうちに誰よりも早く起き出す。
例の石塔の前の炎は細くして夜通し燃やしているが、悟円坊は起き抜けに柴を積み上げ直して火力を整える。大きくなった炎に抹香を投げ込んで焚く。経文らしいモノを短く唱える。
そこまでの作業をこなしても、まだ日は昇っていない。
悟円坊は東の方へ向いて、大きく呼吸をする。呼吸を整えて、時を待つ。
太陽が遠く東の果ての山の稜線を闇の中に輝かせる、その瞬間が訪れると、悟円坊は法螺貝を取り出し、整った呼吸をその中に吹き込むのだ。
まずは東に昇りつつある太陽へ向かって高々と吹き鳴らす。
振り返って西に残る闇に向かって吹く。
次に南の飛騨山脈へ向き直して吹く。
仕上げに北の、千曲川を越えた先の太郎山山脈へ正対して吹く。
これを毎日くり返す。
初めはその喧しさに文句を言っていた城内の連中だったが、三日を過ぎる頃にはすっかりなれて、今では
「鶏の声や時告の梵鐘の代わりに、目覚ましにもなるし飯の時間が判るから重宝する」
などと、かえって便利に使っている。
法螺貝を吹くのは朝ばかりではない。太陽が一番高くなる頃にも吹く。日が落ちる時にもまた吹く。つまりは最低三回は法螺貝が鳴るわけだが、日によっては朝と昼の間、昼と夜の間にも吹く。
ある夜など、真夜中に起き出して、ただ一吹きして止めたことがある。
方角も、常に東西南北にピタリと合わせて吹くとは限らない。
「和尚曰く、あれは勤行なんだそうだ。それと同時に、別の山にいる仲間の山伏との連絡でもあるんだとよ。
吹き方だの音の高さ低さだの、そういうのを組み合わせると、ずいぶん細かく会話ができるんだとさ」
この頃の四郎兵衛は悟円坊を「和尚」と敬って呼んでいた。最初は「糞坊主」呼ばわりしていたのに、だ。
悟円坊はこの山頂にたどり着いたその日に、どこの何者とも名乗らなかった自分の、半ば脅迫に近かった言い分を、真剣に受け止め、真面目に行を執りおこなってくれた。社の前に小さな火が熾きて、抹香の清らかな香りが立ち上った瞬間から、四郎兵衛はこのボロ雑巾を纏った垢まみれの行者を信頼し、尊敬し、すっかり帰依してしまった。
次郎太は四郎兵衛ほどには悟円坊を尊んでいない。道案内をしてくれたことも、祈祷をしてくれていることも有難いことだとは思うが、ただそれだけのことだ。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
龍蝨―りゅうのしらみ―
神光寺かをり
歴史・時代
年の暮れも押し迫ってきたその日、
甲州・躑躅ヶ崎館内の真田源五郎の元に、
二つの知らせが届けられた。
一つは「親しい友」との別れ。
もう一つは、新しい命の誕生。
『せめて来年の間は、何事も起きなければ良いな』
微笑む源五郎は、年が明ければは十八歳となる。
これは、ツンデレな兵部と、わがままな源太郎とに振り回される、源五郎の話――。
※この作品は「作者個人サイト【お姫様倶楽部Petit】」「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」でも公開しています。
浅井長政は織田信長に忠誠を誓う
ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
下級武士の名の残し方 ~江戸時代の自分史 大友興廃記物語~
黒井丸
歴史・時代
~本作は『大友興廃記』という実在の軍記をもとに、書かれた内容をパズルのように史実に組みこんで作者の一生を創作した時代小説です~
武士の親族として伊勢 津藩に仕える杉谷宗重は武士の至上目的である『家名を残す』ために悩んでいた。
大名と違い、身分の不安定な下級武士ではいつ家が消えてもおかしくない。
そのため『平家物語』などの軍記を書く事で家の由緒を残そうとするがうまくいかない。
方と呼ばれる王道を書けば民衆は喜ぶが、虚飾で得た名声は却って名を汚す事になるだろう。
しかし、正しい事を書いても見向きもされない。
そこで、彼の旧主で豊後佐伯の領主だった佐伯權之助は一計を思いつく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる