6 / 40
二
六根清浄
しおりを挟む
「慚愧、懺悔、六根清浄。慚愧、懺悔、六根清浄……」
灰色のボロ雑巾のような鈴懸を着た山伏らしい男が、口の中でなにやらぼそぼそ唱えながら、胸を突くような坂を昇って行く。その後ろに、更に酷いボロ雑巾のような筒袖を着た男達がついて歩く。
男達の先頭を行く者は杉原四郎兵衛という。
四郎兵衛は山伏――悟円坊と名乗った――より五歩ほど遅れて酷い坂にしがみつき、登る。
切り立った岩の塊が地面から突き出たような奇妙な形をしたその山は、小県の郡の内、青木という郷の北側にそびえている。名を子檀嶺岳という。
子檀嶺の名は「駒斎み」乃至は「駒弓」、あるいは「胡麻忌み」が転訛したものだという。
古来この地には牧場があって、都に献ずる良馬を産したという。それ故に「駒」を冠する名が付いたのだろう。
「胡麻忌み」の説は、
「その牧場の冠者(荘園などの現場責任者)の某が落馬した拍子に植えられていた胡麻の鞘で目を傷つけた。以降この地域では胡麻を忌み、胡麻を育てなくなった」
という伝承に基づくらしいが、古い由緒由来のことだから真偽は定かでない。
子檀嶺の山肌を九十九折に昇って行く細い道を、悟円坊はどうにか立って歩いているが、四郎兵衛以下の十数人の男達は、ほとんど這っているといっても良い。
男達は、四郎兵衛の一族の者と、かつて彼の同僚だった者と、最近知り合った者だ。
共通点が一つある。
皆、食いっぱぐれている。
先頭を行く悟円坊などというもっともらしい法名を名乗る山伏崩れも同様だ。
激しく厳しい修行をする修験者だというのに、
「数日の間、十分な飯を食えなかった」
ぐらいのことで山裾の森の中でへたり込んでいたところを四郎兵衛に拾われた。
四郎兵衛が、ほんの一握りの乾飯を投げ渡して、
「子檀嶺の山頂には城跡がある。そこまで道案内するなら、もっと喰わせてやる」
というと、一も二もなく先導役を買って出た。
だからこの「登山隊」は、食い詰め者の集まりなのだ。ただの一人も、そうではない人間はいない。
「慚愧、懺悔、六根清浄。慚愧、懺悔、六根清浄……」
己の過ちを省みて恥じよ、そして罪悪を悔い改めよ、迷いを断って我が身を清めよ……。
これは修験者が山中を行く時に唱えるお題目のようなものだ。おのれの身を律するための呪文であり、歩く進度を整えるための拍子取りの言葉である。
悟円坊はそれを繰り返し唱えて歩む。
灰色のボロ雑巾のような鈴懸を着た山伏らしい男が、口の中でなにやらぼそぼそ唱えながら、胸を突くような坂を昇って行く。その後ろに、更に酷いボロ雑巾のような筒袖を着た男達がついて歩く。
男達の先頭を行く者は杉原四郎兵衛という。
四郎兵衛は山伏――悟円坊と名乗った――より五歩ほど遅れて酷い坂にしがみつき、登る。
切り立った岩の塊が地面から突き出たような奇妙な形をしたその山は、小県の郡の内、青木という郷の北側にそびえている。名を子檀嶺岳という。
子檀嶺の名は「駒斎み」乃至は「駒弓」、あるいは「胡麻忌み」が転訛したものだという。
古来この地には牧場があって、都に献ずる良馬を産したという。それ故に「駒」を冠する名が付いたのだろう。
「胡麻忌み」の説は、
「その牧場の冠者(荘園などの現場責任者)の某が落馬した拍子に植えられていた胡麻の鞘で目を傷つけた。以降この地域では胡麻を忌み、胡麻を育てなくなった」
という伝承に基づくらしいが、古い由緒由来のことだから真偽は定かでない。
子檀嶺の山肌を九十九折に昇って行く細い道を、悟円坊はどうにか立って歩いているが、四郎兵衛以下の十数人の男達は、ほとんど這っているといっても良い。
男達は、四郎兵衛の一族の者と、かつて彼の同僚だった者と、最近知り合った者だ。
共通点が一つある。
皆、食いっぱぐれている。
先頭を行く悟円坊などというもっともらしい法名を名乗る山伏崩れも同様だ。
激しく厳しい修行をする修験者だというのに、
「数日の間、十分な飯を食えなかった」
ぐらいのことで山裾の森の中でへたり込んでいたところを四郎兵衛に拾われた。
四郎兵衛が、ほんの一握りの乾飯を投げ渡して、
「子檀嶺の山頂には城跡がある。そこまで道案内するなら、もっと喰わせてやる」
というと、一も二もなく先導役を買って出た。
だからこの「登山隊」は、食い詰め者の集まりなのだ。ただの一人も、そうではない人間はいない。
「慚愧、懺悔、六根清浄。慚愧、懺悔、六根清浄……」
己の過ちを省みて恥じよ、そして罪悪を悔い改めよ、迷いを断って我が身を清めよ……。
これは修験者が山中を行く時に唱えるお題目のようなものだ。おのれの身を律するための呪文であり、歩く進度を整えるための拍子取りの言葉である。
悟円坊はそれを繰り返し唱えて歩む。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
龍蝨―りゅうのしらみ―
神光寺かをり
歴史・時代
年の暮れも押し迫ってきたその日、
甲州・躑躅ヶ崎館内の真田源五郎の元に、
二つの知らせが届けられた。
一つは「親しい友」との別れ。
もう一つは、新しい命の誕生。
『せめて来年の間は、何事も起きなければ良いな』
微笑む源五郎は、年が明ければは十八歳となる。
これは、ツンデレな兵部と、わがままな源太郎とに振り回される、源五郎の話――。
※この作品は「作者個人サイト【お姫様倶楽部Petit】」「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」でも公開しています。
浅井長政は織田信長に忠誠を誓う
ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる