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素晴らしい王様

一つの心臓

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 わらを編んだ日よけぼうに黒いほう、すっかりほこりにまみれた巡礼者の外套マントをお召しになって、持ち物と言えば鳴杖カッカラ一本とぶくろ一つだけという、見るからに貧しげなじゅんれいぼうさまが、かわべりの道を上流に向かって歩んでいられました。

 坊様が背負う頭陀袋からは、合唱する二つの声が聞こえます。

「ああ素晴らしい王様
 家来からも民からも
 子どもからも大人からも
 皆から愛されている
 中くらいのお国の中くらいのお城の
 素晴らしい王様
 ああ素晴らしい王様
 万歳、万歳、万歳」

 歌に合わせて川沿いの道を歩いていた坊様は、この歌と、ご自身の鳴杖カッカラが立てるじゃらんじゃらんという音のその他に、何か別の音を聞かれました。

 それは、風の吹く音にも川の流れる音にも聞こえました。
 ですがその音は、坊様の心にイラクサのトゲほどの小ささで、チクリと刺さったのです。

『そんな心のもらない音ではないような』

 ほんの小さなトゲほどの引っかかりでしたが、坊様に道を外れて、川原に降りて、あしの茂みをき分けて行かせるだけの力を持っておりました。
 
 初めは音は進むにつれて大きくなって、はっきり聞こえるようになりました。はっきり聞こえると、風の吹く音にも川の流れる音にも聞こえなくなりました。
 その音は、

「おおこれは、人が泣いている声だ」

 坊様の口から声がれました。坊様は葦の葉っぱで手に切り傷ができるのもかまわずに、足が泥水に濡れてもかまわずに、声のする方へ進んで行かれました。 

「兄弟よ、姉妹よ。天を仰ぎ、うつむいて涙を流す者よ。拙僧の声が聞こえるか? 拙僧を呼ぶ声を上げよ。拙僧もあなたと抱き合って泣こう」

 すると泣き声が応えて言いました。

「私はこちらです、こちらにおります」

 坊様が声を頼りに川の水をジャバジャバと蹴って進みますと、目の前に現れましたのは、一つの、人間の心臓でありました。

 一つ心臓が坊様の前に大きく脈を打って、

「ああとうとう私の嘆きを訊いて下さる人が現れた」

 と泣きますので、坊様はその丸い筋肉に手を置いて、

「お前様は何者だね?」

 すると心臓は言いました。

「私はあの石の壁の向こう側の国を治める王様の心臓でございました」

「その王様の心臓が、なぜ国の外の川にいるのだね?」

「王様からお暇を言い渡されたからでございます」

 心臓はシクシクと泣きながら申します。

「あの王様が王様におなりになったばかりの頃、その国は小さいお国でございました。
 王様は最初はご自分の脚で、お国が中くらいになる頃には馬車で領内をめぐられ、お国が大きくなった頃には忠義者の家来たちをあちらこちらへ使わして、国内の状況を把握していたものでございます。
 農民と町人の水争い、革職人と商人の匂い争い、金持ちを襲う盗賊共、貧乏人を苦しめる病、積み上げた石壁を取り巻く隣国の兵隊たち。
 そんな者たちに心を悩ませながら、それでも王様はお国を良いものにしようと取り組んでおられたのです。
 私は王様の心臓として、解決策を考え、打開策を考え、法律を考え、戦略を考えるお手伝いをし続けました。
 良策は中々浮かびませんでした。
 ああなんと辛い日々であったことでしょう。
 そうするうちに王様のところへ報告をする家来たちの様子が変わりました。
 水争いは治まった。匂い争いは解決した。盗賊共は逮捕された。病気の薬ができた。隣国の兵隊たちは撤退した。
 次々ともたらされる喜ばしい報告に、王様は安堵したのでしょう。
 その報告の真偽を確かめることもせずに、寝台の上でごろり寝返りを打って、仰向けになられました。そうして言ったのです。

『心臓よ、心臓よ。余はお前を用いずとも、国の災難を退けることが出来た。余はお前の力を使うことを止めるぞ』

 そう言われましたので私は、悲しみのあまり王様の胸を突き破り、お城の窓から飛び出して、お堀の水の中に飛び込んだのです。
 ある大雨の日、お堀の水があふれ出しました。私は川へ流されて、ドンブラコドンブラコとたどり着いたのが、この場所でございます」

 腕はさめざめと泣きました。坊様は訊ねます。

「お前様はどうして泣くのだね?」

「我が身が王様に不要と言われましたのが悲しくて泣いております。
 我が身が王様をお守りできなかったことが悔しくて泣いております」

「ではお前様が、悲しくなくなり、悔しくなくなるには、どうしたらよいと思うかね?」

 坊様に訊かれて、心臓は泣くのを止めました。少ししゃくり上げながら考え込んでいます。
 しばらくして心臓は言いました。

「王様が私がいない今でも正しく国を治めているのなら、悲しくなくなりましょう。こんなに嬉しいことはありませんから。
 もし私がいなくても、人々が王様の側に寄り添っているなら、悔しいことなどないでしょう。こんなに楽しいことはありませんから」

「よし解った」

 坊様は大きくうなづくと、背負っていたぶくろの口を開いて言ったのです。

「さあお前様、ここにお入り。拙僧がお前様を背負って、この道を壁の向こうに向かって歩こう。お前様が案じている王様のところまで、一緒に行こうではないか」

 言い終わるやいなや、丸まっていた一つの心臓は、ピョイと飛び跳ねてぶくろの中に飛び込んだのでした。

「行きましょう、この目で確かめるために。川の流れ出す所にある懐かしい王国の、素晴らしかった王様の所へ」

 こうして坊様は、一揃えの脚と一揃えの腕と一つの心臓の入ったぶくろを背負い、鳴杖カッカラを鳴らして、また川沿いの道を歩き始めたのでありました。
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