Eliot

聖 みいけ

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 この頃、エリオットは時が過ぎるの早いと思うようになっていた。夢のような時だからだろうか。エリオットは夢を見たことがないのでわからない。

 芸術品のように優美なエリオットの手が、二つ折りの写真立てをパタンと閉じる。マリオンへ見合いを申し込むという名目で送られてきたそれには、どこかの貴族の写真が入っていた。良く着飾って、人の好さそうな表情を浮かべて写っている。装丁も凝った造りだ。しかし、そんなものはマリオンにとっては何の意味もない。

 マリオンの瞳は、すっかり夜を迎えていた。その目に映るのは闇のみである。

 こんなものを送って寄越す時点で、送り主が見ているのはマリオンそのものではなくその後ろにある家名だ。
 今すぐに破り捨てたいという気持ちを抑え、エリオットは厚紙を小脇に挟んだ。

「こちらの話もお断りしておきますか?」

 声が怒りに染まらぬよう、細心の注意を払ってエリオットは訊ねる。
 ティーカップを優雅に傾けていたマリオンは、考える素振りも見せずに「そうして」と頷いた。

 マリオンが結婚に適した年齢となってから、幾度となく繰り返されたこのやり取りは、もはや日常の一部となっていた。

「結婚はしないと何度も言っているのにね」

 マリオンが自虐的な笑みを浮かべる。

 昔からマリオンの両親は、家の話をするときにマリオンを頭数に入れなかった。
 病に侵されていく子を、家督相続のいざこざに巻き込まぬように気遣っている。そう言えば聞こえはいいが、それはマリオンに何の期待もしていないということの証明だった。

 しかし両親は、マリオンの美しさに気が付いてしまった。
 そして、病のことがあっても余りある程に、社交界での強力なカードとなりえるということにも。

 けれど、今まで放置していたに等しい子供だ。今更、都合よく政略結婚の駒にすることに負い目を感じないほど、彼らは冷淡にはなりきれなかった。
 だからこそ勝手に婚約を押し切ることもできず、万が一にでも頷いてはくれまいかと淡い期待を滲ませながら、マリオンへと見合いの話を持ってくるのだ。

 無論、マリオンには彼らの駒となってやる気は毛頭ない。その証拠に、今まで見合いの席が設けられたことは一度もない。

「私は、エリィと静かに暮らせればそれでいい」

 マリオンはそう言うと、手元のタイプライターの鍵盤を指先でいくつか叩いた。
 書き込みが終わったのか、マリオンは手探りで紙を外し、タイプライターの横に重ねられた束の一番上に重ねる。
 紙は白く一見何も記されていないように見える。ただ、目を凝らして見ると、紙には小さな突起が並んでいた。これは、いくつかの小さな点の組み合わせで文字を記す、盲目の人のための文字だ。
 マリオンはそれを使って詩や文章を綴り、エリオットが目の見える者が使う文字に変換し、出版社に渡すのだ。

「次の詩集のタイトルを決めたよエリィ。『百の子供のための百の詩歌』だ。どう?」
「大変よろしいと思います」
「……エリィはいつもそれだ」

 マリオンがひょいと肩を竦めると、ちょうど、その胸元の懐中時計が夕方を告げるオルゴールを鳴らした。一節の短い曲が終わると、マリオンは懐中時計の蓋の細工を指でなぞった。癖でなぞり続けた彫刻は、わずかに摩耗して不思議な光沢を放っていた。

 マリオンの祖父は、末の孫に人知れず遺産を遺していた。知っていたのは、エリオットとマリオン、そして手続きに関わった弁護士のみだ。
 幾らかの財産と小さな屋敷。どちらも静かに慎ましく暮らすには十分すぎるほどのものだった。
 機械人形オートマトンを世に生み出した稀代の天才だ。人が苦手で、本が好きな孫がいずれこうなるということを見越していたのかもしれない。

 エリオットは生みの親である老爺を思い出しながら、深い感謝の念を送る。こうして何の心配もなくマリオンの側にいられるのは、彼無しには成立しなかったのだから。

 幸福を噛みしめながら、エリオットは踵を返す。じきに夕飯だ。そうなる前に、料理人に指示を出さなければ。

「ねえ、エリィ。私と結婚しようか」

 唐突な求婚。エリオットの小脇に挟んでいた写真立てが滑り落ち、部屋の中にバタンと派手な音が鳴リ響いた。

 その反応にマリオンは声を上げて笑った。普段ならはしたないと諫めるのだが、取り乱しているエリオットには何も言うことができない。その様子を察したマリオンがさらに笑った。

「ふっ、くっ……あーあ、今日ほど、君の顔を見られないことが惜しいと思ったことはないな」

 マリオンは笑みに震える声でそう言うと、目元に滲んだ涙を指先でぬぐった。

「冗談はおやめください」

 からかわれたのだと解釈したエリオットは、美しく整った顔を渋く歪め、落とした写真立てを拾い上げる。エリオットの不機嫌を察したのか、マリオンはエリオットのいる方を向いた。相変わらず、見えていないはずなのに方向は正確だった。

「ねえ、笑ってごめんって、エリィ。そんなに怒らないで……あれ、エリィ? いないの?」
「……ここにおります」

 マリオンがほっとした表情を浮かべたことに簡単に絆されそうになる。どこかくすぐったい思いで、エリオットは見合い写真に八つ当たりするように乱暴に拾い上げた。

「私は本気だよ、エリィ」

 写真を再び取り落としたエリオットは、制御できないほどに感情が高ぶっていくのを感じていた。それを悟られまいと、必死に生真面目な従者の声を作る。

「この国の法は、機械人形の婚姻を認めておりません」
「じゃあ、誰にも知らせずに、二人だけの秘密にしよう」
「ですが――」
「エリィ。お願い」

 全て見通しているような表情で、マリオンは穏やかに微笑んだ。エリオットはそれ以上何も言うことができず、ぐっと黙り込む。

 初めて手を取り合って踊ったあの夜に、全ての答えは出ていた。そしてそれは、二人の暗黙の了解だった。

「……触れても、構いませんか」
「どうぞ」

 エリオットはそっと、ガラス細工を扱うかのように、目を閉じたマリオンの頬に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、マリオンの肩が小さく跳ねた。

「わ、冷たい手だ」
「申し訳ございません」

 照れ隠しの軽口にまで律儀に謝罪をするエリオットに、マリオンは楽しそうにくすくすと笑う。
 その緩く弧を描いた唇を、青年の親指がそっとなぞった。白い頬がわずかに紅に染まる。

「お慕い申し上げております、マリオン様」
「……ちょっと違うかなあ?」

 マリオンの夜色の瞳が、挑戦的にエリオットを見つめる。エリオットの指が躊躇うようにマリオンの肌から離れた。そのまま身体ごと逃げようとするが、マリオンの温かい手のひらがエリオットの頬に触れ、逃げ道を塞ぐ。

 もう、逃げなくとも良い。マリオンへと向ける、この感情から。

 悟らされたエリオットは、小さく息を吐く。

 マリオンの手のひらが触れている場所から、熱が伝わってくる。まるで熱を持たない自分の肌すらも温まるようだった。

「……愛してる、マリオン」

 抱き締めたマリオンの身体が、触れ合った頬が熱い。体調不良ではないということは、星空のように銀が散った瞳が物語っていた。

 自分を見つめるこの銀河には、とうに光などないはずなのに。
 エリオットは確かに、マリオンが自分の全てを見つめていると確信していた。

 触れ合った互いの鼻先。マリオンが照れて吐息だけで笑ったのを、エリオットはこの上なく愛おしいと思った。

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