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しおりを挟む魔術師の弟子となったアラキノに最初に課せられたのは、基本的な礼儀作法を覚えることだった。
ユーダレウスは、アラキノの心身に沁みついた奴隷流の礼儀作法を見ると、とても痛そうな顔をする。その顔をしたユーダレウスを見ると、アラキノは妙に胸騒ぎを覚えた。だから、アラキノは必死になって、新たな礼儀作法を身体に叩き込んだ。
努力の甲斐あって、ひと月が経つ頃には奴隷流の礼儀の記憶はすっかり薄れ、新たな一通りの作法が身についていた。
兄弟子と姉弟子であるロタンとジルは、二人共既に魔術師であったが、さらなる技術向上のために毎日師であるユーダレウスの家を訪れていた。
時折アラキノをからかってくるが、根は温かで優しいロタン。物静かで賢く、なんでも教えてくれるジル。心を許すのにそう時間はかからなかった。
そんな二人が、ただ師匠であるユーダレウスが大好きで、何かと理由をつけて会いに来ているのだということは、アラキノにもすぐにわかった。
ユーダレウスは、アラキノをしょっちゅう連れて歩いた。街への買い出しからちょっとした散歩まで、本当にどこにでも。
師の半歩後ろ。白い外套を羽織った肩と、平凡な色な茶色の髪がいつでも見えるところ。何でもないことでも、呼べばすぐに声が届いて、振り返って微笑みをもらえる距離。いつの間にか、それがどこであってもアラキノにとってはそこが一番安心する場所になっていた。
呼ばれずともついて行くようになったアラキノにユーダレウスは嫌な顔一つせず、アラキノがそばにいることを許してくれた。
ある日のことだ。
「ねえロタン、魔術師、って、どうやったら、なるの?」
アラキノの唐突な問いかけに、兄弟子の表情が答えを探して硬くなる。
普通なら師匠であるユーダレウスに聞くのだが、今日はロタンしかいない。師はジルをお供に、どこかへ用事に出かけてしまったのだ。
数日前に、どこぞの国の遣いが来て「デンセンビョウ」がどうのと言っていたせいだ。「デンセンビョウ」とやらが何なのかはアラキノにはわからないが、わかったのは、あれほど身なりの良い者に頭を下げさせるユーダレウスは、やはりすごい魔術師であるということだ。
アラキノも一緒にいくと思っていたが、それは許されなかった。普段はどこであってもついて歩くことを歓迎してくれる師が、珍しく真面目な顔で留守番を言いつけるものだから、アラキノは大人しく引き下がるほかなかった。
あらかじめ言いつけられた宿題も終わり、家の仕事も終わり、やることのなくなってしまったアラキノは、同じく留守番のロタンが精霊と何やらやっているのを眺めていたのだった。
顔を引きつらせて突っ立っていたロタンは、頭を掻きながらアラキノの隣にどっかりと座った。
「そりゃあ……精霊と契約するに決まってんだろ」
「ケイヤク……ってなに?」
「あ? あー……、契約は契約だ! それより――……」
急に不自然に話題を変えたロタンの話を聞き流す。これ以上、兄弟子からは情報が引き出せないことを、アラキノは察していた。
ここにいたのが頭の良いジルだったら、わかりやすく教えてくれたのだろうか。
そんなことを思いながら、アラキノはロタンに寄り添う精霊に目を向けた。小鳥の姿をした春風の精霊だ。姉弟子のジルは、煙のように姿が安定しない木霊の精霊が側にいる。「ケイヤク」をしたら、アラキノも精霊と共に過ごすのだろうか。
数日後。ようやく帰ってきた師にくっついて、「ケイヤク」が何なのかよくわからないと問えば、少し考えたその人は「約束を交わすことに似ている」と教えてくれた。
似ているということは、同じではないということだろう。そう考え出したら、ますますわからなくなって、アラキノは一先ず考えることを諦めた。
魔術師になる前に、自分には覚えることがまだまだあることをアラキノは理解していた。
朝、起きたらまっすぐユーダレウスを起こしに行く。ユーダレウスは朝に弱い。起こさなければいつまでも眠っている。それから、いっしょに朝食の用意をする。
ロタンたちがやって来る前に家の掃除をして、ロタン達が来たら、彼らが魔術の研鑽を詰む傍らで師に読み書きを習う。
文字の読み方はすぐに覚えられたが、書き方はなかなか上手くいかなかった。アラキノは今まで一度も筆記具を持ったことすらなかった。ミミズがのたくった方がまだ美しいのではないかと思える程歪んだそれらは、到底文字として読めずアラキノは毎日肩を落としていた。
そんな内心を知ってか知らずか、ユーダレウスは毎日何かしらアラキノを褒めた。
昨日よりも難しい文が読めたこと。いつもより大きな声で挨拶ができたこと。朝食の玉子が綺麗に焼けたこと。
アラキノがほんの少し、ただ口の端を歪ませたに等しい微笑みを浮かべただけでも、ユーダレウスは嬉しそうに褒めた。
師がよくやる、アラキノの頭に手のひらで触れてそっとさするという行為は、褒めているのだということをアラキノはふた月が経った頃にようやく気が付いた。褒められているのだと知ったら、そうされるのがますます好ましく思えた。
ユーダレウスは度々街に出かけた。そこで人々の困りごとを助けに行くのだ。先日のような『特別な頼まれ事』出ない限り、当たり前のようにアラキノもお供が許された。
街には、アラキノが見たことのない物も、見る余裕もなかったものも溢れるほどたくさんあった。それをじっくりと見られるのも楽しかったが、はぐれないようにと手を繋がれるのが、何よりも嬉しかった。
ユーダレウスは自分をちゃんとあの家に連れ帰ってくれる。自分はあの家に帰ってもいいのだと、そう思えるのが嬉しかった。
奴隷だった少年が得たのは、そんな、穏やかで温かな優しい日々だった。
毎日、陽が落ちきる前に、皆で作った夕食を囲んだ。ロタンたちが帰ってしまえば二人きりだったが、ユーダレウスさえいればアラキノは寂しいとは思わなかった。
夜が更ける前に風呂で身体を清潔にしたら、ユーダレウスに付き添われて寝床につく。
別に、寝かしつけてもらわねば眠れないというほどアラキノは幼くはなかったが、これといって断る理由も思い当たらなかったから、師がそうするのに任せていた。
「いいかい、アラキノ」
眠る前に聞こえる、その声が好きだった。
アラキノに親はいない。親代わりすらいなかった。けれど、親というものがいたら、こういう風に話すのだろうと想像した。
「知り合いをたくさん作りなさい」
師の声に素直に頷けば、そっと温かな手のひらが額に触れる。途方もなく安心する、その手の温度が好きだった。
「それほど親しくなくとも、相手が何者かを知っているということは、お前を強かにするだろう」
額にあった手のひらが目元を覆った。世界が暗くなっても、その人の気配が傍にある限り、恐ろしいことは起こらないことをアラキノはとっくに知っていた。
「愛しいものを作りなさい」
もっと聞いていたいのに、その声はゆっくりとアラキノを夢の世界へと連れていく。
「守りたいものがあるということは、お前自身をきっと守ってくれる」
眠たくて、もう、頷くことすらままならない。
遠くなっていく意識の最後に聞こえるのは、いつだって睡魔を邪魔しない、密やかな笑い声だ。
「そのために、たくさんのものを見なさい。世界で誰より自由にあれたとしても、その心が孤独を感じるのなら、物置に閉じこもっているのと変わらないのだから」
まるでまじないのように、毎夜繰り返される言いつけは、ゆっくりとアラキノの心の中に沁みついていった。
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