嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

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 ユーダレウスはティニを寝かしつけたベッドの端に腰かける。
 ティニはまだ起きているのか、毛布の下でもそもそと動いているが、目を瞑っていればそのうち寝るだろう。
 視線を落とせば、ランプの仄かな明かりに照らされた男の手のひらがあった。節くれだってはいるものの、目立った傷痕一つない手のひらだ。

 それは、まぎれもなく魔術師の手のひらだった。

 魔術師とは、精霊に気に入られ、この世界に少しばかり長く留まることを許された者である。
 精霊たちは、自らが気に入った人間が、この世界を離れることを許さない。老いは緩やかに、病や怪我、あらゆる災難は自ら意識して近づかない限り遠ざかっていく。
 彼ら精霊は、自らが選んだ者が世界から旅立つきっかけになる事象を、どうにかして排除しようとする。たとえどんなに小さな擦り傷であっても、精霊たちは見過ごさないのだ。
 それを精霊の加護と呼ぶか、執着と呼ぶか。それは人によるだろう。

 魔術師たちは、精霊と契約した瞬間に、精霊相手に奇跡を求める権利を得る。そしてそれと同時に、精霊によって死から遠ざけられ、不老不死に限りなく近い形で、この世界に囲われることになるのだ。

 けれど、それも精霊たちが魔術師に興味を持っているうちだけだ。大抵いつかは精霊に飽きられる時が来る。彼らは基本的にはとても気まぐれだからだ。
ただ、時の流れの感覚が、人間とは大きく異なり、恐ろしくゆったりとしているせいで、魔術師たちは自然と長命になる。
 
 だが、魔術師の生は、精霊のそれとは似て非なるものだ。
 魔術師に勝手な名づけをされるまで、精霊に死はないのに対して、魔術師は精霊に見限られずとも、緩やかな老化であっても、いずれ肉体の限界まで老いる時が来て死を迎える。その前に精霊の力が追い付かないほどに大きく身体を損傷すれば、それもまた死をもたらす。魔術師は不老不死ではないのだ。

 例外を除いて。

 顔を上げたユーダレウスは、鏡のようになった窓に映った男を見つめた。
 時が止まったように、旅を始めた日と何も変わらない、眉間に皺を寄せた、不機嫌そうな若い男の顔がそこにあった。
 この世に生を受けた時代が、遠い歴史の一部となる程の年月を生きているとは、とても思えなかった。

 精霊たちによって世界に囲われている魔術師の中でも、自分は殊更に『特別』であることを、ユーダレウスは自覚していた。それこそ、胸に苦い痛みを感じるほどに。

 刃物のような銀の視線から逃げるように、ユーダレウスはきつく目を閉じる。

「知り合いをたくさん作りなさい」
「そして、一人でもいいから、愛しい者を作りなさい」

 記憶の一番遠いところにある「その人」の言葉は、遠くにあるくせにいつだってやけに目立って、忘れることを許さない。一度、目に入ってしまえば、その声を無視するのは難しいことだった。

 ――もう、この世界を何周しただろう。

 まるで、気に入った物語を気まぐれに読み直すかのように、ユーダレウスは過去に訪れた場所へと何度でも赴く。

 いつからだろうか。こんな見送るばかりの旅路も、悪くないと思うようになったのは。

 今までも、そしてこれからも、この旅に飽きることは、おそらくないだろうとユーダレウスは思う。
 人の営みも、自然の姿も、刻一刻と姿を変える。それを外野としてただ眺めているだけでも、日々は過ぎていく。
 見送った「知り合い」は数多い。しかしその分だけ、あるいはそれ以上に、新たな「知り合い」も増えていく。

 ほとんど無限に、縁を繋いでいく。それを楽しみと捉えることができるようになったのは、いつのことだっただろうか。

 柄にもなく感傷じみたことを考えて、どうせ、現在いまから数えたら、遥か遠い昔のことなんだろうと、魔術師は自嘲する。

 気が付けば、ティニが寝息を立てて眠っていた。ユーダレウスはその肩まで毛布をしっかりと掛けると、ベランダに残された二つのカップを回収して静かに階下へとおりていく。

 空け放した窓からは、カンテラの灯がぼんやりと光っているのが見えた。

 草の匂いをはらんだ初夏の夜風が吹き抜け、月のような色の銀の髪をいたずらに揺らした。


                               アルイマの森   了
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