嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

文字の大きさ
上 下
49 / 83

17

しおりを挟む
 星々が輝く夜空に、銀色の線がすっと走る。

「あ! 流れ星!」

 それはティニが指をさした頃には、とっくに消えていた。

 ここは巨木の幹からせり出して作られたベランダだ。日当たりのために、上に生えた枝が払われているため空が良く見える。
 夕食の後。ユーダレウスが迂闊にも「新月だから今日はいつもより星が見えるな」などと口を滑らせたばかりに、急遽、星空観賞と相成ったのだ。幼いティニを高所に一人で置いておくわけにもいかず、ユーダレウスも渋々ながら同伴していた。

 このベランダがすっかり気に入ったようで、ティニは欄干の隙間から足を出してぶらぶらと宙に遊ばせていた。高いところに恐怖はないようだが、それが逆に危ないと言うのも事実だ。さすがに欄干に上るだとか、落ちるまで身を乗り出すほど幼くはないが、何をするか予測できないのが子供ティニだ。心配のし過ぎということはないだろう。

 見下ろすと、黒い陰となった森の木々の間には、ランタンの光が点々と灯っていた。頭上には砕いたダイヤを撒いたような星の川が広がっている。まるで、天と地の境が消えて世界がひとつに繋がったようだった。

 ユーダレウスにとって、星空など見飽きるを通り越して、部屋の天井のように、当たり前にそこにあるものだった。
 ティニの後ろで、久しぶりに腰を据えてゆっくりと見上げた星空は美しく、無意識に感嘆の声が漏れた。
 もう一度、星が流れないかと空を睨んでいる小さな背中を見ながら、ユーダレウスはコーヒーの入ったカップに手を伸ばす。特にこだわりがないため安物の豆だが、この場所で飲むと普段とは違う味に思えた。

 ティニもホットミルクの入ったカップを手に取る。一口飲んで、ほっと息をつく姿は普段よりも満足げで、幼くとも何か感じるものがあるのだろうかと、ユーダレウスはほんの少し口元を緩めた。

 相変わらず流れ星を探しているのか、それとも眠気が訪れたのか。ティニはカップを持ったまま、ぼーっと星空を見上げていた。

「ティニ、あんまりぼやぼやしてると、それ落っことすぞ」

 声をかけると、慌てて自分の後ろにカップを置く。どうやらまだ眠いわけではないらしい。
 ティニは欄干の間から足を引き上げると、おもむろに、天に散らばる星を指さし、線を引いて繋げるように腕を動かした。

「……僕、小さいころ、死んじゃったらお星さまになるって、教えてもらったんです」

 まだ六つかそこらのティニが言う「小さい頃」とはいつの話なのだろうか。ユーダレウスはすかさず「今も十分小さいだろ」と冷やかした。振り返ったティニの、普段は人形のような顔が少しむくれたのを見ながら、ユーダレウスは眉間に皺を寄せたまま笑う。思惑通りの反応に気をよくしながら、手を伸ばして曇天色の後頭部をすこし乱暴にかき混ぜる。

 死者が星々になって空から見守っているのだと子供に言い聞かせることは、よくあることだ。
 しかし、ティニのように旅芸人の一座で生まれた子供は、そもそも身近な者の死に触れると言うのはあまりないはずだった。
 弱った者、死にそうな者、そういった者は大抵置いていかれる。彼らはそうして身軽になって旅を続けるのだ。
 実際、ユーダレウスが拾うまで、ティニは死者を弔うということを何も知らなかった。墓という言葉すら知らなかったほどだ。

「そんな話、誰に聞いたんだ?」

 ユーダレウスは小さな背中に問いかける。頭を撫でられただけで簡単に機嫌を直したティニは、何もなかったかのように首だけで師を振り返った。

「しらないひとです」

 あっけらかんと言うティニに、ユーダレウスは肩を落とした。
 無警戒にもほどがある。知らない人間に聞いたことを、そう簡単に信じるな。
 そう言おうと、半眼してティニを見たユーダレウスは、その表情に言葉を詰まらせた。

 言うべきか否かを迷っているようなそれは、普段よりいくつも大人びた少年のように見えた。

「夢の中で、会ったんです。でも、なんだか……ほんとのことみたいな夢でした」

 俯いたティニが欄干を握りしめる。見ていないその隙をつくように、ティニの頭上で流星がひとつ走った。

「……その、教えてくれたひと、息がとまるくらい、きれいな姿の男のひとでした」

 ティニは誰かの面影を探すように、ぼんやりと地上の星を見つめた。

「……なるほどな」

 コーヒーを入れたカップを脇に置いたユーダレウスは、両手をあぐらの上で組む。
 青い瞳が伺うようにこちらを見た。明るい場所で見るときと違って、その瞳は暗い海の底の色をしていた。ユーダレウスは不安に染まったその目をしっかりと見据える。

「そいつは間違いなく、精霊が夢に入ってきたんだろうな」
「ぅええっ……」

 勝手に夢に入られたことへの気味悪さが半分、いつも通りの不安が半分という複雑な表情をしたティニは、勢いよく立ち上がった。座っているユーダレウスとさして高さの変わらない位置にある顔が、いつもよりも硬い表情を浮かべていた。
 ティニは視線をうろうろと彷徨わせていたが、結局は両手を師に向けて伸ばした。どうやら不安の方が勝ったらしい。やはり、抱っこ離れはまだまだ遠いようだ。
 ほとんど無意識にため息をついて、ユーダレウスはティニの手を引いてあぐらの上に招く。子供らしい体温を膝の上に感じながら、星空を見上げた。

 精霊が話した内容については大した問題ではない。問題なのは、どうしてその精霊がティニの夢に現れたのかだ。
 魔術師でもない人間に、精霊たちは進んで関わろうとしない。子供には幾らか興味があるらしいが、夢に入り込んでまで姿を現すなんてことはもってのほかだ。魔術師と契約した精霊は人の前に姿を現すが、基本的に魔術師が呼ばなければ出てくることはない。

 その精霊は、ティニに会って何をする気だったのか。

 考え込むユーダレウスをよそに、師の腕の中で安心して、ホットミルクを飲みほしたティニが、ぽつりと口を開いた。

「師匠、精霊って、どれくらい生きるんですか?」
「あ? 魔術師に殺されるまでだ」

 逆に言うと、魔術師が勝手な名を与えて、精霊に死をもたらすまで、彼らに死はない。

「ながいきですねぇ……」と呟いたティニが、眠たげに目をこすり、ぽすんとユーダレウスの胸に背を預けてきた。まるで背もたれのような扱いに、微かに苛立ちを覚えたユーダレウスは、ティ二の額をぺたんと叩く。

「むぇっ……」

 情けない声を出したティニに、寝るなら立ってベッドへ行けと手振りで示す。ティニは大人しく立ち上がって歩き出したが、すぐに力尽きたようにユーダレウスの隣に座り込んだ。

 右腕に温い身体が引っ付いた。これはもう自分で動く気はないだろう。星空鑑賞を切り上げるつもりで、少し残ってぬるくなったコーヒーをひと口に含む。

「師匠が長生きなのは、師匠も精霊だからですか?」

 くぐもった声の、唐突な質問に、思わずコーヒーを噴出しそうになった。
 弟子のその質問は突拍子もないことにも思えた。だが、ある意味では核心に触れている。

 ユーダレウスはコーヒーを無理やりに飲み込むと、カップを下に置いた。

「俺は精霊じゃねえ。ただの人間で、魔術師だ……魔術師は、大抵長く生きる」
「まじゅつしは、ながいき……」

 眠気で呂律の回っていない上に、消え入りそうな声が聞こえた。と、思ったら、背後からゴンと痛そうな音がした。うとうとして壁に額を打ったらしいティニが小さく呻く。

 額をさすってうずくまる弟子に呆れながら、ユーダレウスは一応「大丈夫か」と問いかける。ティニはこくんと頷くと、引っ付いたまま大人しくなった。

 その静かさに不安を覚えたユーダレウスは、首を伸ばして弟子を見下ろした。丸まった背中が規則正しく上下していた。

 ――この一瞬で寝たのか。いや、そんなまさか。

 そんなことを思いながら、じっとティニを観察していると、あることに気が付いた。
 うっすらと目を開けて、ティニがこちらを見ている。師の視線に気が付いたのか、慌てて瞼をぎゅっと閉じた。

「……寝たふりか」

 曇天色のつむじに向かってぼそっと言うと、ティニがびくりと反応した。凭れかかっている小さな身体が緊張したように強張っていく。何とわかりやすい空寝だろう。
 それでも頑なに寝ているふりを続ける弟子に、ユーダレウスは込み上がる可笑しさを喉の奥で堪えた。

 そうして、何も気が付かないふりをして、ティニを抱え上げると、ベランダを後にした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

家ごと異世界ライフ

ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!

異世界複利! 【1000万PV突破感謝致します】 ~日利1%で始める追放生活~

蒼き流星ボトムズ
ファンタジー
クラス転移で異世界に飛ばされた遠市厘(といち りん)が入手したスキルは【複利(日利1%)】だった。 中世レベルの文明度しかない異世界ナーロッパ人からはこのスキルの価値が理解されず、また県内屈指の低偏差値校からの転移であることも幸いして級友にもスキルの正体がバレずに済んでしまう。 役立たずとして追放された厘は、この最強スキルを駆使して異世界無双を開始する。

異世界でネットショッピングをして商いをしました。

ss
ファンタジー
異世界に飛ばされた主人公、アキラが使えたスキルは「ネットショッピング」だった。 それは、地球の物を買えるというスキルだった。アキラはこれを駆使して異世界で荒稼ぎする。 これはそんなアキラの爽快で時には苦難ありの異世界生活の一端である。(ハーレムはないよ) よければお気に入り、感想よろしくお願いしますm(_ _)m hotランキング23位(18日11時時点) 本当にありがとうございます 誤字指摘などありがとうございます!スキルの「作者の権限」で直していこうと思いますが、発動条件がたくさんあるので直すのに時間がかかりますので気長にお待ちください。

豪華地下室チートで異世界救済!〜僕の地下室がみんなの憩いの場になるまで〜

自来也
ファンタジー
カクヨム、なろうで150万PV達成! 理想の家の完成を目前に異世界に転移してしまったごく普通のサラリーマンの翔(しょう)。転移先で手にしたスキルは、なんと「地下室作成」!? 戦闘スキルでも、魔法の才能でもないただの「地下室作り」 これが翔の望んだ力だった。 スキルが成長するにつれて移動可能、豪華な浴室、ナイトプール、釣り堀、ゴーカート、ゲーセンなどなどあらゆる物の配置が可能に!? ある時は瀕死の冒険者を助け、ある時は獣人を招待し、翔の理想の地下室はいつのまにか隠れた憩いの場になっていく。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しております。

最前線攻略に疲れた俺は、新作VRMMOを最弱職業で楽しむことにした

水の入ったペットボトル
SF
 これまであらゆるMMOを最前線攻略してきたが、もう俺(大川優磨)はこの遊び方に満足してしまった。いや、もう楽しいとすら思えない。 ゲームは楽しむためにするものだと思い出した俺は、新作VRMMOを最弱職業『テイマー』で始めることに。 βテストでは最弱職業だと言われていたテイマーだが、主人公の活躍によって評価が上がっていく?  そんな周りの評価など関係なしに、今日も主人公は楽しむことに全力を出す。  この作品は「カクヨム」様、「小説家になろう」様にも掲載しています。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

処理中です...