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街道を行くパーシー一家の馬車を、ユーダレウス達は見送る。馬車が遠く離れ、車輪の回る音も聞こえなくなるまで、ティニは手を振っていた。
風に夕暮れの気配を感じながら、ユーダレウスは両腕を上に伸ばしてぐっと背伸びをする。ふっと力を抜くと、凝り固まっていた筋肉が解れたような心地がした。
ティニがぶらりと振り降ろされた師の右手を両手で掴む。少し重たそうに持ち上げて、自分の視線の先に持って行くと、中指にはめられた大ぶりの指輪をしげしげと眺めた。
「師匠、あの時、助けてくれた光はここに帰って行きましたけど、あれも魔術なんですか?」
ティニは「あれが頭の近くを通ったとき、髪がぶわってなりました」と、その感覚を思い出したように、飛び跳ねた自分の髪を手で押さえた。
「あれは魔術じゃなく、雷光の精霊そのものだ……ヴォルニケツール・セラ」
ユーダレウスは小さな両手から右手を引き抜くと、指をひらりと動かした。
応えるように、大ぶりな指輪が陽光に反射してちかちかと光ったかと思えば、青みがかった光が飛び出して、目まぐるしい速さで二人の周りを旋回した。朝は鋭い槍のような姿だったが、今は柔らかな帯のように見えた。
眩しさに瞼をぱちぱちと上下させながら、ティ二はゆっくりと歩き出した師の後を追う。
「精霊って、まるい光じゃないのもいるんですね」
「基本的には丸い。だが、やつらはどんな姿にでもなれる」
どんな姿を選ぶかは、精霊の性質と気分次第だ。
気性の穏やかな陽光と月光は基本的な光の玉の姿で落ち着いているが、動き回るのが、と言うよりも、突き進むのが好きな雷光の精霊はそうならない。
ユーダレウスは、目にもとまらぬ速さで周囲を回り続けている雷光の精霊を少し鬱陶しそうに見ると、静かに呼び戻す。雷光の精霊が指輪に飛び込む瞬間、やはり、手が跳ねた。これで加減をしてくれているのだから恐ろしい。全力で飛び込まれたら、腕を失いかねない。
まだ慣れないティニは、跳ねた師の手に合わせて、びくりと肩を震えさせた。おそるおそるユーダレウスの右手を覗き込み、そこがいつも通りの師の右手であることを確認するとほっと胸をなでおろした。
ひたすらつまらない道をしばらく歩いていると、ティニがまた、ぽつりと質問を零す。
「……師匠、精霊もぼく達みたいに、死んじゃったら同じように別の世界に旅に出るんですか?」
「いや。精霊の魂は人間と違って、この世界で循環する……らしい」
「らしい?」
ティニは、珍しく質問の答えを濁した師を見上げて首をかしげる。ユーダレウスは気まずそうに眉間の皺を深くした。
「昔、精霊に聞いたきりだからな。それ以上に詳しいことは知らん」
その答えに、ただでさえ大きなティニの目がさらに見開かれる。
「師匠、カエルだけじゃなくて、精霊ともお話したんですか?!」
「……人の言葉を話せる精霊もいる。俺が会ったのは、人の姿をしていた」
呆然として「ひとのかたち……」と呟いたティニは、大人の仕草を真似たように、難しい顔で顎に手を添えた。
何かを真剣に考えているようだが、それに集中して足元が疎かになっていた。進む先には躓いて転ぶには十分な、手のひらほどの石が転がっているのが見えるが、まったく気が付いていないようだ。
転ばれて泣かれるのも面倒なので、ユーダレウスは弟子の手をとって石を踏まないように導いた。
「……もしかして、みんな知らないうちに精霊とお話してるかもしれないんですか?」
ティニがやっと顔を上げた頃、ユーダレウスは弟子の手を引いたままかろうじて整備されていた道を外れ、森の中を歩んでいた。不思議と、足元には草が生えていない。獣道にも見えるが、どちらかというと人工的にそうされたようだった。ユーダレウスはどんどんと森の奥へと入っていくが、ティニは疑うことも、不安がることもなく素直についていく。
弟子の疑問に、師は言葉を選ぶようにゆっくり一呼吸の間、首を傾けた。
「どうだろうな。あいつら、わかりやすいんだよ。人間の姿をしていても、絶対に人間じゃねえなってのが、一目でわかる」
進行方向を確認するユーダレウスの頭が揺れ、木漏れ日に当たった銀の髪が不思議な色味をもってきらめいた。ティニは月の色によく似たそれをじっと見つめた。
「例えば、髪の色や瞳の色。やたらと鮮やかな赤だの紫だのって色してんのは、大抵が精霊だ」
ユーダレウスは少し立ち止まると、ティニを見下ろした。師の髪を見つめていたティニは、急に視線が合ったことに戸惑って、ぱちぱちと瞬きをする。その間に視線を逸らしたユーダレウスはまた歩き出す。
「それに、男だろうと女だろうと、息が止まるくらい美しい姿の人間がいたら、まあ、まず間違いなく精霊だ」
言いながら、ユーダレウスは自分が過去に遭遇した精霊に思いを馳せる。
その美貌たるや。まず直感的に人外の気配を感じ、冷や汗が出た。その後に追いついた精神が畏怖を覚え、置いて行かれた肉体は息をすることを忘れていた。
今なら、お前は本当に人間に化ける気があるのかと問い詰めるだろう。あれにとっては完璧な人間への擬態だったのかもしれないが。
どちらかといえば嫌に分類される記憶を思い出してしまい、眉間の皺を深くしていると、隣を歩くティニが、むぅ、と唸った。見下ろすと、ティニも眉間にうっすらと皺を寄せ、なにやら思案顔をしていた。
記憶の中から、精霊だったかもしれない者を探しているのだろうと思い、ユーダレウスはからかい半分に「心当たりでもあったか?」と問いかける。
長い時を生きるユーダレウスでさえ人間に擬態した精霊に会ったのは一度きりだ。両手で足りるほどしか生きていないティニが、人間の擬態をする精霊に遭遇しているとは考えづらい。当然、首は横に振られるものと思っていた。
しかし、ティニはどこか上の空で「わかりません」と小さく呟いた。
ユーダレウスがどういうことかと聞く前に、ぱっと顔を上げたティニが繋がれた手に気が付いて嬉しそうにするものだから、その話はそれきり流れていった。
風に夕暮れの気配を感じながら、ユーダレウスは両腕を上に伸ばしてぐっと背伸びをする。ふっと力を抜くと、凝り固まっていた筋肉が解れたような心地がした。
ティニがぶらりと振り降ろされた師の右手を両手で掴む。少し重たそうに持ち上げて、自分の視線の先に持って行くと、中指にはめられた大ぶりの指輪をしげしげと眺めた。
「師匠、あの時、助けてくれた光はここに帰って行きましたけど、あれも魔術なんですか?」
ティニは「あれが頭の近くを通ったとき、髪がぶわってなりました」と、その感覚を思い出したように、飛び跳ねた自分の髪を手で押さえた。
「あれは魔術じゃなく、雷光の精霊そのものだ……ヴォルニケツール・セラ」
ユーダレウスは小さな両手から右手を引き抜くと、指をひらりと動かした。
応えるように、大ぶりな指輪が陽光に反射してちかちかと光ったかと思えば、青みがかった光が飛び出して、目まぐるしい速さで二人の周りを旋回した。朝は鋭い槍のような姿だったが、今は柔らかな帯のように見えた。
眩しさに瞼をぱちぱちと上下させながら、ティ二はゆっくりと歩き出した師の後を追う。
「精霊って、まるい光じゃないのもいるんですね」
「基本的には丸い。だが、やつらはどんな姿にでもなれる」
どんな姿を選ぶかは、精霊の性質と気分次第だ。
気性の穏やかな陽光と月光は基本的な光の玉の姿で落ち着いているが、動き回るのが、と言うよりも、突き進むのが好きな雷光の精霊はそうならない。
ユーダレウスは、目にもとまらぬ速さで周囲を回り続けている雷光の精霊を少し鬱陶しそうに見ると、静かに呼び戻す。雷光の精霊が指輪に飛び込む瞬間、やはり、手が跳ねた。これで加減をしてくれているのだから恐ろしい。全力で飛び込まれたら、腕を失いかねない。
まだ慣れないティニは、跳ねた師の手に合わせて、びくりと肩を震えさせた。おそるおそるユーダレウスの右手を覗き込み、そこがいつも通りの師の右手であることを確認するとほっと胸をなでおろした。
ひたすらつまらない道をしばらく歩いていると、ティニがまた、ぽつりと質問を零す。
「……師匠、精霊もぼく達みたいに、死んじゃったら同じように別の世界に旅に出るんですか?」
「いや。精霊の魂は人間と違って、この世界で循環する……らしい」
「らしい?」
ティニは、珍しく質問の答えを濁した師を見上げて首をかしげる。ユーダレウスは気まずそうに眉間の皺を深くした。
「昔、精霊に聞いたきりだからな。それ以上に詳しいことは知らん」
その答えに、ただでさえ大きなティニの目がさらに見開かれる。
「師匠、カエルだけじゃなくて、精霊ともお話したんですか?!」
「……人の言葉を話せる精霊もいる。俺が会ったのは、人の姿をしていた」
呆然として「ひとのかたち……」と呟いたティニは、大人の仕草を真似たように、難しい顔で顎に手を添えた。
何かを真剣に考えているようだが、それに集中して足元が疎かになっていた。進む先には躓いて転ぶには十分な、手のひらほどの石が転がっているのが見えるが、まったく気が付いていないようだ。
転ばれて泣かれるのも面倒なので、ユーダレウスは弟子の手をとって石を踏まないように導いた。
「……もしかして、みんな知らないうちに精霊とお話してるかもしれないんですか?」
ティニがやっと顔を上げた頃、ユーダレウスは弟子の手を引いたままかろうじて整備されていた道を外れ、森の中を歩んでいた。不思議と、足元には草が生えていない。獣道にも見えるが、どちらかというと人工的にそうされたようだった。ユーダレウスはどんどんと森の奥へと入っていくが、ティニは疑うことも、不安がることもなく素直についていく。
弟子の疑問に、師は言葉を選ぶようにゆっくり一呼吸の間、首を傾けた。
「どうだろうな。あいつら、わかりやすいんだよ。人間の姿をしていても、絶対に人間じゃねえなってのが、一目でわかる」
進行方向を確認するユーダレウスの頭が揺れ、木漏れ日に当たった銀の髪が不思議な色味をもってきらめいた。ティニは月の色によく似たそれをじっと見つめた。
「例えば、髪の色や瞳の色。やたらと鮮やかな赤だの紫だのって色してんのは、大抵が精霊だ」
ユーダレウスは少し立ち止まると、ティニを見下ろした。師の髪を見つめていたティニは、急に視線が合ったことに戸惑って、ぱちぱちと瞬きをする。その間に視線を逸らしたユーダレウスはまた歩き出す。
「それに、男だろうと女だろうと、息が止まるくらい美しい姿の人間がいたら、まあ、まず間違いなく精霊だ」
言いながら、ユーダレウスは自分が過去に遭遇した精霊に思いを馳せる。
その美貌たるや。まず直感的に人外の気配を感じ、冷や汗が出た。その後に追いついた精神が畏怖を覚え、置いて行かれた肉体は息をすることを忘れていた。
今なら、お前は本当に人間に化ける気があるのかと問い詰めるだろう。あれにとっては完璧な人間への擬態だったのかもしれないが。
どちらかといえば嫌に分類される記憶を思い出してしまい、眉間の皺を深くしていると、隣を歩くティニが、むぅ、と唸った。見下ろすと、ティニも眉間にうっすらと皺を寄せ、なにやら思案顔をしていた。
記憶の中から、精霊だったかもしれない者を探しているのだろうと思い、ユーダレウスはからかい半分に「心当たりでもあったか?」と問いかける。
長い時を生きるユーダレウスでさえ人間に擬態した精霊に会ったのは一度きりだ。両手で足りるほどしか生きていないティニが、人間の擬態をする精霊に遭遇しているとは考えづらい。当然、首は横に振られるものと思っていた。
しかし、ティニはどこか上の空で「わかりません」と小さく呟いた。
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